瀬戸内の裁定者――二羽の鷹と、再び安芸へ
道後へ来てから、少弐はようやく本当に休むようになった。
最初の数日は湯につかっていても毛利のことを考え、兵庫津のことを考え、小早川隆景という人物をどう捉えるべきか考えていた。
だがライラに見抜かれた。
――休むのも仕事。
那須に言われた言葉を、ライラから改めて突きつけられてからは、少弐も諦めた。
湯につかる。
よく食べる。
寝る。
散歩する。
それだけの日を過ごした。
そうして少弐が道後で身体を休めている間に、那須は那須で仕事を終わらせていた。
村上の問題である。
来島。
能島。
そして因島。
瀬戸内に根を張ってきた村上氏は、もともと外から細かく命令されることを好まない。
海を知る。
島を知る。
潮を知る。
それぞれの縄張りと慣習がある。
那須も、それを無理に壊そうとはしなかった。
「今までどおりでいい」
基本的な自治は認める。
船をどう動かすか。
島をどう治めるか。
誰を船頭にするか。
そうした日々のことまで那須が口を出すつもりはない。
ただし、一つだけ変えた。
「次から揉めたら、俺のところへ持ってこい」
それだけだった。
村上同士には、小さな喧嘩が残っている。
四国を巡る大きな動乱そのものは収まりつつある。
だが昔からの因縁は別だった。
どちらの船が先に通った。
誰の漁場だ。
どちらが誰を助けた。
あの戦でどちらについた。
昔の恨みまで持ち出せば、いつまでたっても終わらない。
那須はそれを一つずつ消そうとはしなかった。
そんなことをしても無理だと分かっていた。
だから、
――揉めるのは仕方ない。
――だが、最後は俺が裁く。
そう決めた。
その代わり村上氏を厚遇する。
海の専門家として扱う。
働きに応じて報いる。
自治も残す。
形式的に頭を下げさせて終わりではない。
那須の配下となることそのものに利を持たせたのである。
意外なほど話は早くまとまった。
村上側も疲れていた。
海で生きていく以上、昨日までの因縁を理由にいつまでも船同士で睨み合っているわけにはいかない。
しかも今の那須資忠は、ただ四国へ派遣されてきた東国武者ではなかった。
長年四国を預かり、
戦をまとめ、
海の者を使い、
国人を束ね、
必要なところでは豪快に譲り、
譲れないところでは一歩も退かなかった。
村上の者たちから見ても、
――この男ならば。
と思わせるだけの人物になっていた。
命を預けてもよい。
少なくとも、自分たち同士で果てしなく争うより、この男に最後を裁かせたほうがいい。
こうして村上氏は自治を保ちながら那須の下へ入り、今後のいざこざについては那須が裁定することになった。
その知らせを持って、那須が道後へ戻ってきた。
「終わりましたよ」
少弐は驚いた。
「もうか?」
「もうです」
「何をした」
「大したことはしてません」
那須は笑った。
「好きにやらせます。ただし喧嘩したら俺のところへ来い。それだけです」
少弐はしばらく那須を見た。
「……それで納得したのか」
「向こうも疲れてるんですよ」
那須はあっさり言った。
「因縁なんて、全部片づけようとしたら俺が爺になります」
「なるほど」
「だから裁く者だけ決めた」
少弐は笑った。
「お前、四国に来てずいぶん変わったな」
「少弐殿に言われたくないです」
そこへ、別の知らせが入った。
鷹が届いたのである。
二羽。
少弐が以前から手配していたものだった。
少弐はすぐに見に行った。
状態も悪くない。
「間に合ったか」
一羽は吉川元春へ。
そしてもう一羽も毛利への贈り物として使える。
以前、元就へ大鷹を贈った。
その話を元春が清盛館で楽しそうにしていたからこそ、
――また仕入れて届けます。
と少弐は約束した。
その約束を果たす鷹だった。
那須は二羽を眺めてから言った。
「これで安芸へ行けますな」
「ああ」
少弐は頷いた。
「そろそろ行く」
「そのことなんですが」
那須の声が少し変わった。
少弐が振り返る。
「何だ」
那須はライラを一度見た。
そして少弐へ言った。
「今度はライラ殿を、護衛として連れていくのをやめませんか」
少弐の表情が止まった。
ライラも那須を見る。
「どういう意味だ?」
「そのままです」
那須は平然としている。
「奥方として同行してもらう」
少弐は黙った。
ライラもすぐには何も言わない。
那須は続けた。
「毛利へ行くんでしょう?」
「ああ」
「今度は前より正式な話になります」
兵庫津から安芸を経て朝鮮へ至る海路。
商い。
船。
港。
村上との関係。
すでに単なる顔合わせではない。
「少弐殿自身が、少弐家の当主として行くべきです」
那須は言った。
「ならライラ殿も、剣士長や護衛というだけでなく、少弐殿の奥方として隣にいたほうがいい」
少弐は腕を組んだ。
「しかし護衛が――」
「だから用意しました」
那須は待ってましたとばかりに答えた。
「入れ」
呼ばれて入ってきた男を見て、少弐は目を細めた。
陶晴賢。
「……お前か」
陶は少弐へ頭を下げた。
那須は笑っている。
「四国から護衛を出します」
「よりによって陶か」
「腕に不足がありますか?」
「それはない」
問題はそこではない。
これから行く先は毛利元就のもとである。
そして護衛は陶晴賢。
史実ならば毛利と深い因縁を持つ男。
この世界では歴史が変わり、今ここにいる。
それでも過去まで消えたわけではない。
少弐は陶を見る。
「本当に行くのか?」
陶は静かに答えた。
「那須殿の命ならば」
「元就公のところだぞ」
「承知しております」
少弐は今度は那須を見た。
「わざとか?」
「何がです?」
「絶対わざとだろう」
那須は笑った。
「ちょうどいいでしょう」
「何がちょうどいい」
「村上の話も片づいた。毛利とも新しい関係を作る。だったら昔の因縁を抱えた者が、今度は少弐殿の護衛として同じ海を渡る」
那須は陶を見る。
「いつまでも昔のままでは困ります」
陶は何も言わなかった。
だが拒まなかった。
少弐はため息をついた。
「分かった」
そしてライラを見る。
「ライラ」
「うん」
「どうする?」
少弐は那須の命令ではなく、本人へ尋ねた。
ライラは少し考えた。
「行くよ」
「護衛ではなく?」
「今回はね」
ライラは笑った。
「陶殿が守ってくれるんでしょう?」
陶が少し困ったような顔をした。
那須が豪快に笑う。
「決まりですな」
こうして安芸への再訪は、以前とは少し違ったものになった。
少弐冬明。
その隣には、護衛ではなく奥方としてライラ。
護衛には陶晴賢。
そして二羽の鷹。
一方、背後の四国では那須資忠が村上氏をまとめ、瀬戸内の争いを裁く立場についた。
少弐が道後で休んでいた十日ほどの間に、海の景色は少し変わっていた。
那須は少弐を休ませながら、自分の仕事を終えていたのである。
「少弐殿」
出立の支度を見ながら那須が言った。
「今度はそちらの仕事です」
「ああ」
「毛利との道、通してきてください」
少弐は二羽の鷹を見た。
「そのつもりだ」
兵庫津から安芸へ。
安芸からさらに西へ。
その先には朝鮮がある。
少弐は今度こそ十分に休んだ身体で、再び毛利元就のもとへ向かうことになった。




