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梅雨の鰯――庭評定から生まれた保存食

梅雨の鰯――庭評定から生まれた保存食


その日の清盛館は、最初からこれほど大きな集まりになる予定ではなかった。


毛利両川を迎えたことで、館の座敷も客間もようやくそれらしく整った。


せっかくなら播磨の者たちとも話そう。


少弐がそう言って声をかけたところ、予想以上に人が集まったのである。


館には入りきらず、ついには庭まで使うことになった。


海の者。


山の者。


国人。


地侍。


商人。


鍛冶に関わる者。


紙を扱う者。


塩を作る者。


少弐自身も、


「こんなに来るとは思わなかった」


と苦笑するほどだった。


困ったのは食事である。


最初から大評定を開くつもりなら、それなりの支度もできた。


だが今回は突然だった。


昼を過ぎても話は終わらない。


紙。


塩。


炭。


鍛冶。


街道。


丹波方面から流れてくる食い詰めた地侍。


話題はいくらでも出てくる。


日が傾き始めたころ、兵庫津の者たちが立ち上がった。


「これでは皆、腹が減りましょう」


「何か出せるか?」


少弐が尋ねる。


「何とかします」


何とかするしかなかった。


兵庫津の商人や港の者たちは、それぞれ自分たちの蔵へ走った。


米。


味噌。


塩。


干物。


野菜。


酒。


漬物。


保存していたものを引っ張り出す。


魚は港から持ってくる。


清盛館の台所だけでは足りないので、庭にも火を設けた。


「本当に蔵をひっくり返しているな」


少弐が言うと、渡辺が呆れたように答えた。


「殿が突然これだけ呼ぶからです」


「俺だけのせいか?」


「ほぼ」


それでも兵庫津の者たちは楽しそうだった。


せっかく播磨中から人が集まった。


ならば腹いっぱい食わせて帰したい。


そういう意地もあった。


やがて夕餉が始まった。


梅雨時の兵庫津である。


当然、話題は魚になった。


「今なら何がうまい?」


少弐が尋ねた。


「蛸ですな」


「鰯もいい」


「今年の鰯はよう肥えております」


焼いた魚が運ばれてくる。


少弐も一尾取った。


脂がある。


「確かにうまい」


「でしょう」


漁に関わる男が嬉しそうに言った。


だが、その直後だった。


別の男がぼやいた。


「うまいんですがねえ」


「何だ?」


「獲れすぎるんです」


少弐が顔を上げる。


「獲れるならいいことじゃないか」


「最初は」


男は苦笑した。


今年は鰯がよく獲れる。


しかも太っている。


漁師にとっては嬉しい。


港にも大量に揚がる。


だが大量に獲れれば、当然値が下がる。


「昨日までこの値だったものが、今日は半分なんてこともある」


「そんなにか」


「鰯は待ってくれませんから」


魚は腐る。


特に梅雨時である。


獲ったその日に売りたい。


売れなければ値を下げる。


それでも余れば傷む。


干すにも限界がある。


塩漬けにもする。


だが、一度に大量に揚がれば処理しきれない。


「豊漁なのに困るのか」


「贅沢な話でしょう?」


男は笑った。


「嬉しいんですよ。ただ、獲れすぎると今度は値がなくなる」


少弐は焼いた鰯を見た。


うまい。


脂も乗っている。


それなのに翌日には価値が落ちる。


何とももったいない話だった。


その夕餉にはライラも同席していた。


少弐の護衛として座っていたものの、話を聞きながら普通に鰯を食べている。


そこで何気なく口を開いた。


「油に漬けたら?」


何人かがライラを見る。


少弐も振り向いた。


「油?」


「うん」


ライラは箸を置いた。


「ポルトガルでは魚をオリーブの油に漬けることがあるよ」


「鰯を?」


「鰯も」


故郷で食べたものを思い出しているらしい。


「塩をして、少し火を入れたりして、それから油に漬けるの。香草とか、ニンニクとかも一緒に入れたりする」


少弐の目が少し変わった。


ライラは気づかず続ける。


「小さい鰯なら丸ごと入るから、私はそっちのほうが好きだった」


「丸ごとか」


「うん。壺に詰めておけば、すぐ食べなくてもいいし」


ライラにとっては、ただの故郷の食べ物の話だった。


ところが庭にいた者たちの反応が変わった。


「油なら……」


誰かが言った。


「胡麻油がありますな」


別の者が続く。


「菜種の油もある」


少弐がそちらを見る。


「播磨で手に入るか?」


「入ります」


「大量には?」


「値次第ですが」


そこで漁師が身を乗り出した。


「待ってください」


皆が見る。


「値が崩れた鰯でやればいいんじゃないですか」


少弐が頷いた。


その通りだった。


高く売れる日に、わざわざ加工へ回す必要はない。


獲れすぎた日。


値が崩れた日。


そのままでは腐らせるしかない分。


それを加工する。


「小さい鰯でもいいんだな?」


漁師がライラに尋ねた。


「むしろ小さいほうが作りやすいと思う」


「それなら値のつかないのが山ほどある」


別の男が笑った。


「今まで捨ててたようなのまで使えるぞ」


話が急に具体的になった。


胡麻油。


菜種油。


塩。


ニンニク。


小壺。


火を通すための炭。


必要なものを挙げていく。


不思議なことに、ほとんど播磨とその周辺で揃う。


「壺は?」


「まず手持ちの小壺で試せばいい」


「備前から仕入れてもいい」


「油が高くつかないか?」


「売り物にならなければ自分たちで食えばいい」


「それなら損は小さいな」


皆が勝手に話し始めた。


少弐はしばらく黙って聞いていた。


これは面白い。


先ほどまで、


――播磨から原料のまま売るな。


――播磨で手を加えてから売ろう。


そう話していたばかりである。


そして今、目の前にその実例が転がり込んできた。


鰯をその日のうちに安値で売るのではない。


保存できる形へ変える。


値が崩れたときだけ加工へ回す。


売れれば商品。


売れなくても保存食。


兵庫津の船乗りや清盛館の兵が食べてもいい。


少弐が尋ねた。


「ライラ」


「何?」


「作れるか?」


「たぶん」


「たぶん?」


「私は食べるほうだったから」


庭に笑いが起こった。


ライラも笑う。


「でも、だいたいなら分かるよ」


「十分だ」


少弐は漁師たちを見る。


「試そう」


「売りますか?」


「まだ売らない」


少弐は即答した。


「まず食えるものを作れ」


胡麻油。


菜種油。


塩加減。


火の入れ方。


どのくらい日持ちするか。


小さい鰯がいいのか。


脂の乗った大きな鰯がいいのか。


ニンニクを入れるか。


唐辛子を少し入れるか。


何種類か作って比べればいい。


「うまければ?」


「俺たちで食う」


「それだけですか」


「余るほど作れるようになったら、そのとき売り方を考える」


少弐は笑った。


「まずは腐らせないことだ」


漁師たちは頷いた。


豊漁なのに値崩れを恐れる。


そんな矛盾を少しでも減らせるなら、試してみる価値はある。


そして、話の発端となったライラはというと――


「これ、おかわりある?」


普通に焼き鰯を指していた。


少弐が笑った。


「お前が今、新しい商売を一つ作ったかもしれんぞ」


「私?」


「そうだ」


ライラは不思議そうな顔をした。


「故郷の食べ方を話しただけだけど」


「商売なんて、案外そういうものかもしれん」


少弐はそう言って、自分ももう一尾取った。


この日の庭評定から決まったことは多かった。


播磨の紙と塩を畿内へ売り込むこと。


刀ではなく、包丁や農具、釘、針など生活に根ざした金物を育てること。


食い詰めた地侍を山賊のままにせず、赤木甚兵衛を通じて召し抱えること。


そして最後に決まったのが――


鰯を油へ漬けてみること。


それだけは誰も、朝の時点では考えていなかった。


梅雨の兵庫津。


突然集まった大勢をもてなすため、蔵をひっくり返して始まった夕餉。


豊漁をぼやいた漁師と、


故郷の味を何気なく話したライラ。


その二つが偶然重なって、


播磨の新しい保存食の試みが始まることになった。

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