約束の大鷹――再び安芸へ
四月が終わり、五月に入ろうとしていた。
兵庫津の清盛館にも、ようやく一つの落ち着きが生まれ始めていた。
播磨では、渡辺とシレトクが作った人脈が広がっている。
国人だけではない。
商人。
船主。
寺社。
鍛冶。
港に関わる者。
少弐が「家臣にならなくていい。この地に生きる友として付き合いたい」と言い続けた結果、奇妙な形ではあるが、播磨の各所から清盛館へ人が訪れるようになっていた。
そのシレトクは暇をもらい、一度室蘭へ帰ることになった。
そして少弐自身にも、もう一つ済ませておきたい約束があった。
毛利元就である。
以前、毛利を訪ねたとき、少弐は元就をはじめ、輝元、吉川元春、小早川隆景と話をした。
摂津。
備前。
四国。
朝鮮。
そして遥か北方。
それぞれ異なる土地から集めた品々を見せ、
――商いが自由になれば、対価さえ払えば、こうした品を誰でも手に入れられる時代が来る。
そう説いた。
毛利は飛びつかなかった。
だが拒みもしなかった。
元就はすでに腹を決めていたようだった。
むしろ会談の最後には政治の話など半ばどこかへ行き、少弐と元就は隣り合ってキセルをふかし、安芸の昔話や古い戦の話をしていた。
そのとき、少弐がもう一つ約束していたものがある。
大鷹だった。
「ようやく来たか」
清盛館の庭で、少弐は止まり木に据えられた鷹を見上げた。
摂津で探させていた大鷹である。
羽並みは整い、脚は太い。
人が近づいても騒がず、鋭い目だけを動かす。
少弐はしばらく鷹と見つめ合った。
「……元就殿に似ているな」
隣にいたライラが鷹を見る。
「どこが?」
「目」
「怒られるよ」
「本人には言わん」
少弐はそう言ったあと、少し考えた。
「いや、言っても笑うかもしれん」
ライラは呆れたように笑った。
この鷹を、今度こそ元就へ届ける。
それが再び安芸へ向かう一つの理由だった。
少弐は館へ戻ると、渡辺を呼んだ。
「また安芸へ行く」
渡辺は一瞬黙った。
「……またですか」
「まただ」
「今度は何をしに?」
「鷹を届ける」
「鷹だけですか?」
少弐は答えなかった。
渡辺はため息をついた。
「元就殿と煙草を吸いに行くのでしょう」
「それもある」
「やっぱり」
少弐は笑った。
「渡辺」
「はい」
「俺が留守の間、清盛館を頼む」
今度は渡辺の表情が引き締まった。
シレトクは北へ帰る。
少弐も安芸へ行く。
清盛館には播磨各地から人が訪れるようになっている。
誰を通すか。
誰の話を聞くか。
どの情報をすぐ安芸の少弐へ送るか。
どれを待たせていいか。
判断する者が必要だった。
「赤木甚兵衛たちは館の守備につけてある」
「承知しております」
「お前は留守居だ」
渡辺は頷いた。
「承知しました」
少弐も頷く。
「勝手に重要な約束だけはするな」
「殿ではありませんので」
「……俺もそんなに勝手にはしていない」
渡辺は何も言わなかった。
「何だ、その顔は」
「何でもありません」
「ならいい」
そして護衛にはライラを連れていくことにした。
少人数での訪問である。
軍勢を引き連れていく必要はない。
毛利とはすでに一度会っている。
今回は使者として威儀を整えるより、約束を果たすための再訪という意味合いが強かった。
「ライラ」
「うん」
「安芸へ行くぞ」
「分かった」
返事が早い。
少弐が逆に驚いた。
「何も聞かないのか?」
「どうせ元就殿と煙草を吸うんでしょう?」
「……渡辺と同じことを言うな」
「だってそうでしょう?」
否定できない。
「護衛だからな」
「分かってる」
ライラは剣を確かめる。
「今度は安芸からどこか別の国へ行ったりしないでね」
「行かん」
「本当に?」
「安芸へ行って、兵庫へ帰る」
「北へは?」
「行かない」
「南へは?」
「行かない」
「朝鮮は?」
「行かない」
「樺太は?」
「安芸から樺太へどうやって行くんだ」
「あなたなら行きかねない」
少弐は反論できなかった。
出発の日。
清盛館の前には大鷹がいた。
鷹匠も同行する。
元就への贈答品である以上、道中で弱らせるわけにはいかない。
少弐はライラとともに船へ乗った。
渡辺が見送りに出る。
「殿」
「何だ」
「鷹を渡したら帰ってきてください」
「分かっている」
「本当に?」
「お前までライラみたいなことを言うな」
ライラが横から言った。
「みんな同じことを心配しているだけ」
船が兵庫津を離れた。
瀬戸内を西へ進む。
島々の間を縫いながら、安芸を目指す。
少弐は甲板へ出た。
風が気持ちいい。
自然と懐へ手が伸びる。
キセルを取り出しかけ――
止まった。
「…………」
ライラが見る。
「どうしたの?」
「何でもない」
「煙草?」
「違う」
「船では火は法度」
先に言われた。
少弐は黙ってキセルを懐へ戻した。
「覚えていた」
「出しかけてた」
「火はつけていない」
「前もそう言ってた」
鷹匠が聞こえないふりをしている。
やがて船は安芸へ入った。
毛利側にも、少弐再訪の知らせが伝えられた。
以前とは違い、大量の贈答品を積んではいない。
供回りも少ない。
少弐。
護衛のライラ。
鷹匠。
そして――
一羽の大鷹。
毛利の館へ着く。
元就の前へ通されると、少弐はまず頭を下げた。
「また来たか」
元就が言った。
「来てもいいと言われましたので」
「勝手に来いとは言ったが、本当に来る奴があるか」
「ここにおります」
元就が笑った。
少弐も笑った。
「それで?」
元就が尋ねる。
「今日は何を持ってきた」
「覚えておられますか」
少弐が合図した。
鷹匠が進み出る。
そして大鷹が姿を現した。
元就の表情が変わった。
「ほう」
少弐は、その顔を見て満足そうに笑った。
「摂津の大鷹です」
元就が立ち上がる。
近づいて鷹を見る。
羽。
脚。
爪。
そして目。
鷹も元就を見る。
老人と鷹が、しばらく無言で睨み合った。
元就が笑った。
「よい目をしておる」
後ろでライラが少弐を見る。
少弐は黙っていた。
「何だ」
元就が気づく。
「いえ」
「何か言いたそうだな」
「元就殿に似ていると思いまして」
ライラが目を閉じた。
言った。
元就は少弐を見る。
そしてもう一度、鷹を見る。
「どこがだ」
「目が」
一瞬の沈黙。
元就は大声で笑った。
「ならば、なおさら気に入った!」
少弐も笑った。
「以前のお約束です」
「本当に持ってきたか」
「贈ると言ったものを贈らなければ、次に煙草を吸いに来られませんから」
「それが目的か」
「半分は」
「残り半分は?」
少弐は懐へ手を入れた。
今度は船の上ではない。
キセルを取り出す。
元就はそれを見ると、すぐ意味を理解した。
「やはり、それか」
「また火を囲いに来てもいいですか、と申し上げたでしょう」
「もう来ておるではないか」
「では、囲いましょう」
誰かが火を用意する。
少弐は最初、元就の向かいへ座った。
だが話が始まると、いつの間にか前回と同じになっていた。
元就の隣。
二人で同じ火からキセルへ火を入れる。
煙が上がった。
「それで」
少弐が尋ねる。
「前の続きですが」
「何の話だった」
「安芸をまとめるころの話です」
「ああ」
元就が煙を吐く。
「どこまで話したかの」
少弐が覚えていた。
「国人の一人が、味方すると言いながら別のところにも使者を出していたところまでです」
元就が少弐を見る。
「よく覚えておるな」
「面白かったので」
「戦の話がか?」
「人の話がです」
元就は少し笑った。
そして続きを話し始めた。
若いころの安芸。
小さな国人たち。
裏切り。
婚姻。
駆け引き。
昨日の敵。
今日の味方。
戦って勝つより、戦わずに味方へ引き込むほうが難しかったこと。
少弐は楽しそうに聞いていた。
ライラは少し離れたところから、その様子を眺めていた。
不思議だった。
元就と少弐は親子ではない。
主従でもない。
同じ国の者ですらない。
年齢も違う。
生きてきた場所も違う。
それなのに並んで煙を吐いている姿だけを見ると、妙に馴染んでいる。
元就が話す。
少弐が聞く。
時々、少弐が質問する。
元就が面白がってさらに昔の話をする。
そして庭では、少弐が約束どおり連れてきた大鷹が止まり木の上から二人を見ていた。
前回は口約束だった。
今回は本当に鷹が来た。
少弐にとって、それは単なる贈り物ではなかった。
約束したものを届ける。
そしてまた会う。
同じ火を囲む。
そうして少しずつ人と人との間に道を作っていく。
北方でもそうだった。
播磨でもそうだった。
そして安芸でも、少弐は同じことを始めていた。
政治のために友になるのではない。
友になった者と、いつか政治の話もできればいい。
その日、毛利との間で新しい起請文が交わされたわけではなかった。
領地の約束もない。
軍勢の約束もない。
ただ一羽の大鷹が元就のもとへ渡り、
二人の男が同じ火で煙草を吸った。
それだけだった。
だが少弐は、それで十分だと思っていた。
安芸にはもう一つ、
また来てもよい場所ができたのである。




