兵庫津の新しい目と耳
兵庫津へ入った少弐を待っていたのは、新しく出来上がった館だった。
以前に見たときにはまだ普請の最中だったが、今では門も塀も整い、蔵や厩まで一通り使えるようになっている。
港へ出入りする船を見渡すことができ、市中へもすぐ出られる。
単なる宿ではない。
坂東と畿内、そして瀬戸内をつなぐための拠点として造られた館だった。
「ようやく形になったか」
少弐は門を見上げた。
ところが、その近くに妙に見覚えのある一団がいた。
「おお、殿!」
大声を上げたのは赤木甚兵衛だった。
その後ろにも男たちがいる。
少弐は足を止めた。
「……先に来ていたのか」
「へえ!」
甚兵衛は嬉しそうに笑った。
少弐はしばらく彼らを眺めた。
そして眉を寄せた。
どう見ても山賊だった。
旅装のままということもある。
武器の持ち方もばらばら。
髪も髭も好き勝手。
甚兵衛など、本人は威勢よく胸を張っているのだが、それがますます山中から下りてきた賊の頭領にしか見えない。
「甚兵衛」
「へえ」
「お前たち、その格好でここにいたのか」
「へえ」
「……よく捕まらなかったな」
甚兵衛が首を傾げた。
「何か変ですかい?」
「変というか」
少弐は男たちを端から端まで見た。
「いかにも山賊だ」
後ろで渡辺が吹き出した。
甚兵衛は不満そうだった。
「元は山の者なんですから仕方ねえでしょう」
「それでは困る」
少弐は館の横にある空き地を指した。
「とりあえず館の近くに好きに詰め所を作れ」
「好きに?」
「寝床でも飯炊き場でも、自分たちで使いやすいようにしろ。ただし館とは別だ」
甚兵衛はすぐに頷いた。
「そいつはありがてえ」
「その代わり」
少弐は館を指した。
「お前たちは今日から、この館の守備兵として詰めろ」
甚兵衛たちの表情が変わった。
山で好き勝手に動いてきた者たちにとって、「館の守備兵」という言葉は少し重い。
「俺たちが?」
「そうだ」
少弐は頷いた。
「港には商人も来る。毛利からの使いも来るかもしれん。堺や京から客が来ることもある。そのたびに山賊が門前に立っていたら、誰も館へ入りたがらん」
「山賊じゃねえんですがねえ……」
「見た目の話だ」
その日のうちに、甚兵衛たちには揃いの兵装が与えられることになった。
華美なものではない。
動きやすい小袖に袴、簡素な胴。
武器の携行方法も揃える。
髪や髭まで少弐が細かく命じることはなかったが、最低限、館の門番として見られる格好にはさせた。
着替えを終えた甚兵衛が現れる。
少弐は腕を組んで眺めた。
「……だいぶましになった」
「窮屈ですな」
甚兵衛は肩を動かした。
「慣れろ」
「山へ入るときは脱いでも?」
「構わん。だが館にいるときはそれを着ろ」
「へえ」
こうして兵庫津の館には、少々風変わりな守備隊が置かれることになった。
そして館の中では、別の男が少弐を待っていた。
「戻ったか」
少弐が声をかける。
シレトクだった。
北方の旅で少弐たちと行動し、その後は坂東側の仕事を任されるようになった男である。
少弐はてっきり簡単な報告を受けるものだと思っていた。
ところがシレトクが差し出した記録を開いて、表情を変えた。
「……ずいぶん調べたな」
渡辺も横から覗き込む。
播磨各地の国人についての記録だった。
どの城へ誰が出入りしているか。
一度だけ訪れた者と、何度も訪れている者。
誰と誰が同じ日に城へ入ったか。
どの商人が特定の城下へ頻繁に荷を運んでいるか。
それだけではない。
市についても記録されている。
米。
塩。
酒。
油。
木材。
鉄。
馬。
布。
普段から多く扱われる品と、最近になって急に増えた品。
そして武具。
槍。
弓。
矢。
火薬。
鉄砲。
甲冑。
それらを扱う商人が、通常の商いとして妥当な量を売っているのか。
あるいは、市の規模に比べて不自然に大量の武具が集まっていないか。
少弐は一枚ずつ読んだ。
「ここは?」
ある城の名を指す。
シレトクが答えた。
「出入りする人は多い。でも同じ人が多い。商人より、武士が多い」
「こちらの市は?」
「鉄が増えた。農具を作っていると言っていた。でも炭も増えている」
「鍛冶か」
シレトクは頷く。
「ただ、鍬だけなら、こんなに要らないと思う」
渡辺が記録を取り上げた。
「火薬まで見たのか」
「見た」
「どうやって?」
「買った人を見る」
シレトクは平然と言った。
「店を見るだけでは分からない。誰が買って、どこへ運ぶかを見る」
渡辺が黙った。
少弐は思わず笑った。
「これは使える」
城だけを監視していては分からない。
兵を集めるなら飯がいる。
武器がいる。
馬がいる。
鉄砲を使うなら火薬がいる。
人間が戦を始めようとすれば、必ず市にその兆候が現れる。
しかもシレトクは、一つの情報だけで判断していなかった。
城への人の出入り。
商人の動き。
物価。
武具。
鉄。
馬。
それらを重ねて見ている。
「誰に教わった?」
少弐が尋ねた。
シレトクは少し考えた。
「渡辺」
渡辺が顔を上げた。
「俺?」
「前に言った。城だけ見るな、人を見る。人だけ見るな、飯を見る」
渡辺はしばらく黙っていた。
確かに言った覚えがある。
だが――
ここまでやれとは言っていない。
少弐は面白そうに渡辺を見た。
「立派に引き継がれたな」
「……そうですな」
渡辺の返事は妙に短かった。
自分がやってきた仕事だった。
人を見る。
噂を拾う。
城への出入りを覚える。
商人の荷を見る。
それをシレトクへ教えたのも自分である。
だから、本来なら喜ぶべきだった。
ところが報告書を読み進めるほど、妙な気持ちになった。
――俺より細かくないか。
それが気に入らない。
いや。
正確には、気に入らない自分が気に入らなかった。
渡辺はもう一度記録を見る。
字そのものはまだ洗練されていない。
だが観察は細かい。
余計な憶測も少ない。
見たものと、聞いたものを分けている。
「……生意気な」
小さく呟いた。
シレトクが振り向く。
「何?」
「何でもない」
少弐は笑いを堪えていた。
渡辺には分かっている。
自分の仕事を引き継いだ男が、期待以上に働いた。
それは嬉しい。
教えた甲斐があったとも思う。
だが同時に――
少し羨ましい。
少し悔しい。
そして、少しだけ妬ましい。
「渡辺」
少弐が呼んだ。
「はい」
「よい後継ぎを育てたな」
「……殿」
「何だ」
「もう少し言い方がありませんか」
少弐はとうとう笑った。
シレトクは意味が分からず、二人を交互に見ている。
外では、兵士の格好をさせられた赤木甚兵衛たちが、新しい詰め所をどこに建てるかで大声を上げていた。
館を守る者がいる。
市中を見る者がいる。
城を見る者がいる。
海からは船が入ってくる。
兵庫津の館は完成したばかりだった。
だが少弐には、建物そのものよりも、その中へ集まり始めた人間たちのほうが重要に思えた。
坂東から遠く離れたこの港に、ようやく自分たちの目と耳ができ始めていた。




