↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

PR
757/1028

老将への土産――赤木衆の先導で毛利へ

元亀三年(一五七二)四月末・備後から安芸へ


赤木甚兵衛の館で十日を過ごした少弐冬明たちは、ようやく西への旅を再開した。


予定から見れば、ずいぶん遅れている。


だが、そこから先は驚くほど早かった。


甚兵衛自身はまだ長旅のできる身体ではない。


代わりに、彼が部下を数人つけてくれた。


「安芸へ行くなら、こいつらを連れていけ」


甚兵衛は杖をついたまま言った。


「街道を真っ直ぐ行くより早い道を知っている」


渡辺満が少し疑う。


「山道か?」


「山道もある。だが全部獣道というわけじゃねえ」


赤木衆は長年この辺りを根城にしていただけあり、道を知り尽くしていた。


どの峠なら馬が通れるか。


どの川なら浅瀬を渡れるか。


どの寺なら旅人を泊めるか。


どの集落なら馬に水と飼葉を分けてもらえるか。


逆に、どの道では国人同士が揉めているか。


どの関を避ければ余計な足止めをされずに済むか。


それまで少弐たちが地図と人づての話を頼りに探していたものを、赤木衆は身体で覚えていた。


「次の分かれ道は左です」


「右の方が広くないか?」


少弐が尋ねる。


「広いけど遠い。それに先で川が増水すると止まります」


「なるほど」


一行は左へ進む。


別の日には、


「今日は早めに止まりましょう」


渡辺が驚いた。


「まだ日が高いぞ」


「この先は泊まれる場所がない」


その判断も正しかった。


翌朝、夜明けとともに出れば、日のあるうちに次の集落へ着く。


少弐は感心した。


「案内人がいるだけで、こんなに違うのか」


赤木衆の男が笑う。


「俺たちは逃げ道を探すのが仕事だったからな」


渡辺が言った。


「これからは人を逃がす道に使え」


「そうするよ」


少弐も笑った。


さらに天候にも恵まれた。


春の旅には雨がつきものだが、大きく道を崩すような雨には遭わない。


川も渡れた。


馬も故障しない。


国人同士の争いに巻き込まれることもない。


関で長く止められることもなかった。


つまり――。


最初の十日の遅れを取り戻したわけではない。


だが、もし悪天候や川止め、道間違いなどが重なっていたなら、この程度まで遅れていてもおかしくなかった。


赤木衆の案内のおかげで、その後の行程が異様なほど滑らかだったのである。


空蝉が馬上で言った。


「結果だけ見れば、山賊の館に十日いた割には早く着いたな」


少弐も頷く。


「甚兵衛殿に助けられましたね」


「治したのは俺だ」


「先生にも」


「最初からそう言え」


ライラが笑った。


渡辺は先導する赤木衆を見る。


「殿」


「うん?」


「あの者たち、街道護衛には本当に使えそうですな」


「でしょう?」


「悔しいですが」


「何が悔しいんだ」


「元山賊に道の歩き方を教わっております」


赤木衆の男が振り返った。


「聞こえてるぞ」


笑い声が起きた。


やがて一行は、毛利の勢力が強く及ぶ土地へ入った。


ここまで来れば、赤木衆の役目も終わりに近い。


毛利側へ使者を出す。


小田家の外交特使、少弐冬明。


佐野家より同行する医師、空蝉。


毛利元就との会見を望む。


元就にとって空蝉は見知らぬ医者ではない。


長く薬を処方してきた人物である。


返事は比較的早かった。


一行を迎える用意をするという。


宿へ落ち着いた夜。


少弐は空蝉に尋ねた。


「先生」


「何だ」


「元就殿って、何が好きです?」


空蝉が少弐を見る。


「またそれか」


「贈り物を選びたいので」


「酒でも持っていくつもりか」


「候補には」


「やめておけ」


即答だった。


少弐が困る。


「嫌いなんですか?」


「嫌いというより、もう年だ」


この世界の毛利元就は、空蝉の治療や養生もあって史実より長命になっている。


しかし、すでに相当な高齢だった。


若いころのように大量に酒を飲むわけでもない。


食も細くなっている。


「これが好きだ、あれが好きだといって食べる歳でもない」


空蝉は言った。


「物欲も昔より減った」


「困ったな」


「何をそんなに困る」


「初めて会う人には、何か持っていきたいんです」


空蝉は呆れた。


「お前は本当にそればかりだな」


少弐は渡辺を呼んだ。


「満」


「はっ」


「荷物を見せてくれ」


旅の荷を確認する。


大層な献上品を用意してきたわけではない。


今回はあえて少人数で陸路を来た。


持ち運べるものも限られている。


渡辺が包みを開いた。


「備前焼がございます」


少弐が手に取る。


児島や備前を通った際に入手したものだった。


華美ではない。


渋い。


丈夫で、日常にも使える。


直家に贈った銀継ぎの古備前ほど特別な品ではないが、出来は良い。


「これはいいな」


少弐が言った。


「元就殿は茶を?」


空蝉が答える。


「飲む。だが直家のように茶器を並べて楽しむ男ではない」


「なら、むしろこれくらいがいい」


少弐は備前焼を戻した。


渡辺がもう一つ取り出す。


細長い箱。


「それと、これは?」


開ける。


中には筆記具が入っていた。


少弐が手に取る。


「羽根ペンか」


鷹の羽から作ったものだった。


西洋式の羽根ペン。


少弐たちには珍しいものではない。


マリアたちとの航海や外国との書状のやり取りを通して、何度も使っている。


だが日本ではまだ珍しい。


少弐は羽根を光へ向けた。


「鷹だよな」


渡辺が頷く。


「はい」


少弐は少し考える。


元就。


戦よりも謀。


謀よりも書状。


諸将へ膨大な書状を書き、家中をまとめ、遠国とも交渉する男。


高齢になったいまなら、刀や酒より――。


「これだ」


少弐が言った。


「備前焼と、この羽根ペン」


空蝉が眉を上げる。


「ずいぶん地味だな」


「元就殿に派手なものを渡しても仕方ないでしょう」


「俺に聞いた意味があったらしい」


少弐は笑った。


「備前焼は、これから瀬戸内で流したい品です」


そして羽根ペンを見る。


「こっちは、書状を書く人なら使える」


渡辺が笑う。


「元就公ほど書状をお書きになる方も珍しいでしょうな」


「でしょう?」


少弐は満足した。


酒でもない。


珍獣の角でもない。


豪華な南蛮品でもない。


土地の土から生まれた備前焼。


そして鷹の羽で作った一本のペン。


「これでいこう」


翌朝。


少弐は旅装を整えた。


ライラも剣を帯びる。


渡辺も供を整える。


空蝉はいつもの薬籠を持った。


赤木衆の男たちはここで別れる。


少弐が言った。


「助かりました」


「親方への借りを返しただけだ」


「甚兵衛殿に伝えてください」


「何を?」


少弐は笑った。


「兵庫で待ってる、と」


男も笑った。


「言っておく」


彼らが去る。


そして少弐たちは毛利の迎えとともに、元就のもとへ向かった。


十日の寄り道。


山賊の親方を治した。


その山賊を家臣にした。


そしてその部下に案内され、思いのほか滑らかに西へ来た。


予定通りではない。


だが少弐の旅は、いつも予定通りには進まない。


それでも――。


道はつながっていた。


少弐は荷の中に収められた備前焼と鷹羽のペンを思い浮かべる。


「さて」


空蝉が横を見る。


「何だ」


少弐は前を向いた。


「中国一の爺様に会いに行きましょう」


「本人の前で絶対に言うなよ」


ライラが笑い、


渡辺も笑った。


一行の前方に――


毛利元就の待つ地が近づいていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。