西国への道連れ――備中で空蝉と合流す
元亀三年(一五七二)四月・児島から備中へ
児島高家と宇喜多直家の間を取り持った翌日、少弐冬明は一通の書状を書いた。
宛先は伊丹の佐野昌綱。
用件は簡潔だった。
毛利へ行く。
それも船ではなく、備前から陸路で安芸へ入る。
そして――空蝉を貸してほしい。
空蝉は佐野家に身を置きながら各地の要人を診てきた医師であり、毛利元就とも長い付き合いがある。
元就の身体を診て薬を処方し、折に触れて健康状態を気遣ってきた。
いわば元就の主治医の一人だった。
少弐は毛利との最初の本格的な交渉に、これほど心強い同行者はいないと考えたのである。
書状の最後には、
「備中にて待つ」
とだけ付け加えた。
そして少弐はライラ、渡辺満とともに児島を発った。
馬である。
海を横目に見ながら、三人は備中へ入った。
数日後。
備中の寺に宿を借りていた少弐のところへ、聞き覚えのある声が響いた。
「少弐!」
少弐が振り返る。
「先生」
旅装束の空蝉が立っていた。
薬籠を背負わせた供を伴い、自身も馬でやってきたらしい。
久しぶりに見る顔だった。
空蝉は少弐を見るなり言った。
「お前な」
「はい」
「毛利に行くんだろう?」
「はい」
「なぜ陸路なんだ」
少弐は笑った。
「道を見たくて」
「船を持っているだろう」
「持っています」
「速い船もある」
「あります」
「なら船で行け」
渡辺が横を向いた。
ライラは笑っている。
少弐だけは真面目だった。
「海の道を作ろうとしているので、一度陸から見ておきたいんです」
空蝉はしばらく少弐を見た。
「……相変わらず変なところに凝るな」
そう言いながらも、顔は楽しそうだった。
少弐が尋ねる。
「嫌でした?」
「いや」
即答だった。
「久しぶりの仕事だからな」
空蝉は薬籠を軽く叩いた。
「少し楽しみにしている」
ライラが笑った。
「さっきまで文句を言っていたのに?」
「文句と楽しみは別だ」
空蝉は平然としている。
「それに元就を診るのも久しぶりだ」
少弐が尋ねた。
「具合は?」
「だから、それを見に行くんだ」
空蝉は医師の顔になった。
元就もすでに七十代半ば。
この世界では空蝉の治療や養生の助言もあって史実より長く生きているが、老齢であることに変わりはない。
「薬だけ送って身体を見ないというのは、医者として気持ちが悪い」
そう言いながら空蝉は少弐を見る。
「お前もあとで診るぞ」
「俺はいいです」
「腰」
「大丈夫です」
「馬で安芸まで行く男の言うことではない」
ライラがすぐ口を挟んだ。
「お願いします」
「ライラ」
「診てもらった方がいい」
「ほら、妻の方が話が分かる」
少弐は何とも言えない顔になった。
渡辺が笑った。
こうして三人だった旅は、空蝉を加えて四人となった。
その夜。
寺の一室で簡単な食事を取りながら、少弐はこれまでの経緯を空蝉へ説明した。
兵庫津。
宇喜多直家。
児島高家。
割札。
播磨と備前の荷を児島の船で運ばせる約定。
空蝉は黙って聞いていた。
「それで次が毛利か」
「はい」
「何を要求する?」
少弐は少し考えた。
「まだ決めていません」
空蝉が眉を上げた。
「決めずに会いに行くのか」
「まず元就殿の話を聞きます」
毛利が何を恐れているのか。
何を欲しがっているのか。
瀬戸内の商いをどう考えているのか。
それを知らなければ条件など出せない。
空蝉は少弐を見て、少し笑った。
「お前らしいな」
「先生から見て、元就殿はどういう人です?」
空蝉はしばらく考えた。
「話を聞く男だ」
少弐が頷く。
「ただし」
空蝉は続けた。
「聞いたからといって、信じたとは思うな」
渡辺が苦笑した。
「宇喜多殿と似ておりますな」
「違う」
空蝉は即座に返した。
「元就は疑うことそのものを仕事にしているような男だ」
少弐は煙管へ火を入れながら笑った。
「面白そうですね」
「お前はどうしてそうなる」
「知らない人と話すのは好きなので」
ライラが呆れたように少弐を見る。
空蝉もため息をついた。
だが、その目は笑っていた。
久しぶりの長旅。
久しぶりの往診。
そして旧知の毛利元就。
何より、少弐冬明という妙な外交官が何を始めるのか。
空蝉自身、それを見るのを楽しみにしていた。
翌朝。
四人は馬を並べた。
少弐冬明。
ライラ。
渡辺満。
そして薬籠を携えた空蝉。
空蝉が西へ続く道を見て言った。
「それで、今日はどこまで行く」
少弐も西を見る。
「急ぎません」
「そうか」
「途中の市場も、関も、川も見ます」
「患者が増えそうだな」
「先生、診るんですか?」
空蝉は当然のように答えた。
「目の前に病人がいたらな」
少弐は笑った。
そして一行は馬を進めた。
海路ならば、もっと早く着く。
それでも今回は陸を行く。
備中から備後へ。
備後から安芸へ。
港と港の間に何があるのか。
物が海へ届くまでに、どれだけの人間が関わっているのか。
それを確かめながら――
四人は毛利元就の待つ西へ向かった。




