物が流れれば――児島にて語る、戦のいらぬ国
宇喜多直家と児島高家の間に約定を結ばせたあと、少弐冬明はすぐ兵庫津へ戻ろうとはしなかった。
児島まで来て、そのまま帰るのは惜しい。
海を見れば船がある。
港を歩けば荷がある。
少し内へ入れば備前の品が集まってくる。
これから兵庫津と結ぼうとしている土地なのだから、もう少し自分の目で見ておきたかった。
少弐は児島高家に頼んだ。
「数日、場所を借りてもいいですか」
「構わん。船まで置いていった男を追い出したら、こちらの名折れだ」
こうして児島の一角に場所を借り、少弐は仲間を呼び寄せた。
ライラ。
シレトク。
そして播磨の国人関係を調べていた渡辺満。
三人が揃ったところで、少弐は簡単な報告を求めた。
最初に渡辺を見る。
「満。播磨はどうだ?」
渡辺は少し難しい顔をした。
「まだ、何とも」
「時間がかかりそうか」
「はい」
播磨は複雑だった。
家と家。
寺社。
国人。
婚姻。
旧主従。
さらに織田、毛利、宇喜多。
少し調べただけで「この者はこの陣営」と決められる土地ではない。
「もう少し時間をいただきたい」
「分かった」
少弐も無理には聞かなかった。
「急いで間違えるよりいい」
渡辺はそれ以上、多くを語らなかった。
次に少弐はシレトクを見る。
「備前は?」
シレトクは即答した。
「変な国だ」
渡辺が眉を上げる。
「何がだ」
「いいものが多い」
シレトクは指を折った。
「焼きもの」
備前焼。
「刀」
備前刀。
それだけではない。
米もある。
海へ出れば魚も取れる。
塩もある。
職人もいる。
シレトクは商人を装って備前を歩き、市場へ入り、港を見て、人々が何を売り買いしているのかを見てきた。
だからこそ不思議だった。
「なのに堺ほど栄えてない」
少弐がシレトクを見る。
「堺と比べたのか」
「ああ」
「そりゃ相手が悪いぞ」
渡辺が笑った。
堺は日本でも指折りの商業都市である。
だがシレトクは真面目だった。
「でも、おかしい」
「何が?」
「いいものを作れるんだろう?」
「ああ」
「欲しい人もいる」
「いるな」
「なら、もっと売ればいい」
あまりに単純だった。
だが少弐は笑わなかった。
シレトクは続ける。
「北でも同じだ」
あるコタンには毛皮がある。
別の土地には魚がある。
別の場所には牙がある。
それぞれが自分たちだけで持っていても、それ以上にはならない。
だが船が来る。
交換する。
別の土地へ運ぶ。
すると価値が変わる。
「備前は、物が悪いんじゃない」
シレトクは言った。
「物が動いてないんじゃないか」
少弐が小さく頷いた。
まさに自分が考えていたことだった。
備前には売るものがある。
備前刀。
備前焼。
その他にも瀬戸内へ出せる品がある。
しかし兵庫津、堺、さらに西国まで安定して流す道が弱い。
道が戦で切れる。
勢力が変われば関所が変わる。
海では通行する相手も変わる。
「だから児島か」
ライラが言った。
少弐が頷いた。
「そういうこと」
兵庫から播磨へ。
播磨から児島へ。
児島から備前へ。
そこまで荷を安定して動かせるようにする。
そして次は西へ。
少弐は地図を見る。
シレトクも地図を見た。
「これが全部つながったら」
「うん?」
「備前はもっと豊かになる」
少弐は答えなかった。
シレトクはしばらく考えたあと、ぽつりと言った。
「ものさえ流れれば、自然に豊かになるのかもしれないな」
誰も口を挟まない。
「そうしたら――」
シレトクは続けた。
「戦をしない国になるかもしれない」
少弐が顔を上げた。
ライラもシレトクを見る。
その横で、渡辺だけが笑った。
「それは無理だ」
「なぜ?」
「宇喜多直家だぞ」
渡辺は冗談めかして言った。
「毒で人を殺したなんて噂まである男だ。国が豊かになった程度で戦をやめるものか」
少弐が苦笑する。
ライラも何とも言えない顔をした。
ところがシレトクは笑わなかった。
「それは別だ」
渡辺がシレトクを見る。
「何が別なんだ」
「戦と暗殺は違う」
静かな声だった。
「一度、暗殺に手を出した者は――」
シレトクは淡々と言った。
「信用が地に落ちる」
渡辺の笑みが少し消えた。
「一人殺して得をしても、次から誰もそいつを信用しない」
誰も何も言わない。
「酒を出されても疑う」
少弐が僅かに目を逸らした。
直家との最初の会見で茶を飲まなかった男である。
「飯を出されても疑う」
シレトクは続ける。
「話し合いに呼ばれても疑う」
今度はライラが少弐を見る。
「約束しても、本当に守るのか疑う」
渡辺はもう笑っていなかった。
「一度なら得をするかもしれない。でも、そのあとの全部が高くつく」
シレトクはそう言って、茶を飲んだ。
「だから終わりだ」
渡辺が黙った。
少弐も少し驚いていた。
シレトクは北方から一緒に来た男だ。
もともと畿内の政治など知らなかった。
宇喜多も知らない。
織田も知らない。
毛利も知らない。
だが交易を知っている。
知らない相手と品物を交換するということが、どれほど信用に依存しているのかを知っている。
だからこそ出た言葉だった。
しばらくして渡辺が頭を掻いた。
「……お前、たまに妙に鋭いことを言うな」
シレトクは不思議そうな顔をした。
「普通だろう」
「普通なら俺が黙ってない」
ライラが笑った。
少弐も笑った。
だが、少弐はシレトクの言葉を覚えておこうと思った。
一度得た利益より、その後失う信用の方が大きい。
これは商いだけの話ではない。
外交も同じだ。
少弐は地図へ目を落とした。
兵庫。
播磨。
児島。
備前。
その先には、まだ安芸も長門も九州もある。
「シレトク」
「なんだ」
「じゃあ、道を作ってみようか」
「どこまで?」
少弐は地図の西端を指でなぞった。
「行けるところまで」
シレトクは頷いた。
「物が動けば、人も動く」
「うん」
「人が行き来すれば、知ってるやつになる」
少弐が笑った。
「そうだな」
「知ってるやつとは、知らないやつより戦いにくい」
今度は渡辺も笑わなかった。
ライラが静かに言った。
「それが本当にできたら、すごいね」
少弐は地図を眺めた。
まだ兵庫から児島までしかつながっていない。
西へ行けば、もっと難しくなる。
毛利がいる。
村上がいる。
海峡がある。
その向こうには九州がある。
簡単な仕事ではない。
それでも少弐は思った。
国を取る必要はない。
城を落とす必要もない。
船が通ればいい。
荷が動けばいい。
約束した者同士が、それを守ればいい。
それを一つずつ西へ伸ばしていく。
少弐は煙管に火を入れた。
「戦をしない国、か」
煙がゆっくり上がる。
「そこまでは分からない」
そして地図の児島を指で叩いた。
「でも――戦をしたら損をする国には、できるかもしれない」
今度は誰も笑わなかった。




