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児島の割札――宇喜多と海の衆を結ぶ

天正元年――ではなく、元亀三年(一五七二)四月・備前


児島から戻った少弐冬明は、約束どおり児島高家を伴って宇喜多直家のもとを訪れた。


高家は最後まで気が進まない様子だった。


「会うだけだからな」


「分かっています」


「宇喜多に従うと決めたわけではない」


「それも分かっています」


「少弐殿」


「はい」


「お前、俺を売るつもりではあるまいな」


少弐は困った顔をした。


「俺はあなたに船を一隻譲った男ですよ」


「だから余計に怖いのだ」


横を歩いていたライラが小さく笑った。


少弐は児島で、坂東フリガッタ一隻を高家へ譲っている。


代わりに得たものは、播磨から来る船をしばらく児島周辺で通すという約束だけだった。


そして今日は、その先を作る。


宇喜多直家は二人を迎えた。


「これはこれは」


直家は高家を見る。


「児島殿とは、一度ゆっくりお話ししたいと思っておりました」


「俺は思っておらなんだ」


いきなりだった。


少弐が額を押さえた。


直家は怒らなかった。


むしろ笑った。


「それは残念」


高家は宇喜多直家という男の噂を嫌っている。


謀略。


暗殺。


裏切り。


毒。


海で生きてきた高家には、どうにも性に合わない。


一方の直家も、それを承知しているようだった。


少弐は二人の間へ座った。


「今日は昔の話をしに来たのではありません」


「では何を?」


直家が尋ねる。


少弐は一枚の紙を広げた。


「荷物の話をしましょう」


高家が覗き込む。


直家も見る。


そこには備前、児島、播磨、兵庫津が描かれていた。


少弐は児島を指した。


「ここを荷渡しの場所にしたい」


直家の目が少し変わった。


「ほう」


「まず備前」


少弐は指を動かす。


備前から瀬戸内へ出す荷。


あるいは海から備前へ入れる荷。


一定以上の荷については、児島の船を使う。


次に播磨。


「播磨から備前へ荷を送る場合も同じです」


高家が少弐を見る。


「児島の船を使う?」


「ええ」


「それでは、こちらはずいぶん儲かるぞ」


「儲かってください」


少弐は平然としていた。


高家が少し黙った。


さらに少弐は、小さな木札を取り出した。


中央に印がある。


「割札を使います」


「割札?」


少弐は二つに分けて見せた。


片方だけでは意味を持たない。


合わせると印が一致する。


「兵庫津から出る公認の荷には、これを持たせる」


児島側にも対応する札を置く。


照合できれば、それが少弐たちの認めた正規の荷だと分かる。


「児島には、その荷を保証してもらいます」


高家が尋ねた。


「保証とは?」


「児島で預かった荷について、誰から受け取り、どこへ渡したのかを記録する」


荷が壊れた。


消えた。


盗まれた。


数が合わない。


そうした問題が起きれば児島側が調べる。


逆に札のない荷については、児島が責任を負う必要はない。


「なるほど」


高家はすぐに理解した。


これは単なる通行許可ではない。


児島が播磨と備前を結ぶ荷物の信用を保証する。


ということだ。


直家が尋ねた。


「では児島が荷を運ぶ費用は?」


「もちろん払います」


少弐は即答した。


「運賃は別です」


さらに、


「倉へ入れれば保管料も払う」


「荷役は?」


「それも働いた者に払う」


少弐は紙へ書き加えた。


割札は無償労働を意味しない。


児島が荷の信用を保証することと、船を出すことは別である。


船を使えば運賃を払う。


倉を使えば保管料を払う。


荷を積み替えれば荷役料を払う。


必要なら水先案内にも銭を払う。


高家は腕を組んだ。


「悪くない」


直家も黙って考えている。


備前にとっても利益がある。


備前刀。


備前焼。


米。


塩。


その他の商品。


それらを児島へ集めれば、兵庫津まで安定して運べる。


逆方向には、堺や兵庫から来る商品が入る。


さらに少弐が言っていた瀬戸内航路が西まで伸びれば、博多や対馬、朝鮮から来る品まで備前へ届く可能性がある。


「それで」


直家が少弐を見る。


「児島殿は、何を求められる?」


高家が答える前に、少弐が言った。


「自治です」


高家が少弐を見る。


直家の目が細くなった。


「少弐殿」


「はい」


「それは私に言われることですかな」


「だから言っています」


少弐は平然としている。


高家が少し慌てた。


「少弐殿、そこまで――」


「ここを曖昧にしたら意味がない」


少弐は続けた。


児島が宇喜多と関係を結ぶ。


それ自体はいい。


だが宇喜多が児島の船、港、商人を直接支配し始めれば、この仕組みは長続きしない。


海の者には海のやり方がある。


「児島には児島の掟で、港と船を治めてもらいたい」


直家は黙って聞いている。


「宇喜多殿には、その自治を認めていただきたい」


「その代わり?」


「児島殿」


少弐が高家を見る。


高家はしばらく考えた。


そして直家へ向き直った。


「宇喜多殿が児島の自治を認めるなら、備前の荷は俺たちが責任を持って運ぶ」


直家は答えない。


高家は続けた。


「宇喜多の商人だからといって、余計な銭は取らん」


「宇喜多の船も?」


「約定を守るなら通す」


「兵を運べと言えば?」


高家の表情が変わった。


「それは別の話だ」


直家が笑った。


「なるほど」


少弐は口を挟まなかった。


そこは二人が決めることだった。


やがて直家が言った。


「よろしい」


高家が顔を上げる。


「児島の港、船、商いについては、これまでの仕来りを認めましょう」


ただし――。


「備前へ敵を引き入れぬこと」


「当然だ」


「宇喜多領の商人を不当に妨げぬこと」


「それもいい」


「そして戦となった場合の協力については、その都度話す」


高家は少し考えた。


「それなら飲める」


決まった。


少弐は紙へ書き込んでいく。


一、備前と播磨の間で公認された荷を運ぶ場合、原則として児島の船を用いる。


一、割札を用い、児島は引き受けた荷の受領・保管・引渡しについて保証する。


一、船賃、荷役料、倉の保管料、水先案内料その他の実費は、荷主が別途支払う。


一、宇喜多は児島の港・船・商いについて従来の自治と仕来りを認める。


一、児島は宇喜多領の商人および公認された播磨・兵庫津の商船を不当に妨げない。


一、軍事上の協力については別議とし、この約定をもって児島の軍役を定めるものとはしない。


高家が読んだ。


直家も読む。


双方が少しずつ言葉を直す。


やがて一つの約定ができた。


高家が少弐を見る。


「これならいい」


直家も頷いた。


「私にも異存はない」


少弐はようやく息を吐いた。


「よかった」


直家が少弐を見る。


「ところで」


「はい」


「少弐殿は?」


「俺?」


「ええ」


直家は約定を指で叩いた。


「児島殿は商いを得る」


高家を見る。


「私は児島との関係を得る」


そして再び少弐を見る。


「あなたは何を得る?」


少弐は当然のように答えた。


「船が通ります」


「それだけ?」


「それが欲しかったので」


直家は少弐をじっと見た。


「金は?」


「いりません」


「児島に蔵を?」


「児島殿が必要なら自分で建てればいいでしょう」


高家が笑った。


「領地は?」


「もっといりません」


少弐は即答した。


「兵庫津だけでも仕事が山ほどあるのに」


高家が声を上げて笑った。


直家だけは笑わなかった。


少弐冬明。


この男が場を作った。


児島まで自ら船で行った。


最新のフリガッタまで一隻譲った。


宇喜多を嫌っていた高家を説得して連れてきた。


割札の仕組みを考えた。


双方の利益がぶつからないよう条件を整えた。


そして最後に――


何も要求しない。


いや。


一つだけ要求している。


道を塞ぐな。


それだけだ。


直家には、それがかえって不気味だった。


領地を欲しがる者なら分かる。


金を欲しがる者も分かる。


人質を取る者も分かる。


だが少弐は、それらを欲しがらない。


代わりに人と物が動く仕組みを欲しがる。


直家はようやく笑った。


「少弐殿」


「はい」


「あなたは欲がないのか、欲が深いのか、分かりませぬな」


少弐は少し考えた。


「欲はありますよ」


「何が欲しい?」


少弐は地図を指した。


兵庫津。


播磨。


児島。


備前。


さらに、その指は西へ動く。


安芸。


長門。


海峡。


博多。


対馬。


そしてその先の朝鮮。


「ここを全部」


高家の表情が固まった。


直家の目が細くなる。


少弐は慌てて付け加えた。


「領地じゃありませんよ」


高家が吹き出した。


「道か」


「はい」


少弐は笑った。


「船が通れる道が欲しい」


直家もついに笑った。


なるほど。


確かに欲が深い。


国一つを欲しがるより、よほど大きなものを見ている。


この日、宇喜多は児島への道を得た。


児島は自治と商権を得た。


少弐は――


瀬戸内を西へ進む、最初の道を得た。


そして三人の誰も、この約定が後に兵庫津から博多、対馬、朝鮮まで連なる「割札の海路」の原型になるとは、まだ知らなかった。

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