商人には商人の値――堺、今井宗及との取引
伊丹で明智光秀との会談を終えた少弐冬明は、そのまま兵庫津へは戻らなかった。
ライラを伴い、いったん堺へ寄ることにした。
理由の一つは松浦鎮興だった。
少弐が兵庫津を本拠とした後も、堺との連絡は切れない。
そこで松浦を堺に置き、兵庫津との連絡役とすることにしている。
その松浦が今後何かと世話になる相手として、少弐が頼ろうとしていたのが今井宗及だった。
宗及と顔を合わせると、最初から仕事の話には入らなかった。
少弐が持ち出したのは北方航路の話だった。
室蘭。
宗谷。
樺太。
さらに北へ進んだ海。
大陸側の人々。
そこで何が採れ、何が喜ばれ、どんなものが交換できたのか。
毛皮。
牙。
魚。
北方の珍しい品々。
宗及は商人らしく、旅そのものより途中で出てくる品物に何度も反応した。
「その皮というのは、どの程度手に入ります?」
「大量には難しいでしょう」
「では高値になりますな」
「だから価値があるのでしょう?」
宗及が笑った。
「冬明様も、ずいぶん商人らしくなられた」
「あなた方に鍛えられました」
そんな話をしている途中、少弐は思い出したように尋ねた。
「宗及殿」
「何でしょう」
「煙管はありますか」
「煙管?」
「それと煙草」
宗及は少弐の顔を見る。
「ございますが」
「少し見せてもらえませんか」
宗及が人を呼ぶと、しばらくしていくつかの品が運ばれてきた。
簡素なもの。
細身のもの。
金具に意匠を施したもの。
携行しやすいもの。
少弐は一本ずつ手に取った。
ライラが横から聞く。
「自分の?」
「違う」
「じゃあ誰の?」
少弐は一本を手に取った。
派手すぎない。
だが品がある。
武人が持ってもおかしくなく、それでいて少し洒落ている。
「これがいい」
宗及が尋ねる。
「贈り物で?」
「ええ」
少弐は伊丹で煙管を吸って盛大にむせた男を思い出していた。
「明智殿に似合いそうだ」
ライラが笑う。
「また?」
「何が」
「酒を渡して、今度は煙管?」
「気に入っていたから」
少弐は煙管と煙草を包ませた。
そして代金を払う。
宗及が受け取って、わずかに眉を動かした。
「冬明様」
「はい」
「多うございます」
「そうですね」
「……間違いでは?」
「いいえ」
宗及の顔から笑みが少し消えた。
商人である。
金額を間違えたのでないなら、その差額には意味がある。
「何をお望みで?」
少弐はあっさり答えた。
「松浦に知らせてほしいことがあります」
「何を?」
「武器の動きだけ」
宗及の目が細くなった。
「武器、と申されますと」
「鉄砲でも槍でも火薬でもいい。堺で妙に大量の武器が動いたときだけ、松浦に知らせてほしい」
宗及はすぐには答えなかった。
少弐も急かさない。
「誰が買ったかまで調べろとは言いません」
「それでも難しい話ですな」
「でしょうね」
「堺の商人が、誰かに武具の売れ行きを知らせていると思われれば信用に関わります」
少弐は頷いた。
「だから、無理なら構いません」
宗及が少し意外そうな顔をした。
少弐は茶を飲んだ。
「ただ――」
やはり続きがあった。
宗及が苦笑する。
「ございますか」
「室蘭では、なかなか良い鷹が手に入るようです」
宗及の眉がわずかに動いた。
少弐はそれを見逃さなかった。
「北には鷹だけじゃない」
毛皮。
海獣の牙。
北方の魚。
珍しい工芸品。
そしてまだ畿内の商人が十分には知らない市場。
少弐たちが数年かけて開いてきた北方航路には、これから商売になるものがいくらでもある。
「宗及殿」
「はい」
「堺ばかり見ていると、次の商いを逃しますよ」
宗及が少弐を見る。
少弐は笑っていた。
「たまには北にも目を向けるといい」
「……鷹で私を釣るおつもりですか」
「鷹だけとは言ってません」
「なお悪い」
ライラは黙って二人を見ていた。
戦場の駆け引きとは違う。
だが、これはこれで戦っている。
宗及はしばらく考えた。
やがて、ため息をつく。
「分かりました」
少弐は何も言わない。
「ただし」
宗及が指を一本立てる。
「私は間者にはなりませぬ」
「もちろん」
「商いをしていて、明らかにおかしいほど武具が動いたときだけです」
「十分です」
「誰が何挺買ったなどという話まで調べませぬぞ」
「頼んでいません」
「松浦殿へ伝えるだけ」
「それでいい」
宗及はもう一度ため息をついた。
「まったく……」
少弐が尋ねる。
「何か?」
「北から帰って、以前より商売がうまくなっておられる」
「褒め言葉として受け取ります」
「褒めておりませぬ」
ライラがとうとう笑った。
少弐も笑う。
そして宗及は、先ほど選ばれた煙管を見る。
「それにしても、明智様へこれを?」
「ええ」
「何か大事な交渉でも?」
「いいえ」
少弐は首を振った。
「今日、初めてゆっくり話しただけです」
宗及には、そちらの方が理解できなかった。
「それで贈り物を?」
「煙草を気に入っていたので」
「……冬明様」
「はい」
「あなたは商人になったのか、商人に向いていないのか、時々分からなくなります」
少弐は少し考えた。
「俺にも分かりません」
堺を発つ前。
少弐は松浦鎮興に改めて言った。
「宗及殿とは仲良くしておけ」
「何をお願いされたので?」
「堺で武器が妙に動いたら、お前に教えてくれる」
松浦は少弐を見る。
「よく承知されましたな」
「北の話をした」
「……何を餌に?」
「鷹」
松浦はしばらく黙った。
「殿」
「なんだ」
「人を釣る餌が酒、煙草、鷹と、どんどん増えておりますな」
少弐は笑った。
「使えるものは使う」
こうして堺には松浦鎮興が残った。
今井宗及との商人の網。
松浦の文書と連絡。
そして兵庫津の清盛館。
まだ細い線だった。
だが少弐は、その細い線を一本ずつ西へ、そして北へと結び始めていた。
帰り際、少弐の荷には一つ、小さな包みが加わっていた。
明智光秀へ渡すために選んだ煙管である。
伊丹で酒を渡し、煙草を勧めただけの相手だった。
だが少弐はすでに、次に会うときのことを考えていた。




