元亀三年(一五七二)坂東評定――「西の海を通せ」
一五七二年正月。
鹿島に諸将が集まった。
前年まで北方にいた少弐冬明も、この評定では久しぶりに坂東の政務の席へ戻っている。北方についてはすでに大掾へ仕事を引き継いでいたが、氏治が次に彼へ何を命じるのかは、まだ知らされていなかった。
畿内からは佐野昌綱。
そして四国から那須資忠が出席した。
評定が始まると、まず佐野が畿内の地図を広げた。
「浅井、朝倉は、もうおりませぬ」
佐野の指が近江から越前へ動く。
朝倉旧領では一乗谷に代わって北ノ庄が新たな中心となり、柴田勝家が北陸方面を任されている。その北では上杉謙信と書状を交わしながら、国境では小競り合いを続けていた。
「信長は観音寺へ居を移しました」
岐阜には留守を置き、尾張には丹羽。近江南部、特に大和方面への備えには佐久間がいる。
だが佐野が最も警戒しているのはそこではなかった。
「信長が見ているのは、京ではございません」
指が琵琶湖の北を回った。
「若狭を羽柴。丹波を明智。おそらく信長は、我らのいる山城・大和を北から迂回して――」
その指が西へ走る。
「但馬、播磨。さらに山陰・山陽へ出るつもりでしょう」
氏治が尋ねた。
「ならば、こちらとは戦わぬのか」
「信長自身は、そのつもりでしょう」
佐野が苦笑した。
「ですが義秋公が上洛を諦めません」
一同が黙った。
足利義秋を奉じながら、いつまでも京都へ入らないわけにはいかない。
佐野は、
「今年か、来年か。いずれ山城へ来ます」
と言い切った。
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そこで那須資忠が口を開いた。
「陸も問題ですが、海もよろしくありません」
今度は瀬戸内の地図が広げられた。
淡路、阿波、讃岐、伊予。
小田・佐野側の勢力はすでに四国へ深く根を張っている。
ところが、その先が安定しない。
「商いをするにも、誰に話を通せばよいのかが土地ごとに違います。瀬戸内の情勢が決まらぬゆえ、船を安定して西へ通せませぬ」
讃岐から伊予へ船を出すことはできる。
しかしそこから九州、さらに博多へ安定してつなごうとすると難しい。
結局、
「土佐へ回してしまうのが一番確実」
という状況だった。
だが、それでは遠い。
瀬戸内という巨大な内海を持ちながら、その利点を十分に利用できていない。
少弐が地図を覗き込んだ。
「……ここですね」
兵庫津だった。
畿内から瀬戸内へ入る東の入口。
少弐は指を西へ滑らせた。
兵庫津。
播磨。
備前。
さらに西へ進めば安芸・周防。
そこから九州北部。
博多。
そして対馬を経て朝鮮。
氏治も同じ線を見ていた。
しばらくして言った。
「冬明」
「はい」
「堺はもうよい」
少弐が顔を上げる。
「お前を兵庫へ移す」
那須が少し身を乗り出した。
佐野は何も言わなかった。むしろ予想していたようだった。
氏治は続ける。
「兵庫津を与える」
今回は単なる外交使節ではない。
少弐の肩書そのものはこれまでと同じく外交特使。
だが、今回は明確に土地を持つ。
兵庫津を少弐の西国における本拠とする。
「城が要るなら造れ」
氏治はあっさり言った。
「使える城があるなら、それを使ってもよい。兵庫津の中で、お前が一番都合のよい場所を選べ」
少弐は少し考え、
「兵は?」
と尋ねた。
「必要なだけ申せ。ただし――」
氏治が地図の堺を指した。
そこから兵庫津へ。
さらに西へ。
博多、対馬、そして朝鮮へ指を動かした。
> 「堺から朝鮮まで、道を通せ」
少弐の表情が変わった。
それなら理解できる。
北方で自分がやってきた仕事と同じだった。
土地を奪うことが目的ではない。
港をつなぐ。
人をつなぐ。
補給地点をつなぐ。
そして船が安全に往復できるようにする。
「播磨はどうします」
少弐が聞いた。
氏治は即答しなかった。
代わって佐野が答える。
「味方にできる者は味方にせよ。戦わず済むなら戦うな」
そして少し間を置く。
「だが羽柴に取られるくらいなら、先に取れ」
少弐が笑った。
「ずいぶん外交特使らしくない仕事になりましたな」
「城持ちの外交特使だからな」
氏治も笑った。
こうして少弐冬明は、堺担当から摂津・兵庫津を本拠とする西国外交特使へ移ることになった。
その最初の任務は、
堺―兵庫津―播磨―瀬戸内―博多―対馬―朝鮮
を一本の安全な航路として接続すること。
そしてそのためなら、播磨への政治・軍事介入も許された。
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だが、評定は西国だけでは終わらなかった。
北条から使者が来ていた。
早川殿の父でもある北条氏康は、ついに決断していた。
この春、駿河から三河方面へ軍を出す。
狙いは徳川家康。
北条側から小田へ正式な参陣要請が来ている。
ただし氏治自身の出陣を求めたものではなかった。
「寄騎として、小山義広殿を願いたいとのことです」
使者の言葉に、今度は東国の地図へ視線が集まった。
氏治は腕を組んだ。
北条とは同盟関係にあり、氏康とは姻戚でもある。
しかも北条が名指ししているのは小山義広。
要請を無下にはできない。
氏治は義広を見る。
「どうする」
義広は地図上の駿河を見てから、三河へ目を移した。
そして、
「寄騎としての要請ならば参りましょう」
と答えた。
ただし氏治は念を押した。
「小田が徳川征伐を始めるのではないぞ」
「承知しております」
あくまで北条との盟約に基づく援軍。
小山軍は北条軍の指揮下に入る。
小田本軍は動かさない。
こうして一五七二年の坂東は、奇妙なことに東西同時に動き始めた。
西では――
少弐冬明、兵庫津へ。
東では――
小山義広、北条氏康の徳川征伐へ。
そして中央では、佐野昌綱が信長の上洛に備える。
氏治は最後に地図全体を眺めた。
西では信長が動き、
東では氏康が動く。
自分はどちらの戦も始めていない。
それでも小田の家臣たちは、東西へ散っていく。
少弐が立ち上がりながら、那須に尋ねた。
「資忠殿。まず、どこまで船を通せています」
「伊予までは何とか」
「ならば簡単です」
少弐は瀬戸内の地図を巻いた。
> 「伊予から先をつなぎましょう。兵庫から始めて、最後は朝鮮までです」
北の果てから戻ったばかりの男に、今度は日本最大の内海を一本の道に変える仕事が与えられたのである。




