元亀三年坂東評定――一本角の果てに拓かれた四つの道
――元亀三年(一五七二年)正月、坂東。
年が改まった。
少弐冬明が坂東へ帰還して間もなく、北方探索の成果を報告する評定が開かれた。
少弐が持ち帰ったものは多かった。
海図。
航海日誌。
イネスが描きためた画帳。
各地の衣服。
毛皮。
角。
銀貨。
沈没船から引き揚げた交易品。
そして評定の中央には、三つの品が置かれていた。
虎皮。
トナカイ。
そして――
一本の長大な螺旋の牙。
少弐はその横に、さらに大きなものを置かせた。
頭蓋だった。
異様に長い牙が生える位置を残した、イッカクの頭骨。
小田氏治はしばらく黙って見ていた。
「これか」
「はい」
少弐が答えた。
「探していた一角竜――西洋でユニコーンの角として珍重されていたものです」
「竜ではないのだな」
「鯨の仲間です」
評定に小さなどよめきが起きた。
氏治は立ち上がり、近くから頭骨を見る。
牙だけなら加工品にも見える。
しかし頭蓋がある。
牙がどこから伸びるのかも分かる。
さらにイネスの画帳には、沈没船から引き揚げた際の状態まで描かれていた。
「生きたものを捕らえたのか?」
「いえ」
少弐は首を振った。
「大穂田――現地でオホタと呼ばれる土地では、北東方面から交易あるいは漂着によって入ったものを得ました。生息地そのものは、さらに北東と思われます」
少弐は海図を広げた。
「ただし、重要なのはこちらです」
大穂田。
綾部。
チョルガル。
室蘭。
点が並んでいる。
「我々自身がイッカクの海まで行く必要はありません」
氏治が少弐を見る。
「向こうから運ばせるのか」
「はい」
少弐は大穂田を指した。
「ここを集積地にします」
北東から来る海獣製品。
トナカイ。
毛皮。
角。
そして稀にイッカク。
それを大穂田へ集める。
大穂田から綾部。
綾部からさらに南へ。
最後に室蘭へ入れる。
「一隻の船が全航程を往復するのではなく、リレーで運びます」
氏治はうなずいた。
「その方が船も人も楽だな」
「はい。それに、一ヶ所が止まっても全航路が死にません」
次に少弐が示したのは、トナカイだった。
「綾部――アヤンで知りました」
氏治は角を見る。
「蝦夷の鹿とは違うのか?」
「違います」
少弐自身、最初は同じように考えた。
だが現地で見たものは単なる野生動物ではなかった。
「人が飼っています」
「鹿を?」
「荷を運ばせます。橇も引かせます。肉、皮、角を利用し、地域によっては乳も使うそうです」
評定の空気が変わった。
珍獣の話ではなくなった。
馬や牛と同じ、家畜の話になったからである。
「特に毛皮は防寒に優れています」
少弐は室蘭で決めた方針も説明した。
蝦夷地で比較的多く得られる鹿皮を北方艦隊水兵の冬季常備服とする。
一方、希少なトナカイ毛皮は当面、北方勤務の高級将官用とする。
氏治が少弐を見る。
「つまり、お前が着るのか」
少弐は少し黙った。
「……規則上は」
笑いが起こった。
少弐は咳払いをして話を戻した。
「重要なのは毛皮そのものより、綾部が内陸交易と接続していることです」
海岸には船が来る。
内陸からはトナカイを利用する人々が来る。
つまり綾部は、
海の道と陸の道が交わる場所
だった。
「鹿紋の坂東サーベルを渡しました」
氏治はうなずいた。
これは少弐が勝手に珍しい剣を配ってきたわけではない。
坂東が将来拠点として関係を維持したい相手にだけ渡した証だった。
そして三つ目。
虎皮が広げられた。
「チョルガルです」
氏治の目が変わった。
虎は坂東にはいない。
朝鮮、中国方面から買うものだと考えられていた。
だが少弐は違う可能性を持ち帰った。
「チョルガルの背後には巨大な河川があります」
少弐は海図上に線を引いた。
アムール川水系。
ただし、少弐自身は今回これを遡らなかった。
目的はイッカクだったからである。
「現地では虎皮が交易品として入っていました」
「ならば川を調べれば」
「はい」
少弐はうなずいた。
「朝鮮や中国の商人を介さず、虎皮を得られる可能性があります」
もちろん簡単ではない。
どこで虎が獲れるのか。
誰が狩るのか。
どの支流を通って皮が来るのか。
どこに集落があるのか。
どこまで船が入れるのか。
何一つ分かっていない。
だが――道が存在する可能性は確認できた。
「チョルガルには虎紋の坂東サーベルを渡しました」
ここも将来の拠点候補だった。
少弐はさらに別の海図を広げた。
今度は南北に長い。
蝦夷地。
津軽。
日本海。
朝鮮半島北部。
「もう一つあります」
少弐が指を滑らせる。
「夏季限定ですが、北方航路を使えば、室蘭や津軽方面から日本海を経由し、朝鮮半島北部方面へ直接接続する航路を検討できます」
これまで坂東から朝鮮方面へ行くなら、西へ回り、対馬を利用する経路が中心だった。
だが北にも海がある。
津軽。
蝦夷地。
日本海北部。
朝鮮北東岸。
海況と季節の制約は大きい。
冬は使えない。
それでも、
「対馬を経由しない第二の朝鮮交易路になります」
評定がざわついた。
これはイッカクより政治的な意味が大きかった。
対馬との関係を切る必要はない。
むしろ従来航路は従来航路として維持すればいい。
だが一つしか道がないのと、二つあるのではまるで違う。
氏治が尋ねた。
「朝鮮はどう思う」
「交渉は必要です」
少弐は即答した。
「密貿易にする必要はありません。北方港への正式な寄港を認めてもらえればいい」
さらに。
北方航路そのものについては、少弐以上に仕事を増やしてしまった男がいた。
大掾だった。
氏治が海図を見渡して言った。
「それで大掾は?」
少弐は少し笑った。
「大変でしょうな」
評定の一角から、
「他人事のように言うな」
と声が飛んだ。
また笑いが起こった。
しかし実際、仕事は山積みだった。
少弐は指を折った。
「第一。蝦夷地沿岸の測量」
室蘭を中心として、函館、宗谷、樺太方面。
安全な港。
浅瀬。
潮流。
水場。
薪。
冬季避難地。
まだ海図は粗い。
「第二。蝦夷地内陸の地図作成」
海岸だけでは足りない。
川。
山。
峠。
コタン。
狩猟地。
交易路。
馬を使える土地。
これを現地の協力を得ながら少しずつ調べる。
「第三。千島列島航路」
ここでは大掾が少弐より先を行っていた。
少弐がオホーツク海西岸を北上している間、大掾配下の坂東フリガッタは千島列島を島伝いに北上した。
そしてカムチャツカ沿岸でポラールと合流した。
島から島へ。
水と薪を確保する。
安全な泊地を記録する。
海峡の潮を測る。
霧の季節を知る。
「ここを整備すれば、大穂田方面へ行く航路が二つになります」
西回り。
東回り。
「第四。北方交易そのものの拡大」
室蘭。
チョルガル。
綾部。
大穂田。
すでに人間関係は作った。
だが少弐はそれを「線」にしただけである。
商人を置く。
蔵を建てる。
通訳を育てる。
定期船を出す。
交易品を決める。
価格を安定させる。
遭難者を救助できる仕組みを作る。
これから必要なのは冒険家ではなく、行政官と商人だった。
そして。
「第五」
少弐がチョルガルの背後を指した。
「アムール川流域調査」
氏治が笑った。
「一番大きな仕事を最後にしたな」
「私がやらなかった仕事ですから」
「大掾に押しつけたともいう」
「引き継いだのです」
笑いが起こった。
だが少弐は真面目な表情に戻った。
アムール川は巨大だった。
その先に何があるのか。
どんな民族がいるのか。
虎皮はどこから来るのか。
どこまで船で遡れるのか。
そして南へ延びる交易路が、朝鮮北部やさらに大陸内部とどう接続しているのか。
これを調べるには何年もかかる。
少弐は海図から手を離した。
「以上です」
氏治は評定の中央を見る。
虎。
鹿。
一角の鯨。
最初は珍獣探しのような旅だった。
しかし戻ってきたものは、それだけではない。
氏治が言った。
「つまり、お前は一本角を探しに行って――」
少弐を見る。
「航路を四本ほど増やして帰ってきたのか」
少弐は少し考えた。
「結果としては」
氏治は笑った。
「十分だ」
そして大掾へ向けて言った。
「続きを頼む」
大掾は海図を見る。
蝦夷地。
樺太。
千島。
アムール。
綾部。
大穂田。
見るほど仕事が増える。
「……少弐殿」
「何でしょう」
「よくもまあ、これだけ仕事を残してくれたな」
少弐は頭を下げた。
「よろしくお願いします」
「お前も手伝え」
「私は堺へ戻ります」
即答だった。
評定が笑いに包まれた。
氏治も笑っていた。
だが、やがて表情を戻した。
「それでいい」
少弐を見る。
「北は大掾に任せる」
そして今度は畿内の地図が広げられた。
少弐の表情が変わった。
北方探索者の顔ではなくなった。
外交官。
武人。
そして本来、堺を担当する男の顔だった。
氏治が言った。
「少弐」
「はっ」
「北は終わりだ」
「はい」
「次は西だ」
少弐は畿内の地図を見下ろした。
織田。
将軍。
丹波。
摂津。
堺。
自分が北の果てを歩いている間に、こちらの情勢も大きく動いている。
一五七二年。
一本角を追いかけた旅は終わった。
大掾は北へ。
少弐は西へ。
坂東の二本の腕が、別々の方向へ伸び始めた。




