海底の一角竜――北の海で出会う坂東の旗
――元亀二年(一五七一年)夏。
大穂田を発ったポラールは、久しぶりに南への進路を取った。
船倉には、白く長い螺旋の牙が収められている。
少弐冬明が何年も追い続けた「ユニコーンの角」の正体へ、ついに手が届いた。
これ以上、北へ行く必要はない。
少弐自身、そう決めていた。
ところが北の海は、最後にもう一つ奇妙なものを用意していた。
それを最初に見つけたのは、見張りの船員だった。
「右舷、浅瀬に何かあります!」
マリアがすぐに甲板へ出た。
少弐も続く。
海岸近く。
岩礁の間から、不自然な木材が何本か突き出していた。
流木ではない。
マリアが望遠鏡を覗く。
「船ね」
「沈んでいるのか?」
「たぶん」
少弐も望遠鏡を受け取った。
確かに船材らしきものが見える。
マストだったと思われる太い木もあった。
かなり古い。
少なくとも最近沈んだ船ではない。
「人はいないな」
「何年も前でしょうね」
ポラールは慎重に速度を落とした。
測鉛で水深を確認しながら近づく。
完全に水没している部分もあったが、岩礁に乗り上げるような形で船体の一部が残っていた。
少弐は考えた。
「調べられるか」
マリアが海を見る。
「天候が変わらなければ」
小舟が出された。
船大工と水夫が先に向かう。
少弐、イネス、シレトクも後から上陸した。
ライラは少弐の腰を見た。
「無理しないで」
「船を見るだけだ」
「あなたの『見るだけ』は信用してない」
少弐は聞こえないふりをした。
船はひどく壊れていた。
船首付近が岩へ乗り上げ、そのまま波に叩かれて船体が裂けたらしい。
船材の腐食具合から見ても、数年前――あるいはそれ以上前の難破だった。
少弐は船大工に尋ねた。
「直せるか?」
船大工が笑った。
「これをですか?」
「聞いただけだ」
「新しい船を造った方が早いです」
当然だった。
目的は船ではない。
積荷だった。
残っているものを探した。
水に弱いものはほとんど失われている。
布。
食料。
紙。
そういったものは期待できない。
だが金属、骨、角、陶器などは違う。
水夫が泥の中から小さな塊を拾った。
洗う。
銀色が見えた。
「銭?」
少弐が受け取った。
日本の銭ではない。
朝鮮のものとも違う。
マリアが覗き込む。
「銀ね」
何枚か見つかった。
形も刻印も少しずつ違う。
一種類の貨幣ではないらしい。
少弐の目が鋭くなる。
「この船、ただの漁船じゃないな」
さらに金属製品。
毛皮をまとめていたらしい痕跡。
骨角器。
海獣の牙。
トナカイと思われる角。
そして、南から持ち込まれたような品も混じっていた。
「交易船だ」
少弐は言った。
大穂田周辺から出た船だったのか。
あるいは大穂田へ向かっていたのか。
断定はできない。
だが積荷を見る限り、北東方面とオホーツク沿岸を結ぶ交易に関わっていた可能性が高い。
レタㇻクが銀貨を見る。
「もっと北や東から来たのか?」
「分からない」
少弐は正直に答えた。
「だから持ち帰る」
銀貨の形。
金属。
刻印。
どこから来たものなのか。
坂東で調べても分からなければ、マリアがヨーロッパへ持っていけばいい。
さらに船倉跡を探していた水夫が声を上げた。
「こちらに大きな骨があります!」
イネスが真っ先に向かった。
少弐も続く。
泥。
壊れた木箱。
骨。
最初は大型海獣の骨だと思った。
だがイネスがしゃがみ込んだまま動かなくなった。
「少弐」
声が違った。
「何だ」
「これ」
泥を慎重に落とす。
頭蓋だった。
そして、その前方。
長い突起の基部。
少弐も黙った。
イネスが周囲をさらに調べる。
下顎。
脊椎の一部。
切断された骨。
刃物を入れたような痕跡。
完全な死骸ではない。
人間が解体していた途中のものらしい。
そして決定的なのは頭蓋だった。
長い牙が生える位置が分かる。
大穂田で得た「一本角」だけでは確認できなかったものだ。
「一角竜……」
シレトクが呟いた。
少弐は首を振った。
「鯨だ」
イネスが頭蓋を調べながら言った。
「少なくとも、角が頭に貼り付けられたものじゃない」
マリアも呼ばれた。
彼女はしばらく頭蓋を見たあと、しゃがみ込んだ。
「これを持って帰る」
即答だった。
少弐が笑う。
「私もそう言おうと思っていた」
頭蓋だけではない。
可能な限り骨を回収する。
船体の一部。
銀貨。
交易品。
骨角器。
そしてイッカクと思われる遺骸。
少弐は欲張った。
「引き揚げられるものは全部だ」
マリアが呆れる。
「ポラールを沈めないでよ」
「沈没船を拾って自分たちが沈んだら笑えんな」
「笑えないわよ」
数日をかけて作業した。
滑車。
縄。
浮力を利用するための樽。
潮の満ち引き。
船大工と水夫たちが工夫し、船倉の残骸から品を引き揚げていく。
少弐はイネスに、どの品がどの場所から出たのかまで記録させた。
単に宝を拾うのではない。
この船が何を運んでいたのか知りたかった。
銀貨がある。
トナカイの角がある。
毛皮の痕跡がある。
海獣製品がある。
そしてイッカクの解体途中と思われる頭蓋。
少弐は海図を見た。
「大穂田で聞いた話と合う」
北東から品が来る。
大穂田で交換される。
さらに別の場所へ運ばれる。
この沈没船は、その交易の途中で失われたのだろう。
「これが何年前の船か分かればな」
イネスが言う。
「木材を見ただけじゃ難しい」
「それでもいい」
少弐は銀貨を一枚持ち上げた。
「北の海には、我々が来る前から道があった。それが分かっただけでも十分だ」
坂東が北方交易を作るのではない。
すでにある交易路へ入っていく。
その違いは大きかった。
引き揚げ作業を終えたポラールは、再び南へ向かった。
少弐はもう寄り道するつもりはなかった。
大穂田で目的を達成した。
沈没船から予想外の資料まで得た。
あとは帰るだけだ。
しかしマリアは、通常の帰路をそのまま戻ることを選ばなかった。
ポラールの性能なら、海況さえ許せばもっと東へ出てから南へ切れる。
大きく戻ってチョルガル、樺太とたどるより、条件がよければオホーツク海を横切り、カムチャツカ側から千島列島方面へ下る方が短い。
問題は海図だった。
「未知の海を近道にするのは、近道と言わないぞ」
少弐が言う。
マリアは笑った。
「だから慎重に行くの」
ポラールは東寄りに進路を取った。
数日後。
カムチャツカ半島沿岸が遠くに見え始めたころだった。
見張りが叫んだ。
「帆!」
マリアが甲板へ飛び出した。
「数は?」
「一つではありません!」
少弐も上がる。
水平線に帆がある。
二つ。
三つ。
さらにその向こうにも。
「船団だ」
ライラが剣に手をかける。
シレトクも警戒した。
こんな場所で大きな船団に遭遇するとは考えていなかった。
しかも船は沿岸近くに散開している。
漁をしているようには見えない。
何かを測っている。
小舟を出している船もある。
海岸へ人を送っている。
マリアが望遠鏡を覗いた。
黙った。
そして少弐へ渡した。
「見て」
少弐が覗く。
帆。
船体。
小型。
高速航行を意識した細身の船型。
知っている。
「……フリガッタ?」
もう一度見る。
その船尾に旗が上がった。
風で開く。
見間違えるはずがなかった。
坂東の旗。
少弐は望遠鏡を下ろした。
「何をしているんだ、あいつらは」
シレトクが笑った。
「お前が言うな」
「私は仕事で来た」
「向こうもそうだろ」
やがて先方もポラールに気づいた。
一隻のフリガッタが帆を張る。
速い。
こちらへ向かってくる。
距離が縮まる。
船上の人間が手を振っている。
日本語の声が海を越えて聞こえた。
「ポラール!」
少弐たちも手を振った。
フリガッタが横につく。
日に焼け、鹿皮の上着を着た坂東水兵が並んでいた。
指揮官らしい男が少弐を見つけた。
一瞬、信じられないという顔をした。
「少弐様!?」
「久しいな」
「久しいな、ではありません!」
いきなり怒鳴られた。
少弐が目を瞬く。
「大掾様がどれだけ心配されたと思っているのです!」
少弐はマリアを見る。
マリアは顔を逸らした。
笑っている。
「北へ行ったまま戻らぬ、樺太より先へ行ったらしい、アムールを越えた、オホーツクへ向かった――話を聞くたび行方が北へ伸びる!」
「連絡は送った」
「遅いのです!」
シレトクが腹を抱えて笑い始めた。
ライラまで笑っている。
少弐だけが納得していなかった。
「それで、なぜお前たちがカムチャツカにいる」
指揮官は少し胸を張った。
「北方艦隊の探索です」
大掾は少弐が北へ進んでいる間、遊んでいたわけではなかった。
量産された坂東フリガッタをいくつもの小艦隊へ分けた。
一隊はチョルガルから南下。
大陸沿岸を測り、朝鮮へ続く航路を探す。
一隊は蝦夷地・樺太周辺の外郭測量。
そして東方隊。
北海道東部から千島列島へ入り、島から島へ北上していた。
水。
薪。
錨地。
潮流。
霧。
海峡。
現地住民。
一つずつ記録してきた。
そしてとうとう、カムチャツカ半島沿岸へ達したのである。
少弐は呆れた。
「私より遠くへ来ているじゃないか」
指揮官が即答した。
「少弐様が言いますか」
また笑いが起きた。
ポラールは坂東北方艦隊と合流した。
久しぶりに日本の米が運び込まれた。
味噌。
干物。
酒。
水。
薪。
船具。
少弐は飯椀を手にして、しばらく黙っていた。
ライラが聞く。
「どうしたの?」
「米がうまい」
それだけだった。
夜。
北方艦隊の海図がポラールの船室へ持ち込まれた。
少弐は驚いた。
千島列島に沿って、細かな線が伸びている。
まだ空白は多い。
危険と書かれた場所も多い。
しかし。
道がある。
大掾たちは、少弐が西回りで北へ進んでいる間に、東から別の道を作っていた。
少弐は指で海図をたどった。
カムチャツカ。
北千島。
中千島。
択捉。
北海道。
そして室蘭。
「これなら……」
北方艦隊の指揮官がうなずく。
「帰れます」
「チョルガルへ戻らずに?」
「戻る必要はありません」
少弐は椅子にもたれた。
長い旅だった。
室蘭から北へ。
宗谷。
樺太。
チョルガル。
綾部。
大穂田。
人をつなぎながら進んだ。
その間に大掾は、船を何隻も送り出して海をつないでいた。
少弐が笑った。
「負けたな」
ライラが聞く。
「何が?」
「帰り道を先に作られた」
翌朝。
坂東北方艦隊が動き始めた。
数隻のフリガッタが先導する。
その中央にポラール。
船倉には大穂田で得た一本角。
沈没船から引き揚げた銀貨。
北東交易の品々。
そして――
一本角が頭蓋のどこから伸びていたのかを示す、イッカクの頭骨。
少弐は甲板に立った。
もう北を見なかった。
船首の先にあるのは南だった。
千島列島。
蝦夷地。
室蘭。
そして坂東。
「帰るぞ」
坂東の旗を掲げた船団が、一斉に帆を張った。
西から人をつないできた少弐の航路と、
東から島をつないできた大掾の航路。
二本の北方探索線が、カムチャツカの海で初めて一つになった。
そしてその日から、千島列島は坂東の海図に、
北へ向かうための道ではなく、北から帰ることのできる道としても記されることになった。




