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鹿とともに歩く人々――綾部の交易路

元亀二年――一五七一年六月。


哲秀河、チョルガルコタンを発ったポラールは、オホーツク海の西岸を北へ進んでいた。


少弐冬明は、今回はアムールの大河を追わなかった。


川を遡れば何があるのか。

南へたどれば本当に朝鮮へ近づくのか。

虎皮はどこから運ばれてくるのか。


知りたいことはいくらでもあった。


しかし、それを一人で調べていたら何年あっても足りない。


「川は大掾に任せればいい」


少弐はそう割り切っていた。


坂東ではすでに、小型で高速なフリガッタを量産し、複数の船を別々の海域へ送り出す構想が動き始めている。


一人が一本の川を追うより、十隻の船が十の海岸を測った方が早い。


少弐が探しているのは、ただ一つ。


一本角の鯨――イッカクだった。


だから北へ行く。


ただし、海図に線を引くだけではない。


少弐はチョルガルを出てからも、人の住む場所を見つけるたびに船を止めた。


水があるか。

薪があるか。

食料を交換できるか。

冬はいつ来るか。

海はいつ凍るか。

北に何があるか。

次に人の住む場所はどこか。


そして必ず最後に、一本の長い牙を持つ鯨について尋ねた。


返ってくる答えは、相変わらず北だった。


やがてポラールは、山々が海へ迫る湾へ入った。


浜には舟があった。


煙も見える。


そして人がいた。


少弐たちはいつものように沖で船を止め、小舟を降ろした。


最初から大勢では行かない。


少弐、シレトク、レタㇻク。


少し遅れてエカシロたちが続く。


酒、乾物、針、布、煙草。


まず食べ物を出し、酒を出し、こちらが争うつもりのないことを伝える。


言葉は難しかった。


チョルガルでもそうだったが、ここまで来るとシレトクにも分からない。


レタㇻクも、知っている単語を拾って意味をつなぐ程度だった。


だが、交易というものは不思議なものである。


酒を飲む。


食べ物を分ける。


品物を指差す。


欲しい物を見せる。


それだけでも、ある程度は話が進んだ。


数日後には、少弐はまた長の近くで座っていた。


ライラはそれを見て呆れた。


「また?」


「何がだ」


「また長の隣にいる」


「話を聞いているだけだ」


「最初の日は、向こうの男たちは槍を持っていたでしょう」


「今日は酒を持っている」


少弐は平然としていた。


シレトクが笑った。


「こいつはどこでもこうだ」


「シレトクまで何を言っている」


その日の昼だった。


浜の奥が急に騒がしくなった。


犬とは違う。


馬でもない。


鈴のような音と、人の声がする。


少弐が振り向く。


木々の間から、何頭もの鹿が現れた。


いや。


少弐は立ち上がった。


「……鹿?」


大きな角。


厚い毛。


蝦夷地で見た鹿とは、どこか姿が違う。


だが少弐が驚いたのはそこではなかった。


鹿の背に荷がある。


さらに後ろには橇のような道具まである。


人間が鹿を追っているのではない。


鹿が人間の荷を運んでいる。


少弐はシレトクを見た。


「おい」


「俺に聞くな」


「まだ何も聞いていない」


「顔を見れば分かる。俺も知らん」


エカシロも首を振った。


「こんなのは見たことがない」


レタㇻクだけが、少し考えてから言った。


「もっと内陸に、鹿と一緒に動く人たちがいるという話は聞いたことがある」


少弐の目が変わった。


ライラはその表情を知っていた。


珍しい武器を見つけたときでもない。


宝石を見つけたときでもない。


新しい道を見つけたとき、少弐はこういう顔をする。


少弐は長に頼み、鹿を近くで見せてもらった。


「これは野生の鹿を捕まえたのか?」


言葉をつなぎながら尋ねる。


違うらしい。


飼っている。


少弐は眉を上げた。


「飼う?」


荷を運ばせる。


橇を引かせる。


肉を食べる。


皮を使う。


角を使う。


さらに乳まで利用することがある。


話を聞くほど、少弐は黙っていった。


やがて鹿の毛を手でかき分けた。


厚い。


蝦夷の鹿とは違う。


「皮も売るのか」


売るという。


一枚を見せてもらった。


少弐は自分の鹿皮の防寒具と触り比べた。


「……これは暖かそうだな」


ライラが横から触れる。


「かなり違う」


シレトクも触った。


「宗谷で欲しかったな、これ」


「確かに」


少弐は笑った。


だが、すぐ商人の顔に戻った。


「数は?」


そこが問題だった。


大量にはない。


海岸で何百頭も飼っているわけではない。


内陸から人々がやって来て、毛皮や角などと海岸の品を交換する。


少弐は理解した。


「ここで獲れるわけではないのか」


長がうなずいた。


少弐は地面に棒で線を引いた。


山。


海。


集落。


内陸。


そして鹿を描いた。


ひどい絵だった。


ライラが吹き出した。


「イネスに描かせた方がいい」


「意味が通じればいい」


内陸から鹿を連れて人が来る。


ここで海岸の人々と交易する。


海では魚が獲れる。


さらに北や南から舟が来る。


少弐は何度も質問した。


「冬も来るのか」


来る。


むしろ雪が積もり川が凍ると、移動しやすくなる場所もある。


少弐はそこで完全に食いついた。


「待て」


長が怪訝そうな顔をした。


少弐は地面の線を指す。


「夏は?」


船。


「冬は?」


鹿。


長が笑った。


だいたい合っているらしい。


少弐はしばらく地面を見ていた。


やがて小さく呟いた。


「これは港だけじゃない」


シレトクが聞く。


「何が?」


「道が二本ある」


海の道。


陸の道。


この場所では、それが交わる。


少弐は翌日から、一本角の鯨そっちのけで鹿について聞き始めた。


どこから来る。


何日かかる。


何人くらい来る。


何を欲しがる。


鉄は欲しいか。


布はどうか。


塩は。


酒は。


針は。


鍋は。


魚は。


さらに毛皮についても調べた。


鹿。


トナカイ。


クロテン。


キツネ。


その他、少弐の知らない毛皮。


角。


骨。


腱。


少弐はそれらを一つずつイネスに記録させた。


そして最後に、本来の目的を思い出した。


一本角の鯨。


長い白い牙。


絵を見せる。


今度はイネスの絵だったので、少弐の鹿より遥かに分かりやすかった。


綾部の者たちは顔を見合わせた。


ここでは普通に獲れるものではない。


だが。


北。


また北だった。


もっと北から来る者が、似たものを持っていたという話がある。


少弐は笑った。


「また北か」


ライラも笑う。


「ずっとそれね」


「もう慣れた」


だが今回は違った。


宗谷では昔話だった。


樺太では噂だった。


チョルガルではさらに北から来る品の話になった。


そして綾部では、


実際にそれを持っていた人間を見た者がいる。


少しずつ近づいている。


その夜、少弐はポラールへ戻ると、マリアに海図を広げさせた。


「ここを残す」


「残す?」


「将来、坂東の船が定期的に寄れるようにする」


マリアは綾部の位置を見る。


「理由は鹿?」


「鹿そのものじゃない」


少弐は内陸を指した。


「この向こうだ」


海からは見えない世界がある。


そこから毛皮や角が来る。


そして冬でも動く交通手段がある。


坂東の船が内陸まで行く必要はない。


内陸の人々がここまで持ってきてくれればいい。


綾部で集める。


船で南へ運ぶ。


次の拠点へ渡す。


そこからまた別の船へ。


少弐は海図を指でたどった。


「室蘭から全部取りに来る必要はない」


マリアが察した。


「順番に運ぶのね」


「そうだ」


室蘭。


樺太。


チョルガル。


綾部。


さらに北。


一つの船が全部を走るのではない。


それぞれの場所が、次の場所までつなぐ。


人から人へ。


港から港へ。


「リレーだな」


少弐はそう言った。


翌日。


少弐はもう一度、長の家を訪れた。


今回は酒だけではなかった。


一本のサーベルを持っていた。


長がそれを見る。


チョルガルで虎の剣を渡したときと同じ、坂東で作られたサーベルだった。


ただし紋章が違う。


鹿。


角を広げた鹿が刻まれている。


少弐は鞘ごと両手で差し出した。


「これは売り物ではない」


レタㇻクが苦労しながら意味を伝える。


「これから坂東の船が来る」


少弐は海を指した。


「私でない者も来る」


自分を指し、船を指し、長を指す。


「そのとき、これを見せてほしい」


鹿紋の剣を指した。


「これを持つ者は、我々の友だ」


長はすぐには受け取らなかった。


少弐の顔を見る。


少弐も目を逸らさなかった。


これは虎皮一枚の代金とは違う。


また来る。


交易を続ける。


困ったときは話を聞く。


そういう約束だった。


やがて長が両手を伸ばした。


鹿紋の坂東サーベルが渡った。


長は鞘に刻まれた鹿を見て、それから外にいるトナカイを指した。


笑った。


少弐も笑う。


「そうだ。それだ」


これで三本目だった。


室蘭には鷹。


チョルガルには虎。


そして綾部には鹿。


少弐はまだ知らなかった。


さらに北で、もう一本――鯨を刻んだ剣を渡すことになる。


出航の日。


浜には、内陸から来たトナカイがいた。


その背には毛皮が積まれている。


少弐はポラールへ乗る直前、もう一度その姿を見た。


「シレトク」


「なんだ」


「坂東の北方艦隊に鹿皮の上着を作らせよう」


「急に何を言い出す」


「蝦夷の鹿なら数がある」


少弐はトナカイを指した。


「あれは少ない。全員には無理だ」


「じゃあどうする」


「将官用だな」


シレトクが呆れた。


「自分が着たいだけじゃないのか」


「違う」


「本当か?」


「……暖かそうだとは思う」


ライラが後ろで笑った。


少弐は聞こえないふりをして船へ乗った。


ポラールの帆が上がる。


浜では、鹿紋のサーベルを腰にした長が見送っていた。


その後ろを、トナカイがゆっくり歩いていく。


少弐はその光景を長く眺めた。


チョルガルで見つけたのは、大河へ続く道だった。


綾部で見つけたのは、海からは見えない内陸へ続く道だった。


世界は海だけでつながっているのではない。


人が歩き、


鹿が荷を運び、


川が凍り、


舟が海を渡り、


その先でまた別の人間へ品物が渡る。


それをつなげばいい。


「次は?」


マリアが尋ねた。


少弐は海図のさらに北を指した。


「大穂田」


そして少し笑った。


「今度こそ、一本角だ」


ポラールは綾部を離れた。


鹿の道を背後に残し、さらに北の海へ向かった。

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