北はまだ閉ざされている ― 海峡で出会った坂東の帆
貫富貴内を出てから、少弐たちはさらに北へ進んだ。
新しく仲間になったレタㇻクが先に立つ。
ポラールは速度を抑え、樺太沿岸から大きく離れないように航行した。
目的はまず一つ。
樺太の北端を、この目で確かめること。
海図を広げるマリアにとっても重要だった。
これまで少弐たちは樺太を南から北へ進んできた。
だが、この土地がどのような形をしているのか、まだ完全には分かっていない。
そして数日かけて北へ進むにつれ、景色が変わってきた。
海に白いものが増える。
氷だった。
大きな氷塊ではない。
だが、ところどころ海面を漂っている。
レタㇻクはそれを見るたびに、表情を険しくした。
ある朝。
ポラールの甲板から北の海を眺めていた少弐のところへ、レタㇻクが来た。
「ここから先は、まだ早い」
エカシロが言葉を補う。
少弐は北を見る。
「ポラールでもか?」
レタㇻクは船を見た。
この船が強いことは、すでに理解している。
速い。
波にも強い。
多少の悪天候なら進める。
だがレタㇻクは首を振った。
「船が強くても、氷はどかない」
少弐は黙った。
以前なら、もう少し行けないかと言ったかもしれない。
だが室蘭を出る前から決めている。
今回は、行けるところまで行く。
行けなければ待つ。
「分かった」
少弐はあっさり答えた。
マリアが意外そうに振り返った。
「戻るの?」
「北へは行かない」
少弐は海図を指した。
「でも暇になったわけじゃない」
指を樺太の西側へ動かす。
「こっちを見よう」
樺太と、その西にある大きな陸地との間。
少弐たちは、そこへ目を向けることにした。
北へ進めないなら、樺太そのものを調べればいい。
ポラールは進路を変えた。
樺太の西側。
島と大陸との間にある海へ入る。
マリアは忙しくなった。
「陸が両側にある」
右には樺太。
左には大陸。
場所によって、その距離が変わる。
少弐は甲板から両岸を見比べた。
「妙な海だな」
シレトクも大陸側を見る。
「川みたいだ」
「だが海だ」
潮がある。
海水である。
それでも場所によっては、両側の陸を意識できるほど狭く感じられる。
マリアは測る。
方角。
距離。
水深。
潮。
沿岸の形。
イネスは鳥や海獣を記録する。
レタㇻクは危険な浅瀬や流れを教える。
少弐はそれを見ながら、少しずつ海図が埋まっていくのを楽しんでいた。
北へ行けない。
だが、何もしていないわけではない。
むしろ未知だった樺太の形が、少しずつ見えてくる。
数日後。
その日の午後だった。
見張りが突然声を上げた。
「帆!」
少弐が顔を上げる。
「どこだ?」
「南西!」
ポラールの甲板にいた者たちが一斉に見る。
遠くに帆がある。
一隻。
こちらへ近づいてくる。
ライラが目を細めた。
「船?」
「そうらしい」
少弐も眺める。
この海域で、どこの船だ。
一瞬だけ緊張が走った。
だがマリアが先に気づいた。
「あれ――」
少弐も帆の形を見る。
見覚えがある。
さらに近づく。
船体が見える。
そして旗。
少弐は思わず笑った。
「なんだ」
シレトクが尋ねる。
「知っているのか?」
「ああ」
少弐は立ち上がった。
「うちの船だ」
坂東フリガッタ。
大掾幹康が蝦夷地から樺太にかけて散開させていた測量・哨戒艦の一隻だった。
向こうもポラールに気づいた。
旗が上がる。
こちらも応答する。
少弐は笑いながら手を振った。
「こんなところまで来ていたのか」
やがて二隻は速度を落とした。
フリガッタ側から小舟が下ろされる。
乗っていた坂東の船乗りたちも驚いていた。
「少弐殿!」
「久しぶりだな」
「なぜこんなところに?」
少弐は思わず聞き返した。
「それはこっちの台詞だ」
笑いが起こった。
フリガッタは大掾の命令で樺太西側の沿岸を哨戒しながら、可能な範囲で測量していたという。
少弐は呆れた。
「幹康め。本当にここまで船を散らしていたのか」
マリアはむしろ嬉しそうだった。
「海図を持っている?」
「あります」
「見せて」
挨拶より先に測量結果を欲しがる。
少弐は苦笑した。
二隻の海図が並べられた。
ポラールが北から測ったもの。
フリガッタが南から測ったもの。
同じ岬。
同じ湾。
同じ島影。
少しずつ記録が重なる。
マリアが指で線をつないでいく。
「ここ……つながる」
少弐も覗き込んだ。
自分たちが北から描いてきた線と、大掾の艦隊が南から描いてきた線が、一枚の海図の上で結ばれ始めていた。
「面白いな」
少弐が呟く。
北へ進めなかったから始めた探索だった。
だが、そのおかげで別の成果が出ようとしている。
レタㇻクは不思議そうに海図を見る。
少弐は説明した。
「俺たちが見た海と、あいつらが見た海を一つにしている」
レタㇻクが海図を見る。
そして実際の海を見る。
右に樺太。
左に大陸。
再び海図を見る。
少しずつ意味を理解したらしい。
少弐はフリガッタの船長に聞いた。
「この先は?」
「まだ調べていません」
「ならちょうどいい」
少弐は海図を指した。
「一緒に調べよう」
マリアが顔を上げる。
「北へ行くのは?」
「まだ早いんだろう?」
レタㇻクを見る。
レタㇻクは頷いた。
少弐は笑った。
「なら春が来るまで、樺太を丸裸にする」
マリアが呆れる。
「言い方」
「地図の話だ」
フリガッタの船乗りたちが笑った。
こうしてポラールと坂東フリガッタは、一時的に行動を共にすることになった。
北の海は、まだ少弐たちを先へ通してくれない。
ならば待てばいい。
ただ待つのではない。
測る。
見る。
記録する。
人に会う。
道を探す。
少弐は甲板から、樺太と大陸に挟まれた海を見渡した。
「北が開くまで、ここを調べよう」
その言葉に、マリアは新しい紙を広げた。
少弐たちが知らなかった北の地図は――
進めない時間さえ使いながら、少しずつ形を持ち始めていた。




