南樺太の商い ― 主役は大掾
室蘭を発った船団は、慎重に北へ進んだ。
まだ春は浅い。
海況を見ながら無理をせず進み、やがて少弐たちは以前訪れた南樺太のコタンへ到着した。
今回の目的は明確だった。
探索ではない。
交易路を作るために来た。
船には、大掾の艦隊が集めてきた交易品が積まれていた。
酒。
布。
穀物。
日用品。
そして鉄器。
特に少弐が重視したのが鉄器だった。
ただし、坂東から直接運んできたものではない。
大掾に頼み、意図的に津軽で調達した鉄器を多く混ぜていた。
大掾は最初、それを不思議がった。
坂東から良質な品を大量に持ってくることもできる。
だが少弐は首を振った。
「今回は津軽のものを使う」
「なぜだ?」
「道を作るためだ」
少弐が作ろうとしているのは、坂東から南樺太へ直接伸びる一本の航路ではない。
津軽。
函館。
室蘭。
南樺太。
それぞれの土地が利益を得ながら結ばれる航路だった。
南樺太で鉄器が売れる。
ならば次も津軽で鉄器を買う。
津軽の鍛冶や商人が、
――北へ持っていけば売れる。
と知る。
そうなれば、少弐たちが毎回命令しなくても品物が集まり始める。
「坂東から全部運んだら、坂東と樺太の商売で終わる」
少弐はそう言っていた。
「津軽の物を樺太へ持っていけば、津軽にもこの航路を守る理由ができる」
大掾もそれには納得した。
そして南樺太へ着くと、船から品物が次々と下ろされた。
コタンの人々も集まってくる。
だが少弐は前へ出なかった。
代わりにエカシロを見る。
「頼む」
「ああ」
ここではエカシロの出番だった。
南樺太の人々との言葉や習慣について、少弐や大掾よりはるかに理解している。
何を欲しがるのか。
何を嫌がるのか。
どこまでなら話を進めていいのか。
それを見ながら交渉を取りまとめてもらう。
そして実際の交易条件を決めるのは、大掾だった。
エカシロが長たちと話す。
大掾が品物を見せる。
「これは津軽から持ってきた」
鉄器を並べる。
刃物。
鍋。
針。
工具。
日常生活で使えるものを中心に選んでいた。
相手側も品物を持ってくる。
毛皮。
魚。
海獣から得た品。
樺太で集められた北方の産物。
最初は一つずつだった。
鉄器一つに対して、どれだけ交換するのか。
酒ならどうか。
布ならどうか。
大掾は急がなかった。
エカシロに何度も確認する。
「これは安すぎないか?」
「向こうはそれでいいと言っている」
「次も同じ値段でいいと思っているか聞いてくれ」
「なぜだ?」
「今日だけ安く買えても意味がない」
エカシロが少し笑った。
そして向こうへ伝える。
少弐はその様子を離れたところから見ていた。
ライラが隣にいる。
「行かなくていいのか?」
「いい」
「いつもなら口を出すだろう」
「今日は出さない」
少弐は大掾を見る。
「ここの主役は俺じゃない」
「大掾か」
「ああ」
少弐が南樺太へ来る目的の一つは、自分で交易を成功させることではなかった。
自分がいなくても交易が続く仕組みを作ること。
そのために大掾へ十貫を渡した。
そのために津軽、函館、室蘭をつなげようとしている。
少弐が毎年ここへ来て交渉しなければ成立しない商売なら、少弐が北へ行った瞬間に止まってしまう。
「俺はもっと北へ行く」
少弐は言った。
「だから南のことは幹康に任せる」
やがて取引の速度が上がり始めた。
最初は珍しそうに鉄器を眺めていた者たちも、自分たちの持ってきた品との交換が成立すると次々に声を上げる。
船から新しい荷が下ろされる。
代わりに樺太の品が積み上がる。
大掾は帳面をつけさせながら、一つ一つ確認していた。
「これは室蘭へ」
「こっちは函館でも売れる」
「これは津軽へ持っていけ」
すでに帰り道の商売まで考えている。
少弐はそれを聞いて笑った。
「もう俺が口を出す必要はなさそうだな」
ライラが言う。
「少し寂しそうだぞ」
「楽でいいと思っている」
「本当に?」
少弐は答えなかった。
昼を過ぎるころには、かなりの交易品が交換されていた。
しかし、本当の目的は品物を売り切ることではない。
大掾はエカシロを通じ、長へ次の話を持ち出した。
「来年も来たい」
長が答える。
エカシロが訳す。
「来ればいい、と言っている」
大掾は続けた。
「来年だけではない」
エカシロが大掾を見る。
「何年も来たい」
それを伝える。
今度は長も少し考えた。
そこで大掾は、少弐から預かった方針どおりに話した。
土地を買うとは言わない。
ここを坂東の領地にするとも言わない。
「船が来たときに人が住める家と、品物を置く蔵を作らせてほしい」
エカシロが慎重に伝える。
大掾はさらに、並べられた交易品を指した。
「ここに置くことを認めてもらえれば、こういう物を毎年持ってくる」
鉄器。
酒。
布。
穀物。
そして、そのほかにも南から必要な物を運ぶ。
代わりに樺太の品を買う。
少弐は黙って聞いていた。
ここで自分が前へ出て、
――坂東の少弐冬明が約束する。
と言えば話は早いかもしれない。
だが、それでは駄目だった。
少弐は北へ行く。
来年ここへ来るのが誰かは分からない。
だから、今ここで覚えてもらうべき名前は別にある。
エカシロ。
そして――大掾幹康。
少弐は腕を組んだまま、二人の交渉を見守った。
ライラが小さな声で聞く。
「本当に何も言わないのか?」
少弐は笑った。
「言わない」
そして大掾の背中を見る。
「これは、あいつの商売だ」
少弐たちが作ろうとしていた北方航路は、少しずつ形を変え始めていた。
坂東から船が来るだけの道ではない。
津軽で鉄器を積む。
函館で人と荷を集める。
室蘭で船を整える。
南樺太で北方の産物と交換する。
そして帰りには、その流れが逆になる。
一つの港だけが富むのではない。
船が動くたび、それぞれの土地へ利益が落ちる。
だから、その土地の人間自身が航路を必要とするようになる。
少弐が大掾に言った、
――細い線でいい。まずつなげろ。その後は太く、太くしろ。
その最初の一本が、南樺太でようやく結ばれようとしていた。




