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逃がさず、追い立てず

少弐は新しい足跡の前で、しばらく考え込んだ。


エカシロを長のもとへ走らせた以上、本来ならここで待つのが安全だった。


だが、それでは遅い。


「……待っていたら逃がすな」


シレトクが少弐を見る。


「追うのか?」


「追う。ただし、追いつくためには追わない」


「なんだそれは」


少弐は熊の足跡を杖で示した。


「走れば向こうも気づく。驚かせれば山へ戻るかもしれん。そうなれば、また最初からだ」


今は熊自身が残してくれる痕跡がある。


しかも、その行動には一定の筋が見えてきていた。


山から下り、川沿いを歩き、食べ物を探しながら海へ向かっている。


ならば無理に速度を上げる必要はない。


「姿を見るところまで詰めたい」


ライラが尋ねる。


「どこまで?」


「向こうがまだこちらを気にせず、いつもの行動を続けているところまでだ」


少弐は一本の矢を取り出し、また進行方向を示して置いた。


「ここからは熊を探すだけじゃない。痕跡を全部拾う」


三人と犬は再び歩き始めた。


速度は先ほどより少しだけ上げる。


だが、足跡を追って一直線に進むわけではなかった。


新しい痕跡が出るたびに止まる。


雪に残る足跡。


泥に沈んだ前脚。


川岸でひっくり返された石。


朽ち木を崩した跡。


木の根元を掻いた跡。


シレトクが一つ一つ確かめる。


「ここでも探している」


「食った跡は?」


「ほとんどない」


少弐は黙って頷いた。


少し進む。


また足跡。


「こっちは深いな」


少弐が言うと、シレトクが並べて見る。


「立ち止まったんだろう」


「なぜ?」


「さあな」


少弐は周囲を見渡した。


川。


木々。


雪。


そして少し先に、熊が鼻先を突っ込んだような土の乱れがあった。


「また食い物か」


「たぶんな」


少弐は頭の中で熊の動きをつないでいく。


歩く。


探す。


見つからない。


また歩く。


川へ入る。


魚を探す。


取れない。


また歩く。


「まっすぐ逃げてはいない」


少弐が呟いた。


ライラが振り返る。


「昨日、人に追われた熊なのに?」


「ああ。だから少なくとも今は、俺たちから逃げているわけじゃない」


それは重要だった。


追跡されていることに、まだ気づいていない可能性が高い。


少弐は声を落とした。


「このまま行く。だが犬を先へ出しすぎるな」


犬にも熊を追わせない。


臭いを拾わせながら、人間の少し前を歩かせるだけにする。


熊を見つけるためではなく、熊との距離が急に縮まったことを先に知るためだった。


さらに進んだ。


やがてシレトクが片手を上げた。


全員が止まる。


「どうした?」


「これを見ろ」


雪の上に足跡がある。


少弐にも分かった。


これまでとは違う。


輪郭が崩れていない。


少弐はしゃがみ込む。


「新しい?」


シレトクは雪を指先で触った。


「かなりな」


ライラの表情が変わる。


「近い?」


「近くなっている」


少弐はすぐには進まなかった。


周囲を見る。


それから後方を見る。


エカシロたちの姿はまだない。


少弐は矢を一本取り出した。


今度は目立つ場所に置いた。


その横へもう一本。


シレトクが気づく。


「二本?」


「ああ」


これまでの一本は進路。


二本なら――ここから先は距離が近いという印にする。


エカシロなら意味を察するだろうし、分からなくとも、この場所に何か意味があるとは気づく。


少弐は立ち上がった。


「ここから、もっと遅くする」


「さっきは距離を詰めると言ったぞ」


「詰まったからだ」


少弐は笑わなかった。


目的は熊を仕留めることではない。


少なくとも、まだその段階ではなかった。


まず姿を確認する。


肩に矢が刺さった個体なのか。


どの程度傷ついているのか。


どちらへ向かっているのか。


そして――何を探しているのか。


それを確認して、後続の戦士たちへ渡す。


少弐は杖を短く持った。


ライラも自然に少弐の少し前へ出る。


シレトクが小声で言った。


「冬明」


「なんだ」


「もし姿が見えたら?」


「そこで止まる」


「向こうが気づかなければ?」


「見るだけだ」


「気づいたら?」


少弐は少し考えた。


「向こうが離れるなら追わない」


「こっちへ来たら?」


今度はライラが答えた。


「そのために私たちがいる」


少弐から預かったものを含め、単筒を確認する。


少弐は苦笑した。


「頼りにしている」


三人は再び進んだ。


一歩。


また一歩。


足跡を見つけるたびに確認する。


急がない。


だが、止まらない。


そして、しばらく進んだところで――


犬が突然立ち止まった。


吠えなかった。


ただ耳を立て、鼻を上げる。


今まで地面ばかり嗅いでいた犬が、初めて前方の風を嗅いだ。


シレトクが少弐の袖を掴んだ。


「……近いぞ」


少弐も分かった。


もう痕跡を追う段階から、


痕跡の主そのものへ近づく段階に入っていた。

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