穴持たずを追う ― 山のカムイの獲物
長から「穴持たずが出た」と告げられた翌朝、コタンではすぐに人の動きが変わった。
単独で森へ入ることは禁止され、狩りに出る者も必ず三人以上。女や子どもは遠出を控え、外へ出るときも互いに声を掛け合う。
少弐たちもそれに従った。
イネスは医師としてコタンに残った。もし負傷者が運び込まれたとき、彼女まで森へ出ていては意味がない。
エカシロも残る。家族を守ることに加え、弓を持って集落の護衛に加わった。
そして熊を探す役に出たのは、少弐、ライラ、シレトクの三人だった。
雪の残る森へ入ってしばらくすると、先頭を歩いていたシレトクが突然立ち止まった。
「少弐」
いつもの軽い調子が消えている。
「ひとつ、絶対に守ってくれ」
少弐も足を止めた。
「なんだ」
シレトクは森の奥を見たまま言った。
「鹿とか、獣の死体を見つけても、触るな」
「死体?」
「そうだ。とくに――」
シレトクは両手で雪を寄せるような仕草をした。
「鹿なんかが、こう……団子みたいに丸められて、土とか雪とか枝で埋めてあったら、絶対に持って帰るな」
ライラが眉を寄せる。
「……熊が隠した獲物か?」
シレトクはうなずいた。
「山のカムイの食べ物だ」
少弐は以前、狩人から似た話を聞いたことを思い出した。熊は一度に食べきれない獲物をその場に残し、土や落ち葉をかけて隠すことがある。
だが、シレトクが言っているのは単なる狩猟知識ではない。
「持って帰ったら?」
少弐が尋ねる。
シレトクは振り返った。
「追ってくる」
冗談を言っている顔ではなかった。
「山のカムイは執念深いぞ。自分の肉を盗んだやつの匂いを追う。人がコタンまで持って帰れば――」
彼は森の向こうから集落へ続く道を指でなぞった。
「コタンまで来る」
ライラが少弐を見る。
「つまり熊からすれば、私たちが盗人になるわけだ」
「そういうことだ」
シレトクはさらに念を押した。
「普通の熊でもやるな。だが、いま探しているのは穴持たずだ。腹が減って、気が立って、人を恐れなくなってるかもしれない」
少弐は腰の短筒を確認した。
だがシレトクは、その仕草を見るなり首を横に振った。
「それも最後だ」
「分かっている」
少弐は答えた。
今回の目的は熊と戦うことではない。
まず足跡を見つける。行動範囲を知る。どちらへ向かったのかを確かめ、長たちへ知らせる。
三人で穴持たずを討ち取ろうなどとは考えていなかった。
ライラも剣の柄に手を置くことなく、周囲を見回した。
「熊を探しているのに、熊に見つからないようにするのか」
「それが一番いい」
シレトクが小さく笑う。
だが、すぐにまた真顔になった。
「それともうひとつ」
「まだあるのか」
「食べかけの鹿を見つけたら、その近くに熊がいないと思うな」
少弐の表情が変わった。
「むしろ――」
シレトクは声を落とした。
「近くにいると思え」
三人はしばらく黙った。
風が木々を揺らし、枝から雪が落ちる。
その音だけで、少弐の手が反射的に槍へ伸びた。
シレトクがそれを見て、小さくうなずく。
「そう。それくらいでいい」
そして三人は間隔を少し狭め、再び森へ入った。
この日から彼らが探すのは、ただの熊ではなかった。
冬眠する場所を持たず、人里近くをさまよい、すでに別のコタンを襲ったという穴持たず。
そして三人が最初に探したのは熊そのものではない。
雪の上に残された足跡。
折れた枝。
木についた爪痕。
そして――土と雪で、不自然に丸く覆われた獣の死骸だった。




