↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

PR
710/1029

穴持たず――山から降りた悪いカムイ

室蘭での暮らしにも少し慣れ始めた、ある日のことだった。


長が珍しく険しい顔で少弐たちのところへやってきた。


普段ならまず挨拶を交わし、酒の一杯でも口にしてから話を始める男だったが、その日は違った。


「悪いカムイが出たぞ」


シレトクの表情がすぐに変わった。


長は集まった者たちを見渡した。


「しばらく、外にいるときは一人になるな。必ず何人かで動け。用もないのに山へ入るな。女や子どもは特にな」


そして少弐たちにも告げた。


「戦士は長の家に集まってくれ。話がある」


少弐は杖を取り、ライラとシレトクを伴って長の家へ向かった。


すでに何人もの男たちが集まっていた。弓や槍を手元に置いた者もいる。


長は皆が揃うのを待ってから口を開いた。


「穴持たずが出た」


少弐には意味が分からなかった。


「穴持たず?」


シレトクが小声で説明する。


「冬になっても穴に入らない熊だ」


長が続けた。


「近くのコタンが襲われた。人もやられた」


室内から話し声が消えた。


「熊は本来、山にいるカムイだ。人のところへ来れば、我々は礼を尽くして送り返す。だが――」


長の声が低くなる。


「人を恐れなくなった熊は違う。人の家へ来て、人を獲物にするようになったものは、もう放ってはおけない」


長は少し考えてから、少弐たちにも理解できる言葉を選んだ。


「カムイが、悪いカムイになってしまった。」


マリアもイネスも黙って聞いていた。


ライラだけは腰の剣へ一度目を落とした。


少弐は尋ねる。


「こちらのコタンにも来る可能性があるのか?」


「分からん。だから怖い」


長は即答した。


山へ戻ったのか。それとも海岸沿いに移動しているのか。再び人のいる場所を狙うのか。


分からないからこそ、狩りに出る者も薪を拾う者も、単独行動を禁じるという。


「見つけても追うな。まず知らせろ。足跡を見ても一人では辿るな」


長は戦士たちを見回した。


「こちらへ来ると分かったら、そのときは皆で仕留める」


少弐はそこで初めて、この話が単なる猛獣退治ではないのだと理解した。


彼らにとって熊は、ただ恐ろしい獣ではない。


本来なら敬意をもって迎え、送り返すべき存在。


だからこそ、それが人を襲うものへ変わってしまったことを、長は**「悪いカムイになった」**と表現したのだ。


少弐は静かにうなずいた。


「分かった。我々も勝手には動かない。ポラールやエスペランザの者にも伝える」


そして少し考える。


「ただ、もし本当にこちらへ来るなら――我々にもできることがある」


長が少弐を見る。


少弐が持ってきた短筒だけではない。


船には銃がある。


だが少弐は、それをすぐに持ち出すとは言わなかった。


ここには、この土地で熊と暮らしてきた者たちのやり方がある。


まずそれを聞くべきだ。


「穴持たずをどう仕留めるのか、教えてくれ」


その言葉に、長はゆっくりとうなずいた。


こうして室蘭のコタンでは、夜の火を絶やさず、外出する者は組を作ることになった。


そして少弐たちにとっても初めてとなる、北の山の「悪いカムイ」との対峙が始まろうとしていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。