鷹の名――「愛しき人」
少弐は腕に据えた鷹をしばらく眺めていた。
北の空を飛んできた若い鷹。これから自分たちと旅をし、いずれ遠い土地を見ることになるかもしれない。
「この子は雌か?」
シレトクが鷹を見て答えた。
「雌だ。若いな」
「そうか。雌か」
少弐は少しだけ考えた。
そして、ごく自然に言った。
「では――ハビービにしよう」
ライラが、はっと少弐を見た。
ほんの一瞬だった。
シレトクにはただ異国風の名に聞こえただろう。
だがライラには分かる。
ハビービ。愛しき人。愛する者。
そして何より――少弐はその意味を知らずに口にしたのではない。
旅のあいだ、彼は彼女たちからポルトガル語を学び、ライラからは北アフリカの言葉も少しずつ教わっていた。
以前、自分が教えた言葉だ。
だからライラは驚いた。
「……その名前にするのか?」
少弐は鷹から目を離さない。
「ああ。いい名だろう」
「意味は……」
そこまで言って、ライラは止めた。
聞く必要などなかった。
少弐がわずかに笑ったからだ。
「覚えているよ」
それだけだった。
シレトクは二人の顔を交互に見る。
「なんという意味だ?」
少弐は鷹の羽を撫でながら答えた。
「モロッコの言葉だ」
だが、意味までは言わなかった。
ライラも言わない。
「ハビービ」
少弐がもう一度呼ぶ。
鷹が彼の腕の上で首を傾げた。
ライラはその横顔を見つめた。
自分に向けて言われたわけではない。
鷹の名前なのだから、そう言われればそれまでだ。
けれど――少弐は意味を知っている。
そして、この場でその意味が分かるのは、自分と少弐だけ。
それだけで十分だった。
ライラは鷹に手を伸ばし、小さく笑った。
「……いい名前だ」
少弐もそれ以上は何も言わなかった。
二人の間にだけ、**「愛しき人」**という言葉の意味が残った。




