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宅建見習い栞の人情事件簿 〜転生したら昭和の不動産屋だったので、巻き込まれているうちに宅建過去問が解けるようになりました〜  作者: 条文小説
〈権利関係 配点14点/50点〉 債権の消滅

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[弁済]法理編  栞とお勉強

挿絵(By みてみん)

 夕方の事務所には、まだパンの匂いが残っていました。


 正確には。


 パンの匂いと、


 真壁さんが食べ散らかしたクリームパンの袋が残っていました。


「……三つも食べましたね」


「営業は体力使うんだよ」


「今日、午前中ずっと車運転してただけじゃないですか」


「運転も体力使う」


「便利ですね、営業職」


 私は机の上から空袋を回収して、ごみ箱に放り込みました。


 そしてノートを開きます。


 今日の見出しは――。


 弁済・第三者弁済。


「で?」


 真壁さんが缶コーヒーを片手に、私の机の横へやってきました。


「今日のパン屋の話、結局どういう法律だったんだ?」


「まず、ものすごく基本的なところからいきます」


「おう」


 私はノートに書きました。


 【弁済とは】


 債務を、その内容どおりに履行して消滅させること。


「……難しい」


「一行目ですよ?」


「もっと簡単にしろ」


「じゃあ」


 私は、その下に書きました。


 弁済=約束したことを、ちゃんとやる。


「おお。それなら分かる」


「真壁さんの法律理解力、対象年齢六歳くらいですね」


「殴るぞ」


「不法行為になるのでやめてください」


「お前、それ便利だな」


 便利です。


 民法を知っていると、職場の暴力抑止にも使えます。


 たぶん。


 たとえば。


 人から一万円借りた。


 約束どおり一万円返した。


 これが弁済です。


 修理屋がお客さんから車を預かった。


 修理が終わって、車を返した。


 これも弁済。


 売主が買主に土地を引き渡す。


 これも、その売主が負っている債務の弁済です。


「金を返すことだけじゃないんだな」


「そうです」


 私は頷きました。


「弁済って聞くと、借金を返すイメージが強いですけど、債務の内容を実現すること全般を指します」


「約束を果たす、と」


「そう考えると分かりやすいです」


 そして。


 債務者がきちんと弁済すれば、その債権は消滅する。


 つまり、


 借金百万円を全額返したのに、


 債権者が翌日もう一度、


 『百万円返せ』


 とは言えません。


 当たり前です。


 そんな世の中だったら銀行振込のたびに人生を賭けることになります。


「で、今日の問題は?」


「本人じゃない人が、それをやった」


 私はノートに大きく書きました。


 【第三者弁済】


 債務者ではない第三者が、債務を弁済すること。


「今日なら?」


「西尾さんが債務者です」


「地主の荒川さんが債権者」


「はい。そして西尾さんが払うべき地代を、パン屋の沢村さんが払った」


 図にするとこうです。


 荒川さん(土地賃貸人・債権者)

     ↑

    地代

     ↑

 西尾さん(借地人・債務者)


 その西尾さんの建物を、


     ↓


 沢村さん(建物賃借人)


 が借りている。


「沢村さんは荒川さんと契約してない」


「そうです」


「なのに払える」


「そこが今日の中心です」


 私は赤鉛筆を持ちました。


 【原則】


 債務の弁済は、第三者もすることができる。


「まずこれを覚えてください」


「本人じゃなくても払える」


「はい」


「じゃあ、俺が所長の借金を勝手に全部払ってもいい?」


「話を最後まで聞いてください」


「原則って言っただろ」


「法律で“原則”が出てきたら、その三秒後には例外が来ると思ってください」


「性格悪いな、法律」


「宅建受験生はだいたい一度そう思います」


 第三者弁済はできる。


 ただし。


 誰でも、いつでも、本人の意思を無視して好き勝手に払えるわけではありません。


 ここから、人を二種類に分けます。


 ① 弁済について「正当な利益を有する第三者」


 ② 正当な利益を有しない第三者


「出た。法律語」


「でも中身は難しくありません」


「正当な利益って何だ?」


「その債務が払われないと、自分も法律上困る人です」


 真壁さんが少し考えました。


「……今日の沢村さん」


「そのとおりです!」


 私は大きく丸を付けました。


 超重要!


 正当な利益を有する第三者

    ↓

 債務者の意思に反しても弁済できる。


「西尾さんは『俺の地代なんだから、お前は払うな』って言ってた」


「はい」


「それでも沢村さんは払える」


「そうです」


 なぜなら。


 西尾さんが地代を払わず、借地権を失えば。


 その土地の上にある建物を借りて営業している沢村さんまで、重大な影響を受けます。


 だから沢村さんには、


 地代を払って借地関係を維持する、


 法律上の利益があります。


 実際、最高裁も、借地上の建物の賃借人について、敷地の地代の弁済につき法律上の利害関係を有すると判断しています。


「つまり、あのパン屋はただのお節介じゃない」


「はい」


「自分の店を守るために払ってる」


「そこです」


 私はノートに書きました。


 正当な利益あり

 =払わないと、自分の権利や財産にも法律上の不利益が及ぶ人。


「具体的には?」


 真壁さんが聞きました。


「代表的なのは、保証人です」


「借金した本人が払わなきゃ、保証人が払わされる」


「だから、自分から弁済する利益がある」


「なるほど」


「物上保証人もそうです」


「物上保証人?」


「自分自身は借金していないけれど、自分の不動産を他人の借金の担保に入れた人です」


「払わなきゃ自分の土地が競売される」


「だから正当な利益がある」


「抵当不動産を買った奴も?」


「はい。抵当権を実行されたら、せっかく買った不動産を失う可能性がありますから」


「後順位抵当権者もか」


「先順位抵当権によって競売されれば影響を受けますからね」


 整理すると。


 【正当な利益を有する者の代表例】


 ・保証人、連帯保証人


 ・物上保証人


 ・抵当不動産の第三取得者


 ・後順位抵当権者


 ・借地上の建物の賃借人など


「……あれ?」


 真壁さんがノートを見ながら言いました。


「これ、どっかで見たような顔ぶれだな」


「おっ」


「なんだよ」


「そこに気づきました?」


「その言い方腹立つな」


 私は笑って、余白に書きました。


 時効の援用ができる者と、発想が似ている。


「自分の法律上の立場が、その債務や権利に左右される人たちですね」


「ああ。だから登場人物が似るのか」


「そう覚えると楽です」


 宅建は、一個ずつ知識を孤立させて覚えると地獄になります。


 保証人。


 物上保証人。


 抵当不動産の第三取得者。


 後順位抵当権者。


 あちこちで出てくるたびに、


 『またお前らか』


 と思えるようになると、だいぶ楽です。


「じゃあ」


 真壁さんが聞きました。


「西尾さんの母ちゃんが来て、『息子の地代を私が払います』なら?」


「いい質問です」


「だろ?」


「珍しく」


「一言多いんだよ」


 私はノートに太字で書きました。


 【注意】


 親・兄弟・子などの親族であるというだけでは、

 当然に「正当な利益を有する者」にはならない。


「親なのに?」


「親だから、というだけでは駄目です」


「冷たいなあ」


「法律上の利害関係と、家族としての心配は別物です」


 ここは宅建で非常にひっかけやすい。


 問題文に、


 「債務者の父」


 「債務者の兄」


 「債務者の妻」


 なんて書いてあると、


 なんとなく払えそうな気がする。


 家族ですから。


 助けてあげたくなりますから。


 でも試験は、受験生の家族愛を狙ってきます。


 ひどい。


「じゃあ正当な利益がない第三者は、絶対払えない?」


「いいえ」


「……またかよ」


「第三者弁済は、まず原則としてできます」


 私は整理しました。


 正当な利益を有しない第三者でも、

 原則として第三者弁済自体は可能。


「ただし、その場合に“反対意思”が問題になります」


 私は、二人の人間を書きました。


 債務者


 債権者


「現行民法では、正当な利益を有しない第三者について、ここを分けて考えるのが大事です」


 まず。


 【債務者が反対している場合】


 正当な利益を有しない第三者は、

 原則として債務者の意思に反して弁済できない。


「これは分かるな」


 真壁さんが言いました。


「知らない奴が勝手に俺の借金払ったら気持ち悪い」


「そういう感覚です」


 ただし現行民法では、


 債務者が反対していることを債権者が知らなかった場合には、例外があります。


 ここは改正民法で条文が細かくなった部分です。


「次は債権者か」


「はい」


 正当な利益を有しない第三者は、


 原則として、


 債権者の意思に反しても弁済できません。


「え?」


「つまり債権者側から『あなたからは受け取りません』と言われた場合も問題になるんです」


「じゃあ、今日の沢村さんは?」


「正当な利益があります」


「ああ!」


「だから、この制限をそのまま受ける人とは違うんです」


 私は四角で囲いました。


 最重要。


 「正当な利益を有するか」を最初に見る。


 正当な利益あり

   ↓

 債務者の反対意思があっても弁済できる。


 正当な利益なし

   ↓

 債務者や債権者の意思との関係を検討する。


「問題文を読んだら、まず『誰が払おうとしてるか』だな」


「そうです!」


「保証人なのか、知らないおっさんなのか」


「例えは雑ですけど正解です」


「親父でも、ただ親父ってだけじゃ駄目」


「そうです」


「パン屋は利害関係あり」


「完璧です」


「宅建受けようかな」


「やめてください。ライバルが増えます」


「お前まだ受かってねえのか」


「……前世の傷をえぐらないでください」


 私は咳払いして、次へ進みました。


 【第三者弁済を禁止する特約】


「そもそも当事者が、『第三者からの弁済は認めない』と決めていた場合は?」


「払えない?」


「原則、そのとおりです」


 現行民法では、


 債務の性質が第三者弁済を許さない場合や、


 当事者が第三者弁済を禁止・制限する意思表示をした場合には、


 第三者弁済の規定が適用されません。


「債務の性質上、って?」


「たとえば、その人本人でなければ意味がない仕事ですね」


「有名画家に絵を描いてもらう約束なのに、近所のおっさんが描いて持ってきた、とか」


「はい」


「第三者弁済です」


「ただの偽物ですよ」


「法律以前の問題か」


「法律以前の問題です」


 そして。


 今日の事件で、もう一つ重要だったのがこれです。


 【債権者が受け取らない場合】


 荒川さんは最初、


 「沢村さんの金なんか受け取らない」


 と言いました。


「俺は西尾本人から受け取りたい、だったな」


「はい」


「でも沢村さんには弁済する正当な利益があった」


「そうです」


「それでも荒川さんが拒否したら?」


「供託です」


 私は大きく書きました。


 【弁済供託】


 一定の場合に、弁済の目的物を供託することで、

 債権を消滅させる制度。


「供託所に金を預けるやつか」


「そうです」


 典型的なのは、


 債権者が弁済の受領を拒絶した場合。


 弁済者が、


 ちゃんと払おうとしている。


 なのに債権者が、


 『受け取らない』


 と言う。


「そこで永遠に未払い扱いされたらたまらんな」


「そうなんです」


 そこで法律は、


 一定の条件のもとで供託を認めています。


 供託が有効に行われれば、


 供託した時に債権が消滅します。


 つまり今日なら。


 沢村さん

   ↓

 地代を適法に払おうとする

   ↓

 荒川さん

 「受け取らない」

   ↓

 一定の要件の下で供託

   ↓

 地代債務が消滅


「じゃあ荒川さんは、『俺が受け取らなかったから未払いだ!』とは言えない」


「そういうことです」


「なるほど」


「だから今日、私が供託の話を出したんです」


「あの時のお前、ちょっと悪い顔してたぞ」


「法律を説明してただけです」


「地主を詰ませにいく顔だった」


「人聞き悪いですね」


 供託できる代表的な場合は、


 ① 弁済の提供をしたのに、債権者が受領を拒んだ


 ② 債権者が受領することができない


 ③ 弁済者が債権者を確知できない

   ※この場合、弁済者に過失がないことが必要


 です。


「ただ理由もなく供託所に持ってけばいいわけじゃない」


「もちろんです」


「『地主の家まで行くの面倒だから供託しよ』は?」


「駄目です」


「『今日雨だから供託しよ』」


「もっと駄目です」


「供託所の方が近い」


「距離で決める制度じゃありません」


 供託は、


 債権者が受け取らないなど、


 法律上の理由がある場合の制度。


 ここも過去問でよく狙われます。


 私はノートに書きました。


 供託=好きなときに使える「支払代行サービス」ではない。


「これなら覚えられるな」


「でしょう?」


 ここで所長が、奥の机から顔を上げました。


「栞」


「はい?」


「そこまで書くなら、誰に払うかもやれ」


「あ」


「弁済は、払えば終わりじゃない。相手を間違えれば問題になる」


 そうでした。


 私は新しい見出しを書きます。


 【弁済の相手方】


 原則として、


 弁済は、受領する権限を持つ人にします。


「普通は債権者だろ?」


「はい」


 一万円借りた相手に一万円返す。


 それが普通。


 ほかにも、代理人など法律上受領権限を持つ人に払うことがあります。


「じゃあ知らない奴に払ったら?」


「普通は駄目です」


「そりゃそうだ」


「でも」


「……その顔やめろ」


「例外があります」


「やっぱりな」


 こんな人が現れたとします。


『荒川さんの代理で地代を集めに来ました』


 そして、


 荒川さん名義の領収証。


 印鑑。


 それらしい書類。


 以前から集金を任されていたような事情。


「どう見ても代理人に見える」


「でも実は無権限者だった」


「最悪だな」


「その人に払ってしまったら、絶対無効でしょうか?」


「……違うんだな、その聞き方は」


「成長しましたね」


「うるさい」


 私は書きました。


 【受領権者としての外観を有する者に対する弁済】


 受領権限は実際にはない。


 しかし、


 取引上の社会通念から見て、


 受領権者であるような外観を持っていた。


 そんな人物に弁済した場合。


 弁済者が、


 善意


 かつ


 無過失


 であれば、


 その弁済は有効になります。


「また善意無過失か」


「宅建では大好物です」


「善意は?」


「本当は受領権限がないと知らなかった」


「無過失は?」


「知らなかったことについて、不注意もなかった」


「つまり」


 真壁さんが指を折ります。


「偽物だと知らず」


「はい」


「しかも普通に注意しても見抜けなかった」


「そうです」


 善意だけでは足りません。


 善意無過失です。


「じゃあ、『なんか怪しいけど、まあいいや』で払ったら?」


「無過失とは言いにくくなります」


「偽代理人が、荒川さんの印鑑と領収証まで持ってた」


「事情次第ですが、受領権者らしい外観を判断する材料になります」


「なるほどな」


 以前は、


 「債権の準占有者」


 という言葉が使われていました。


 今の民法では、


 「受領権者としての外観を有する者」


 という表現になっています。


「今の方が長いな」


「でも意味は分かりやすくなりました」


「法律って時々、分かりやすくしようとして長くなるよな」


「そこは言わない約束です」


 私は赤鉛筆で囲みます。


 受領権限なし

   +

 受領権者らしい外観

   +

 弁済者が善意無過失

   ↓

 弁済は有効。


「ここ、“善意”だけじゃ駄目なんだな」


「はい。無過失まで必要です」


「試験に出そう」


「ものすごく出そうな顔をしています」


「問題に顔があるのか」


「長く勉強すると見えるようになります」


 次。


 私はノートのページをめくりました。


 【どこで弁済するのか】


「そこまで決まってるのか?」


「決めてあれば、もちろんその場所です」


「じゃあ決めてなかったら?」


「そこが試験です」


 民法上、別段の意思表示がない場合。


 特定物の引渡しは、


 債権が発生した時にその物が存在した場所。


 それ以外の弁済は、


 原則として債権者の現在の住所で行います。


「金を返すなら?」


「原則、債権者の現在の住所」


「借りた奴が持ってこい、と」


「ざっくり言えばそうです」


 私は書きました。


 金銭債務など

   ↓

 原則:債権者の現在の住所


 特定物の引渡し

   ↓

 債権発生時に、その物があった場所


「不動産は?」


 真壁さんが聞きました。


「土地そのものを引き渡す場面なら、当然その土地を持って移動できませんからね」


「土地抱えて債権者の家まで行ったら怪獣だな」


「そういうことです」


「そこまでは言ってない」


 不動産の引渡しは、その性質上、不動産の所在地で行うことになります。


 実際の不動産取引では、


 司法書士や金融機関、不動産会社などが集まり、


 代金決済、書類確認、登記手続に必要な書類の授受などを一か所で行うことも多い。


 ただ、


 試験ではまず、


 民法上の原則を押さえる。


「現場と試験は分ける」


「はい。これ大事です」


 所長が新聞を畳みました。


「栞」


「はい」


「今日の話を、試験問題として一番短くまとめるなら?」


「そうですね……」


 私は考えました。


 そして、ノートに人物を書きます。


 A――土地所有者


 B――借地人


 C――借地上建物の賃借人


 Bが地代を払わない。


 Cは、


 このままだと借地権が消滅して、


 自分の建物賃借にも重大な影響が出る。


「だから?」


「Cには、地代を弁済する正当な利益があります」


「Bが『払うな』と言ったら?」


「それでもCは弁済できます」


「Aが受け取らなければ?」


「要件を満たせば、Cは供託できます」


「Cが有効に地代を払えば?」


「その地代債務は消滅します」


「ならAは?」


「その弁済済みの地代について、不払いを理由に解除することはできません」


 所長が、満足そうに頷きました。


「それでいい」


 私は今日一番大事な部分を、まとめ直しました。


 ――――――――――


 【栞の試験直前まとめ】


 ① 弁済とは


 債務の内容を実現して、

 債権を消滅させること。


 ② 第三者弁済


 原則として、

 債務者本人以外の第三者も弁済できる。


 ③ 正当な利益を有する第三者


 債務者の意思に反しても弁済できる。


 代表例


 ・保証人


 ・物上保証人


 ・抵当不動産の第三取得者


 ・後順位抵当権者


 ・借地上建物の賃借人など


 ④ 親族だからといって


 親・兄弟・子などであることだけで、

 当然に正当な利益を有する者になるわけではない。


 ⑤ 正当な利益を有しない第三者


 債務者の反対意思、

 債権者の反対意思との関係に注意。


 現行民法では例外もあるので、

 「第三者なら誰でも勝手に払える」

 と覚えない。


 ⑥ 第三者弁済禁止・制限の意思表示


 当事者が第三者弁済を禁止・制限している場合などは、

 第三者弁済が認められない。


 ⑦ 債権者が受領を拒絶


 一定の場合、

 弁済者は供託できる。


 有効に供託すれば、

 供託時に債権は消滅。


 ⑧ 受領権者らしく見える無権限者


 受領権者としての外観があり、


 弁済者が


 善意+無過失


 なら、


 その者への弁済は有効。


 ⑨ 弁済場所


 特約などがなければ、


 特定物

 →債権発生時にその物があった場所


 その他

 →原則として債権者の現在の住所。


 ――――――――――


「……多いな」


 真壁さんが言いました。


「だから物語で覚えるんです」


「どうやって?」


「もう一回、今日の話を思い出してください」


 私は指を一本立てました。


「西尾さんが地代を払わない」


「うん」


「パン屋の沢村さんが困る」


「うん」


「沢村さんが払う」


「第三者弁済」


「西尾さんが『払うな』と言う」


「でも沢村さんには正当な利益がある」


「だから?」


「払える」


「荒川さんが『受け取らん』」


「供託できる」


「知らないおじさんが荒川さんの代理人みたいな顔で集金に来る」


「善意無過失なら――」


 真壁さんが少し考えました。


「受領権者としての外観があれば、有効」


「正解です!」


「おお」


「そして、地代をどこで払う?」


「決めてなきゃ……債権者の住所」


「百点です」


「俺、宅建いけるんじゃないか?」


「一問理解しただけです」


「急に冷たいな」


「受験経験者は、そこだけは現実的なんです」


 そこへ。


 事務所の扉が開きました。


「あの……」


 沢村さんでした。


「どうしました?」


「忘れ物しちゃって」


 そう言って、机の上に残っていた小さな布袋を取りました。


 その時。


 所長が聞きました。


「店は?」


「大丈夫です」


 沢村さんが笑いました。


「さっき荒川さんが来ました」


「あんパン買いに?」


「はい」


「一個?」


「五個」


 おお。


 思ったより買った。


「それから」


 沢村さんは、少し笑って続けました。


「西尾さんも来ました」


「え」


「何買いました?」


 私が聞くと、


「クリームパン、一個」


「安いな」


 真壁さんが言いました。


「金額の問題じゃありません」


 でも。


 沢村さんは嬉しそうでした。


「二人、店の端と端に座って食べてました」


「会話は?」


「一言も」


 それは仲直りと言えるのでしょうか。


「でも帰る時、荒川さんが西尾さんに、『来月は遅れるな』って」


「西尾さんは?」


「『分かってるよ』って」


 沢村さんが笑います。


「だから、たぶん大丈夫です」


 大人というのは不思議です。


 ごめんなさい。


 悪かった。


 そんな五文字を言えば終わる話に、


 内容証明を送り、


 借地契約を解除しかけ、


 第三者弁済と供託まで登場させる。


 そして最後は、


 同じパン屋で無言でパンを食べて仲直りする。


 ほんとうに効率が悪い。


 でも。


 たぶん人間って、そういうものなのだと思います。


 沢村さんが帰ったあと。


 私はノートの最後に、一行付け足しました。


 第三者弁済――


 他人の債務を払う制度ではある。


 でも、


 時には「他人のため」ではなく、


 自分の暮らしを守るための弁済でもある。


「栞」


「はい?」


 真壁さんが、私のノートを覗き込みました。


「それ、試験に出るのか?」


「最後の一行は出ません」


「じゃあ書くなよ」


「いいんです」


 私はノートを閉じました。


「忘れないために書いたので」


 前世で宅建を勉強していた時。


 第三者弁済なんて、


 ただの暗記事項でした。


 正当な利益。


 債務者の意思。


 第三者。


 供託。


 善意無過失。


 黒い文字が並んでいるだけ。


 何度読んでも、


 頭の中で登場人物が迷子になった。


 でも今は。


 正当な利益と聞けば、


 パン屋を守ろうと封筒を握っていた沢村さんを思い出す。


 受領拒絶と聞けば、


 腕を組んで「受け取らん」と言った荒川さんが出てくる。


 債務者の反対意思と聞けば、


 「余計なことするな」と意地を張っていた西尾さんが浮かぶ。


 法律の言葉に、


 顔がついた。


 たぶん、


 勉強ってそういう瞬間から少しだけ楽になる。


「真壁さん」


「ん?」


「今日の復習です」


「おう」


「私が真壁さんの借金を、真壁さんが嫌がっているのに勝手に弁済できるでしょうか」


「その前に俺はお前から借りねえ」


「問題が成立しない」


「そこからだろ」


「じゃあ所長が真壁さんに百万円貸しているとして――」


「なんで俺だけ借金まみれなんだよ!」


 所長が新聞の向こうで笑いました。


 夕暮れの事務所には、


 まだ少しだけパンの甘い匂いが残っています。


 私は今日のページの一番下に、


 赤い線を一本引きました。


 そして最後に、


 試験用の言葉を一つだけ書き足しました。


 「誰が払うか」ではなく、


 「その人が、なぜ払うのか」を見る。


 第三者弁済。


 もう、この論点だけは。


 たぶん二度と忘れない。

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