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宅建見習い栞の人情事件簿 〜転生したら昭和の不動産屋だったので、巻き込まれているうちに宅建過去問が解けるようになりました〜  作者: 条文小説
〈権利関係 配点14点/50点〉 不法行為

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[工作物責任]現場編 「貸してるから俺の責任じゃない」は通らない。勝手に勝利宣言しないでください

挿絵(By みてみん)


 古い塀というものは、見た目以上にプライドが高い。


 長年そこに立っているだけで、


 ――私はまだ大丈夫です。


 みたいな顔をしている。


 苔が生えていても。


 ひびが入っていても。


 少し傾いていても。


 そして人間のほうも、その態度に妙な説得力を感じてしまう。


「昔からあるから大丈夫だろ」


 事故が起きる直前に人類が発する言葉として、かなり上位に入ると思います。


 その日、大槻不動産の黒電話が鳴ったのは、昼前でした。


「はい、大槻不動産です」


 私――藤崎栞が受話器を取ると、向こうから女性の切羽詰まった声が飛び込んできました。


『あのっ、真壁さんいますか!?』


「おります。どうされました?」


『塀が……塀が倒れて、人が怪我したんです!』


 私は一瞬、受話器を持ったまま固まりました。


「真壁さん!」


「なんだ」


「塀が倒れました」


「どこの」


「宮川さんのところです」


 真壁さんの顔つきが変わりました。


 さっきまで新聞の競馬欄を眺めていた男とは思えない速さで立ち上がります。


「怪我人は?」


「いるそうです」


「所長!」


 奥の机で書類を読んでいた大槻所長も、無言で顔を上げました。


 十分後。


 私たちは車で現場へ向かっていました。


 宮川さんというのは、大槻不動産が管理を手伝っている古い一戸建ての借主です。


 家の所有者は、町外れで材木店を営む石黒さん。


 宮川さん一家は、そこを借りて十年以上暮らしていました。


 問題の塀は、道路沿いに続く高さ一メートル半ほどのブロック塀です。


 現場へ着くと、その一部が見事に道路側へ崩れていました。


 いや、見事という表現はよくない。


 ぜんぜん見事じゃない。


 ブロックが歩道に散らばり、自転車が一台、横倒しになっています。


 怪我をしたのは、自転車で通りかかった四十代くらいの男性でした。


 幸い命に別状はなく、腕と脚を強く打った程度らしい。


 すでに病院へ運ばれたあとでした。


「どうしよう……」


 宮川さんの奥さんが、青ざめて玄関前に立っていました。


「主人が、何度も危ないって言ってたんです……」


 真壁さんが眉を寄せます。


「誰に?」


「大家さんにです」


 ――あ。


 嫌な言葉が出た。


「塀が傾いてきてるから、直したほうがいいって。でも石黒さん、『昔からある塀だから平気だ』って……」


 さっそく出ました。


 事故直前の人類ランキング上位。


 私は崩れた塀を見ました。


 根元には古いひびが走っている。


 一部は補修した跡もある。


 しかも崩れなかった部分まで、わずかに道路側へ傾いていました。


「宮川さん自身は、何かしていましたか?」


 所長が静かに聞きました。


「主人が危ないところに板を立てたり、子どもを近づけないようにしたり……。大家さんにも電話していました」


「記録は?」


「手紙も出してます」


 所長の眉が、わずかに動きました。


「その手紙、残ってますか」


「写しなら」


 奥さんが家の中へ走ります。


 私は塀を見つめながら、頭の中で昨夜まで散々見た条文を掘り起こしました。


 土地の工作物。


 設置または保存の瑕疵。


 占有者。


 所有者。


 ――来た。


 またテキストの中身が、人間の顔をして出てきた。


 私は思わず呟きました。


「民法七百十七条……」


「なんだ?」


 真壁さんが振り向きます。


「土地工作物責任です」


「また始まったな」


「何がですか」


「お前が急に法律の神様みたいな顔するやつ」


「そんな顔してません」


「してる」


 失礼な。


 十八歳女子に向かって神様顔とは。


 せめて菩薩くらいにしてほしい。


 そのとき。


「なんだこれは!」


 道路の向こうから、太い声が響きました。


 大柄な男がこちらへ歩いてきます。


 五十代後半。


 日に焼けた顔。


 作業着の胸には『石黒材木店』。


 大家の石黒さんでした。


「宮川さん! どういう管理してたんだ!」


 開口一番、それですか。


 私は心の中で頭を抱えました。


 倒れた塀より先に、責任を押し付けてきた。


「いや、石黒さん」


 真壁さんが間に入ります。


「まず怪我人のことを」


「そりゃ気の毒だよ! だがな、貸してる以上、普段見てるのは宮川さんだろ!」


 石黒さんは崩れた塀を指差しました。


「俺はここに住んでないんだぞ!」


 はい。


 なるほど。


 論点を自分から言ってくれるタイプ。


 試験問題なら親切です。


 現実では面倒です。


「栞」


 所長が低く呼びました。


「はい」


「どう見る」


 その一言で、私は背筋を伸ばしました。


 真壁さんもこちらを見る。


 石黒さんは怪訝そうな顔をしました。


「なんだ、その嬢ちゃんは」


「事務見習いです」


「じゃあ関係ないだろ」


「あります」


 私は即答しました。


「今、この塀に一番関係ある条文を知ってます」


 真壁さんが吹き出しかけました。


 所長は止めません。


 なら、言っていい。


「こういう場合、まず問題になるのは、塀を実際に使って管理していた人です」


「ほら見ろ!」


 石黒さんが宮川さん宅を指しました。


「借主だろ!」


「最後まで聞いてください」


 私は言いました。


「途中で勝手に勝利宣言するの、試験なら失点しますよ」


「……なんだと?」


「栞」


 真壁さんが小声で言う。


「一般人に試験の採点すんな」


「すみません」


 でも正しいと思う。


 私は続けました。


「たしかに、借主である宮川さんは、この建物や塀を現実に使っている占有者です。工作物に欠陥があって人に損害を与えた場合、まず占有者の責任が問題になります」


「だったら!」


「ただし」


 私は石黒さんを見る。


「占有者は、損害が起きないよう必要な注意をしていたなら、責任を免れることがあります」


 石黒さんの口が止まった。


「必要な注意?」


「塀が危ないと気づいた。近寄らないようにした。所有者へ修理を求めた」


 ちょうど奥さんが戻ってきました。


「これです!」


 差し出された封筒には、数か月前の日付。


 中には便箋。


 ――道路側のブロック塀が傾いており、倒壊のおそれがあります。早急に確認、補修をお願いします。


 もう一通。


 その翌月。


 ――ひび割れが広がっています。通行人に危険が及ぶ可能性があります。


 真壁さんが低く息を吐きました。


「二回も言ってるな」


「電話もしてました」


 奥さんが言う。


「主人が何度も」


 石黒さんの顔が曇りました。


「いや……でも俺だって、見に来ただろ」


「見に来たんですか?」


 私が聞く。


「来たよ」


「その時、どうしました?」


「別に……まだ大丈夫だと思ったから」


「修理は?」


「してない」


「業者への点検依頼は?」


「してない」


「危険防止措置は?」


「……してない」


 私は少しだけ首を傾げました。


「ずいぶん、大丈夫を信頼しましたね」


「栞」


 真壁さんがまた小声で言う。


「刺すな刺すな」


「事実確認です」


「刃先が鋭いんだよ」


 でも、ここは大事だった。


 宮川さんが必要な注意を尽くしていたと認められるなら、占有者は責任を免れる。


 その次に来るのは。


 私は石黒さんを見ました。


「宮川さんが必要な注意をしていた場合、次に責任を負うのは、この塀の所有者です」


 石黒さんの眉間に深い皺が入る。


「俺だって悪気はなかった!」


「悪気の話ではありません」


「俺は素人だぞ! 塀が倒れるなんて分かるか!」


「そこも違います」


 私はゆっくり言いました。


「所有者については、『ちゃんと注意していました』だけでは逃れられません」


 一瞬。


 周囲が静かになりました。


 石黒さんが、信じられないという顔をする。


「……なんだって?」


「この種の責任では、占有者は必要な注意をしていれば免責される余地があります。でも所有者は違う」


 私は崩れたブロックを指しました。


「工作物に安全上の欠陥があり、それが原因で他人に損害が生じた。占有者が免責されるなら、所有者が責任を負います」


「俺が知らなくても?」


「はい」


「俺が壊したんじゃなくても?」


「はい」


「俺がここに住んでなくても?」


「所有者なら、そこは変わりません」


 石黒さんはしばらく黙っていました。


 人は、自分が悪くないと言いたい時ほど、理由をたくさん持ってきます。


 知らなかった。


 自分で作ったんじゃない。


 住んでいない。


 忙しかった。


 まさか倒れると思わなかった。


 気持ちは分かる。


 でも。


 道路に散らばったブロックは、そのどれも聞いてくれません。


「……じゃあ」


 石黒さんが、かすれた声を出しました。


「俺が全部払うのか」


「被害に遭った方への責任については、そうなる可能性が高いです」


 私が答えると、石黒さんの肩が落ちました。


 すると。


「ちょっと待て」


 真壁さんが崩れた塀の根元を覗き込んでいました。


「所長。これ……妙じゃないですか」


 所長がしゃがむ。


 私も近づきました。


 ブロックの中から覗く鉄筋。


 いや。


「……短い?」


 私が言うと、真壁さんが頷いた。


「どう見ても補強が足りん」


 石黒さんが顔を上げました。


「この塀、十五年くらい前に作り直してるぞ」


「誰が施工しました?」


「河原工務店だ」


 所長が立ち上がります。


「図面は残ってますか」


「たぶん店に……」


「施工契約書も?」


「ああ」


 大槻所長は短く頷きました。


「確認しましょう」


 そして石黒さんをまっすぐ見ました。


「石黒さん。被害者への対応と、塀をこうした人への責任追及は、分けて考えます」


「分ける?」


「ええ」


 私はその言葉で気づきました。


 そうだ。


 工作物責任は、そこで終わりじゃない。


「所長」


「言ってみろ」


 私は頷きました。


「もし本当に施工不良が原因なら、被害者に賠償した側から、施工業者に責任を求められる可能性があります」


「……!」


 石黒さんの顔が上がる。


「つまり俺だけが、全部かぶるとは限らないのか」


「はい」


 私は言いました。


「ただし順番は大事です」


「順番?」


「怪我をした人から見れば、まず必要なのは治療費や損害の賠償です」


 私は道路に散らばったブロックを見る。


「『工務店が悪いから、そっちへ言ってくれ』では済みません」


 石黒さんは唇を結びました。


「まず被害を受けた人に向き合う」


 所長が続けます。


「そのあとで、本当に施工業者に原因があるなら、そちらとの責任関係を精算する」


「……そういうことか」


 石黒さんは長いこと黙っていました。


 やがて、崩れた塀の向こうを見ました。


 そこには横倒しになった自転車がある。


「俺は……」


 ぽつりと言う。


「宮川さんから言われた時、面倒だったんだよ」


 奥さんが黙って石黒さんを見る。


「塀を直すとなりゃ、何十万もかかる。まだ立ってるし、来年でいいと思った」


 石黒さんは頭を掻きました。


「でも、怪我した人からしたら……そんなこと知ったこっちゃないよな」


「そうですね」


 私は答えました。


 厳しいようだけど。


 そこだけは、曖昧にしないほうがいい。


 石黒さんはため息をつくと、奥さんに向かって頭を下げました。


「宮川さん。悪かった」


「え……」


「何度も言ってくれたのに、俺が放っておいた」


 その声には、さっきまでの威勢がありませんでした。


「ご主人にも謝る」


 奥さんはしばらく黙っていましたが、やがて小さく頭を下げました。


「……お願いします」


 その日の午後。


 大槻不動産では、古い書類の山がひっくり返されました。


「昭和四十八年、四十九年……」


 私は埃まみれのファイルをめくります。


「昭和の書類を昭和で探してるのに、なんで発掘調査みたいになるんですか」


「紙しかない時代だからな」


 真壁さんが隣で図面を探しています。


「令和なら検索一発なのに……」


「れいわ?」


「あ」


「また謎の言葉か」


「未来の独り言です」


「怖いんだよ、お前の独り言」


 やがて施工当時の図面が見つかりました。


 所長が図面と現場写真を見比べる。


「……やっぱり違うな」


「何がです?」


「鉄筋の入れ方だ」


 図面上は、一定間隔で縦筋が入ることになっている。


 ところが現場では、その一部が不足しているように見えた。


 さらに翌日、工務店を交えて現場確認をすることになりました。


 河原工務店の社長は、最初は渋い顔をしていました。


「十五年前の工事ですよ?」


「だから図面を持ってきました」


 大槻所長が差し出す。


「こちらが契約時の仕様です」


「……」


「現物と違いますね」


 社長の顔が変わった。


「当時の職人が……」


「その話は後で聞きます」


 所長は静かでした。


 静かすぎて逆に怖い。


「今回は通行人が怪我をしています」


 社長が黙る。


「石黒さんも所有者として対応します。ただ、施工不良が原因なら、その責任まで石黒さん一人に背負わせる話ではない」


「……」


「調査に協力してください」


 長い沈黙のあと、社長は深く息を吐きました。


「分かりました」


 私は内心、少しだけ力を抜きました。


 法律は魔法じゃない。


 条文を言えば相手が光に包まれて改心するわけでもない。


 でも。


 誰が、何について、どこまで責任を負うのか。


 それを一つずつ整理すると。


 さっきまで、


 ――俺は悪くない。


 ――そっちが悪い。


 だけだった会話が、


 ――まず被害者へ。


 ――その次に原因を作った者へ。


 と動き始める。


 これがたぶん、法律の一番気持ちいいところです。


 責任を増やすためじゃない。


 責任を、あるべき場所へ置き直すためにある。


 数日後。


 怪我をした男性の治療費などについて、石黒さん側で誠実に対応する話がまとまりました。


 幸い怪我も順調に回復しているらしい。


 塀は全撤去。


 残った部分も安全を確認したうえで、新しく作り直すことになりました。


 施工不良については、石黒さんと工務店で話し合いを続ける。


 そして宮川さん一家には、工事が終わるまで道路側へ近づかないよう説明した。


「これで、一段落ですね」


 夕方。


 私は事務所で缶ジュースを飲みながら言いました。


「一段落だな」


 真壁さんが答える。


「でも、すごいですね」


「何が」


「塀が倒れただけなのに、占有者、所有者、施工業者って、責任が三段重ねで出てくるんですよ」


「だけ、って言うな。人が怪我してる」


「それはそうです」


「しかしまあ」


 真壁さんが椅子にもたれました。


「俺なら最初、大家の責任だと思ってたぞ」


「間違いではないです」


「でも先に占有者を見るんだろ?」


「はい。占有者が必要な注意をしていたか」


「してなきゃ占有者」


「していれば所有者」


「所有者は?」


「逃げられません」


「怖えな」


「所有者ですから」


「その一言で全部片付けるなよ」


 そこへ所長が湯飲みを持ってきました。


「責任を負うというのは、罰を受けることとは違う」


「え?」


 私が振り向く。


 所長は自分の席に腰を下ろしました。


「石黒さんは、別に悪人じゃない」


「はい」


「工事をした職人だって、十五年前に何を考えていたのかは、これから調べなきゃ分からん」


「はい」


「だが、怪我をした人は現にいる」


 所長は静かに言いました。


「だから法律は、まず被害を埋める人間を決める」


 私は黙って聞いていました。


「誰も悪くないと言い合っている間、被害者だけが困る。それを避けるための仕組みでもある」


「……なるほど」


 真壁さんが鼻を鳴らします。


「で、あとから本当に悪かった奴に取り返しにいく、と」


「言い方」


 私は真壁さんを見る。


「求償です」


「同じだろ」


「ぜんぜん響きが違います」


「中身は?」


「だいたい同じです」


「じゃあいいじゃねえか」


 ぐぬぬ。


 そのとき、事務所の戸が開きました。


「こんにちは」


 入ってきたのは、石黒さんでした。


 手には大きな紙袋。


「この間は世話になった」


「どうされました?」


 所長が立つ。


「怪我した人のところへ行ってきた」


 石黒さんは少し照れくさそうに言いました。


「謝ってきたよ」


「そうですか」


「向こうもな、『ちゃんと直してくれるならそれでいい』って」


 石黒さんは一度だけ鼻をすすりました。


「……ありがたい話だ」


 紙袋を机に置く。


「これ、材木屋の客からもらった梨だ。みんなで食ってくれ」


 昭和の人情。


 また物量で来た。


「栞ちゃん」


「はい?」


「俺な」


 石黒さんは少し笑いました。


「最初、お前に言われた時は腹立ったよ」


「でしょうね」


「そこは否定しろよ」


「嘘はよくないので」


 真壁さんが肩を震わせる。


「でもな」


 石黒さんは続けました。


「俺が悪い悪くないじゃなくて、怪我した人がいるって話だったんだよな」


 私は小さく頷きました。


「はい」


「塀も、人に当たる前なら何十万だった」


 石黒さんは苦笑した。


「人に当たったら、金だけの話じゃなくなる」


 そう言って帰っていく背中を、私はしばらく見ていました。


 真壁さんが紙袋を開ける。


「でかい梨だな」


「今の話の余韻、一秒でしたね」


「梨は待ってくれん」


「腐りませんよ、一秒では」


 所長が一個持ち上げました。


「栞」


「はい」


「今日の教訓は?」


 私は少し考える。


 占有者。


 所有者。


 工作物の瑕疵。


 必要な注意。


 無過失責任。


 求償。


 難しい言葉はいくらでもある。


 でも。


 結局のところ。


「危ない塀は、法律を調べる前に直す」


 所長が頷いた。


「正解」


「試験対策としては雑すぎません?」


「実務では満点だ」


 真壁さんが梨を抱えて笑いました。


「じゃあ二問目。危ない塀を放っといた大家は?」


「責任を負います」


「必要な注意してても?」


「所有者なら、それだけでは逃げられません」


「三問目。手抜き工事した奴は?」


「あとでちゃんと話をします」


「優しい言い方だな」


「求償します」


「急に怖くなった」


 私は笑いました。


 窓の外では、夕日が町の屋根を赤く染めていました。


 古い家。


 古い塀。


 古い看板。


 この町には、昭和よりずっと前から立っているものがいくつもある。


 それらはたぶん明日も、


 ――私はまだ大丈夫です。


 という顔をして立っている。


 だから人間のほうが、ときどき疑わなくちゃいけない。


 本当に大丈夫なのか。


 誰かに危険はないのか。


 そして、もし事故が起きてしまったなら。


 最初にするのは、責任から逃げることじゃない。


 傷ついた人を、置いていかないことだ。


 法律は、そのために。


 責任の順番まで決めている。


 私は梨をひとつ手に取った。


「真壁さん」


「なんだ」


「これ、一人一個ですよね?」


「早い者勝ちだ」


「法律で何とかなりません?」


「ならん」


「所長」


「民法にも梨の分配規定はない」


「役に立たない!」


 所長が笑った。


 真壁さんも笑った。


 私も、少し遅れて笑いました。


 昭和六十三年。


 バブルの町には、高い土地だけじゃなく。


 倒れそうな塀もある。


 どうやら宅建の勉強というのは、土地を売る話だけでは済まないらしい。


 ……次からは。


 物件を見る時、間取りより先に塀を見よう。


 十八歳の事務見習いとしては、少々渋すぎる決意をしながら。


 私は、一番大きな梨を確保しました。

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