[工作物責任]法理編 栞とお勉強
夕方の事務所で、私はノートを開きました。
今日の事件を、もう一度、最初から整理する。
古いブロック塀が倒れた。
通行人が怪我をした。
塀には、ひびや傾きがあった。
借主の宮川さんは、危険に気づいて大家の石黒さんへ何度も修理を求めていた。
でも、石黒さんは修理をしなかった。
そして塀が倒れた。
「……こうやって書くと、怖いなあ」
「何がだ?」
後ろから声がして、私は振り返りました。
真壁さんでした。
「また勝手に人のノート覗いてるんですか」
「机の上に広げてあるもんを覗くなってほうが無理だろ」
「プライバシーという概念を昭和にも導入してください」
「意味分からん」
私はため息をついて、ノートへ向き直りました。
「今日は、土地工作物責任です」
「塀が倒れたやつだな」
「はい」
私は大きく書きました。
土地工作物責任。
民法七百十七条。
「まず、そもそも何の制度なのか」
私はその下に続けます。
土地の工作物の設置または保存に瑕疵があり、それによって他人に損害が生じた場合、占有者または所有者が損害賠償責任を負う。
「……長い」
真壁さんが即座に言いました。
「法律の説明を一行目で嫌わないでください」
「もっと簡単に言え」
「じゃあ」
私は書き直しました。
危ない建物や塀のせいで人に損害が出たら、管理している人や持ち主が責任を負う。
「おお」
「分かりやすいでしょう」
「最初からそれでいいんだよ」
「試験ではそれだけだと落ちます」
「世知辛いな」
その通りです。
法律はだいたい、分かった気になったところで条件を足してきます。
「まず、『土地の工作物』って何だ?」
「建物だけじゃありません」
私は指を折りました。
「建物、塀、擁壁、看板、門、エレベーターなんかも問題になります」
「エレベーターも?」
「土地に接着して設置された設備として、工作物に含まれることがあります」
「つまり、土地そのものじゃなくて、人が人工的に作ったものか」
「だいたいそういう理解でいいです」
私はノートに書きます。
土地の工作物
・建物
・塀
・擁壁
・看板
・門
・その他、土地に人工的に設置された設備など
「で、今日の塀は当然これに入る」
「はい」
「じゃあ次」
真壁さんが勝手に先生みたいな顔をしました。
「瑕疵って何だ」
「お」
「今日何回も出てきたからな」
「成長してますね」
「上から言うな」
私は笑って、ノートに書きました。
瑕疵=通常備えるべき安全性を欠いていること。
「簡単に言えば、危ない状態ってことです」
「壊れてること?」
「それだけじゃありません」
私は首を振りました。
「作った時から危ない場合もあるし、最初は普通でも、管理が悪くて危なくなる場合もあります」
「今日の塀なら?」
「両方ありそうでした」
「施工不良と、放置か」
「はい」
私は二つに分けました。
設置の瑕疵
→ 作った時点から欠陥がある
保存の瑕疵
→ その後の管理が悪く、安全性を欠いた
「なるほどな」
「今日の塀は、鉄筋不足の可能性があるから設置の瑕疵。それに、傾きやひびを放置していたなら保存の瑕疵も問題になります」
「両方乗せか」
「ラーメンみたいに言わないでください」
「豪華だな」
「事故は豪華じゃないです」
私は赤鉛筆を持ちました。
「さて、ここからが宅建で一番大事です」
大きく書く。
占有者 → 所有者
「順番?」
「そうです」
「まず占有者なんだな」
「はい」
私は頷きました。
「工作物の瑕疵で損害が出た場合、まず責任を問われるのは占有者です」
「今日なら宮川さん」
「そうです」
「借主でも?」
「借主だからこそ、現実にその建物や塀を使って管理している占有者になり得ます」
真壁さんが腕を組みました。
「じゃあ大家より借主のほうが先なのか」
「そこがひっかけです」
私はノートに線を引きました。
一次責任者=占有者。
ただし――。
「ただし?」
「占有者には免責があります」
「来たな」
「何がです」
「法律の『ただし』」
「法律は、ただし書きでできてるところありますからね」
私は続けました。
占有者が損害の発生を防ぐために必要な注意をしていた場合、占有者は責任を免れる。
「今日の宮川さんは?」
「危険を大家に何度も知らせていた。手紙も出した。子どもを近づけないようにもしていた」
「だから免責される可能性が高い」
「はい」
私は大きく丸をつけました。
占有者
必要な注意をしていない
→ 責任を負う
必要な注意をしていた
→ 免責される
「じゃあ、占有者は過失責任って覚えればいいのか」
「試験対策としては、それでかなり強いです」
「注意してたかどうかが勝負」
「そうです」
私は少し考えてから、補足しました。
「もっと正確に言うと、占有者は『必要な注意をしたこと』を証明できれば免責される責任構造です」
「普通の不法行為と違うのか?」
「違います」
私は新しい欄を作りました。
一般不法行為――民法七百九条。
被害者が、相手の故意・過失などを主張立証する。
一方、土地工作物責任では、占有者側が『必要な注意をした』ことを示して免責を求める。
「被害者に優しい仕組みなんだな」
「そうです」
私は頷きました。
「塀が倒れて怪我した人に、『大家や借主の過失を全部調べて証明してください』って言ったら大変でしょう?」
「そりゃそうだ」
「だから、工作物に瑕疵があって損害が出たなら、被害者を守りやすい仕組みになってます」
真壁さんがノートを覗き込みました。
「で、占有者が免責されたら大家」
「はい」
私はその下に書きました。
占有者が必要な注意をしていた
→ 所有者が責任を負う
「そして」
私は赤鉛筆に持ち替えました。
超重要。
所有者は無過失責任。
「これですね」
「無過失責任ってのは?」
「自分に過失がなくても責任を負うってことです」
「石黒さんが『俺は知らなかった』って言ってたやつか」
「はい」
「知らなくても駄目」
「はい」
「ちゃんと注意してても?」
「それでも免責されません」
真壁さんが顔をしかめました。
「厳しいなあ」
「厳しいです」
「所有者に同情しないのか」
「しますよ」
私はペンを置きました。
「でも、被害者から見たらもっと大変です」
「……まあな」
「自転車で通ってただけなのに塀が倒れてきて、『大家も知らなかったから誰も払わない』って言われたら困るでしょう」
「そりゃ困る」
「だから最後は所有者が責任を負う」
そこへ所長がやってきました。
「そこは、理由も覚えておいたほうがいい」
「所長」
「所有者は、その工作物を所有して利益も支配もしている」
「はい」
「そして占有者が注意を尽くしていた場合まで、被害者に負担を押しつけるのは酷だ」
「だから所有者に最終責任を負わせる」
「そういうことだ」
私はノートに付け足しました。
所有者
→ 無過失責任
→ 必要な注意をしていても免責されない
「試験では、ここを逆にしてきそうですね」
「よくある」
所長が頷きます。
「『所有者も必要な注意をしていれば免責される』」
「誤り」
私と真壁さんが同時に言いました。
所長が少し笑いました。
「では、『占有者は常に責任を負う』」
「誤りです」
私は即答しました。
「必要な注意をしていれば免責されます」
「『所有者は過失がある場合だけ責任を負う』」
「誤り」
真壁さんが答える。
私は思わずそちらを見ました。
「真壁さん、すごい」
「馬鹿にしてただろ」
「してません」
「目がしてた」
「被害妄想です」
私はノートを整理しました。
工作物責任の基本構造
① 工作物に設置または保存の瑕疵がある
② それによって他人に損害が生じる
③ まず占有者の責任
④ 占有者が必要な注意をしていれば免責
⑤ その場合、所有者が責任を負う
⑥ 所有者は無過失責任
「これだけでもかなり出るな」
「はい」
「じゃあ今日の工務店は?」
「そこが次です」
私は新しい見出しを書きました。
求償。
「賠償した占有者や所有者は、損害の原因について責任がある第三者に求償できることがあります」
「今日なら施工業者」
「そうです」
「塀の鉄筋をちゃんと入れてなかったなら」
「その施工不良が事故の原因なら、責任を追及する余地があります」
真壁さんが首を傾げました。
「でも、それなら最初から怪我した人が工務店に請求すればいいんじゃないか?」
「できる場合もありますが、工作物責任の制度としては、まず占有者・所有者の責任を定めています」
「被害者をたらい回しにしないためか」
「そういう理解でいいと思います」
私はノートに矢印を書きました。
被害者
↓
占有者または所有者が賠償
↓
原因について責任のある施工業者等へ求償
「今日、所長が言ってましたね」
「何をだ?」
「被害者への対応と、施工業者への責任追及は分けて考えるって」
「ああ」
「これ、すごく大事だと思います」
私は少しゆっくり書きました。
被害者に対しては、まず工作物責任によって救済する。
その後、内部的に本当の原因者との負担関係を調整する。
「責任の順番だな」
「はい」
「誰が悪いか決める前に、誰が被害を埋めるか決める」
「そうです」
私は真壁さんを見ました。
「今日ちょっと賢くないですか?」
「今日ちょっとって何だ」
所長が笑いました。
「栞。もう一つ、試験で気をつけろ」
「何ですか?」
「工作物の所有者なら、誰でも最初から責任を負うわけじゃない」
「……あ」
私はノートを見ました。
「まず占有者なんですよね」
「そうだ」
所長が指で順番を示します。
「占有者がいる場合は、まず占有者の責任を見る」
「占有者が必要な注意をしていなければ、占有者が責任」
「必要な注意をしていたら?」
「所有者」
「そこを飛ばすな」
「はい」
私は大きく囲みました。
絶対に順番を飛ばさない。
占有者
↓
免責なら
↓
所有者
「宅建って、法律そのものより順番問題多いですよね」
「人間関係を整理できるかどうかを見るからな」
所長が言いました。
「誰が占有者か」
「誰が所有者か」
「工作物に瑕疵があるか」
「占有者は必要な注意をしたか」
「そこを順に見ろ」
私は頷きました。
A――所有者。
B――占有者。
C――施工業者。
D――被害者。
文字だけなら、やっぱり味気ない。
でも今日なら分かる。
Aは石黒さん。
Bは宮川さん。
Cは河原工務店。
Dは自転車で通っていた男性。
問題文のアルファベットに顔を当てはめるだけで、ずいぶん分かりやすくなる。
「よし」
私は最後に、試験用のまとめを書きました。
土地工作物責任・三行まとめ
① 占有者は、必要な注意をしていなければ責任を負う。
② 占有者が必要な注意をしていた場合、所有者が責任を負う。
③ 所有者は無過失責任。注意していても免責されない。
そして、その下。
賠償した者は、真の原因者に求償できることがある。
「どうです?」
私はノートを真壁さんへ向けました。
「俺でも分かる」
「最高評価ですね」
「ただ一個気になる」
「何です?」
「『所有者は無過失責任』って怖すぎないか」
「所有するって、そういう責任も引き受けることなんでしょうね」
「土地も建物も、持ってれば勝ちってわけじゃないと」
「はい」
私は少し笑いました。
「不動産って、『持ってる』だけで終わらないんですね」
所長が湯飲みを置きました。
「所有というのは、権利だけじゃない」
「責任もある」
「そういうことだ」
事務所の外は、もう夕暮れでした。
昼間まで騒がしかった道路も、少し静かになっています。
私は、今日倒れた塀を思い出しました。
事故が起きる前なら。
ただのひびだった。
ただの傾きだった。
ただの修理代だった。
でも、事故が起きれば。
怪我人が出る。
治療費が出る。
仕事を休むかもしれない。
生活にも影響する。
だから法律は、事故が起きたあとで、
「誰も悪くありませんでした」
では終わらせない。
まず、被害を受けた人を守る。
そのために。
占有者。
所有者。
そして必要なら、その先の原因者まで。
責任の道筋を作っている。
「栞」
「はい?」
真壁さんが、机の上に梨を置きました。
この前、石黒さんが持ってきたやつです。
「一個余ってた」
「ほんとですか」
「食え」
「ありがとうございます」
「ただし」
「法律みたいに言わないでください」
「皮は自分でむけ」
「そこは無過失責任で真壁さんが負ってください」
「意味が違う」
所長が吹き出しました。
私は梨を持ち上げながら、ノートの最後に一行だけ書き足しました。
土地工作物責任――
「誰が悪いか」だけでなく、
「まず誰が被害者を救うか」を決める法律。
そして、その下に。
占有者は注意すれば助かる。
所有者は注意しても逃げられない。
最後に原因者へ求償。
「……よし」
「覚えたか?」
真壁さんが聞きます。
「たぶん一生忘れません」
「なんで」
「塀が倒れるたびに思い出します」
「そんなに倒れてたまるか」
それもそうです。
昭和六十三年。
土地も建物も、持っているだけで値上がりすると信じられていた時代。
でも今日、私は一つ知りました。
不動産には、値段だけじゃなく。
責任も、くっついている。
しかも。
そっちは、相場が下がっても消えてくれない。
私は梨の皮をむきながら、心の中でそっと付け足しました。
――所有者、思ったより重い。
宅建の「所有権」という三文字が。
今日だけは、少しずっしり見えました。
以下に私の作品へのリンク貼ってます。是非、手に取って頂ければと思います。また、ついでに評価ブックマーク頂ければ幸いです。




