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宅建見習い栞の人情事件簿 〜転生したら昭和の不動産屋だったので、巻き込まれているうちに宅建過去問が解けるようになりました〜  作者: 条文小説
〈権利関係 配点14点/50点〉 債権

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[債務不履行]法理編 栞とお勉強

挿絵(By みてみん)

 夕方の事務所で、私は佐野印刷さんにもらったメモ帳を開きました。


 今日の事件を、もう一度、最初から整理する。


 佐野さんは土地を買った。


 売主の久世さんは、土地を引き渡して、所有権移転登記に必要な手続をする。


 買主の佐野さんは、代金を支払う。


 ところが決済日。


 久世さんは、登記に必要な準備を整えられていなかった。


 だから佐野さんは、


「そちらがきちんと履行できる状態になったら、こちらも代金を払います」


 と支払いを留保した。


 すると翌日、


「代金を払わなかった。債務不履行だ。解除する。違約金も払え」


 と請求された。


「……改めて考えても、怖いなあ」


 私はメモ帳の端を指で叩きました。


「何がだ?」


 案の定、真壁さんが後ろから覗き込んできます。


「人の三千万円を、ずいぶん気軽に先払いさせようとするところです」


「不動産屋は金額に麻痺するからな」


「さらっと怖いこと言わないでください」


「で、今日は何をまとめてる」


「債務不履行です」


「約束を守らないやつだろ」


「雑ですけど、正解です」


 私は最初のページに大きく書きました。


  債務不履行

  =債務者が約束どおりに債務を履行しないこと


「まず、“債務”からですね」


「そこからか?」


「ここを曖昧にすると、全部崩れます」


 私は今日の売買を図にしました。


  売主・久世さん


   義務

   → 土地を引き渡す

   → 所有権移転登記に協力する


   権利

   → 代金を受け取る


  買主・佐野さん


   義務

   → 代金を支払う


   権利

   → 土地の引渡しを受ける

   → 所有権移転登記を受ける


「相手に何かをしてもらえる権利が、債権」


「うん」


「自分が何かをしなければならない義務が、債務」


「うん」


「つまり売買契約って、一方だけが義務を負うんじゃなくて、お互いに債権と債務を持つんです」


 真壁さんが頷きました。


「今日の件なら、佐野さんだけが約束してたわけじゃない」


「そうです」


 私は赤鉛筆で囲みました。


  重要

  契約では「誰が、誰に、何をする義務を負っているか」を最初に整理する。


「これ、所長が言ってたやつだな」


「はい。“契約は片方だけの約束じゃない”」


「珍しく格好いいこと言ってたな」


「珍しくは余計です」


 その瞬間。


「聞こえてるぞ」


 事務机の向こうから、低い声が飛んできました。


 真壁さんが黙りました。


 私はノートに目を戻します。


 危ない。


 所長の聴覚、契約書の小文字より細かいところまで拾う。


「それで」


 私は次の見出しを書きました。


  債務不履行には、主に三つの型がある。


「三つ?」


「はい」


 私は一本ずつ指を立てました。


  ① 履行遅滞

  ② 履行不能

  ③ 不完全履行


「まず履行遅滞」


「遅れるやつだな」


「そのまんまです」


 私は書きます。


  履行遅滞

  =履行できるのに、期限になっても履行しないこと


「たとえば、決済日になった。買主は代金を払える。でも払わない」


「うん」


「これは典型的な履行遅滞です」


「今日の佐野さんも、表面だけ見ればそう見えるな」


「そこです」


 私はペン先で真壁さんを指しました。


「問題文で、“期限までに払わなかった”だけ見て、即、履行遅滞と決めつけたら危ない」


「なんで?」


「履行しなかったことに、正当な理由があるかもしれないからです」


「同時履行か」


「はい」


 私は少し後で詳しく書くため、横に星印をつけました。


  履行遅滞

  → 単に期限を過ぎただけではなく、

    履行しないことについて正当な理由がないかを確認。


「じゃあ履行不能は?」


「約束したことが、もうできなくなった場合です」


「たとえば?」


「売った建物が引渡し前に焼失して、もう引き渡せない、とか」


「なるほど」


 私は書きました。


  履行不能

  =債務を履行することが不可能になったこと


「で、不完全履行は?」


「履行はした。でも中身がちゃんとしてない」


「雑な仕事か」


「まあ、乱暴に言えば」


 私は少し考えました。


「たとえば、契約どおりの状態で引き渡すべきなのに、必要な部分が欠けた状態で履行したとか」


「一応やったけど、不十分」


「そうです」


  不完全履行

  =一応履行したが、契約内容どおりの完全な履行ではないこと


「試験では、この三つを区別できるようにしておけばいいんだな」


「まずはそうです」


 私は三つを並べました。


  履行遅滞  できるのに遅れる


  履行不能  もうできない


  不完全履行 やったけど不十分


「おお」


 真壁さんが頷きました。


「それなら覚えられる」


「でしょう?」


「最初からそれだけ書け」


「それだけだと試験に落ちます」


「世知辛いな」


「法律ですから」


「関係あるか?」


 たぶんないです。


 私は次に、大きく見出しを書きました。


  債務不履行があると、債権者は何ができるか。


「ここは三つですね」


「また三つか」


「法律、三つ好きなんですかね」


「知らん」


 私は書きました。


  原則として

  ① 損害賠償請求

  ② 強制執行

  ③ 契約解除


「今日の東央土地は、解除と違約金を言ってたな」


「はい」


「違約金は損害賠償と同じなのか?」


「契約上の違約金条項の内容によりますけど、少なくとも今日の本筋は、“債務不履行を理由に解除や損害賠償を主張できるか”です」


 私はまず損害賠償から整理しました。


  損害賠償請求

  =債務不履行によって生じた損害を金銭で賠償してもらうこと


「約束を破られて損したら、その損を埋めてもらう」


「そうです」


「強制執行は?」


「裁判などを通じて、強制的に権利を実現する手段です」


「金払わない相手の財産を差し押さえたり?」


「そういうイメージです」


 私は書きました。


  強制執行

  =国家の力を使って、債権を強制的に実現すること


「解除は?」


「契約関係そのものを解消することですね」


「もう取引やめる、と」


「はい。ただし」


 私は二重線を引きました。


「“債務不履行があったら、いつでも何でも即解除”ではありません」


「また条件があるのか」


「当然です」


「法律って素直じゃないな」


「人間が素直じゃないので」


「それは納得した」


 そこは即答なんですね。


「じゃあ」


 真壁さんが机の端にもたれました。


「そもそも、債務不履行ってどういう時に成立する?」


「そこが今日の大事なところです」


 私は大きく書きました。


  債務不履行について確認するポイント


  ① 約束どおり履行していないこと

  ② 履行しないことに正当な理由がないこと

  ③ 損害賠償請求では、債務者側に責任を帰すべき事情があるか


「三つじゃないか」


「またですね」


「法律、絶対三つ好きだろ」


「偶然です」


 ここは少し丁寧に整理する必要があります。


 特に「帰責事由」。


 宅建のテキストで初めて見た時、


 帰責?


 帰る責任?


 責任が帰宅するの?


 と思いました。


 もちろん違います。


「帰責事由って何だ?」


 真壁さんが聞きます。


「簡単に言えば、“その人側の責任だと言える事情”です」


「故意とか過失?」


「そうです。わざとやった、うっかりやった。あるいは、その債務者側の関係者に原因がある場合などですね」


 私は例を書きました。


  例


  入居者Aが同居人Bに、

  「家賃を振り込んでおいて」

  と頼んだ。


  Bが忘れた。


  → A本人が直接忘れたわけではなくても、

    A側の履行補助者の問題として扱われることがある。


「じゃあ、“俺は忘れてない。あいつが忘れた”じゃ逃げられない?」


「普通は、それで全部免責とはいきません」


「便利な言い訳なのにな」


「便利すぎる言い訳は法律が塞ぎます」


 私は大事なところを囲みました。


  帰責事由

  =債務者側に責任を負わせることが相当な事情


「ただし」


 私は続けました。


「ここは昔のテキストの言い回しをそのまま覚えるより、“損害賠償責任が発生するためには、債務者に責任を負わせるのが相当な事情が必要”という理解のほうがいいです」


「難しいな」


「なので試験では、まず具体例で見ます」


「事故で絶対にどうしようもなかったのか」


「はい」


「本人のミスなのか」


「はい」


「本人が頼んだ人のミスなのか」


「そうです」


「なるほど」


 真壁さん、こういう時だけ妙に飲み込みが早い。


「で」


 真壁さんが言いました。


「今日の佐野さんには帰責事由がなかった?」


「それ以前に、まず“支払わないことに正当な理由があった”という話です」


「同時履行の抗弁権」


「そうです」


 私は今日一番大きな字で書きました。


  超重要

  同時履行の抗弁権


「名前が長い」


「私もそう思います」


「もっと短くならんのか」


「“そっちがやるまで、こっちもやらない権”」


「それでいいじゃねえか」


「答案に書かないでくださいね」


 私は笑いながら、正式な意味を書きます。


  同時履行の抗弁権

  =双務契約で、相手方が債務を履行または履行の提供をするまで、

   自分の債務の履行を拒むことができる権利


「双務契約って?」


「お互いに債務を負う契約です」


「売買がそうか」


「典型です」


 私は今日の事件をもう一度図にしました。


  久世さん

   土地を引き渡す

   登記手続に協力する


     ⇅


  佐野さん

   残代金を支払う


「この二つは、原則として同時にやる」


「うん」


「だから売主が自分の履行をしないのに、買主だけに先に払えとは言えない」


「今日の話そのままだな」


「はい」


 私は書き足しました。


  売主が履行を提供しない

    ↓

  買主は代金支払いを拒める

    ↓

  正当な拒絶なので、直ちに履行遅滞とはならない


「ここ大事だな」


「めちゃくちゃ大事です」


 私は赤鉛筆で囲みました。


「問題文に、“買主が代金を払わなかった”と書いてあっても、それだけで債務不履行と決めない」


「相手が土地を渡そうとしてるかを見る」


「そうです」


「登記の準備もできてるか」


「そうです」


「そのうえで払わないなら?」


「今度は買主側が履行遅滞になり得ます」


 私は比較を書きました。


  ケース①


  売主

  「土地も渡せる。登記手続もできます」


  買主

  「でもお金ありません」


   → 買主側に債務不履行が成立し得る


  ケース②


  売主

  「土地を渡す準備ができてません」


  買主

  「なら、準備が整うまで代金は払いません」


   → 同時履行の抗弁権により、原則として正当な拒絶


「同じ“払ってない”でも全然違うな」


「そこなんです」


 私は頷きました。


「法律問題って、行為だけ見ると間違えます」


「じゃあ何を見る」


「理由と関係です」


「理由と関係?」


「誰が何をしなかったか。その人がしなかったのはなぜか。相手は自分の義務を果たしていたか」


「なるほど」


「“払ってない”“渡してない”だけで判断しない」


 私はノートに大きく書きました。


  債務不履行の問題では

  「何をしなかったか」だけでなく

  「なぜしなかったか」を見る。


     ◇


 そこへ所長がやってきました。


「進んでるか」


「はい。今、同時履行の抗弁権まで」


「そうか」


 所長は私のノートを覗き込みました。


「……また字が増えたな」


「法律をまとめてるんだから当然です」


「試験前に見返して、嫌にならないか?」


「それは否定できません」


 真壁さんが笑います。


「所長、もっと一発で覚えられる言い方ないんですか」


 所長は少し考えました。


 そして私のペンを取りました。


 ノートの余白に、二行だけ書きます。


  債務不履行

  =約束を守らないこと


  ただし、

  「守らなかった理由」を必ず見る


「……」


 私はその二行を見つめました。


「シンプルですね」


「試験問題は、余計な言葉を足して受験生を迷わせる」


「はい」


「だから最初に、事実を単純化しろ」


 所長は続けました。


「誰が約束した」


「誰が守らなかった」


「なぜ守らなかった」


「相手は自分の約束を守ろうとしていたか」


「そうだ」


 私は箇条書きにしました。


  債務不履行問題の読み方


  ① 誰が債務者か

  ② どんな債務を負っているか

  ③ 期限は来ているか

  ④ 履行できるのか

  ⑤ 履行しない正当な理由はあるか

  ⑥ 相手方は自分の債務を履行しているか

  ⑦ 損害賠償なら、債務者側に帰責事由があるか


「七個になったぞ」


 真壁さんが言いました。


「三つ好き説、崩れましたね」


「残念だな」


「何がですか」


 私は最後に、今日の内容を一枚にまとめました。


  【債務不履行まとめ】


  ■債務不履行とは


  契約などによって負っている義務を、

  約束どおり履行しないこと。


  ■主な三類型


  ①履行遅滞

   履行できるのに、期限を過ぎても履行しない


  ②履行不能

   履行そのものができなくなる


  ③不完全履行

   一応履行したが、内容が契約どおりではない


  ■債務不履行がある場合の主な手段


  ・損害賠償請求

  ・強制執行

  ・契約解除


  ■損害賠償で重要


  債務者側に責任を帰すべき事情があるかを確認する。


  ■さらに重要


  履行しないことに正当な理由があるなら、

  単純に「約束を破った」とはいえない。


  ■代表例


  同時履行の抗弁権


  売主が土地を引き渡そうとしない

    ↓

  買主も代金支払いを拒める


  売主が土地を引き渡す準備を整えている

    ↓

  それでも買主が払わない

    ↓

  買主側の債務不履行になり得る


「……よし」


 私はペンを置きました。


「終わったか?」


「だいたい」


「“だいたい”って法律で一番怖いやつだぞ」


「真壁さんに言われたくありません」


「なんでだ」


「契約書読むとき、“まあこんなもんだろ”って言いそうだからです」


「俺を何だと思ってんだ」


「昭和の営業マン」


「合ってるけど失礼だな」


 所長が小さく笑いました。


 私はもう一度、今日の事件を思い返しました。


 佐野さんは、代金を払わなかった。


 そこだけ切り取れば、


 約束を破った人。


 でも実際には違った。


 払う準備はしていた。


 相手が土地をきちんと引き渡せるなら、その場で払うつもりだった。


 だからこそ、同時履行の抗弁権が意味を持った。


 法律は、


「約束を守れ」


 とだけ言っているわけではない。


「相手だけに守れと言う前に、自分の約束も守れ」


 とも言っている。


 私はノートの最後に、一行書きました。


  債務不履行――

  「やらなかった」という事実だけで決めつけない。


 その下に、もう一行。


  契約は、双方の約束を並べて見る。


「栞」


 真壁さんが机に何か置きました。


 缶コーヒー。


「またですか?」


「昨日の分は百円請求したからな」


「まだ言ってるんですか」


「今日はサービス」


「じゃあ債務じゃないですね」


「お前、いちいち法律にするな」


「真壁さんが始めたんでしょう!」


 所長まで笑っていました。


 私は缶コーヒーを両手で包みます。


 ほんのり温かい。


 教科書で読んでいた頃、


 債務不履行という言葉は、ただの四文字でした。


 履行遅滞。


 履行不能。


 不完全履行。


 帰責事由。


 同時履行の抗弁権。


 見れば見るほど、眠くなる単語ばかり。


 でも今は違う。


 そこには佐野さんがいる。


 三千万円を用意して銀行で待っていた人がいる。


 権利証をなくして焦った久世さんがいる。


 そして、片方の約束だけを切り取れば壊れそうだった契約がある。


 法律は、人を疑うためだけにあるわけじゃない。


 約束をどう公平に扱うか。


 その順番を決めるためにある。


 私はメモ帳を閉じました。


 昭和六十三年。


 まだまだ分からないことばかりです。


 でも、一つだけなら今日、自信を持って言えます。


 誰かが、


「約束を守ってない!」


 と怒鳴ったら。


 まず確認すること。


 ――約束を守っていないのは、本当にその人だけですか?


 たぶん、それだけで。


 見える景色は、かなり変わります。

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