[成年被後見人]法理編 栞とお勉強
東城開発との話が片づいた翌日。
私は朝から、昨日の事件をノートにまとめていました。
こういう日は、知識がよく頭に入ります。
……いや。
正確に言うと、事件が怖かったので、忘れないように必死で書いているだけです。
民法は、身をもって体験すると本当によく覚えられます。
できれば体験したくありませんけど。
「またノートか」
コーヒーを片手に、真壁さんが覗き込んできました。
「はい。昨日の成年被後見人の件、整理しておこうと思って」
「俺は昨日のうちに覚えたぞ」
「何をですか?」
「成年後見人には同意権がない」
「……そこだけ?」
「そこが一番大事だっただろ」
確かに。
昨日の事件そのものが、まるごとその論点でした。
「じゃあ、今日はそこから整理します」
「頼む」
私はノートの一番上に、大きく書きました。
そもそも「成年被後見人」って誰?
まず、ここ。
成年被後見人とは、判断能力を欠く状況にあり、家庭裁判所から後見開始の審判を受けた人
です。
典型的なイメージとしては、重い認知症の方など。
ただし、「成年被後見人=認知症の人」という意味ではありません。
知的障害や精神上の障害などによって、判断能力を欠く状況にある人も対象になります。
「つまり、年齢で決まる未成年者とは違うんだな」
真壁さんが言いました。
「そうです」
未成年者は、十八歳未満という年齢が基準。
一方、成年被後見人は、判断能力を欠く状況+家庭裁判所の後見開始の審判
です。
ここは対比すると分かりやすい。私はノートに並べました。
«未成年者 → 年齢で保護»
«成年被後見人 → 判断能力を欠く状況にあることについて、家庭裁判所の審判を受けて保護»
「なるほどな」
真壁さんが頷きました。
「だから、見た目が大人かどうかは関係ない」
「そうです」
昨日の高梨さんのご主人も、そうでした。
普通に会話している。
機嫌もいい。
質問にも答える。
でも、それだけで重大な法律行為を任せていいとは限らない。
だからこそ、法律が制度として保護する。
次。成年被後見人が契約したらどうなる?
ここも試験では重要です。
成年被後見人がした法律行為は、原則として取り消すことができる。
土地の売買。
建物の贈与を受ける契約。その他、日常生活とはかけ離れた重大な法律行為。原則として取消しの対象になります。
「昨日の自宅売却も?」
「もちろんです」
「本人がちゃんと説明を聞いて、うなずいていても?」
「原則として、です」
「本人がその日は妙にしっかりしていても?」
「それでも、原則は変わりません」
ここが、成年被後見人の重要ポイント。私はノートに赤線を引きました。
«その時たまたま判断できそうに見えたとしても、原則として取消し可能。»
「これ、ちょっと不思議なんだよな」
真壁さんが言いました。
「昨日はちゃんと分かってたんじゃないか、って考えちゃう」
「そうなんです」
家族なら、なおさらそう思うでしょう。
今日は調子がいい。
今日はちゃんと話せる。
今日は昔みたいだ。
でも、その一瞬だけを基準にすると、成年後見制度そのものが不安定になります。
だから法律は、後見開始の審判を受けているという制度上の状態を重視する。
「つまり、“今日は大丈夫そうだった”を毎回争わなくていいようにしている」
所長が新聞から顔を上げました。
「そういう面もある」
「なるほど……」
私はノートに小さく書き足しました。
«見た目の一時的な状態だけで判断しない。»
「じゃあ、成年被後見人がコンビニでお菓子を買っても、毎回取り消せるのか?」
真壁さんが聞きました。
「そこです」
私は待ってましたとばかりにページをめくりました。
日用品の購入その他日常生活に関する行為は、取り消すことができません。
たとえば、
・食料品を買う
・衣料品を買う
・シャンプーを買う
・日常生活に必要なものを買う
こういった行為まで、いちいち取り消せることにしてしまったら、本人の日常生活が回りません。
「シャンプーは買える」
「はい」
「でも自宅は売れない」
「はい」
「境界線がすごいな」
「でも、分かりやすいですよ」
私は笑いました。
«シャンプー → 日常生活»
«自宅 → 人生の基盤»
同じ「買う・売る」という法律行為でも、重さが全然違います。
「じゃあ、建物の贈与を受ける契約は?」
真壁さんが聞きました。
「前の問題ですね」
私は頷きました。
「取り消せます」
「もらう側なのに?」
「はい」
未成年者の場合、「単に権利を得るだけ」の行為は取消しの例外になります。
でも成年被後見人では、そういう一般的な例外はありません。
日用品の購入その他日常生活に関する行為でなければ、原則として取消しの対象です。
「つまり、成年被後見人は」
私は整理しました。
«日常生活は自分で行える。でも、重大な法律行為については強く保護される。»
「この線引き、覚えておいたほうがいいな」
「はい」
そして本丸。「成年後見人に同意権はない」
私は、ノートの真ん中に大きく書きました。成年後見人には同意権がない
昨日の事件そのものです。
「未成年者のときは、法定代理人に同意権があったよな」
「ありました」
「なのに成年後見人にはない」
「ありません」
「でも成年後見人は法定代理人なんだろ?」
「そうです」
「……ややこしいな」
「だから試験に出るんです」
「身も蓋もない」
私は笑いながら、理由を書きました。
成年後見人に同意権がない理由。
それは、
成年被後見人が、後見人の同意を受けたからといって、その同意内容をきちんと理解し、そのとおりに法律行為を行えるとは限らないから。
未成年者の場合、
「この契約をしていいですよ」
と法定代理人が同意することで、本人の行為を有効にする仕組みがあります。
でも成年被後見人の場合は、そもそも判断能力を欠く状況にある。
だから、
「後見人が横で『いいですよ』と言ったから本人の契約を有効にする」
という仕組みにはしていません。
「なるほどな」
真壁さんが言いました。
「だから昨日、“奥さんがその場にいたから大丈夫”はダメだったわけだ」
「そうです」
私はノートに太字で書きました。
«成年後見人が同意しても、本人の法律行為を有効にすることはできない。»
そして、その下にさらに。
«成年後見人には同意権がない。»
「ここ、絶対覚えます」
「俺も覚えた」
「じゃあ、忘れないように」
「もう一回言うか?」
「お願いします」
「成年後見人には――」
「同意権がない」
「完璧」
ここで疑問。
同意権がない。では、成年後見人は何をするのか。
答えは、ちゃんとあります。
私は三つ書きました。
«取消権 追認権 代理権»
「三つ」
「はい」
「同意権は?」
「ない」
「四つ並べて覚えるわけだな」
「そうです」
これ、試験ではかなり重要です。
成年後見人の権限
① 取消権
成年被後見人がした取消可能な法律行為を、取り消すことができます。
② 追認権
取消しできる法律行為について、後から「この行為を有効なものとして認めます」とすることができます。
③ 代理権
成年被後見人に代わって、法律行為をすることができます。
そして、
④ 同意権はない。
「取消し、追認、代理」
真壁さんが指折り数えます。
「同意はない」
「そうです」
「“取り消す・認める・代わりにやる”はできる。でも“本人がやるのを事前にOKする”権限はない」
「完璧です」
私は思わず丸をつけました。
ここは、もう一段深く。
同意と代理。
似ているようで、まったく違います。
たとえば、
「本人が売ります。後見人が横で『いいですよ』と言う」
これが同意のイメージ。
でも成年後見人には、その同意権がない。
一方、
「本人に代わって、成年後見人自身が売主として法律行為をする」
これが代理です。
「本人がやるのと、後見人が代わりにやるのは別なんだな」
「はい」
私はノートに大きく書きました。
«同意=本人がする行為を事前に認める 代理=本人に代わって法律行為をする»
この違いは、かなり大切です。
「だから昨日のケースでも、奥さんが後見人だからといって、本人の横で“どうぞ”と言うだけでは足りない」
「そのとおりです」
所長が頷きました。
「必要なら、後見人自身が本人を代理して法律行為をする」
「でも、自宅の売却なら、それだけでも足りない」
「そうだ」
所長が答えました。
「居住用不動産だからな」
ここも宅建では重要です。
成年後見人が、成年被後見人に代わって、その人が住んでいる建物や敷地について、
・売却
・賃貸
・賃貸借の解除
・抵当権の設定
・その他これらに準ずる処分
をする場合。家庭裁判所の許可が必要です。
「後見監督人がいる場合は?」
私が聞くと、所長は即答しました。
「後見監督人の許可だけでは足りない」
「家庭裁判所の許可」
「そうだ」
私はノートに二重線を引きました。
«居住用不動産の処分 → 家庭裁判所の許可»
ここ、昨日の事件そのものです。
成年後見人が本人を代理している。
それだけで、
「じゃあ売っていい」
とはならない。
本人の生活の基盤である居住用不動産だから、さらに家庭裁判所のチェックを入れる。
「つまり」
真壁さんが言いました。
「本人が自分で売るのもダメ。後見人が代わりに売るのも、勝手にはダメ」
「そういう理解でいいです」
「厳重だな」
「それだけ自宅が重要ってことですよ」
家は、単なる財産ではありません。住む場所です。生活そのものです。だから法律は、通常の財産より慎重に扱う。
次。
成年後見人は、家庭裁判所が選任します。本人の家族が、
「今日から私が成年後見人です」
と勝手になれるわけではありません。
家庭裁判所が選任する。
しかも、
複数の成年後見人を選任することもできます。
「一人とは限らないんだな」
「はい」
「法人が成年後見人になることもある」
「そうです」
私は書き足しました。
«成年後見人 → 家庭裁判所が選任 → 複数選任も可能 → 法人もなれる → 法定代理人»
「最後の“法定代理人”も大事ですね」
「うん」
成年後見人は、法律によって代理権を与えられている。
だから法定代理人です。
ただし、
法定代理人=同意権がある
ではありません。
ここが罠。
「また出たな」
真壁さんが言いました。
「“同意権がない”」
「はい」
ここで、昨日の話に出てきた甥御さんの話を思い出しました。
未成年後見人。
成年後見人。
名前が似ています。でも、選任方法には違いがあります。
成年後見人 → 家庭裁判所が選任する。
一方、
未成年後見人 → 家庭裁判所が選任する場合もあるが、最後の親権者が遺言で指定することもある。
「つまり」
真壁さんが言いました。
「成年後見人は必ず家庭裁判所が選ぶ。でも未成年後見人は、必ずしもそうじゃない」
「そのとおりです」
これも過去問で狙われています。
似た言葉を並べて、
「どちらも必ず家庭裁判所が選任する」
と勘違いさせる。
こういう問題、宅建は好きです。
「宅建って、ほんとに“似てるけど違う”を狙ってくるよな」
「法律は、そこをちゃんと区別してほしいんでしょうね」
「受験生からすると嫌がらせだけどな」
「否定できません」
ここも大事。
成年被後見人だからといって、
「何をしてもダメ」
というわけではありません。
日用品を買うこと。
日常生活に関する行為。
こうしたことは、本人が普通に行えます。
そして、それを取り消すこともできません。
「そうじゃないと生活できないからな」
「はい」
保護とは、本人の生活を全部取り上げることではない。危険な法律行為について、本人を守ること。
その一方で、日常生活については本人の自由を尊重する。
そこにはちゃんと線があります。
「なるほど」
真壁さんが頷きました。
「“保護する”と“何もさせない”は違うんだな」
その言葉を聞いて、私はノートに書きました。
«成年後見制度は、本人の生活を奪う制度ではなく、重大な法律行為から本人を守る制度。»
所長が静かに言いました。
「それを忘れるな」
私は、昨日の事件を一行ずつ並べてみました。
① 高梨さんの夫は成年被後見人
→ 家庭裁判所の後見開始の審判を受けている。
② 本人が自宅の売買契約をした
→ 日常生活に関する行為ではない。
③ 原則として取消し可能
→ 「その日はしっかりしていた」だけでは原則を変えない。
④ 奥さんは成年後見人
→ でも、成年後見人には同意権がない。
⑤ 「後見人が同意したから有効」にはならない
→ 同意権がないから。
⑥ 成年後見人には代理権がある
→ 必要なら本人を代理して法律行為をする。
⑦ ただし居住用不動産の処分
→ 家庭裁判所の許可が必要。
⑧ 後見監督人がいたとしても
→ その許可だけでは足りない。
ここまで書いて、私はペンを置きました。
「……きれいにつながりました」
「事件一個で、だいぶ勉強したな」
「はい」
真壁さんがノートを見ながら言いました。
「最初は“成年被後見人は取消しできる”だけだったのに」
「そこから、同意権、代理権、居住用不動産、家庭裁判所、未成年後見人までつながりました」
「これが栞のノートか」
「そうです」
「事件から勉強するタイプ」
「事件が起きないと覚えられないタイプです」
「それはちょっと困るな」
「私もそう思います」
最後に、私は「試験注意」と書いたページを作りました。
要注意①
成年後見人には同意権がある
→ 誤り
ありません。
成年後見人にあるのは、
取消権・追認権・代理権。
同意権はありません。
要注意②
成年被後見人が、その日にしっかりしていたなら、その法律行為は取り消せない
→ 誤り
後見開始の審判を受けている成年被後見人である以上、原則として取消し可能です。
ただし、
日用品の購入その他日常生活に関する行為
は取り消せません。
要注意③
成年後見人がいれば、成年被後見人の居住用建物を自由に売却できる
→ 誤り
成年後見人が本人を代理して居住用不動産を処分する場合、
家庭裁判所の許可が必要です。
要注意④
後見監督人がいるなら、後見監督人の許可だけで居住用不動産を処分できる
→ 誤り
必要なのは、
家庭裁判所の許可。
要注意⑤
成年後見人も未成年後見人も、必ず家庭裁判所が選任する
→ 誤り
成年後見人は家庭裁判所が選任します。
しかし、未成年後見人は、最後の親権者が遺言で指定することもあります。
私は最後に、今日の知識を一枚にまとめました。
成年被後見人 最終整理
«成年被後見人
判断能力を欠く状況にあり、家庭裁判所の後見開始の審判を受けた人
↓
法律行為
原則、取消し可能
↓
例外
日用品の購入その他日常生活に関する行為は取消し不可
↓
成年後見人
家庭裁判所が選任
複数選任も可能
法定代理人
↓
権限
取消権・追認権・代理権
↓
ないもの
同意権
↓
居住用不動産の処分
家庭裁判所の許可が必要»
そして、その下に一行。
«「後見人が同意したから大丈夫」は、大丈夫ではない。»
私は満足して、ペンを置きました。
「完成したか?」
真壁さんが聞きます。
「はい」
「見せてみろ」
「どうぞ」
真壁さんがノートを眺めます。
「……同意権がない、三回くらい書いてあるぞ」
「大事なので」
「分かった分かった」
そのとき、所長が笑いました。
「いいんじゃないか」
「本当ですか?」
「ああ」
所長はノートを指差しました。
「法律の知識は、単語だけ覚えても忘れる」
「はい」
「でも、なぜその制度があるのかまで分かれば、忘れにくい」
私は昨日の高梨さんを思い出しました。
夫が一時的にしっかりして見えた。
だから家族は迷う。
相手方も「本人は納得していた」と言う。
そこで法律が、
「だからこそ、制度として守ります」
と線を引く。
それが成年後見制度なのだと思います。
「所長」
「なんだ」
「成年後見人に同意権がないのって、やっぱり大事ですね」
「そうだな」
「守る人がいることと、その人の同意で本人の契約を有効にできることは、別なんですね」
「そのとおりだ」
私は、その言葉をノートの最後に書きました。
«守る人が横にいることと、その人が本人の法律行為を有効にできることは、別である。»
書き終えて、私は少しだけ考えました。
未成年者には、まだ一人で重い判断を任せるには早いから、法定代理人の同意を求める。
成年被後見人には、判断能力を欠く状況にあるから、本人の重大な法律行為を取り消せるようにする。
似ているようで、仕組みは違う。
未成年者には同意権がある。
成年後見人には同意権がない。
この違いを知ると、昨日の事件が急に一本の線でつながりました。
法律は、ただ人の自由を奪っているわけじゃない。
その人が自分で背負うには重すぎるものを、誰かと制度で支える。
そのために、わざと少し不自由にしている。
「……なんか、民法って優しいですね」
私がぽつりと言うと、
「試験問題は優しくないけどな」
真壁さんが即答しました。
「それはそうです」
所長まで笑っています。
私はノートを閉じました。
今日覚えたこと。
成年被後見人は、成年者だけど、法律上は強く保護される。
原則、法律行為は取り消せる。
日常生活は、自分でできる。
成年後見人には、取消権・追認権・代理権がある。
でも――
同意権はない。
これだけは、もう絶対に忘れません。
なにしろ昨日、
「後見人がその場にいたから大丈夫」
という言葉が、
一番大丈夫じゃなかったのですから。
私は最後に、ノートの隅へ小さく書きました。
«成年後見人――「同意」ではなく、「取消・追認・代理」。»
よし。
これで、たぶん大丈夫。
……たぶん。
宅建の問題文が、ひっくり返してこなければ。
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