[抵当権の侵害]法理編 栞とお勉強
夕方の事務所で、私はノートの真ん中に大きく書きました。
抵当権の侵害。
その下に、さらに一行。
――抵当権って、そもそも何を守っているの?
「……ここから考えないと、たぶん全部ごちゃごちゃになるな」
「何がだ?」
声と一緒に、机の横から顔が出ました。
真壁さんです。
「うわっ」
「人の顔見て驚くな」
「気配消して後ろから覗かないでください」
「堂々と覗いてたぞ」
「なお悪いです」
真壁さんは、私のノートを指差しました。
「今日の山の話か」
「はい」
「木を切ったら駄目。不法占拠も駄目。簡単じゃねえか」
「それで覚えると試験で死にます」
「怖い言い方するな」
「だって、今日の柴崎さんが山に建物を建てただけだったら、原則として抵当権侵害じゃないんですよ」
「……あれ?」
ほら来た。
私は赤鉛筆を持ちました。
「そこからです」
◇
まず、抵当権の基本。
抵当権というのは、
「お金を返してもらえなかった場合に、目的物を競売して、その代金から優先的に弁済を受けることのできる権利」
です。
でも、質権などと大きく違うところがあります。
「目的物を取り上げないんです」
「今日の山も、柴崎さんが持ったままだったな」
「そうです」
私はノートに書きました。
【抵当権】
目的物の占有を抵当権者に移さない。
抵当権設定者は、原則としてそのまま目的物を使用・収益できる。
「つまり、金融会社が抵当権を持ってても、柴崎さんは山へ入っていい」
「はい」
「木の手入れも?」
「もちろん」
「倉庫を建てるのも?」
「それだけで直ちに侵害になるとは限りません」
「じゃあ建物建て放題なのか」
「だから極端なんですよ」
真壁さんは、法律を説明すると必ず崖の端まで走っていきます。
私はノートの横に一本線を引きました。
「抵当権を設定したからといって、所有者の土地利用が全部禁止されたらおかしいでしょう?」
「まあな」
「土地を担保に入れた瞬間、何もできなくなるなら、抵当権設定者の手元に土地を残している意味がありません」
「なるほど」
「だから、普通に使っているだけならいいんです」
私は大きく書きました。
超重要!
抵当権設定者には、原則として目的物を使用・収益する権利がある。
「じゃあ、今日の柴崎さんは何がいけなかった?」
「そこです」
私はその下へ書き足しました。
問題になるのは、
抵当不動産の「担保価値」を害する行為。
「担保価値?」
「もし借金を返してもらえなくなったら、抵当権者はその不動産を競売して回収しますよね」
「うん」
「だったら、その時に目的物の価値が激減していたら?」
「困る」
「ですよね」
私は頷きました。
「たとえば一千八百万円の価値がある山林を担保に一千五百万円貸したとします」
「うん」
「ところが所有者が、価値の高い立木をどんどん切って売る」
「ああ」
「その結果、山林の価値が一千万円まで下がった」
「貸した方はたまったもんじゃないな」
「そういうことです」
つまり。
抵当権というのは、土地そのものを占有する権利ではない。
でも。
その土地の「交換価値」を把握している権利です。
「交換価値?」
「簡単に言えば、売った時にいくらになるか、という価値です」
「最初からそう言えよ」
「法律の勉強なので、一回は難しい言葉を使わせてください」
「なんでだよ」
「雰囲気です」
勉強は時々、雰囲気も大事です。
◇
「じゃあ」
真壁さんが椅子を引いて座りました。
「担保価値を壊されたら、抵当権者はどうできるんだ?」
「大きく分けると、今日覚えたいのは四つです」
私は指を一本立てました。
「一つ目。侵害行為の差止め」
二本目。
「二つ目。返還請求」
三本目。
「三つ目。不法占有者に対する妨害排除」
四本目。
「四つ目。不法行為に基づく損害賠償」
「今日だけでフルコースだったな」
「本当にそうですよ」
私はノートに番号を振りました。
①侵害行為の差止め
②返還請求
③妨害排除請求
④不法行為に基づく損害賠償請求
「順番にいきます」
「先生」
「誰が先生ですか」
「十八歳の事務見習い」
「肩書きが弱すぎる」
◇
まず一つ目。
侵害行為の差止め。
「今日、柴崎さんが杉を切ってましたよね」
「ああ」
「しかもトラックに積んで、運び出そうとしていた」
「うん」
「もし、その伐採や搬出によって抵当不動産の担保価値が害されるなら、抵当権者はそれを止めるよう請求できる場合があります」
「『木を持っていくな』って?」
「そうです」
私はノートに書きました。
①侵害行為差止請求
抵当権の目的物について、担保価値を害する行為が行われようとしている場合、
抵当権者は、その侵害行為の停止を求めることができる。
「でも木は土地じゃないだろ?」
「いいところに気づきました」
「だろ?」
「たまには」
「余計だ」
土地に生えている樹木は、原則として土地の構成部分として扱われます。
したがって、抵当権の効力が及ぶ範囲に含まれることがあります。
だから。
土地に抵当権を設定しておいて、
「土地そのものは持っていかないよ。でも高価な木だけ全部切って売るね」
では済まない。
「土地は残ってるじゃねえか、は通じないわけだ」
「そうです」
「中身だけ抜くな、と」
「山を缶詰みたいに言わないでください」
ただし。
ここにも注意が必要です。
木を一本切っただけで、即座に抵当権侵害になるわけではありません。
「また出たな」
「何がです?」
「ただし」
「法律は“ただし”でできてるんです」
たとえば。
山林を適切に維持するための間伐。
枯れ木や危険木の除去。
通常の管理行為。
こうしたものまで全部禁止されるわけではありません。
「つまり?」
「判断の軸は、木を切ったかどうかじゃないんです」
私は赤い線を引きました。
見るべきなのは、
「その行為によって担保価値が害されるか」。
「今日、所長が言ってたやつだな」
「はい」
「所有者が何かしたから侵害、じゃない」
「そうです」
「担保価値を害したら侵害」
「そこです」
真壁さんが少し得意そうな顔をしました。
成長している。
悔しい。
◇
「じゃあ二つ目」
「返還請求です」
「もう持っていかれた場合か」
「そうです」
抵当権の効力が及ぶ物を、第三者が持ち去ってしまった。
その結果、担保価値が侵害されている。
そんな場合には、返還を求められることがあります。
私はノートに大きく書きました。
②返還請求
「じゃあ金融会社が言えるわけだな」
真壁さんが腕を組みます。
「『丸太をうちの事務所へ持ってこい』って」
「ブブー」
「なんだよ!」
「そこ、試験で狙われそうなところです」
私は赤鉛筆で大きな×を書きました。
原則、
「抵当権者に返せ!」
ではない。
「なんで?」
「抵当権の性質を思い出してください」
「……占有しない?」
「正解です」
抵当権者は、そもそも目的物を自分の手元に置く権利を持っているわけではありません。
土地も建物も、抵当権設定者のところに置いたままにする。
それが抵当権です。
「だから?」
「持ち去られた物を戻すとしても、基本的な発想は――」
私はノートに書きました。
所有者のもとへ返せ。
「なるほど」
「抵当権者の倉庫へ運び込む権利じゃないんです」
「抵当権者が自分で持ってたら質権みたいになるもんな」
「そういうイメージです」
これはかなり重要です。
抵当権侵害の問題を見ると、
「抵当権者を守るんだから、抵当権者へ返せばいい」
と考えたくなります。
でも。
抵当権者が守りたいのは「自分の占有」ではありません。
「担保価値だ」
「正解!」
「なんだよその先生みたいな反応」
私はノートの横に星を描きました。
重要!
抵当権は目的物の占有を取得する権利ではない。
したがって、返還請求を考えるときも、
「抵当権者自身が物を持つ権利」
と勘違いしない。
◇
「次」
「三つ目です」
「今日のプレハブ男か」
「はい」
私は少しだけ筆圧を強くしました。
③不法占有者に対する妨害排除請求
今日、柴崎さんの山林には、知らない男が勝手にプレハブを建てて住んでいました。
不法占有です。
「これは簡単だろ」
真壁さんが言いました。
「不法占有なら、抵当権者が『出ていけ』と言える」
「半分正解です」
「また半分かよ」
「試験って、こういうところを突いてくるんです」
抵当権者は所有者ではありません。
だから、
「俺には抵当権がある。だから所有者と同じように何でも追い出せる」
というわけではありません。
「じゃあ何が必要なんだ?」
「不法占有によって、抵当権者の優先弁済権の行使が困難になるような状態です」
「……日本語が急に法律になったぞ」
「じゃあ簡単にします」
私は書き直しました。
不法占有のせいで、
抵当不動産が売りにくくなる。
値段が下がる。
競売が邪魔される。
↓
抵当権の実行が困難になる。
「これなら分かる」
「でしょう?」
たとえば。
競売に出そうとした土地に、誰かが勝手に小屋を建てて住み着いている。
しかも大量の荷物やゴミが置かれている。
買う側からすれば、
「落札したあと、この人を退去させないといけないの?」
となります。
当然、買いたくない。
「競売価格も下がりそうだな」
「そうなんです」
「で、抵当権者が困る」
「はい」
そのような場合には、抵当権者が妨害排除を求めることができます。
最高裁も、第三者による占有によって抵当不動産の交換価値の実現が妨げられ、抵当権者の優先弁済請求権の行使が困難になるような状態では、抵当権に基づく妨害排除を認めています。
「じゃあ、問題文で“不法占有者がいる”って書いてあったら?」
「即、追い出せると思わないことです」
「なんで?」
「不法占有の存在だけを見るんじゃなくて、その占有が抵当権の実行を妨げているかを見るからです」
「なるほど」
私は赤鉛筆を握りました。
試験ポイント!
× 不法占有者がいる
↓
必ず抵当権者が明渡しを請求できる
○ 不法占有により抵当不動産の交換価値の実現が妨げられ、
抵当権の実行が困難になる
↓
妨害排除請求が認められ得る
「“事情にかかわらず抵当権者は妨害排除できない”って問題が出たら?」
「誤りです」
「即答だな」
「そこは過去問でも大事なところです」
私はさらに書き加えました。
不法占有者に対する妨害排除には、
①抵当権そのものに基づいて妨害排除を求める考え方
②所有者の妨害排除請求権を、抵当権者が代位行使する方法
が問題になる。
「代位って、今日所長が言ってたな」
「はい」
「柴崎さんが持ってる『出ていけ』を、金融会社が代わりに使う」
「ざっくり言えば、そうです」
「じゃあ金融会社は、自分のところに土地を明け渡せって言えるのか?」
私は真壁さんを見ました。
「……今日、妙に鋭いですね」
「俺だって学習するんだよ」
「失礼しました」
ここは少し難しい。
基本的には、抵当権は占有を取得する権利ではない。
しかし判例上、一定の場合には、抵当不動産の所有者が占有を適切に維持管理することが期待できないなどの事情のもとで、抵当権者が不法占有者に対して、直接自己への明渡しを求めることが認められる場合があります。
「え?」
「ここは少し上級です」
「さっき、抵当権者は自分のところに返せないって言っただろ」
「だから法律は油断できないんです」
「ずるいな法律!」
「法律に怒らないでください」
私は整理して書きました。
注意!
抵当権者は、原則として目的物を自分で占有する権利を持たない。
しかし、不法占有によって抵当権の実行が妨げられ、
所有者による適切な占有管理も期待できないなど、
一定の場合には、
抵当権者への直接の明渡しが認められることもある。
「つまり、試験で“絶対に直接自己への明渡しを求められない”って出たら?」
「危ないです」
「逆に“いつでも直接自分に明け渡せと言える”も?」
「それも駄目です」
「……法律って、絶対って言った方が負けるゲームなのか?」
「宅建では割とそういうところあります」
「嫌なゲームだな」
同感です。
◇
「四つ目は?」
「損害賠償です」
私は今日見た黒い土を思い出しました。
プレハブの横。
積み上げられた廃タイヤ。
古い家電。
そして、何かを埋めたような跡。
「抵当不動産を壊したり汚したりして、担保価値を低下させた場合」
「うん」
「抵当権者に損害が生じれば、不法行為に基づく損害賠償請求が問題になります」
私はノートへ書きました。
④不法行為に基づく損害賠償請求
たとえば、
不法占有者が土地に大量の廃棄物を埋める。
土壌を汚染する。
建物を壊す。
その結果、担保価値が低下する。
「そうした侵害によって実際に損害が発生すれば、損害賠償を請求できることがあります」
「今日だったらゴミの撤去費用とか?」
「そういう損害が問題になりますね」
「出ていけば終わり、じゃないと」
「はい」
私は赤い線を引きました。
出ていけば、それで全部リセット。
ではない。
土地を汚したなら、
その汚染や損傷による損害が残ります。
「なるほど」
「だから今日、あの人が急に弱くなったんですよ」
「『出ていけ』より『金払え』の方が効いてたな」
「人間、財布の話になると急に法律が身近になりますからね」
「世知辛い十八歳だな」
二周目ですから。
言いませんけど。
◇
私は、一度ここまでを表にまとめました。
【抵当権が侵害された場合の主な対応】
①これから侵害される
→ 侵害行為の差止め
②抵当権の効力が及ぶ物を持ち去られた
→ 返還請求が問題になる
※抵当権者自身への返還とは限らない
③第三者の不法占有で担保価値の実現が妨げられている
→ 妨害排除請求
④侵害によって損害が発生した
→ 不法行為に基づく損害賠償請求
「おお」
真壁さんが感心したように見ています。
「こうすると簡単だな」
「でしょ?」
「最初からこれだけ書けばいいんじゃねえの?」
「勉強というものを全否定しましたね」
「覚えられりゃ勝ちだろ」
それは、まあ、そうなんですけど。
◇
そこへ、所長が所長室から出てきました。
「ずいぶん賑やかだな」
「所長。抵当権侵害をまとめてました」
「見せろ」
私はノートを差し出しました。
所長はしばらく無言でページを眺めました。
こういう時、地味に緊張します。
学生時代、答案を先生に覗かれていた時と同じです。
「……まあ、いい」
「やった」
「ただし、一番大事なところが弱い」
「え?」
所長は鉛筆を取りました。
「栞。宅建でこの分野を間違える奴は、何を勘違いすると思う」
「抵当権者が所有者みたいに何でも止められると思う……とか?」
「そうだ」
所長はノートの一番下に、大きく書きました。
抵当権は、
「目的物を自由に支配する権利」ではない。
「……!」
「抵当権者が把握しているのは、主として何だ」
「交換価値です」
「そうだ」
所長が頷きました。
「だから、所有者が普通に使っているだけなら、原則として文句は言えない」
「はい」
「抵当土地に建物を建てたら?」
「それだけで直ちに抵当権侵害にはなりません」
「木を一本切ったら?」
「それだけで直ちに侵害とは限らない」
「じゃあ、何を見ればいい」
私は答えました。
「担保価値を害する行為かどうか」
「そこだ」
所長が鉛筆を置きました。
「問題文の行為だけを見るな。その結果、抵当権者の優先弁済を受ける利益が害されるかを見ろ」
私は、その言葉の横に赤丸をつけました。
超重要!
「所有者が何かしたか」ではなく、
「抵当権の担保価値が害されたか」を見る。
「たとえば」
所長が続けました。
「一千五百万円の債権がある」
「はい」
「抵当不動産は一億円の価値がある」
「はい」
「所有者が一部を壊して、価値が九千九百万円になった」
「……」
「それだけで、常に抵当権者が大騒ぎできると思うか?」
「債権を回収するための担保価値が十分残っているなら……」
「侵害の有無や救済の必要性を考えるうえで、そこも問題になる」
「なるほど」
「抵当権の目的は、所有者を監視することじゃない」
「債権を回収すること」
「そういうことだ」
やっぱり所長は、最後だけ持っていきます。
ずるい。
こっちは一ページ半しゃべったのに。
◇
「じゃあ過去問っぽくやってみるか」
真壁さんが言いました。
「急ですね」
「お前が先生なら問題出せ」
「先生じゃありませんって」
でも、ちょうどいい。
私はノートを閉じました。
「では問題」
「おう」
「AはBへの貸付金一千万円を担保するため、B所有の更地に抵当権を設定しました」
「うん」
「その後、Bがその土地に自宅を建てました」
「うん」
「Aは、『建物を建てたせいで俺の抵当権が侵害された! 建物を壊せ!』と請求できる」
「……」
真壁さんが考える。
「できない」
「理由は?」
「抵当権を設定しても、土地の所有者には使用収益する権利があるから」
「正解です!」
「よし」
「ちなみに宅建の本試験でも、この手の発想は大事です」
私は続けました。
「次」
「来い」
「第三者Cが、抵当不動産を勝手に占有しています」
「うん」
「抵当権は占有を取得する権利ではないので、どんな事情があってもAはCに妨害排除を請求できない」
「誤り」
「理由は?」
「不法占有で担保価値の実現が邪魔されて、抵当権の実行が困難になるなら、妨害排除できる場合がある」
私は思わず黙りました。
「……真壁さん」
「なんだ」
「ちゃんと覚えてる」
「馬鹿にしてんのか」
「ちょっと感動してます」
「失礼だな!」
所長が新聞を読みながら笑っていました。
◇
「じゃあ最後に」
私はノートを開いて、今日のまとめを書きました。
抵当権の侵害――試験で押さえる五つ。
①抵当権設定者には使用収益権がある。
→普通に土地を使っただけでは、直ちに抵当権侵害ではない。
②担保価値を害する行為は差し止められる場合がある。
→立木の大量伐採・搬出など。
③抵当権の効力が及ぶ物が持ち去られた場合、返還請求が問題になる。
→ただし「抵当権者自身に返せ」と単純に考えない。
④不法占有により交換価値の実現が妨げられ、抵当権の実行が困難になる場合、妨害排除請求が認められ得る。
→一定の場合には直接自己への明渡しが認められることもある。
⑤抵当権侵害によって損害が発生した場合、不法行為に基づく損害賠償請求が問題となる。
「栞」
「はい?」
真壁さんが指を一本立てました。
「俺なりの覚え方できたぞ」
「聞きましょう」
「切るな」
「はい」
「持ってくな」
「はい」
「居座るな」
「はい」
「壊したら払え」
「……」
「どうだ?」
私は少し考えました。
「悔しいですけど、ものすごく覚えやすいです」
「だろ?」
私はノートの端に書きました。
真壁式・抵当権侵害
切るな。
持っていくな。
居座るな。
壊したら払え。
そして、その横に小さく付け足しました。
※ただし、普通に使うのは自由。
「これで完璧ですね」
「最後の一行が一番大事じゃねえか」
「そうなんですよ」
抵当権の侵害というと、
つい、
「抵当権者は強い」
「担保に入れた土地には何もできない」
と思ってしまう。
でも、違う。
土地は、所有者のものだ。
抵当権を設定しても、所有者は使える。
住める。
貸せる。
利益を得ることもできる。
ただし。
その土地には、誰かが貸したお金を回収するための「価値」が重なっている。
だから、その価値を意図的に壊すところまで自由ではない。
今日の柴崎さんは、
山を失ったわけではなかった。
金融会社も、
山を手に入れたわけではなかった。
二人が持っている権利は違う。
所有者は、土地そのものを持っている。
抵当権者は、その交換価値を担保として把握している。
だから法律は、その二つがぶつかった時に境界線を引く。
私は、今日の最後の一文を書きました。
抵当権の侵害――
「俺の土地だから自由だ」と、
「俺の担保だから何もするな」の、
ちょうど間にある法律。
「……よし」
ノートを閉じました。
そこへ所長が、机の上に紙袋を置きます。
「柴崎さんから追加だ」
「またですか?」
「しいたけ」
「昨日もらいましたよね?」
「金融会社の担当者にも配ったらしい」
「何なんですか、あの人」
「山の男なりの詫びだろ」
真壁さんが紙袋を開けました。
「お、でかいぞ」
「抵当権ついてませんよね?」
「ついてたらどうする」
「食べた後に返還請求されたら困ります」
「腹から返す気か?」
「最低の法理編になりますね」
所長が、盛大にため息をつきました。
「お前ら、もう帰れ」
「はーい」
私はノートを鞄へしまいました。
昭和六十三年。
今日もまた、試験ではたった数行の知識が、現場では山一本分の重さを持っていました。
抵当権者は、土地を奪わない。
でも、価値を壊されるのを黙って見ている必要もない。
差し止める。
戻させる。
妨害を排除する。
損害があれば償わせる。
その一方で、所有者の日常的な使用収益まで奪わない。
このバランスこそが、抵当権侵害のいちばん大事なところなのだと思います。
私は紙袋いっぱいのしいたけを抱えて、事務所を出ました。
今夜もバター醤油です。
抵当権の侵害は難しい。
でも。
今日のところは、これだけ覚えて帰れば十分でしょう。
――普通に使うのはいい。
価値を壊すのは、駄目。
法律というのは時々、
長い説明の最後に、
驚くほど当たり前のところへ帰ってくるのです。
以下に私の作品へのリンク貼ってます。是非、手に取って頂ければと思います。また、ついでに評価ブックマーク頂ければ幸いです。




