[抵当権消滅請求]法理編 栞とお勉強
夕方の事務所で、私はノートを開きました。
今日の事件を、もう一度最初から整理してみる。
西村さんは、抵当権の付いた土地を買おうとしていた。
売買代金は九百万円。
ところが、その土地には一千二百万円の抵当権が付いていた。
売主の大橋さんは、
「九百万円を先に払ってくれれば、あとで抵当権を外す」
と言った。
でも。
西村さんが九百万円を払ったあと、大橋さんが抵当権を消せなかったら。
西村さんは、
九百万円を払った。
土地も買った。
なのに。
その土地を競売されるかもしれない。
「……やっぱり怖い制度だなあ、抵当権」
私はノートを見ながら呟きました。
「抵当権が怖いんじゃなくて、抵当権付きの土地を何も考えずに買うのが怖いんだろ」
後ろから声がした。
真壁さんです。
「また覗いてるんですか」
「また勉強してるのか」
「してますよ」
「十八歳とは思えねえな」
「戸籍上は十八です」
「その言い方やめろ。怖えから」
私は今日の見出しを大きく書きました。
抵当権消滅請求。
「真壁さん」
「ん?」
「まず一番簡単な質問です」
「おう」
「抵当権消滅請求って、何でしょう」
「抵当権を消せって言うんだろ」
「百点に近い零点です」
「どっちだよ」
「方向性は正しいです」
私はノートに書きました。
抵当権消滅請求
=抵当不動産の所有権を取得した第三取得者が、
抵当権者に対して、
一定の金額を提示し、
抵当権を消滅させるよう請求する制度。
「今日の西村さんだな」
「そうです」
「土地を買った」
「はい」
「でも抵当権が付いてた」
「はい」
「だから銀行に向かって、『これだけ払うから抵当権消してくれ』」
「そのイメージです」
私は大きく丸を付けました。
ここで重要なのは、
誰が動くか。
です。
「前回の代価弁済とは、ここが真逆です」
「ああ」
真壁さんが指を立てた。
「代価弁済は、抵当権者からだったな」
「そのとおりです」
私は二つ並べて書きました。
代価弁済
抵当権者
↓
第三取得者
「その代価をこちらに払ってください」
抵当権消滅請求
第三取得者
↓
抵当権者
「この金額で抵当権を消してください」
「矢印が逆だ」
「はい」
「じゃあ、覚えやすいな」
「そうなんです」
私は赤鉛筆で、
主導する側が逆。
と書きました。
「ここは絶対押さえてください」
「誰に言ってる」
「未来の私です」
「また未来か」
「未来は大事です」
「昭和六十三年のお前が言うと、意味深だな」
私は聞こえなかったことにしました。
次。
誰が抵当権消滅請求をできるのか。
ここも重要です。
私はノートに書きました。
抵当権消滅請求ができる者
抵当不動産の「所有権」を取得した第三者。
「所有権」
真壁さんが読む。
「はい」
「地上権は?」
「できません」
「代価弁済はできたよな」
「そこが対比ポイントです!」
私は思わず声が大きくなりました。
「うるせえ」
「すみません。でもここ、めちゃくちゃ大事です」
もう一度整理します。
代価弁済
所有権を買い受けた第三者
→できる
地上権を買い受けた第三者
→できる
抵当権消滅請求
所有権を取得した第三者
→できる
地上権者
→できない
「なんで地上権者は駄目なんだ」
「抵当権消滅請求は、抵当不動産の“所有権”を取得した第三者を守る制度だからです」
「ふむ」
「競売されたら、その第三取得者はせっかく取得した所有権を失いかねません」
「だから保護する」
「はい」
「地上権者は別、と」
「そういうことです」
私はノートの端に、
抵当権消滅請求=所有権取得者。
と大きく書きました。
そしてもう一つ。
ここには落とし穴があります。
「落とし穴?」
「はい」
「またかよ」
「法律は穴だらけです」
「それは言いすぎだろ」
私はペンを持ち直しました。
停止条件付で所有権を取得する者。
その停止条件がまだ成就していない間は、
抵当権消滅請求をすることができない。
「……もっと簡単に」
真壁さんが言う。
「ですよね」
私は書き直しました。
まだ本当に所有者になるか決まっていない人
→まだ抵当権消滅請求はできない。
「これなら分かる」
「たとえば、『融資が通ったら買う』みたいな停止条件が付いていて、まだ条件が確定していない段階です」
「まだ買わない可能性もある」
「はい」
「なのに抵当権だけ先に消してくれと言われても、抵当権者は困る」
「その理解でいいです」
つまり。
抵当権消滅請求は、
本当に所有権を取得した第三者だからこそ使える制度。
です。
「じゃあ今日の西村さんも、契約しただけじゃ駄目だったわけか」
「そうです」
「所有権を取得してから」
「はい」
「でも代金はまだ払ってなかった」
「そこが次の重要ポイントです」
私はページをめくりました。
抵当権消滅請求中の
売買代金の支払い。
「今日、西村さんは売主から『先に九百万円払え』って言われてましたよね」
「ああ」
「でも、西村さんは抵当権消滅請求の手続が終わるまで、その代金の支払いを拒むことができます」
「全部?」
「抵当権消滅請求の手続が終わるまで、です」
「なるほど」
「当たり前といえば当たり前ですよね」
「なんでだ?」
「九百万円払った直後に抵当権が消えませんでした、じゃ困るでしょう」
「そりゃそうだ」
「だから、手続が終わるまで代金を握っておけるんです」
私は赤字で書きました。
超重要。
抵当不動産の第三取得者が抵当権消滅請求をした場合、
その手続が終わるまで、
売買代金の支払いを拒むことができる。
「今日の西村さん、そのまんまだな」
「そうです」
「大橋さんから先に払えって言われた」
「でも抵当権が消えるまでは払わない」
「法律で止められる」
「はい」
真壁さんが感心したように腕を組みました。
「こういうのは、実務で使えそうだな」
「むしろ実務だからこそ大事ですよ」
「お前、営業になれよ」
「事務見習いです」
「もったいねえ」
「お茶係から昇進できます?」
「まずお茶こぼさなくなってからな」
「昨日一回だけです!」
「一回こぼしてんじゃねえか」
さて。
次が、かなり大切な部分です。
誰でも抵当不動産を買えば、抵当権消滅請求できるのか。
答えは。
できません。
「また?」
「はい」
「今度は誰だ」
「主たる債務者と保証人です」
私はノートに書きました。
抵当権消滅請求ができない者。
①主たる債務者
②保証人
③連帯保証人
④これらの承継人
「債務者は分かる」
真壁さんが言いました。
「借金してる本人だろ」
「はい」
「そいつが抵当権付きの土地を買って、『安い金払うから抵当権消して』じゃ困る」
「そのとおりです」
私は例を書きました。
A Bから一千万円借りる。
C 自分の土地をAの借金の担保にする。
C=物上保証人。
その後。
AがCの土地を八百万円で購入。
「ここでAが言うわけです」
私は少し声色を変えました。
「『八百万円で抵当権を消してください』」
真壁さんが即座に言った。
「いや、その八百万で借金返せ」
「そういうことです」
「分かりやすいな」
「ですよね」
抵当権消滅請求は。
第三取得者を守る制度です。
借金している本人が、
抵当不動産を買って第三取得者の形になったからといって。
急に、
「私も第三取得者です」
と言われても困ります。
あなた、もともとの債務者でしょう。
という話です。
「保証人も同じか」
「はい」
「連帯保証人も」
「はい」
「相続人も?」
「それらの者の承継人も対象外です」
「厳しいな」
「でも理屈は通っています」
私は頷きました。
「自分の責任で債務を弁済する立場の人まで、第三取得者保護の制度を利用して抵当権を消せたら、抵当権者が一方的に不利になりますから」
「なるほど」
私はノートの余白に書きました。
債務者・保証人
「土地を買う金があるなら、まず債務を弁済してください」
「雑だな」
「覚え方としては強いです」
「まあ分かる」
これでよし。
次。
時期。
抵当権消滅請求は、
いつまでもできるわけではありません。
「今日、信用組合に行って確認したところだな」
「そうです」
私は大きく書きました。
抵当権消滅請求ができるのは、
抵当権の実行としての競売による
差押えの効力が発生する前まで。
「差押え前」
「はい」
「差押えされた後は?」
「もう遅いです」
「売却まで時間あるだろ」
「でも駄目です」
「なんで?」
「競売手続が本格的に動き出したあとまで第三取得者の都合で止められると、手続が不安定になりますから」
「なるほど」
私は赤線を引きました。
差押え前 → できる。
差押え後 → できない。
「試験で、『売却許可決定が確定するまでできる』とか出たら?」
「誤り」
「即答だな」
「今日の事件で覚えました」
「へえ」
「競売の差押えが入る前に走る」
「だから今日、信用組合まで走ったわけか」
「車でしたけど」
「揚げ足取るな」
さて。
ここからが、
抵当権消滅請求の中でも特に試験に狙われやすいところです。
みなし承諾。
「なんだそれ」
「抵当権者が、返事しないで放っておく場合です」
「そんな奴いるか?」
「いますよ、たぶん」
「たぶんかよ」
私は説明を続けました。
第三取得者が抵当権消滅請求をするときは、
登記をした各債権者に、
法律で定められた書面を送ります。
「裁判所に行くのか?」
「事前に裁判所の許可をもらう必要はありません」
「へえ」
「ここも問題に出ます」
私は書きました。
抵当権消滅請求
→登記をした各債権者に所定の書面を送付。
→事前の裁判所の許可は不要。
「で、書面をもらった抵当権者は?」
「二か月以内に動かなければいけません」
「何するんだ」
「その条件で抵当権を消すのが嫌なら、競売の申立てをするんです」
「競売?」
「はい」
「『反対です』って手紙返すだけじゃ駄目なのか?」
「駄目です」
「え?」
「そこが超重要です」
私は赤鉛筆を握りました。
抵当権者が、
抵当権消滅請求の書面を受け取った後、
二か月以内に競売を申し立てなければ、
抵当権消滅請求を承諾したものとみなされる。
「ただ『嫌だ』じゃ駄目」
「駄目です」
「『絶対反対』でも?」
「駄目です」
「『断固反対』」
「文字を強くしても駄目です」
「赤ペンで書いても?」
「競売してください」
「厳しいな」
「法律ですから」
私はさらに書きました。
抵当権者
「この金額じゃ嫌だ!」
だけでは不足。
二か月以内に
競売の申立て
が必要。
「なんでそんな仕組みなんだ?」
「抵当権者がいつまでも返事をしないと、第三取得者が宙ぶらりんになるからです」
「土地も動かせねえ」
「そうです」
「だから期限を切る」
「はい」
抵当権者が、
その提示額では安すぎる。
もっと高く売れる。
と思うなら。
競売でそれを示してください。
ということです。
「理屈は分かりやすいな」
「そうなんです」
「競売したくない。でも提示額にも納得できない。ずっと保留」
「それは許さない」
「二か月で決めろ」
「はい」
私はノートの端に、
嫌なら競売。
黙れば承諾。
と書きました。
「お前、どんどん法律用語が消えてくな」
「覚えてから正式名称に戻します」
「順番逆じゃねえか?」
「私にはこれが合ってるんです」
ここで私は、
昨日の代価弁済のページを開きました。
「真壁さん」
「ん?」
「最後に、代価弁済と比較しましょう」
「また試験か」
「復習です」
「はいはい」
私は表のように並べました。
代価弁済
誰がスタート?
→抵当権者
抵当権消滅請求
誰がスタート?
→第三取得者
「ここは逆」
「そうだな」
次。
代価弁済
対象
→所有権または地上権を買い受けた第三者
抵当権消滅請求
対象
→抵当不動産の所有権を取得した第三者
「地上権は?」
「代価弁済なら対象になり得る。抵当権消滅請求では駄目」
「正解です」
「お前、先生みたいになってきたな」
「授業料ください」
「缶コーヒーでいいか」
「安いです」
「じゃあお茶」
「もっと安いです」
そして。
抵当権消滅請求だけの注意。
主たる債務者・保証人等
→できない。
差押え後
→できない。
手続中
→売買代金の支払いを拒むことができる。
抵当権者が書面を受領後二か月以内に競売を申し立てない
→承諾したものとみなされる。
「こうして並べると、結構違うな」
「はい」
「同じような制度に見えるけど」
「どちらも第三取得者を守る制度、というところは共通です」
「でも、誰から動くかが違う」
「そうです」
私はそこに二重丸を付けました。
代価弁済
抵当権者
「こっちへ払え」
抵当権消滅請求
第三取得者
「これで抵当権を消してください」
「うん」
真壁さんが頷いた。
「これなら覚えられる」
「ですよね」
「じゃあ試験出してみろ」
「いいんですか?」
「おう」
私はニヤリとしました。
「では第一問」
「来い」
「抵当不動産の地上権を取得した第三者は、抵当権消滅請求をすることができる」
「……できる」
「ブー」
「早えよ!」
「できません」
「代価弁済と混ざった!」
「出題者の思う壺です」
「くそっ」
「第二問」
「来い」
「抵当不動産を買い受けた連帯保証人は、第三取得者になったので抵当権消滅請求できる」
「できない」
「正解」
「連帯保証人だからな」
「はい」
「第三問」
「まだあるのか」
「抵当権消滅請求の書面を受け取った抵当権者が、『承諾しません』と確定日付のある書面で返答した」
「うん」
「二か月以内に競売は申し立てなかった」
「じゃあ、反対したから抵当権は消えない」
「ブー」
「なんでだよ!」
「競売の申立てが必要です」
「ああ!」
「“反対します”だけじゃ駄目です」
「性格悪い問題だな!」
「宅建ですよ?」
「妙に説得力あるな」
私は笑いました。
そこへ。
大槻所長が新聞を畳んで近づいてきました。
「ずいぶん盛り上がってるな」
「所長、真壁さんが二問間違えました」
「告げ口すんな」
「何の問題だ」
「抵当権消滅請求です」
「そうか」
所長は私のノートを覗き込みました。
しばらく黙る。
「……まあ、よくまとまってる」
「珍しく褒められた」
「ただし」
「やっぱり来た」
所長はペンを取りました。
「最後にこれを書け」
「何ですか?」
所長は、ページの一番下に書きました。
抵当権消滅請求は、
第三取得者が
「競売される前」に、
「自分から動く」制度。
「……」
私はその一文を見ました。
「分かりやすい」
「だろ」
「真壁さんより分かりやすいです」
「俺と比べるな」
所長は続けました。
「試験問題は、制度の名前で覚えるな」
「はい」
「誰が」
「はい」
「誰に」
「はい」
「いつまでに」
「はい」
「何をするか」
「……はい」
「そこを分ければ、大抵の問題は崩せる」
私は頷きました。
確かにそうだ。
今日まで。
抵当権消滅請求なんて、
文字だけ見れば長くて。
面倒で。
似た制度もあって。
絶対覚えにくいと思っていた。
でも今は違う。
西村さん。
抵当権付きの土地を買った第三取得者。
大橋さん。
売主。
城南信用組合。
抵当権者。
そして。
九百万円。
誰が動いたのか。
西村さん。
誰に言ったのか。
信用組合。
いつまでに言う必要があったのか。
競売による差押えの効力が発生する前。
抵当権者が嫌なら。
二か月以内に競売を申し立てる。
黙っていれば。
承諾したものとみなされる。
「……よし」
私は最後に、今日のまとめを書きました。
抵当権消滅請求
①抵当不動産の所有権を取得した第三者が行う。
②第三取得者側から、抵当権者に請求する。
③地上権者はできない。
④主たる債務者・保証人・連帯保証人等はできない。
⑤停止条件付で取得する者は、条件の成否が未定の間はできない。
⑥抵当権の実行としての競売による差押えの効力発生前までに行う。
⑦登記をした各債権者へ所定の書面を送付する。
⑧事前の裁判所の許可は不要。
⑨抵当権者が書面を受け取った後、二か月以内に競売を申し立てなければ、承諾したものとみなされる。
⑩手続が終わるまで、第三取得者は売買代金の支払いを拒むことができる。
「多いな……」
真壁さんが呟いた。
「多いですね」
「十個もあるぞ」
「でも、本当に大事なのは三つです」
「どれだ」
私は三本指を立てました。
「一つ」
第三取得者から動く。
「二つ」
所有権を取得した人だけ。
「三つ」
差押え前まで。
「それでいいのか」
「まずそこを覚えてから、二か月とか保証人とかを乗せます」
「なるほど」
「家を建てるのと同じです」
「基礎から?」
「はい」
「じゃあお前の勉強、今まで屋根から作ってたのか」
「前世ではそんな感じでした」
「また前世って言ったぞ」
「気のせいです」
「絶対言っただろ」
「聞き間違いです」
そこへ所長が缶コーヒーを一本、机に置きました。
「今日はよく勉強したな」
「あ、ありがとうございます」
真壁さんが言う。
「俺には?」
「自分で買え」
「扱い違いません?」
「二問間違えただろ」
「なんで所長知ってるんだよ!」
「聞こえてた」
私は笑いながら、缶コーヒーを両手で包みました。
昭和六十三年。
抵当権付きの土地を買うということ。
それは。
土地を手に入れることと。
抵当権を背負うことが。
同時に起きるかもしれない、ということです。
だから。
法律は第三取得者に、一つの道を用意している。
競売される前に。
自分から動く。
抵当権者に条件を示す。
そして。
この抵当権を消してください。
と請求する。
昨日までなら。
抵当権消滅請求。
それは、テキストの中の長い漢字だった。
でも今は。
庭で遊ぶ子どもの姿が浮かぶ。
抵当権のない土地の上で。
安心して走り回る、小さな足音。
法律は。
土地を守るだけじゃない。
その土地の上で始まる生活まで。
時々、守っている。
「栞」
「はい?」
「饅頭まだあるか?」
真壁さんが聞きました。
「ありますけど」
「一個くれ」
「嫌です」
「昨日俺の食っただろ!」
「あれは不可分性によって――」
「その法律の使い方やめろ!」
夕方の事務所に。
今日も真壁さんの声が響きました。
私はノートを閉じる。
抵当権消滅請求。
第三取得者が。
競売される前に。
自分から動く。
うん。
今度こそ。
これは忘れないと思います。
以下に私の作品へのリンク貼ってます。是非、手に取って頂ければと思います。また、ついでに評価ブックマーク頂ければ幸いです。




