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宅建見習い栞の人情事件簿 〜転生したら昭和の不動産屋だったので、巻き込まれているうちに宅建過去問が解けるようになりました〜  作者: 条文小説
〈権利関係 配点14点/50点〉 担保物件

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157/412

[代価弁済]現場編 その八百万円、売主に払うな

挿絵(By みてみん)

 不動産の売買で、一番緊張する瞬間はいつか。


 契約書に判子を押す時?


 違います。


 鍵を受け取る時?


 惜しい。


 ――大金を払う時です。


 何千万円という数字が、通帳の上から消える瞬間。


 あれは人間の理性を、ちょっとだけ哲学者にします。


 この金、本当に払っていいんだろうか。


 この人、本当に信用していいんだろうか。


 そもそも土地って、なんでこんなに高いんだろうか。


 最後の疑問については、昭和六十三年の今、考えないほうが精神衛生上よろしい。


 なにしろバブルです。


 土地の値段が上がる。


 みんな買う。


 だからさらに上がる。


 そして全員が、


「土地は下がらない」


 と真顔で言っている。


 未来を知っている私からすると、死亡フラグの大合唱にしか聞こえません。


「栞!」


 朝から真壁さんの声が飛んできた。


「はい!」


「お茶三つ!」


「またですか!」


「客が三人いるんだから三つだろ!」


「人数じゃなくて、私がお茶係として固定されてることに抗議してるんです!」


「事務見習いだろ」


「民法もできます!」


「じゃあ民法入りのお茶を頼む」


「毒物みたいに言わないでください」


 ぶつぶつ言いながら湯飲みを三つ盆に載せ、応接へ向かった。


 そこで私は、少し妙な空気に気づいた。


 一人目は、五十代くらいの男。


 浅黒い顔に、高そうな腕時計。けれど額にはうっすら汗。


 二人目は、三十代半ばくらいの夫婦。


 夫は作業着姿で、妻は膝の上でハンカチを握りしめている。


 そして三人目は――銀行員だった。


 濃紺のスーツ。


 革の鞄。


 折り目の正しい書類。


 銀行員という生き物は、書類の角まで信用でできている気がする。


「どうぞ」


 お茶を置く。


 大槻所長が低い声で言った。


「藤崎。ちょうどいい。そこにいろ」


「はい」


 真壁さんが私の横に椅子を置いた。


「勉強になるぞ」


「その言い方をされる時、大体ろくな事件じゃありません」


「成長してるじゃねえか」


 嫌な成長だ。


 所長が一枚の登記事項証明書を机に置いた。


「まず整理します」


 指で土地の表示をなぞる。


 町外れにある小さな工場跡地。


 所有者は、目の前の男――村瀬さん。


 土地と古い建物を合わせて、八百万円で売る契約を結んでいる。


 買主は、目の前の夫婦――佐伯夫妻。


 ここまでは普通だ。


 問題は、その下。


 抵当権。


 債権額、一千万円。


 抵当権者、東栄信用金庫。


 私は思わず紙を二度見した。


 売買代金八百万円。


 借金一千万円。


 はい。


 嫌な算数が始まりました。


「村瀬さん」


 所長が言う。


「佐伯さんから、まだ売買代金は受け取っていませんね?」


「ああ」


 村瀬さんが苛立ったように答えた。


「だから今日払ってもらうんだよ。八百万。契約は済んでるんだから」


 佐伯さんの奥さんが、びくりと肩を震わせた。


 夫が慎重に口を開く。


「でも……抵当権が残ってるんですよね」


「大丈夫だって言ってるだろ!」


 村瀬さんの声が大きくなった。


「俺があとで銀行と話をつける!」


 ――出ました。


 不動産取引における恐怖ワード。


 “あとで話をつける”。


 同率一位は、


 “昔からこうやってる”。


 この二つが出たら、私は心の中で非常ベルを鳴らすことにしています。


 信用金庫の担当者――高木さんが、静かに口を挟んだ。


「申し訳ありませんが、それでは困ります」


「なんでだよ」


「当金庫としては、一千万円の債権があります。抵当権を外さないまま売買代金だけ村瀬さんへ渡れば、担保が残った状態になります」


「だから払うって!」


「いつですか」


「だから……そのうちだよ!」


 そのうちは、法律用語ではありません。


 たぶん借金取りが最も嫌う日本語です。


 佐伯さんが青ざめた顔で言った。


「もし……このまま私が八百万円を村瀬さんに払ったら、そのあと銀行さんが土地を競売にかけることもあるんですか?」


 高木さんは答えにくそうに沈黙した。


 でも、沈黙が答えだった。


「そんな……」


 奥さんが小さく呟く。


「私たち、その土地で工場を始めようと思って……」


 聞けば、佐伯さんは町工場に十年以上勤めてきた旋盤工だという。


 いつか独立したい。


 中古の旋盤を二台入れて、夫婦で小さな工場を始めたい。


 そのために貯めた金が八百万円。


 土地と古工場を買えば、何とか始められると思った。


 なのに。


 八百万円を払っても、抵当権が残る。


 最悪の場合、競売。


 それはもう、土地を買うというより、抵当権付き時限爆弾を買うようなものだ。


「契約したんだ!」


 村瀬さんが机を叩いた。


「だったら代金を払うのが筋だろ!」


 真壁さんの眉がぴくっと動いた。


 怖い。


 真壁さんは黙っている時ほど怖い。


 でも所長が片手を上げた。


「村瀬さん。少し静かに」


「しかし――」


「今日は怒鳴った者が勝つ席ではありません」


 低い。


 静か。


 なのに、ぴたりと空気が止まった。


 大槻所長、こういう時だけ声に抵当権でも設定してるんじゃないでしょうか。


 逆らえません。


 所長は信用金庫の高木さんを見る。


「高木さん。先ほどのお話を、もう一度お願いします」


「はい」


 高木さんが鞄から書類を取り出した。


「当金庫としては、佐伯様がまだ売買代金を支払っていないのであれば、その八百万円を当金庫へ直接お支払いいただければ……この不動産についての抵当権を消滅させることを検討しています」


 私は瞬きをした。


 ――ん?


 八百万円を。


 売主ではなく。


 抵当権者へ。


 そして抵当権が消える。


 頭の奥で、昨夜見た宅建テキストの一ページが、ぱらりと開いた。


 これ。


 知ってる。


「代価弁済……」


 思わず口から漏れた。


 全員が私を見た。


 真壁さんが眉を上げる。


「なんだ?」


「いえ……たぶん今の話、代価弁済です」


 高木さんが少し驚いた顔をした。


 所長は私を見て、わずかに口元を緩めた。


「説明してみろ」


 急に試験を始めないでほしい。


 心の準備というものがある。


 でも、目の前には青ざめた佐伯夫妻がいる。


 私は登記簿を机の上に置き直した。


「まず、佐伯さんは抵当権が付いた不動産を買った第三者です」


「はい」


「そして、まだ八百万円を村瀬さんへ払っていない」


「はい」


「そこへ抵当権者の東栄信用金庫さんが、『その八百万円をこちらへ支払ってください』と請求した」


 高木さんが頷く。


「そうです」


「その請求に応じて、佐伯さんが八百万円を信用金庫へ払えば……」


 私は一度、言葉を切った。


「その抵当権は、佐伯さんのために消滅します」


 佐伯夫妻が同時に顔を上げた。


「消えるんですか?」


「はい」


「一千万円の抵当権なのに?」


「そこが少し変なところなんですけど……消えます」


 奥さんが目を丸くする。


「じゃあ、残り二百万円は?」


「村瀬さんの借金として残ります」


「おい!」


 村瀬さんが立ち上がった。


「なんで俺だけ二百万残るんだ!」


 私は思わず返した。


「一千万円借りたからです」


 静まり返った。


 しまった。


 十八歳の事務見習いとして、ちょっと直球すぎました。


 真壁さんが横を向いて咳をした。


 肩が震えている。


 笑うな。


「ふざけるな!」


 村瀬さんが私を睨んだ。


「土地を八百万で売ったんだぞ! その八百万は俺の金だ!」


 ここで私は、ようやく今回の揉め事の本質が見えた。


 村瀬さんは、八百万円を手元に欲しい。


 でも信用金庫には一千万円の借金がある。


 だから買主から八百万円を受け取ってしまい、その後は銀行と交渉するつもりだった。


 でも。


 もしその八百万円が別の用途に消えたら?


 抵当権は残る。


 困るのは、買った佐伯夫妻だ。


「村瀬さん」


 私はなるべく静かに言った。


「土地を売った代金だから、受け取りたい気持ちは分かります」


「だったら――」


「でも、その土地には抵当権が付いてます」


 登記簿を指す。


「佐伯さんは八百万円を払ったうえに、抵当権まで背負う危険があるんです」


「俺が返すって言ってるだろ!」


「だから、“あとで”じゃ駄目なんです」


 村瀬さんの顔が固まった。


「八百万円を払ったあとで、村瀬さんが返済できなくなったらどうするんです?」


「……」


「佐伯さんには止められません。抵当権者は競売できる」


 奥さんが夫の袖を掴んだ。


 私は続けた。


「でも今なら、信用金庫さんから請求が来ています」


 そこが重要だった。


 私は指を一本立てる。


「代価弁済は、買主が勝手に『じゃあ銀行に払いますね』と始める制度じゃありません」


「え?」


 佐伯さんが聞き返した。


「抵当権者からの請求に応じて、代価を支払うんです」


 高木さんが頷いた。


「そのとおりです」


「つまり今日は、条件が揃ってる」


 私は紙に簡単に書いた。


 村瀬さん。


 借金、一千万円。


   ↓


 東栄信用金庫。


 抵当権。


   ↓


 佐伯さん。


 売買代金、八百万円。


「信用金庫さんが佐伯さんに、『八百万円をこちらへ払ってください』と請求する」


 矢印を書く。


「佐伯さんが応じて、八百万円を信用金庫へ払う」


 さらに矢印。


「すると、佐伯さんが取得した不動産について抵当権が消える」


 最後に横へ書く。


 残債 二百万円。


「この二百万円は?」


 真壁さんが聞いた。


「村瀬さんに残ります」


「担保は?」


「この不動産については、もうありません」


「つまり無担保か」


「はい」


 村瀬さんが机を叩いた。


「銀行が損するじゃないか!」


 その言葉に、高木さんが初めて苦笑した。


「ですから、当金庫が請求するかどうかを判断します」


「……え?」


「抵当権者が、自分から請求する制度ですから」


 なるほど。


 私はそこで、もう一段深く腑に落ちた。


 なぜ代価弁済が“抵当権者主導”なのか。


 抵当権者にとっては、抵当権を消す代わりに、確実に売買代金を回収する制度でもあるからだ。


 一千万円全部は返ってこない。


 でも、八百万円は確実に入る。


 競売にかけても、必ず一千万円取れるとは限らない。


 時間もかかる。


 費用もかかる。


 なら八百万円を今確保して、残り二百万円を債務者へ請求する。


 そういう現実的な選択肢もある。


 法律って、本当に人間臭い。


 白か黒かではなく、


 “今、どこまで確実に取れるか”。


 そんな算盤まで条文の裏に置いてある。


「待ってくれ」


 佐伯さんが言った。


「じゃあ、俺たちが銀行に八百万円払えば……本当に、この土地は抵当権なしで持てるんですね?」


「この抵当権については」


 所長が初めて口を挟んだ。


「そういうことです。ただし、実際の決済では抵当権抹消の手続まで同時にきちんと確認する。金だけ先に動かすな」


「はい」


「司法書士にも入ってもらう」


「はい!」


 佐伯さんの返事に、ようやく力が戻った。


 奥さんが大きく息を吐く。


「よかった……」


 その一言が、妙に胸に残った。


 でも村瀬さんだけは納得していなかった。


「俺は?」


「はい?」


「俺には一円も入らないじゃないか!」


 真壁さんがとうとう口を開いた。


「村瀬さん」


「なんだよ」


「借金一千万残ってる土地を八百万で売ったんだろ」


「ああ」


「八百万返しても、まだ二百万借りてる」


「ああ」


「じゃあ、なんで金が余ると思ったんだ?」


「…………」


 今日一番分かりやすい説明だった。


 私の民法説明、敗北。


「でもよぉ……」


 村瀬さんの声が急に小さくなった。


「工場を畳んで……少しくらい、手元に残ると思ってたんだ」


 さっきまで強気だった顔が、急に老けたように見えた。


 聞けば、村瀬さんも長年、小さな金属加工工場をやっていたらしい。


 機械を入れ替える。


 仕事を増やす。


 従業員を雇う。


 そのために借金をした。


 けれど取引先が一つ減り、資金繰りが苦しくなった。


 結局、工場を閉めることにした。


 八百万円で土地を売れば、少しは人生を立て直せると思っていた。


 でも借金は、売却代金より二百万円多かった。


 数字は優しくない。


 でも。


 だからといって、その二百万円を佐伯夫妻へ押しつけていいわけでもない。


 所長がゆっくり言った。


「村瀬さん」


「……なんだ」


「ここで佐伯さんから八百万円を受け取って、銀行に払わなければ、あなたは一時的には楽になる」


「……」


「だが佐伯さん夫婦は、八百万円払った土地を競売される危険を抱える」


 村瀬さんが黙る。


「自分の立て直しを、次に工場を始める人の犠牲でやるのか」


 長い沈黙。


 外で電話が鳴った。


 誰も取らない。


 二回。


 三回。


 やがて事務員さんが別室で取った。


 応接では、誰も口を開かなかった。


 しばらくして。


 村瀬さんが、佐伯さんを見た。


「……何作るんだ」


「え?」


「工場で」


 佐伯さんは戸惑いながら答えた。


「精密部品です。最初は下請け中心になりますけど……旋盤二台から」


「旋盤は?」


「中古で買います」


「何使う」


「滝澤です」


「……古いな」


「予算がないんで」


「芯押し台、ちゃんと見ろよ」


「え?」


「中古はそこがガタついてることがある」


 佐伯さんが目を瞬いた。


「はい」


「あと床」


「床?」


「あそこ、奥のほう少し傾いてる。機械据えるならレベル取れ」


「……はい」


 村瀬さんは、ふっと息を吐いた。


 そして銀行員の高木さんに向き直った。


「八百万……そっちに払ってもらえ」


 高木さんが静かに頭を下げる。


「ありがとうございます」


「礼を言われる筋じゃねえよ」


 村瀬さんは自嘲気味に笑った。


「俺の借金だ」


 そして佐伯さんを見る。


「悪かったな」


「……」


「金、先にもらおうとした」


 佐伯さんは少し迷ってから、頭を下げた。


「工場のこと、教えてください」


「は?」


「俺、独立は初めてなんで」


 村瀬さんが目を丸くした。


「……俺は潰したんだぞ」


「二十年やったんでしょう?」


「二十三年だ」


「だったら、俺より二十三年先輩です」


 奥さんが、そっと笑った。


「床の傾きも知ってますし」


 村瀬さんはしばらく黙っていた。


 それから、


「……旋盤据える日は呼べ」


 ぼそっと言った。


「水平くらい見てやる」


 佐伯さんが笑った。


「お願いします」


 なんだろう。


 さっきまで八百万円を巡って喧嘩していた人たちが、今は旋盤の水平の話をしている。


 不動産屋って、変な仕事だ。


 土地を右から左へ動かすだけだと思っていたけれど。


 本当に動いているのは、たぶん人の生活なんだと思う。


 数日後。


 決済は無事に終わった。


 東栄信用金庫から正式に請求を受け、佐伯さんは売買代金八百万円を信用金庫へ支払った。


 抵当権の抹消手続も同時に進めた。


 村瀬さんには二百万円の債務が残る。


 そこは消えない。


 魔法じゃないから。


 でも、佐伯夫妻は抵当権の心配なく工場を始められる。


 そして信用金庫は八百万円を回収できる。


 誰か一人だけが得をする解決ではない。


 でも、誰か一人だけに全部の危険を押しつける解決でもない。


 それが、妙に気持ちよかった。


 その日の夕方。


 私は事務所で受験テキストを開いていた。


 代価弁済。


 抵当不動産について、所有権または地上権を買い受けた第三者が、抵当権者の請求に応じてその代価を弁済したときは、抵当権はその第三者のために消滅する。


「うーん」


「何唸ってる」


 真壁さんが缶コーヒーを飲みながら寄ってきた。


「今日の話です」


「代価弁済か」


「はい」


 私はノートに大きく書いた。


 代価弁済


 誰が始める?


  抵当権者。


「ここ、絶対試験に出そうです」


「なんで?」


「買主が自分から請求する制度と混ざりそうだからです」


「ほう」


「代価弁済は――」


 私は鉛筆で机を軽く叩いた。


「抵当権者から、『その代金、こっちへ払ってください』」


「うん」


「第三取得者が、『分かりました』」


「うん」


「払う」


「うん」


「抵当権が消える」


「雑だな」


「分かりやすいでしょう?」


「まあな」


 私はさらに書き足した。


 一千万円の抵当権。


 売買代金八百万円。


 八百万円を代価弁済。


 抵当権消滅。


 残り二百万円――債務は残る。


「抵当権が消えたら借金まで全部消えるわけじゃない、と」


「そういうことです」


「じゃあ銀行は損だな」


「必ずしもそうでもないでしょう」


「なんで?」


「競売して必ず一千万円取れるとは限りませんから」


 真壁さんが少し感心した顔をした。


「なるほど」


「八百万円を確実に取れるなら、それを選ぶこともある」


「お前、本当に十八か?」


「戸籍上は」


「怖い答えだな」


 そこへ所長が新聞を畳みながら言った。


「藤崎」


「はい」


「代価弁済で一番大事な言葉を一つだけ選べ」


「一つですか?」


「ああ」


 私は考えた。


 第三取得者。


 代価。


 抵当権。


 弁済。


 消滅。


 でも。


 今日の事件を最初から思い返す。


 佐伯さんが怖がっていた。


 村瀬さんは代金を欲しがった。


 そして高木さんが言った。


 ――その八百万円を当金庫へ支払ってください。


 あれが始まりだった。


「……請求」


 私が答えると、所長が頷いた。


「そうだ」


 ノートの中央に書く。


 抵当権者の請求に応じて。


「買った側が、自分から勝手に始めるんじゃない」


「はい」


「抵当権者が請求する」


「はい」


「そこを落とすな」


「分かりました」


 私は赤鉛筆で囲んだ。


 抵当権者主導。


 これでたぶん忘れない。


 というか、今日みたいな事件を経験して忘れたら、私の脳みそに抵当権を設定したほうがいい。


 一週間後。


 佐伯さんから電話が来た。


「機械入りました!」


 後ろで、ものすごい金属音がしていた。


「聞こえてます!」


「村瀬さんも来てくれて!」


 さらに遠くから、


『そこじゃねえ! もう二ミリ右だ!』


 という怒鳴り声が聞こえた。


 私は思わず笑った。


「元気そうですね」


「すごいですよ。俺より張り切ってます」


『水平器持ってこい!』


「……すごく元気そうですね」


 電話を切る。


 窓の外は、秋の夕焼けだった。


 私はノートを閉じる。


 八百万円。


 数字だけ見れば、大金だ。


 一千万円。


 数字だけ見れば、借金だ。


 二百万円。


 数字だけ見れば、残債だ。


 でも、その数字の向こうには。


 工場を畳む人がいて。


 これから工場を始める人がいて。


 金を貸した人がいる。


 法律は、その三者の間に線を引く。


 誰が誰に払うのか。


 誰の権利が消えるのか。


 誰の義務が残るのか。


 冷たいほど正確に。


 だからこそ、人間が熱くなった時に役に立つ。


「栞」


 真壁さんが机の上に缶コーヒーを置いた。


「今日も勉強か」


「はい」


「偉いな」


「褒めても何も出ませんよ」


「じゃあコーヒー返せ」


「もう私のです」


「早えよ」


 私は缶を両手で包んだ。


 少し温かい。


 昭和六十三年。


 土地の値段が狂ったように上がり、誰もが不動産に夢を見ていた時代。


 でも。


 土地には、夢だけじゃなく。


 抵当権も付いている。


 私は今日、それを骨身にしみて覚えました。


 そしてもう一つ。


 抵当権付きの土地を買う時。


 売主から、


「大丈夫。あとで銀行と話をつける」


 と言われたら。


 ――まず。


 その八百万円を振り込む手を止めましょう。

 以下に私の作品へのリンク貼ってます。是非、手に取って頂ければと思います。また、ついでに評価ブックマーク頂ければ幸いです。



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