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宅建見習い栞の人情事件簿 〜転生したら昭和の不動産屋だったので、巻き込まれているうちに宅建過去問が解けるようになりました〜  作者: 条文小説
〈権利関係 配点14点/50点〉 担保物件

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138/412

[質権]法理編 栞とお勉強

挿絵(By みてみん)

 夕方。


 私は事務所の机で、今日の事件をノートにまとめていました。


 井坂さんは、黒川さんから三百万円を借りた。


 そして契約書には、


 ――借入金の担保として、腕時計を差し入れる。


 そう書いてあった。


 署名もある。


 判子もある。


 なのに、腕時計は最初から最後まで井坂さんの腕にあった。


 つまり。


「……契約書があっても、質権は成立してない」


 私はノートに大きく書きました。


 そこへ、背後から声が飛んできます。


「まだ質権やってんのか」


 真壁さんです。


「まだって何ですか。今日の主役ですよ」


「主役は井坂さんだろ」


「法律上の主役です」


「法律に主役とかあるのか」


「私のノートにはあります」


「勝手な世界だな」


 放っておいてください。


 私は鉛筆を握り直しました。


「真壁さん。質権って、ひと言で説明できます?」


「物を人質に取る担保」


「それ、現場編でも言ってましたね」


「分かりやすいだろ」


「乱暴です」


「じゃあ、お前が言え」


「ええと……」


 私は考えました。


 質権とは。


 債権者が、債務者などから目的物を受け取って、その物を手元に留めておき、債務が弁済されなければ、その目的物から優先的に弁済を受けられる担保物権。


「……長い」


「法律ですから」


「俺の“人質”の方が分かりやすいだろ」


「試験答案に『人質です』って書けませんよ」


「宅建はマークシートだろ」


「ぐっ」


 この男、ときどき妙なところだけ鋭い。


        ◇


 私はノートの一番上に書きました。


 【質権とは?】


 たとえば。


 AさんがBさんから百万円を借りた。


 Bさんは言います。


「ちゃんと返してくれる保証がほしい」


 そこでAさんが、自分の高級腕時計をBさんへ渡します。


 そして、


 「百万円を返したら時計を返してください」


 「返せなかったら、この時計から優先的に弁済を受けてください」


 という担保を設定する。


 これが質権です。


「つまり、今日の井坂さんと黒川さんだな」


「そうです。ただし」


 私は赤鉛筆を持ちました。


「今日の二人には、決定的に欠けていたものがあります」


「時計を渡してない」


「正解です」


 ぐるぐる、と二重丸をつける。


 【超重要】


 質権は、目的物を債権者に引き渡すことによって効力を生じる。


「ここです」


「契約書だけじゃ駄目なのか」


「はい」


「担保にするって合意してても?」


「それだけでは足りません」


「判子押してても?」


「足りません」


「実印でも?」


「足りません」


「血判でも?」


「怖いですよ」


 昭和でも普通はやりません。


「とにかく」


 私は鉛筆で線を引きました。


 質権設定契約


      +


 目的物の引渡し


      ↓


   質権が成立


「つまり、今日の黒川さんは」


「担保にするという合意自体はあった」


「はい」


「でも時計を受け取ってない」


「はい」


「だから、少なくとも質権としてはまだ完成していなかった」


「そういうことです」


 私は頷きました。


 ここは試験でも大事です。


 質権は、「約束しただけの担保」ではない。


 実際に目的物の占有を移す。


 それが特徴なんです。


        ◇


「じゃあ抵当権と何が違う?」


 真壁さんが聞きます。


「いい質問です」


「なんで上からなんだ」


「先生役なので」


「誰が決めた」


 私です。


 私はノートに二つ書きました。


 質権。


 抵当権。


「質権では、原則として目的物を債権者へ引き渡します」


「うん」


「でも抵当権は、目的物を債権者に引き渡しません」


「たとえば家か」


「そうです」


 住宅ローンを借りるたびに銀行員が家へ住み始めたら、ものすごく嫌です。


 家族団らんに支店長が混ざります。


 やめてほしい。


「だから抵当権では、設定者がそのまま不動産を使える」


「質権なら?」


「債権者側が占有するのが基本です」


 私は簡単に書きました。


 質権  → 目的物を渡す


 抵当権 → 目的物を渡さない


「試験では、まずこの違いを押さえておくと分かりやすいです」


「なるほどな」


「ただし、不動産質には独特のルールがあります」


「不動産にも質権つけられるのか?」


「そこです!」


 私は指を立てました。


「宅建で狙われます」


        ◇


 【質権の目的物】


 質権は、腕時計や宝石のような動産だけではありません。


 不動産にも設定できます。


 さらに、債権などの財産権にも設定できます。


「え。土地にも?」


「できます」


「土地をどうやって持っていくんだ?」


「持ち上げないでください」


「いや、“引渡しが必要”って言ったじゃねえか」


「占有を移すんですよ。土地そのものをトラックで運ぶわけじゃありません」


「そりゃそうか」


 当たり前です。


 富士山に質権を設定したから持っていけ、と言われても日本列島が困ります。


「ですから」


 私は書きます。


 質権の目的物には、


 ・動産


 ・不動産


 ・財産権


 があり得る。


「じゃあ『不動産には質権を設定できない』って問題が出たら?」


「誤りです」


「即答だな」


「ここは即答したいところです」


 実際、宅建ではこういう聞き方をされます。


 ――質権は、動産には設定できるが、不動産には設定できない。


 答えは、誤り。


 不動産質もあります。


「ただし」


 私は付け加えました。


「債権を目的とする質権、つまり債権質は少し話が複雑なので――」


「今日はやらない」


「はい」


 私はノートの端に大きく書きました。


 債権質 → 次回。


「逃げたな」


「分割したんです」


「便利な言葉だな」


 教材制作において非常に重要な技術です。


        ◇


「でもさ」


 真壁さんが椅子に座りました。


「質権者って、その時計を自由に使っていいのか?」


「駄目です」


「駄目なのか」


「そこ、雑に覚えない方がいいです」


 私は少し真面目な顔になりました。


 質権者は、担保として目的物を占有できます。


 でも、


 「預かったから俺の物」


 ではありません。


 所有権が質権者へ移るわけではない。


「今日の黒川さんが『この時計はうちの物だ』って言っただろ」


「はい」


「あれは違うわけだ」


「違います」


 質権は所有権ではありません。


 あくまで担保物権です。


 債務が弁済されれば、質物は返さなければならない。


「じゃあ、腕時計を預かった質権者が毎日つけて出勤したら?」


「勝手には駄目です」


「高級車なら?」


「乗り回さないでください」


「別荘なら?」


「話が変わってくるので今はやめてください」


「法律って面倒だな」


「今さらですね」


 特に不動産質では、質権者が目的不動産を使用・収益できるという特徴があります。


 ただ、今日扱っている腕時計のような動産質と、不動産質では細かなルールが違います。


 だから、


 「質権者は質物を自由に使用できる」


 と一括りに覚えるのは危険です。


 私は赤字で書きました。


 質権者=所有者ではない。


 ここ、大事。


        ◇


「で」


 真壁さんがノートを指差します。


「借金を返さなかったらどうなる?」


「質権を実行します」


「時計を売る?」


「原則として、法律上の手続によって換価して、そこから優先的に弁済を受けます」


「つまり百万円貸してて、時計が百二十万円で売れたら?」


「必要な範囲で百万円などの被担保債権について優先弁済を受けます」


「余った二十万円まで全部もらえる?」


「そんなわけないでしょう」


「だよな」


 質権というのは、


 借金を返さなかった瞬間、


 「はい、時計は全部いただき!」


 という制度ではありません。


「むしろ、最初からそういう約束をしておくのも問題があります」


「そういう約束?」


「返さなかったら、この時計はそのまま私の物になります、っていう約束です」


「ああ」


 私はノートに書きました。


 流質契約。


 これは原則として禁止されます。


「なんで?」


「債務者が困っている立場につけ込んで、価値の高い物を安い借金の担保として丸ごと取り上げる危険があるからです」


「たとえば?」


「百万円借りるために、一千万円の宝石を質に入れたとします」


「極端だな」


「分かりやすくするためです」


「返せなかったら宝石丸ごともらう?」


「それを最初から当然のように認めたら、債権者が得しすぎる場合がありますよね」


「なるほど」


 だから、質権の実行にはルールがある。


 担保は、


 債権者を守るための制度ではある。


 でも、債務者から何でも取り放題にする制度ではありません。


        ◇


「ところで、これ何だ」


 真壁さんが私の参考書を指しました。


 付従性。


 随伴性。


 不可分性。


 物上代位性。


「うわ」


「自分で書いといて嫌そうな顔するな」


「担保物権四兄弟です」


「なんだその呼び方」


「私が今つけました」


 でも、質権を理解するなら避けて通れません。


 私は一つずつ整理しました。


 まず、付従性。


 質権は、担保する債権があってこそ存在する。


 借金などの被担保債権がなければ、質権だけが宙に浮いて存在するわけではありません。


「三百万円の借金が全部返済されたら?」


「質権も消えます」


「時計をずっと持ってちゃ駄目?」


「駄目です」


「そりゃそうだ」


 借金が消えたのに、担保だけ居座る。


 そんな幽霊みたいな質権は困ります。


        ◇


 次。


 随伴性。


 担保されている債権が他人へ移れば、原則として質権もそれについて移っていく性質です。


「借金を返してもらう権利だけ他人に渡して、担保は置き去り、じゃないのか」


「基本的には一緒についていきます」


「金魚のフンみたいな」


「例え!」


「分かりやすいだろ」


 悔しいけど、ちょっと分かりやすい。


        ◇


 そして不可分性。


「これ、名前からして嫌だな」


「私も受験生時代そう思いました」


 質権者は、被担保債権の全部の弁済を受けるまでは、原則として質物の全部について権利を行使できます。


「たとえば三百万円の借金で時計を質に入れた」


「はい」


「百万円返した」


「はい」


「三分の一返したから、時計の三分の一を返せ?」


「腕時計を三等分しないでください」


「ベルトだけ返す?」


「そういう問題じゃありません」


 私は笑いながら書きました。


 借金を一部返したからといって、


 質物も比例して一部ずつ解放されるわけではない。


 全部弁済されるまで、原則として質物全体を担保として確保できる。


「これが不可分性か」


「そうです」


「時計で覚えると簡単だな」


「だから事件にしたんです」


「教材作者みたいなこと言うな」


 そうなんですけどね。


        ◇


 最後は物上代位性。


「出た。一番嫌な名前」


「分かります」


 これは、目的物が売却されたり、壊れて保険金請求権など別の価値に姿を変えた場合に、その代わりとなる金銭などへ担保権の効力を及ぼせる性質です。


「時計が時計じゃなくなる?」


「そういうイメージです」


「魂が乗り移る?」


「急に怪談にしないでください」


 担保物権の価値は、目的物そのものだけではありません。


 その物が別の経済的価値に変わった時にも、一定の要件のもと、その価値を追いかける。


 これが物上代位です。


「質権にもあるのか」


「あります」


 私はまとめました。


 質権には、


 付従性  ○


 随伴性  ○


 不可分性 ○


 物上代位性○


 全部認められる。


「全部丸か」


「はい」


「そこだけなら覚えやすいな」


「宅建は、たまに受験生へ優しい顔をします」


「たまに?」


「たまにです」


 基本は油断したところを刺してきます。


        ◇


 そこへ所長が奥から出てきました。


「ずいぶん進んだな」


「所長、質権です」


「見れば分かる」


 私のノートを眺める。


 そして、一番上の図を指しました。


「栞」


「はい?」


「今日の試験対策で、一つだけ選ぶなら何だ」


「一つだけ?」


「そうだ」


 私は考えました。


 質権にはいろいろある。


 動産にも不動産にも設定できる。


 担保物権四つの性質もある。


 優先弁済もある。


 流質契約もある。


 でも――。


「引渡しです」


 私は答えました。


 所長が頷く。


「そうだ」


 そして私のノートに、太い字で書きました。


 質権は、目的物を引き渡すことによって効力を生ずる。


「これを忘れるな」


「はい」


「契約書があるから成立した、という問題文に飛びつくな」


「……!」


 まさにそこです。


 私は赤鉛筆で囲みました。


 ここは本当に大事。


 質権は約定担保物権です。


 つまり当事者の合意によって設定する担保です。


 でも、


 「合意がある」


 ことと、


 「質権が効力を生じている」


 ことを、ごちゃまぜにしてはいけない。


 質権設定の合意があり、


 さらに目的物が引き渡される。


 そこで初めて質権が効力を生じる。


「所長」


「なんだ」


「つまり試験で『質権は債権者と債務者の契約によって成立する』ってだけ書かれていたら?」


「問題文の言い回しに注意しろ」


「ですよね」


 単純に、


 「質権は契約だから、契約した瞬間に完成!」


 と覚えるのは危険です。


 民法上、質権設定は目的物の引渡しによって効力を生じます。


 今日の井坂さんの事件は、まさにそこでした。


 担保にすると書いた。


 判子も押した。


 だけど時計を渡していない。


 だから黒川さんは、


 「すでに成立している質権に基づいて質物を持っていく」


 という理屈では動けなかった。


「なるほどな」


 真壁さんが腕を組みました。


「契約書だけ見ちゃ駄目なのか」


「はい」


「現物を見る」


「そうです」


「お前、今日ずっと井坂さんの腕ばっか見てたもんな」


「言い方!」


 変な誤解を生むでしょう。


        ◇


 私は最後に、ノートをまとめました。


 【今日の重要ポイント】


 ① 質権は担保物権。


 債権者が目的物を占有し、債務が弁済されなければ、その目的物から優先的に弁済を受けることができる。


 ② 質権は約定担保物権。


 当事者の合意によって設定する。


 ③ ただし、合意だけでは足りない。


 目的物を質権者へ引き渡すことによって効力を生じる。


 ④ 質権は動産だけではない。


 不動産にも設定できる。


 また、財産権も目的にできる。


 ※債権質は次回。


 ⑤ 質権者は所有者ではない。


 質物を預かったからといって、自分の物になるわけではない。


 ⑥ 債務が履行されなければ、質物から優先弁済を受けることができる。


 ただし、「返さなかったら質物を当然に丸ごともらう」という単純な制度ではない。


 ⑦ 質権にも担保物権の基本的性質がある。


 付従性。


 随伴性。


 不可分性。


 物上代位性。


 そして最後に、一番大きく書きました。


 質権=「担保にすると約束した物」ではなく、


    「実際に引き渡した物を担保にする制度」。


「……よし」


 私は鉛筆を置きました。


「終わったか?」


「はい」


「じゃあ帰るぞ」


 真壁さんが上着を取ります。


 私は時計を見る。


 午後六時十二分。


「あ」


「なんだ」


「井坂さんの時計、今日はちゃんと合ってましたね」


「お前、まだそれ気にしてんのか」


「大事ですよ。時計屋さんですから」


「じゃあお前は?」


「え?」


「今日、昼休み三分オーバーしただろ」


「……」


「時間に厳しいんじゃなかったのか?」


「それとこれとは」


「同じだ」


 所長まで笑っています。


 ひどい。


 私はノートを鞄へしまいました。


 今日覚えたのは、質権でした。


 物を担保として相手へ渡す。


 返済するまでは、その物を手元に置かれる。


 返済できなければ、その価値から優先的に弁済を受けられる。


 だからこそ、


 「渡したかどうか」


 が、とても大きな意味を持つ。


 教科書なら、


 「質権の設定は、債権者にその目的物を引き渡すことによって、その効力を生ずる」


 たったそれだけの一文です。


 でも今日の私には、その文章の横に一本の腕が見える。


 井坂さんの腕。


 その手首で、古い時計が時を刻んでいる。


 カチ。


 カチ。


 カチ。


 法律は、ときどき細かい。


 契約したか。


 渡したか。


 誰が持っているか。


 そんなことまで区別する。


 でも、その細かさがあったからこそ。


 今日、一つの大切な時計は、持ち主の腕に残った。


 私は事務所の電気を消しました。


「栞、帰るぞ」


「はい」


「明日は遅刻するなよ」


「しません!」


「本当か?」


「たぶん!」


「もう信用できねえ!」


 昭和六十三年。


 法律も時計も、


 細かいところほど、ごまかしが利かないようです。

 以下に私の作品へのリンク貼ってます。是非、手に取って頂ければと思います。また、ついでに評価ブックマーク頂ければ幸いです。

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