↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
宅建見習い栞の人情事件簿 〜転生したら昭和の不動産屋だったので、巻き込まれているうちに宅建過去問が解けるようになりました〜  作者: 条文小説
〈権利関係 配点14点/50点〉 保証、連帯債務

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
123/412

[連帯保証と求償権]現場編 1200万円の借金も、昼飯代の千円も同じです。

挿絵(By みてみん)

 人のお金を立て替える時には、二種類あります。


 ひとつは、


「今日財布忘れた。昼飯代、貸して」


 というやつ。


 これはまあ、せいぜい五百円とか千円です。


 返ってこなければ腹は立つけど、人生までは傾きません。


 もうひとつは、


「会社の借金、一千万円。代わりに払って」


 というやつです。


 ――昼飯と同じノリで頼むな。


 そして、なぜか不動産の世界には、後者が普通に転がっています。


 昭和六十三年。


 大槻不動産の朝は、その日も黒電話のけたたましい音から始まりました。


 私は帳簿に数字を書き込みながら、そのベル音に眉をひそめます。


 黒電話って、なんでこんなに「事件です!」みたいな鳴り方するんでしょう。


「はい、大槻不動産でございます」


 電話を取った真壁さんの顔が、三秒で険しくなりました。


「……は?」


 五秒。


「ちょっと待ってください。それ、本当に全部払ったんですか?」


 十秒。


 真壁さんが受話器を押さえて、所長を見ました。


「所長。佐伯工務店の件です」


 奥の机で新聞を読んでいた大槻所長が、ゆっくり顔を上げます。


「何があった」


「保証人の榊さんが、銀行に全額払ったそうです」


 私は鉛筆を止めました。


 保証人。


 全額弁済。


 その二つを聞いた瞬間、前世で何度も間違えた宅建の問題が、頭の奥からぬるっと這い出してきます。


 保証人の求償権。


 嫌な記憶です。


 AだのBだのCだのDだのが乱舞して、


「誰が誰にいくら請求できるでしょう」


 と聞いてくる、民法名物・アルファベット地獄。


 前世の私は何度、


「もう全員、自分の借金は自分で払え!」


 と問題集に向かって叫んだことでしょう。


「榊さん、今から来るそうです」


 真壁さんが受話器を置きました。


「かなり怒ってます」


「誰に?」


「全員に」


「便利な怒り方ですね」


「お前、本人の前で言うなよ」


 十分後。


 事務所の戸が、壊れそうな勢いで開きました。


「大槻さん!」


 入ってきたのは、五十代半ばのがっしりした男性でした。


 榊隆一さん。


 町工場を経営している人で、佐伯工務店の社長とは昔からの付き合いがあるそうです。


 顔は真っ赤。


 額には汗。


 手には、銀行の領収書。


「払いましたよ!」


 榊さんは、その紙を机に叩きつけました。


「一千二百万円! 今日、銀行に全部!」


 うわ。


 昼飯代なら二千四百回分くらい。


 いや、その換算は余計ですね。


「座ってください」


 大槻所長が静かに椅子を示しました。


 榊さんは座るなり、怒涛のように話し始めました。


「佐伯のやつ、会社が苦しいからって、俺に保証人になってくれと言ってきたんです。昔のよしみで、しょうがねえと思って判を押した」


「連帯保証ですね?」


「そうです!」


 榊さんは吐き捨てるように答えました。


「それだけじゃない。もう一人、藤森って男も連帯保証人になってるんです」


 真壁さんが確認します。


「保証人は二人?」


「ええ。俺と藤森。半分ずつ責任持つって話だった」


 私は内心で小さく頷きます。


 負担部分、各二分の一。


 債務一千二百万円なら、六百万円ずつ。


 だいたい構図が見えてきました。


「ところが佐伯が返さねえ!」


 榊さんの拳が震えます。


「銀行から俺のところに請求が来た。藤森のところにも行ったらしいが、あいつは払わねえ。銀行は『連帯保証だから榊さんに全額請求できます』って!」


「それで払った」


「払うしかないでしょう!」


 榊さんは領収書を指差しました。


「工場を止めるわけにはいかん。信用に傷がつくのも困る。だから預金を崩して、一千二百万、全部払った!」


 事務所が静まりました。


 これは、きつい。


 自分の借金ならまだしも、人の借金です。


 しかも一千二百万円。


「で!」


 榊さんが身を乗り出しました。


「藤森の土地、知ってるでしょう!」


 ――ん?


 話が少し変な方向に曲がった。


「藤森は自分の山林を、佐伯の借金の担保に入れてる!」


 真壁さんが眉を寄せます。


「ああ。物上保証もしてるんでしたっけ」


「そうだ!」


 榊さんは机を叩きました。


「だったら俺は、藤森からあの土地を取り上げられるんでしょう!?」


 私は思わず顔を上げました。


 来た。


 今日の地雷。


「俺が一千二百万払ったんだから、藤森の土地だって、全部俺のものになるはずだ!」


 なりません。


 心の中で即答しました。


 法律はそんな「払った人が好きな資産をもらえる福引」ではありません。


 ですが、榊さんは止まりません。


「銀行の権利は俺に移ったんでしょう? だったら担保も俺のものになる! あの土地、八百万円はする!」


「榊さん」


 所長が低い声を出しました。


「そこは整理しましょう」


「何を整理するんです!」


「誰が、誰に、いくら請求できるのかです」


 その言葉に、私は背筋を伸ばしました。


 あ。


 これ、所長が私に振る顔だ。


 嫌な予感というのは、大抵当たります。


「栞」


「はい」


「説明してみろ」


 ほらね。


 十八歳の事務見習いに、一千二百万円の保証債務を説明させる不動産屋。


 人材育成が豪快すぎる。


 榊さんが怪訝そうに私を見ました。


「この子が?」


「うちの見習いです」


 真壁さんが言います。


「変なところだけ妙に詳しいんですよ」


「変なところは余計です」


 私は立ち上がり、机の上のメモ用紙を一枚取りました。


「榊さん。一つずつ分けます」


 まず、真ん中に書く。


 佐伯工務店 借金 一千二百万円。


「借りたのは佐伯さんです」


「そうだ」


「つまり、本来一千二百万円を払うべきなのは佐伯さん」


「当たり前だ!」


「でも、佐伯さんが払わなかった」


「そうだ!」


「なので、連帯保証人の榊さんが代わりに一千二百万円払った」


「そうだ!」


「ここまでは大丈夫ですね」


「俺を馬鹿にしてるのか?」


「確認です」


 真壁さんが横で笑いを噛み殺しています。


 あとで覚えてろ。


「では」


 私は佐伯工務店の名前を指差しました。


「榊さんがまず請求できる相手は誰でしょう」


「藤森だろ?」


「違います」


 即答しました。


 榊さんの顔が止まる。


「まず佐伯さんです」


「……佐伯?」


「はい」


「だって、あいつ金がないから払わなかったんだぞ」


「払えるかどうかと、払う義務があるかどうかは別です」


 事務所がしんとしました。


 私は続けます。


「榊さんは、佐伯さんの借金を代わりに払ったんです」


「……ああ」


「簡単に言えば、一千二百万円、立て替えた」


 私は紙に大きく書きました。


 立て替えたから、返して。


「これが求償です」


 榊さんが紙を見つめます。


「……求償」


「はい」


「じゃあ俺は、佐伯に一千二百万全部請求できるのか?」


「原則として、そうです」


 榊さんの目が少し大きくなりました。


「全部?」


「全部です」


 その瞬間。


 榊さんの肩から、ほんの少しだけ力が抜けました。


 自分が払った瞬間に、その一千二百万円が完全に消えたと思っていたのかもしれません。


 もちろん、権利があるのと、実際に回収できるのは別問題です。


 でも。


 少なくとも、


「払ったお前が全部損しろ」


 という話ではない。


「じゃあ!」


 榊さんが身を乗り出します。


「藤森にも一千二百万請求できるんだな!?」


「できません」


「なんでだよ!」


 戻るの早いな、この人。


 私は紙に二人の名前を書きました。


 榊 六百万円。


 藤森 六百万円。


「榊さんと藤森さんは、連帯保証人が二人」


「そうだ」


「負担部分は平等」


「ああ」


「なら、内部的な負担は半分ずつ。六百万円ずつです」


 榊さんが黙りました。


「榊さんは一千二百万円払った」


「払ったよ!」


「でも自分の負担部分は六百万円」


 私は線を引きます。


「つまり、榊さんが自分の分を超えて払った額は?」


「……六百万」


「はい」


 私は藤森さんの名前を指しました。


「だから、藤森さんに求償できるのは、基本的にはこの六百万円です」


 榊さんは、しばらく紙を睨みました。


「……土地が八百万でも?」


「土地の値段は関係ありません」


「でも、あいつは土地まで担保に入れてる!」


「それと、連帯保証人どうしの負担割合は別の話です」


 私はできるだけゆっくり言いました。


「藤森さんの土地が五百万円でも、八百万円でも、一千万円でも」


 紙の六百万円を指す。


「榊さんと藤森さんの保証人としての負担部分が半分ずつなら、榊さんが藤森さんに求償できる基準は、土地の価値ではなく負担部分です」


「……土地の値段じゃない」


「はい」


「払った額のうち、あいつの負担分」


「そうです」


 榊さんが背もたれに沈みました。


 怒りで膨らんでいた風船から、少し空気が抜けたようでした。


「なんだよ……じゃあ俺、損じゃないか」


「まだです」


 私は言いました。


 榊さんが顔を上げる。


「まだ?」


「話を混ぜないでください」


 私は紙を二つに分けました。


 上に、


 佐伯さんへの求償。


 下に、


 藤森さんへの求償。


「佐伯さんには?」


 榊さんが答えます。


「一千二百万」


「藤森さんには?」


「……六百万」


「はい」


 私は頷きました。


「相手によって違うんです」


 真壁さんが横から口を挟みます。


「なるほどな。債務者本人には立て替えた全部。仲間の保証人には、その人が本来負担すべきところまでか」


「そういう整理です」


「それなら分かる」


「最初から私もそう説明してます」


「お前の話、たまに法律語が多いんだよ」


「今日まだ『求償』しか言ってません」


 所長が咳払いしました。


 笑うの我慢してません?


「じゃあ、藤森の土地はどうなる」


 榊さんが聞きました。


 そこが一番気になるらしい。


「俺はあいつの土地に対して、何もできないのか」


 私は少し考えました。


 ここは雑に答えると危ない。


 保証人、連帯保証人、物上保証人。


 しかも藤森さんは連帯保証人でもあり、担保提供者でもある。


 前世の過去問なら、


 A銀行。


 B社。


 C。


 D。


 このあたりで私は一度、問題集を閉じていました。


 でも、今は閉じられません。


 目の前に人がいるから。


「まず」


 私は言いました。


「藤森さんが土地を担保に入れているからといって、榊さんが土地の価額全部を藤森さんに請求できるわけではありません」


「……ああ」


「それはさっきの六百万円の話です」


「うん」


「ただし、保証人が債権者に弁済すると、一定の範囲で、もともと債権者が持っていた権利を引き継ぐ仕組みがあります」


 榊さんが首を傾げました。


「銀行の権利を?」


「はい」


「じゃあ、やっぱり土地も――」


「全部あなたのものになる、ではありません」


「先回りするなよ」


「絶対そう言うと思ったので」


 真壁さんが吹き出しました。


「栞、お前、客に慣れてきたな」


「喜んでいいのか分かりません」


 その時です。


 また黒電話が鳴りました。


 真壁さんが出ます。


「はい、大槻不動産……ああ、藤森さん?」


 全員の視線が集まりました。


 真壁さんの顔つきが変わる。


「……え?」


 しばらく黙って聞いたあと、真壁さんは受話器を押さえました。


「所長。藤森さん、土地を売るって言ってます」


「誰に」


「県外の業者です。今日、手付を入れる予定だそうです」


 榊さんが立ち上がりました。


「逃げる気か!」


「落ち着いてください」


 私は言いながら、自分の頭を高速で回転させます。


 事情を聞くと、藤森さんはこう言っているらしい。


 佐伯工務店の借金については、銀行への弁済は榊さんが済ませた。


 だから、


「もう自分の土地についていた担保も終わりだろう」


 と考えた。


 そして土地を売って、その代金を別の借金返済に充てようとしている。


 なるほど。


 全員が少しずつ間違えてる。


 今日、間違いの見本市ですね。


 所長が立ち上がりました。


「真壁」


「はい」


「藤森さんに来てもらえ」


「今から?」


「今からだ」


 三十分後。


 今度は藤森さんがやってきました。


 榊さんと同年代。


 細身で、眼鏡をかけた人でした。


 入ってきた瞬間、榊さんを見て固まります。


「……隆一」


「藤森」


 空気が重い。


 旧友同士の名前呼びって、仲がいい時は温かいんですが、揉めた時は決闘前みたいになります。


「お前、土地売る気か」


「売るよ」


「俺が一千二百万払った翌日に?」


「俺だって金が要るんだ!」


 藤森さんも声を荒らげます。


「そもそも銀行にはもう金が払われたんだろう! なら担保だって終わりだ!」


「お前の分まで俺が払ったんだぞ!」


「頼んでない!」


「連帯保証なんだから誰かが払わなきゃ仕方ねえだろうが!」


「俺にだって事情が――」


「やめろ」


 所長の声が落ちました。


 大きくない。


 でも二人とも黙った。


 この人、声量じゃなく圧力で音を止めるんですよね。


「喧嘩なら外でやれ」


 所長は言いました。


「ここでは権利関係を整理する」


 私は内心で拍手しました。


 そう。


 感情が絡まった時こそ、法律は人間関係を線に戻してくれる。


 所長が私を見ました。


 また私ですか。


「栞」


「はい」


「今度は藤森さんにも説明しろ」


 私は二人の間に、さっきの紙を置きました。


「藤森さん」


「……何だい」


「まず一つ」


 私は言いました。


「榊さんが全額払ったからといって、あなたの負担が消えたわけではありません」


 藤森さんの眉が動きます。


「でも銀行にはもう借金がないんだろ?」


「銀行に対しては、です」


「……?」


「榊さんがあなたの負担分まで立て替えています」


 六百万円。


 私はそこを指しました。


「だから、あなたは榊さんから、この負担部分について求償を受ける可能性があります」


「六百万……」


「はい」


 榊さんが横で腕を組みました。


「八百万じゃないぞ」


「そこ、ちょっと嬉しそうに言わないでください」


 私は睨みます。


「あなたもさっきまで八百万取ろうとしてましたからね」


 真壁さんが完全に笑っています。


「で」


 藤森さんが顔を曇らせました。


「俺が土地を売るのは自由だろ?」


「単純に『銀行が弁済を受けたから何も関係ない』とは言い切れません」


 私は答えました。


「榊さんが弁済したことで、一定の範囲で債権者だった銀行の権利を引き継ぐ関係が生じます」


「……つまり?」


「担保についても、何の検討もせず『もう全部消えた』と決めつけるのは危険です」


 藤森さんの顔から血の気が引きました。


「じゃあ、このまま売ったら?」


 所長が答えます。


「後で買主まで巻き込んで揉める可能性がある」


「……」


「今日、手付を入れるのは止めろ」


 所長の言葉は短かった。


「まず銀行から弁済後の書類を取り寄せる。保証契約と担保の内容を確認する。榊さんの求償関係も整理する。その上で売るなら売れ」


 藤森さんは俯きました。


「……でも、俺も金がないんです」


 さっきまでの怒鳴り声とは違いました。


 小さな声でした。


「佐伯が困ってるっていうから保証した。土地も入れた。まさか本当に払えなくなるなんて思ってなかった」


 榊さんが何も言わなくなる。


「家内には黙ってました。土地まで担保に入れたなんて」


 藤森さんは両手で顔を覆いました。


「だから、早く売ってしまいたかった」


 私は少しだけ胸が痛みました。


 悪い人じゃない。


 たぶん、みんな悪い人じゃない。


 佐伯さんも、最初は本当に会社を立て直すつもりだったのでしょう。


 榊さんも、友人を助けたかった。


 藤森さんも同じ。


 そして気づけば、善意が一千二百万円の借金になっていた。


 保証って、怖い。


 「名前だけ貸して」


 なんて言葉で始まっても、最後に動くのは名前じゃない。


 お金です。


 土地です。


 生活です。


「藤森」


 榊さんが口を開きました。


「……六百万、今すぐ払えとは言わん」


 藤森さんが顔を上げる。


「隆一」


「でも、俺も工場の運転資金を崩した」


「ああ……」


「だから、無かったことにはできねえ」


「……分かってる」


「土地を売るなら売れ」


 榊さんは言いました。


「ただし、勝手に消えるな」


 藤森さんの目が揺れました。


「俺も、お前の土地が欲しいわけじゃねえ」


 榊さんは鼻を鳴らしました。


「山なんかもらってどうすんだ。俺、タケノコ掘りたいわけじゃねえぞ」


 真壁さんが小さく笑いました。


 私も、少しだけ。


「売れるなら、ちゃんと整理して売れ。その中から払える分を払え」


「……すまん」


「謝るのは佐伯にも言え」


「お前もな」


「俺は払った側だぞ!」


「判子押したのは同じだろ!」


 また始まりそうになったところで、所長が一言。


「次に怒鳴った方がお茶代を出せ」


 二人とも黙りました。


 効果てきめん。


 昭和のおじさん、喧嘩より会計に弱い。


 その日の午後。


 所長と真壁さんが銀行へ確認に走り、私は事務所で書類を整理しました。


 事情が分かった藤森さんは、土地の売買をいったん延期。


 榊さんと藤森さんは、佐伯工務店への求償と、二人の内部負担について、専門家も交えて正式に整理することになりました。


 数日後。


 佐伯さん本人も大槻不動産にやってきました。


 げっそり痩せていました。


 会社は完全に駄目になったわけではない。


 大口の入金が遅れ、資金繰りが詰まったらしい。


「榊、藤森。本当にすまなかった」


 佐伯さんは、深く頭を下げました。


「必ず返す」


 榊さんは黙っていました。


 藤森さんも黙っていました。


 私は思いました。


 「必ず返す」


 保証人を頼む人は、たぶん本気でそう思っています。


 でも法律は、その気持ちだけでは動きません。


 だから保証人という制度がある。


 そして保証人が払った後にも、求償権という仕組みがある。


 払った人を、その場で全部切り捨てないために。


「佐伯」


 やがて榊さんが言いました。


「返せる範囲で返せ」


 佐伯さんが顔を上げる。


「ただし」


 榊さんの声が低くなりました。


「二度と俺に保証人頼むな」


「……分かった」


「絶対だぞ」


「分かった」


 藤森さんも横から言いました。


「俺にもな」


「ああ」


「土地も貸さん」


「ああ」


「印鑑も貸さん」


「それは元々貸すな」


 思わず私が突っ込みました。


 三人がこちらを見る。


 しまった。


 十八歳が人生の先輩たちの修羅場に口を出した。


 でも次の瞬間。


 榊さんが笑いました。


 藤森さんも笑った。


 佐伯さんまで、困った顔で笑いました。


 張りつめていた空気が、ほんの少しだけほどけました。


 夕方。


 三人が帰ったあと、私は机に頬杖をついて、今日のメモを眺めていました。


 佐伯さん。


 一千二百万円。


 榊さん。


 一千二百万円弁済。


 藤森さん。


 負担部分六百万円。


 紙の上なら、それだけです。


 でも現実には、その数字の横に、工場があり、土地があり、家族があり、二十年来の友情がある。


「難しい顔してんな」


 真壁さんが缶コーヒーを机に置きました。


「考えてたんです」


「何を」


「求償って、変な言葉だなって」


「どこが」


「法律用語だと難しそうなのに、意味は結局……」


 私は缶を持ち上げました。


「『立て替えたから返して』ですよね」


「まあ、そうだな」


「千円でも一千二百万でも」


「規模が違いすぎるけどな」


「昼飯なら分かりやすいのに」


「じゃあ覚え方はそれでいいじゃねえか」


「え?」


 真壁さんは、自分の缶コーヒーを開けました。


「俺がお前の昼飯代千円立て替えた」


「はい」


「あとで返せって言う」


「求償」


「そう」


「でも、私と所長が二人で半分ずつ払う約束だったのに、真壁さんが全部払ったら?」


「お前らに五百円ずつ――」


 真壁さんが止まりました。


「……なるほど」


「今、自分で問題作りましたね」


「俺、宅建受かるかもしれん」


「調子に乗らないでください」


 奥から所長の声が飛んできました。


「その前に仕事しろ」


「はい」


 真壁さんが即答します。


 私は笑いながら缶コーヒーを両手で包みました。


 昭和六十三年。


 この時代の不動産屋には、いろんな人がやってくる。


 土地を売りたい人。


 家を買いたい人。


 借金に困る人。


 そして、人の借金を払ってしまった人。


 法律は、その全部をきれいに救ってくれる魔法じゃない。


 払えないものは、払えない。


 失ったお金が、必ず戻るわけでもない。


 それでも。


 誰が本来払うべきだったのか。


 誰が代わりに払ったのか。


 誰に、どこまで返してもらえるのか。


 絡まった糸を一本ずつほどけば、


「全部お前が損をしろ」


 という乱暴な結論を止めることはできる。


 私はメモの一番下に、大きく書きました。


 求償権。


 ――立て替えたから、その分返して。


 そして、その横にもう一行。


 ただし、「誰に」「いくら」は分けて考えること。


「栞」


「はい?」


「今日の晩飯どうする」


 真壁さんが聞きました。


「帰って食べます」


「俺、財布忘れた」


「貸しません」


「即答かよ」


「今日一日、何を学んだと思ってるんですか」


 所長が奥で吹き出しました。


 真壁さんが渋い顔をする。


「千円くらい立て替えてくれてもいいだろ」


「嫌です」


「ちゃんと返すぞ」


「その言葉を今日、何回聞いたと思ってるんですか」


「……信用ないなあ」


「保証人になります?」


「それはもっと嫌だ」


「でしょう?」


 私は笑いました。


 窓の外では、夕日が商店街の屋根を赤く染めていました。


 今日覚えた法律は、一見すると地味です。


 保証人が払った。


 だから債務者に返してもらえる。


 複数の保証人がいれば、負担部分に応じて仲間にも求償できる。


 ただ、それだけ。


 でも。


 その「ただそれだけ」がなければ、友人を助けた人が、一人ですべてを背負うことになる。


 法律は、ときどき冷たい。


 けれど。


 誰かの代わりに払った人に、


「今度は、あなたが返してもらう番ですよ」


 と言ってくれるくらいには、


 案外、義理堅いのかもしれません。


 私は缶コーヒーを一口飲みました。


 少し甘かった。


 今日くらいは、その甘さでちょうどいい気がしました。

 以下に私の作品へのリンク貼ってます。是非、手に取って頂ければと思います。また、ついでに評価ブックマーク頂ければ幸いです。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
宅建見習い栞の人情事件簿 〜転生したら昭和の不動産屋だったので、巻き込まれているうちに宅建過去問が解けるようになりました〜
名探偵 藤原彰子の宮中事件簿 ――『転生皇后 藤原彰子』スピンオフ外伝
転生皇后 藤原彰子 〜 欠けることのない望月の世は私が創る 〜
新訳 太閤記 ~ 転生 豊臣秀吉、未来を識る僕は史実の道を静かに歩む 〜
新訳 三河物語 〜 徳川家康と家臣団の戦国サバイバル 〜 with 逆行転生犬シロ
新訳 北条五代記 〜 近所の隠居が書いたメモがガチの戦記だった件〜
美しき女帝 北条政子 〜 婚約破棄どころか強制結婚!? 平家のエリートに嫁がされそうになったので、豪雨の山を越えて愛する無職の元へ走ってみた 〜
新訳 曽我物語 〜 復讐系なろうの原点、父を殺された兄弟の二十年の復讐譚〜
箴言・格言・名言集 〜頑張るあなたへ、今日を乗り越えるための一言〜
拝啓、愛読者様。― 想いを少しだけ 謹呈 条文小説
六道輪廻抄 〜 戦国転生記 〜
コミックス「六道輪廻抄〜戦国転生記〜」
動画生成AIが作成したイメージビデオ
動画生成AIが作成したなろう小説イメージビデオ
動画生成AIが作成したなろう小説イメージビデオ
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。