↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
宅建見習い栞の人情事件簿 〜転生したら昭和の不動産屋だったので、巻き込まれているうちに宅建過去問が解けるようになりました〜  作者: 条文小説
〈権利関係 配点14点/50点〉 債権の消滅

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
106/233

[相殺と同時履行]法理編 栞とお勉強

挿絵(By みてみん)

 夕方の事務所で、私はノートを開きました。


 今日の事件を、もう一度整理してみる。


 佐伯さんは、野村さんに百万円を貸していた。


 つまり――。


 佐伯さんは、野村さんに対して、


 「百万円を返してください」


 という貸金債権を持っている。


 一方で、その後。


 佐伯さんは、野村さんから百万円で車を買った。


 すると、車の売買契約によって、


 佐伯さんには、


 「車を引き渡してください」


 という引渡請求権が生まれる。


 野村さんには、


 「百万円を払ってください」


 という代金債権が生まれる。


 ここまではいい。


 問題は、この三つの債権が絡み合ったときだ。


「……ほんと、登場人物が二人しかいないのに面倒くさいな」


「何がだ?」


 いつものように、真壁さんが後ろから覗き込んできました。


「債権です」


「またか」


「またです」


 私はノートを真壁さんの方へ向けました。


 まず、関係を図にする。


 A=佐伯さん


 B=野村さん


 A → B


 貸金債権100万円


 B → A


 車の代金債権100万円


 そして、


 A → B


 車の引渡請求権


「百万円と百万円なら、相殺して終わりじゃないのか?」


「そこが今日の罠です」


「罠って言うな」


「試験問題はだいたい罠です」


「お前、宅建に恨みあるだろ」


「かなり」


 私はペンを持ち直しました。


 まず大前提。


 相殺とは、


 お互いが同じ種類の債権を持っている場合に、それを対当額で消滅させることです。


「簡単に言えば?」


「『お前が俺に百万円払え、俺もお前に百万円払え。じゃあ、お互い払ったことにしてゼロにしよう』です」


「最初からそれでいいだろ」


「法律の教科書には怒られそうですけどね」


 私は続けます。


 ここで大事なのが、


 自働債権と受働債権。


「また難しい言葉が出たな」


「でも意味は簡単です」


 私はノートに書きました。


 自働債権


 =相殺する側が持っている債権


 受働債権


 =相殺される側の債権


「相殺を言い出した人の武器が、自働債権?」


「そう考えてください」


「じゃあ、相殺される方が受働債権」


「はい」


「上下関係みたいで嫌な名前だな」


「法律用語に情緒を求めないでください」


 さて。


 今日の問題では、誰が相殺を言い出すかによって、自働債権と受働債権が入れ替わる。


 そして、それによって結論まで変わる。


「そこが分からん」


「ですよね」


 私も前世で何度も混乱しました。


 百万円対百万円。


 金額は同じ。


 登場人物も同じ。


 なのに、


 Aから相殺する場合はできる。


 Bから相殺する場合はできない。


 なんでやねん。


 法律のテキストに関西弁で突っ込みたくなるところです。


 まずは、車の売買契約から考えます。


 売主Bには、


 代金100万円を請求する権利。


 買主Aには、


 車の引渡しを請求する権利。


 この二つは、原則として同時履行の関係にあります。


「同時履行?」


「一方が履行するまでは、もう一方も履行を拒める関係です」


「今日の話なら?」


「Bが車を渡さないなら、Aも代金を払わなくていい」


「ああ」


「逆に、Aが代金を払わないなら、Bも車を渡さなくていい」


「なるほど」


 私はノートに書きました。


 B「車を渡します」


 A「代金を払います」


 原則として、同時。


 だから、


 Bが車を渡さない


 ↓


 Aは代金支払いを拒める


 これが、Aの持つ同時履行の抗弁権です。


「つまり?」


「『車が来るまで百万円は払いません』と言える権利です」


「それなら分かる」


「では、ここからが本題です」


 私は赤鉛筆を取りました。


 まず①。


 Aが、自分の貸金債権100万円を使って、


 Bの代金債権100万円と相殺する場合。


「今日、佐伯さんがやった方だな」


「はい」


 Aには、Bに対する貸金債権100万円がある。


 Bには、Aに対する車の代金債権100万円がある。


 Aが言う。


「あなたに貸している100万円と、私が払うべき車代100万円を相殺します」


 すると、


 貸金債権100万円


 と


 代金債権100万円


 が消える。


「じゃあ、Aは車の代金を払わなくてよくなる」


「というより、法律上は、代金を払ったのと同じような状態になります」


「ほう」


「ここが大事です」


 私は大きく書きました。


 Aからの相殺


 =Aが自分から先に代金を払ったようなもの


「でも車、まだ来てないんだろ?」


「そうです」


「じゃあAが損じゃないか?」


「そうなんです!」


 私は指を立てました。


「そこが、相殺できる理由なんです」


「……逆じゃないのか?」


「逆じゃないんです」


 真壁さんが露骨に嫌そうな顔をした。


 分かります。


 法律って、たまに説明が逆説的です。


「Aは本来、車を受け取るまで代金を払わなくてもいい」


「同時履行の抗弁権があるからな」


「はい。でもA自身が相殺するということは」


 私はノートを指しました。


「その『車が来るまで払わない』という権利を、自分から手放すことになります」


「自分で?」


「そうです」


「じゃあAが、自分から先払いしたのと同じか」


「そのとおりです」


 A自身が不利になる。


 でも、それはA自身が選んだこと。


 一方、Bはどうか。


 Bから見れば、代金100万円の債権が消える。


 つまり、代金を受け取ったのと同じ状態になる。


 Bには不利益がない。


「だからAからの相殺はできる」


「はい」


 私はまとめました。


 Aが貸金債権を自働債権として相殺


 ↓


 A自身が同時履行の抗弁権を事実上手放す


 ↓


 不利益を受ける可能性があるのはA自身


 ↓


 相手方Bの利益を害さない


 ↓


 相殺できる


「なるほど」


 真壁さんが腕を組んだ。


「自分で自分の盾を捨てるなら、勝手にしろってことか」


「……かなり乱暴ですが、覚え方としては優秀です」


「褒められた」


「珍しいですね」


「お前な」


 では次。


 ②Bから相殺する場合。


 ここが重要です。


 Bが、自分の代金債権100万円を使って、


 Aの貸金債権100万円と相殺する。


「野村がやろうとした方だな」


「そうです」


 Bが言う。


「あなたに返すべき百万円と、あなたが私に払うべき車代百万円を相殺します」


 一見すると、さっきと同じです。


 百万円と百万円。


 きれいに消える。


 でも――。


「車は?」


 私は聞きました。


「まだBが持ってる」


「ですよね」


 Bは車を渡していない。


 なのに、代金債権を使って相殺できてしまったらどうなるか。


 Aの貸金債権100万円は消える。


 Bの代金債権100万円も消える。


「だからゼロだろ?」


「数字だけ見れば」


 私は頷きました。


「でもAは車をもらっていません」


「……あ」


 真壁さんの顔が変わった。


「Aは本来、『車を渡すまで代金は払わない』と言えたんです」


「同時履行の抗弁権」


「はい」


「それなのにBから相殺できたら……」


「Aは、その権利を勝手に奪われます」


 私は大きく線を引きました。


 Bから相殺


 ↓


 Aの貸金債権が消える


 ↓


 Bの代金債権も消える


 ↓


 でも車はまだAに渡っていない


「うわ」


 真壁さんが顔をしかめた。


「Aだけ酷くないか?」


「そうなんです」


 Aは百万円を貸していた。


 その貸金債権は消える。


 車は来ない。


 そして本来持っていた、


「車が来るまで代金は払わない」


 という同時履行の抗弁権まで、実質的に意味を失う。


「それじゃ、Bが一方的に得じゃねえか」


「だから認められません」


 私はノートに書きました。


 Bが代金債権を自働債権として相殺


 ↓


 Aの同時履行の抗弁権を一方的に奪う


 ↓


 Aが不利益を受ける


 ↓


 相殺できない


「なるほどな」


「つまり、この問題で一番大事なのは」


 私は赤鉛筆で囲みました。


 同時履行の抗弁権が付着した債権を、


 その債権者側から自働債権として使って、


 相手方の抗弁権を一方的に奪うことはできない。


「……難しく戻ったな」


「ですよね」


「さっきの説明でいい」


「じゃあ、もっと簡単にします」


 私は下に書きました。


 相手の「まだ払わなくていい」を、


 相殺で勝手に消してはいけない。


「おお」


「これなら?」


「分かる」


「では試験用には、その上の文章も覚えてください」


「急に厳しいな」


「試験なので」


 そこへ、大槻所長がやってきました。


「まだやってるのか」


「所長」


「今日は相殺です」


 所長は私のノートを覗き込みました。


「ふむ」


「どうです?」


「字は少しマシになったな」


「法律の中身を見てください!」


 真壁さんが笑っています。


 所長は椅子を引いて座りました。


「栞」


「はい」


「一つ、もっと単純に覚えろ」


「何ですか?」


 所長はペンを取りました。


 そしてノートの端に二本の矢印を書きました。


 A → B  相殺できる


 B → A  相殺できない


「……これだけですか?」


「まずはな」


「理由は?」


「その次だ」


 所長はAからBへの矢印を指しました。


「Aから相殺すると、誰が同時履行の抗弁権を捨てる?」


「A自身です」


「誰が不利益を受ける?」


「A自身」


「なら?」


「相殺できる」


「そうだ」


 今度は、BからAへの矢印。


「Bから相殺すると?」


「Aの同時履行の抗弁権が奪われる」


「誰が不利益を受ける?」


「Aです」


「しかも?」


「Aの意思とは関係なく」


「だから?」


「相殺できない」


 所長が頷きました。


「試験で迷ったら」


 ペン先でノートを叩く。


「誰の抗弁権が消えるのかを見る」


「……!」


「相殺する本人が、自分の抗弁権を捨てるなら構わん」


「はい」


「だが、相手の抗弁権を勝手に消すのは駄目だ」


「なるほど」


 私は大きく書きました。


 超重要


 自分の盾を捨てる相殺


 → できる


 相手の盾を奪う相殺


 → できない


「所長」


「なんだ」


「これ、すごく分かりやすいです」


「そうか」


「真壁さんより」


「おい」


 真壁さんが抗議した。


「俺もさっき『盾を捨てる』って言っただろ!」


「所長が言うと法理っぽいです」


「差別だろ」


「威厳の差です」


「お前、最近俺への扱い雑になってないか?」


 なってます。


 慣れです。


 私は改めて、今日の論点を整理しました。


 ① Aから相殺する場合


 AはBに対して貸金債権100万円を持っている。


 BはAに対して車の代金債権100万円を持っている。


 Aが、


 貸金債権を自働債権として、


 Bの代金債権と相殺する。


 これは可能。


 理由。


 Aは本来、


「車を受け取るまで代金を払わない」


 という同時履行の抗弁権を持っている。


 しかし、自分から相殺することで、


 自らその抗弁権を手放すことになる。


 つまり、自分から代金を先払いするようなもの。


 不利益を受けるのはA自身。


 相手方Bに不利益はない。


 だから相殺できる。


 ② Bから相殺する場合


 Bが、


 車の代金債権100万円を自働債権として、


 Aの貸金債権100万円と相殺する。


 これはできない。


 理由。


 Bはまだ車を渡していない。


 そのためAには、


「車を引き渡してくれるまで代金は払いません」


 という同時履行の抗弁権がある。


 ところがBから相殺できてしまうと、


 Aの貸金債権100万円が消えてしまう。


 Aは車を受け取っていないのに、


 自分の貸金債権まで失うことになる。


 これは、


 Bが一方的にAの同時履行の抗弁権を奪う結果になる。


 そのため、相殺は認められない。


「結局」


 真壁さんが言いました。


「百万円と百万円だから相殺できる、じゃ駄目なんだな」


「はい」


「債権の中身を見る」


「はい」


「特に、何か抗弁権がくっついてないか」


「そうです」


「面倒だな」


「その感想で正解です」


 私は笑いました。


 相殺の問題は、数字だけ見れば簡単です。


 百万円と百万円。


 ゼロ。


 でも法律は、そのゼロの作り方を見る。


 誰が相殺を主張したのか。


 何を自働債権にしたのか。


 相手方には、どんな抗弁権があったのか。


 そして、その相殺によって誰が不利益を受けるのか。


 そこまで見ないと、答えを間違える。


 私はノートの最後に、大きく書きました。


 相殺問題で迷ったら


 ① 誰が相殺する?


 ② 自働債権はどれ?


 ③ 受働債権はどれ?


 ④ その債権に抗弁権はついている?


 ⑤ 相殺すると、誰の抗弁権が消える?


 そして、その下に一行。


 相手の「払わなくていい理由」を、勝手に相殺で消してはいけない。


「これでいいかな」


「試験用には十分じゃないか」


 真壁さんが言った。


「所長は?」


「もう一つ」


「まだあるんですか」


「試験は性格が悪いからな」


「所長まで!」


 所長は少し笑って、ノートに書き足しました。


 金額が同じでも、


 相殺の方向が変われば結論も変わる。


「ここを忘れるな」


「はい」


「Aからできるなら、Bからもできるだろう、と思った瞬間に負けだ」


「……ものすごく試験に出そうです」


「出題者は、そういう顔をして待ってる」


「嫌な待ち方ですね」


 私はノートを閉じました。


 今日の白いワゴン車を思い出す。


 佐伯さんから相殺すれば、


 貸金百万円と車代百万円は消える。


 そして野村さんは、車を引き渡す。


 でも。


 野村さんから相殺することはできない。


 車を渡していないのに、


 佐伯さんの貸金債権だけ消すことになるから。


 同じ百万円。


 同じ二人。


 同じ相殺。


 でも向きが違えば、意味が違う。


 私は最後に、今日の覚え書きを一つだけ書きました。


 相殺は、計算ではなく、権利関係を見る。


「栞」


「はい?」


 真壁さんが、昨日の残りの羊羹を一切れ差し出しました。


「今日の分」


「ありがとうございます」


「ただし昨日のお茶くみ代との相殺は禁止な」


「覚えてたんですか」


「当たり前だ」


「じゃあ、今日コピーを三十枚取った労務債権と――」


「そんな債権もねえ!」


 私は羊羹を口に入れました。


 甘い。


 民法はやっぱり少し面倒です。


 でも、今日のところは。


 百万円より羊羹一切れの方が、ずっと分かりやすい取引でした。

 以下に私の作品へのリンク貼ってます。是非、手に取って頂ければと思います。また、ついでに評価ブックマーク頂ければ幸いです。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
宅建見習い栞の人情事件簿 〜転生したら昭和の不動産屋だったので、巻き込まれているうちに宅建過去問が解けるようになりました〜
名探偵 藤原彰子の宮中事件簿 ――『転生皇后 藤原彰子』スピンオフ外伝
転生皇后 藤原彰子 〜 欠けることのない望月の世は私が創る 〜
新訳 太閤記 ~ 転生 豊臣秀吉、未来を識る僕は史実の道を静かに歩む 〜
新訳 三河物語 〜 徳川家康と家臣団の戦国サバイバル 〜 with 逆行転生犬シロ
新訳 北条五代記 〜 近所の隠居が書いたメモがガチの戦記だった件〜
美しき女帝 北条政子 〜 婚約破棄どころか強制結婚!? 平家のエリートに嫁がされそうになったので、豪雨の山を越えて愛する無職の元へ走ってみた 〜
新訳 曽我物語 〜 復讐系なろうの原点、父を殺された兄弟の二十年の復讐譚〜
箴言・格言・名言集 〜頑張るあなたへ、今日を乗り越えるための一言〜
拝啓、愛読者様。― 想いを少しだけ 謹呈 条文小説
六道輪廻抄 〜 戦国転生記 〜
コミックス「六道輪廻抄〜戦国転生記〜」
動画生成AIが作成したイメージビデオ
動画生成AIが作成したなろう小説イメージビデオ
動画生成AIが作成したなろう小説イメージビデオ
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。