[強迫]法理編 栞とお勉強
翌朝。私は昨日の事件を、もう一度ノートに整理していました。
吉村さんの件は、無事に契約を白紙に戻すことができた。
でも、昨日の一件で改めて思いました。
――「強迫」って、詐欺と似ているようで、かなり違う。
ここを曖昧にすると、試験で絶対に間違える。
だから今日は、ノートにまとめることにしました。
題名は大きく。
強迫。
その下に、まず一行。
「怖がらせて、自由な意思決定を邪魔すること」
「朝から勉強か」
声がした。
顔を上げると、真壁さんがコーヒーを片手に立っていました。
「昨日の復習です」
「真面目だねえ」
「真壁さんも見ます?」
「俺はもう十分だ」
「宅建の試験、大丈夫なんですか?」
「……コーヒー飲んでから考える」
逃げました。
私は笑いながら、ノートを開き直しました。
---
一 そもそも、強迫って何?
まず、ここ。
強迫とは、他人を脅して畏怖させること。
たとえば――
Aが土地を売るつもりはなかった。
でもBから、
「売らないなら、息子さんがどうなっても知りませんよ」
などと脅されて、怖くなって土地を売った。
これが強迫。
ここで大事なのは、
Aは「売ろう」と思っている
ということ。
「ん?」
真壁さんがノートを覗き込んできました。
「怖がってるのに、売ろうとは思ってるの?」
「そうです」
「じゃあ、本人の意思じゃないんじゃないか?」
「そこが強迫の面白いところです」
私はペンで図を書きました。
強迫される
↓
怖くなる
↓
「売ろう」と思う
↓
実際に「売ります」と表示する
「つまり、意思と表示そのものは一致してるんです」
「でも、その意思が自由じゃない」
「その通りです」
私は丸をつけました。
意思はある。
でも、自由な意思決定ではない。
これが強迫。
だから、詐欺と同じく、
瑕疵ある意思表示
と考えます。
---
二 強迫されたら、どうなる?
ここは簡単。
ノートに大きく書きました。
強迫による意思表示は、取り消すことができる。
根拠は民法96条1項。
条文は、
「詐欺又は強迫による意思表示は、取り消すことができる」
です。
「つまり吉村さんは?」
真壁さんが聞きます。
「取り消せます」
「判を押したのに?」
「判を押したからこそ、強迫が問題になるんです」
「なるほど」
私は昨日の吉村さんを思い出しました。
怖くて、早く終わらせたくて押した判。
法律は、
「判を押したんだから全部自己責任」
とは言わない。
その判を押すまでに、どんな状況だったのかを見る。
そこが大事です。
---
三 第三者から強迫されたら?
ここから少しややこしくなります。
私は三人の名前を書きました。
A=強迫された人
B=契約の相手方
C=強迫した第三者
そして、
CがAを脅す。
↓
AがBと売買契約をする。
という図を書きました。
「この場合、Bが強迫のことを知らなかったら?」
真壁さんが聞きます。
「それでもAは取り消せます」
「Bは何も悪くないのに?」
「はい」
「厳しいな」
「強迫は、それくらい被害者保護が強いんです」
ここは詐欺との比較が重要。
詐欺の場合、
第三者CがAを騙して、AがBと契約した場合。
Bがその詐欺の事実を知らず、しかも知らないことに過失もなければ、Aは取り消せない。
でも強迫は違う。
Bが、
「そんなこと知らなかった」
と言っても、
Aは取り消せる。
私はノートに大きく書きました。
### 第三者からの強迫
相手方が善意でも悪意でも、取り消せる。
「つまり」
真壁さんが指を一本立てました。
「詐欺より強迫のほうが、被害者に優しい」
「そうです」
「覚え方は?」
「私はこう覚えてます」
私はノートの端に書きました。
詐欺 → 第三者をちょっと保護する
強迫 → 強迫された人を徹底的に保護する
「雑だな」
「でも覚えやすいですよ」
「……確かに」
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四 じゃあ、土地を第三者に売られたら?
ここが一番大事。
そして一番、試験で嫌らしいところ。
私は新しいページを開きました。
今度は、
A → B → C
と三人を書きます。
AがBに土地を売る。
↓
その契約は、AがBから強迫されていた。
↓
その後、BがCに土地を売る。
「Cは第三者ですね」
「そう」
「じゃあCが善意だったら?」
「それでもAが保護されます」
「Cが知らなかったとしても?」
「はい」
「Cが登記していても?」
「強迫による取消しが先なら、AはCに対抗できます」
私はここに線を引きました。
強迫は、取消し前の第三者に強い。
ここは非常に重要。
詐欺の場合は、善意無過失の第三者が出てくると、その第三者を保護する規定があります。
でも強迫には、それがない。
だから、
強迫 → 善意無過失の第三者にも対抗できる。
これが基本。
「なるほど」
真壁さんが頷きました。
「じゃあ、強迫された人は最強じゃん」
「……ところが」
「ところが?」
私は、さらに一行書きました。
取消し後の第三者は、別。
「ここが試験の罠です」
---
五 取消し前と取消し後
私はノートを二つに分けました。
① 取消し前に第三者が出てきた
AがBに強迫される。
↓
BがCに土地を売る。
↓
Aが契約を取り消す。
この場合、
Aが保護される。
Cが善意でも悪意でも関係ない。
登記があっても、強迫による取消しの場面では、AがCに対抗できる。
「ここまでは分かった」
真壁さんが頷きます。
「じゃあ次」
② 取消し後に第三者が出てきた
AがBに強迫される。
↓
AがBとの契約を取り消す。
↓
その後、BからCに土地が渡る。
この場合は、
Cとの関係では、登記が重要になる。
「つまり?」
「取消し後の第三者には、登記がないと対抗できないという問題になります」
「なるほど」
私は二つを並べました。
取消し前の第三者
→ 強迫されたAを保護
取消し後の第三者
→ 登記の問題が出てくる
そして、その下に大きく。
「取消しの前か後かを必ず確認!」
「これ、試験で出たら嫌だな」
「だから出るんです」
「宅建って性格悪いな」
「同感です」
---
六 強迫と詐欺を比較する
ここまで来たら、一度まとめておきます。
私は表を書く代わりに、ノートの左右に分けて整理しました。
詐欺
人を騙す。
↓
騙されて「そうしよう」と思う。
↓
意思と表示は一致する。
↓
ただし、意思形成の過程に問題がある。
↓
取り消せる。
ただし、
第三者詐欺では相手方が善意無過失なら取消し不可。
そして、
取消し後の善意無過失の第三者にも対抗できない。
強迫
人を脅して畏怖させる。
↓
怖くなって「そうしよう」と思う。
↓
意思と表示は一致する。
↓
ただし、自由な意思決定ではない。
↓
取り消せる。
そして、
第三者から強迫されても、相手方が善意でも悪意でも取消し可能。
さらに、
取消し前の第三者にも、善意・悪意を問わず対抗できる。
私は最後に、太い線を引きました。
### 覚えるならここ!
詐欺より、強迫のほうが被害者保護が強い。
「これは覚えやすい」
真壁さんが言いました。
「でしょ?」
そこへ所長が新聞を折りたたみながら入ってきました。
「ただし、覚え方だけで終わらせるな」
「所長」
「なぜ強迫のほうが保護されるのか、考えれば分かる」
「なぜですか?」
所長は椅子に座りました。
「騙された人は、判断を誤った」
そして一拍置く。
「だが、脅された人は、判断そのものを奪われた」
私はペンを止めました。
……なるほど。
詐欺は、
「間違った情報を信じてしまった」
という問題。
強迫は、
「怖くて自由に判断できなかった」
という問題。
だから法律は、強迫された側をかなり強く守る。
私はその言葉をノートに書きました。
「騙された」と「怖くて決めさせられた」は、似ているけれど違う。
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七 では、過去問で確認
せっかくなので、私は過去問形式で確認することにしました。
問題。
Aが第三者Cの強迫によりBとの間で売買契約を締結した場合、Bがその強迫の事実を知っていたか否かにかかわらず、Aは売買契約に関する意思表示を取り消すことができる。
「○」
真壁さんが即答しました。
「正解です」
「簡単じゃん」
「では次」
私は続けます。
Aが強迫を受けてBに土地を売却した。その後、BがCに土地を売却した。このとき、Cが善意であればAは所有権を取り戻せない。
「×」
「正解」
「強迫は善意の第三者にも強い」
「そうです」
「俺、ちょっと分かってきた」
「では最後」
私は少し意地悪な問題を書きました。
Aが強迫を理由としてBとの契約を取り消した。その後、BがCに土地を売却した。この場合、Aは登記がなくてもCに所有権を主張できる。
真壁さんが黙りました。
「……分からん」
「ここです」
私は赤線を引きました。
取消し後の第三者。
「ここでは登記の問題になる」
「つまり、単純に“強迫だから第三者に最強”って覚えちゃダメなんだな」
「そうです」
私は頷きました。
強迫は強い。
でも、
「強迫なら何が何でも第三者に勝てる」
と覚えると危険。
重要なのは、
いつ取消しがされたか。
そして、
第三者がいつ登場したか。
ここを時系列で見る。
民法は、結局これです。
誰が。
いつ。
何をしたか。
順番を間違えると、一気に分からなくなる。
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八 今日のまとめ
私は最後のページに、今日の結論をまとめました。
強迫とは?
他人を脅して畏怖させること。
強迫された人は、
「売ろう」
という意思自体は持っている。
しかし、その意思決定は自由ではない。
だから、
瑕疵ある意思表示。
効果
強迫による意思表示は取り消すことができる。
民法96条1項。
第三者から強迫された場合
CがAを強迫して、AがBと契約した場合。
Bが強迫の事実を、
知っていても、知らなくても、Aは取り消せる。
強迫後に第三者が登場した場合
強迫による取消しでは、
取消し前の第三者に対しては、善意・悪意を問わず対抗できる。
しかし、
取消し後の第三者との関係では、登記の問題が出てくる。
私は最後に、試験用の覚え方を一行で書きました。
強迫は、第三者に強い。
ただし「取消し前か後か」は絶対確認。
「完成」
私はペンを置きました。
「どうだ?」
真壁さんが聞きます。
「かなり整理できました」
「俺も」
「珍しいですね」
「おい」
そこへ所長が、また一言。
「最後にもう一つ」
「はい?」
「一番大事なのは、条文より先だ」
「条文より先?」
「怖いなら、その場で判を押すな」
私は少し笑いました。
「それ、法律の勉強じゃないですよ」
「いや」
所長は新聞を畳みながら言いました。
「法律の勉強だからこそだ」
私は少し考えてから、ノートの一番下に、その言葉を書きました。
怖い時ほど、一人で決めない。
そして、その下にもう一行。
もし、怖くて決めてしまっても――取り消せることがある。
吉村さんの顔が浮かびました。
判を押した。
だから終わり。
そんな単純な話ではなかった。
人は、怖いと逃げるために判を押すことがある。
その瞬間の「怖かった」を、法律はちゃんと見てくれる。
そう思うと、民法96条という条文が、昨日までより少しだけ身近に感じられました。
……まあ。
試験問題になると、
「取消し前の第三者ですか?」
「取消し後の第三者ですか?」
「第三者は善意ですか?」
「登記はありますか?」
と、急に人の心を失ったような問題文になるんですけど。
「栞」
「はい?」
「またノートに変なこと書いてるだろ」
「書いてません」
真壁さんが覗き込みます。
「……『民法、たまに男前』?」
「それは昨日の続きです」
「消せ」
「嫌です」
所長が新聞の向こうで、小さく笑いました。
事務所に、いつもの朝が戻ってきます。
電話が鳴る。
コピー機が唸る。
誰かが階段を上がってくる。
そして今日もまた、誰かが困った顔で扉を開ける。
騙された人。
勘違いした人。
そして――
怖くて、判を押してしまった人。
私はノートを閉じました。
法律は、人が完璧に強いことを前提にはしていない。
間違えることもある。
騙されることもある。
そして、怖くて動けなくなることもある。
だから、取り消せる。
だから、やり直せる。
……少なくとも、そういう場所が民法の中にはある。
私は、机の上のノートをぽん、と軽く叩きました。
さて。
次はどんな「言ったつもり」がやってくるのでしょう。
法律の勉強は、今日も続きます。
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