第6話 大魔導師、師匠のシシ汁に感動する
茂みから巨大な魔獣が飛び出してきた。それは、巨大な牙を持つ魔獣だった。体は太く、四本の足も丸太のように太い。背中には黒い毛がびっしりと生えている。
その姿は巨大な猪を思わせた。
魔獣グランドボア。
山に生息する大型の魔獣で、突進力が非常に強い。正面からまともにぶつかれば、並の探索者なら吹き飛ばされる。
「グルァァァッ!」
グランドボアが地面を蹴った。土が跳ね、巨体がこちらへ向かってくる。
「おいおい……」
こんな町の近くまで魔獣が出てくることなんて、滅多にない。なぜこんなことに。俺が剣を取りに戻ろうとしたとき。
「師匠、ここは私に任せてください!」
アルバが前へ出た。
「いいのか?」
「はい。私の成長した姿を見ていてください!」
「分かった。でも、店を壊すなよ」
「……」
アルバの動きが止まった。後ろにいる俺を振り返る。
「師匠……」
「ん?」
「まだ、あのときの私だと思ってるんですか?」
「いや、そういうつもりじゃ……」
アルバの顔がみるみる曇っていく。
「あのときは魔力制御ができなくて、本当にすみません」
そこまで落ち込むとは思わなかった。すまん。
「いや、本当にそういうつもりで言ったわけじゃないんだよ……」
どうも俺の中では、いまだに魔力制御が下手だった頃のアルバのイメージが強いらしい。俺が何と言えばいいのか迷っているうちに、アルバは杖を構えた。
「大丈夫です」
その声には、先ほどまでの泣きそうな様子がなかった。
「今の私は、昔の私とは違いますから」
その瞬間、周囲の空気が変わった。ぞくりとするほど濃い魔力が、アルバの体から溢れ出す。地面の草が魔力に押されるように揺れる。
それでも、店の壁や窓には一切影響がない。凄まじい量の魔力を放出しているのに、完全に制御している。
「……」
俺は思わず目を見開いた。確かに、昔とは比べものにならない技術だ。あれだけ魔力の制御に苦労していた少女が、今ではこれほどの魔力を自分の手の中で扱っている。
「……本当に、成長したんだな」
アルバが少しだけ笑う。
そのとき、グランドボアが再び地面を蹴った。
「グルァァァッ!」
「そういえば」
アルバが振り返る。
「やっぱり、お腹がすきました」
「分かったから! 前見ろ、前!」
アルバの顔がぱっと明るくなる。
「一撃で終わらせます!」
アルバが手をかざす。グランドボアの足元に、巨大な魔法陣が浮かび上がった。次の瞬間、魔法陣から凄まじい光が放たれる。
ドォンッ!
光が消えたあと、そこには丸焼きになったグランドボアが転がっていた。
「……」
俺は魔獣を見る。次にアルバを見る。
「……すごいな」
「でしょう?」
アルバは胸を張った。
「これが、今の私です!」
俺は素直に感心した。思わず頭をヨシヨシと撫でてやると、アルバは顔を赤くしてうつむいた。さっきから、何なんだよその反応は。素直にテンション高く喜べ。
「アルバ、運ぶの手伝ってくれ」
店の裏に魔獣グランドボアを移動し、専用の包丁でさばいた。巨体だけあって、取れる肉の量もかなり多い。分厚い皮を剥ぎ、脂の乗った肉を部位ごとに切り分けていく。
肩の肉。背中の肉。もも肉。
そして、腹まわりの脂の多い部分。
「これも取っておくんですか?」
グランドボアの脂は普通の猪よりもかなり上質だ。料理に使えば、肉の旨味を引き出してくれる。
「捨てるにはもったいない」
「食べられるところは全部使うんですね」
「せっかく命をもらったんだからな」
どれもかなりの量が取れた。アルバが山のように積まれた肉を見て、目を丸くする。
「大量……」
「今日使う分と、近いうちに使う分を分けておく。残った肉は冷蔵庫だな」
俺は今日使う分を取り分け、それ以外の肉をさらに小分けにしていく。
大きな塊のまま保存するより、使う料理に合わせて分けておいたほうが後で楽だ。煮込みに使う肉、焼き物に使う肉、脂の多い部分。それぞれ別にしておく。
アルバは興味深そうに、その様子を眺めている。
俺は切り分けた肉を1つずつ布と保存用の包みにくるんでいく。中に空気が入りすぎないように包み、日付を書いた札をつける。
冷蔵庫は、この店を始めるときに買った。かなり大きめの冷蔵庫だ。店で使う魚や肉、野菜を保存するには欠かせない。
「わあ……、結構入りますね」
「店をやるなら、このくらいは必要だからな」
俺は保存用の肉を中へ入れていく。今日使う分だけを手元に残す。
厨房で、まな板の上に肉を置く。
「さて。こいつをどうするか」
目の前には、脂の乗ったグランドボアの肉。焼いてもいい。煮込んでもいい。だが、今日は寒い。それに、せっかく大量の肉があるんだ。
「じゃあ、豚汁ならぬ猪のシシ汁でも作るか」
「シシ汁! おいしそうな響き」
アルバの目が小学生のように輝く。
「私も手伝います!」
「いや、勘弁してくれ」
俺の記憶では、アルバは壊滅的に料理が下手なのだ。昔、何度か料理を一緒に作ったことがある。そのたびに、なぜか料理が別の何かになっていた。
まあ、今では料理の腕も上がっているかもしれない。だが、一応今日は客だ。
「勘弁……?」
「いや、ほら、また今度な。今日は初めて俺の店に来てくれたんだから。振舞わせてくれよ」
アルバは少し考えてから頷いた。
「了解しました」
助かった。
まずは鍋を火にかける。
その間に、大根、にんじん、ごぼう、長ねぎを水で洗う。大根は少し厚めに切り、にんじんは食べやすい大きさに。ごぼうは斜めに切って水へさらす。
そして、グランドボアの肉を一口大に切る。
普通の猪肉よりもずっと大きな魔獣だからか、肉そのものにもかなりの弾力がある。包丁を入れるたび、肉の繊維がしっかりと刃に伝わってくる。
「さて、と」
鍋に少量の油を入れる。十分に熱したところで、グランドボアの肉を入れた。
ジュウウウウッ!
一気に音が弾けた。肉の表面が焼け、香ばしい匂いが立ち上る。グランドボアの肉から脂がじわじわと溶け出し、鍋の中へ広がっていく。
俺は木べらで肉を転がしながら、表面にしっかり焼き色をつけていく。
「いい匂い……」
アルバの声が聞こえた。
肉に焼き色がついたところで、大根、にんじん、ごぼうを鍋へ入れる。
ジュワッ!
野菜が肉の脂をまとい、さらに香ばしい匂いが広がった。
俺は具材を軽く炒めてから、だしを注ぐ。湯気が一気に立ち上った。肉の旨味と野菜の香りが、だしの中へゆっくり溶け込んでいく。
火を弱め、じっくり煮込む。
鍋の中で具材が静かに揺れる。
俺は浮いてきたアクを丁寧にすくっていく。
「やっぱり師匠の料理ってすごいですね」
アルバが鍋を覗き込む。
「さっきまでただの肉と野菜だったのに……」
「こういうのは、焦らないことが大事なんだ」
急いで火を通せばいいわけじゃない。肉から旨味が出て、野菜に染み込む。大根やにんじんが柔らかくなり、だしの味を吸っていく。
その時間を待つ。料理は、待つことも大事。
やがて大根に箸を入れると、すっと通るようになった。
頃合いだ。
お玉に少量のだしを取り、その中で味噌を丁寧に溶かしてから鍋へ戻す。ふわっ、と味噌の香りが広がった。
最後に長ねぎを加える。そして、ほんの少しだけ生姜を入れる。猪肉は旨味が強い。そのままでも美味いが、生姜を加えることで脂の重さが和らぎ、後味がすっきりする。
「……完成だな」
火を止める。
鍋から立ち上る湯気に、味噌と肉、野菜、生姜の香りが混ざっている。大根には味噌の色が染み込んでいる。にんじんも柔らかい。ごぼうは歯ごたえを残しながら、肉とだしの旨味をしっかり吸っている。
そして、グランドボアの肉。
箸で持ち上げると、ほろりと崩れそうなほど柔らかくなっていた。俺は椀にシシ汁をよそう。
「アルバ。熱いから気をつけろよ」
「はい!」
湯気がふわふわと立ち上り、味噌と生姜の香りがアルバの鼻に入る。
「うぅぅ……、いただきます」
アルバがお椀を両手で持つ。まずは汁を一口。
「……」
アルバの動きが止まった。
「どうした?」
アルバは答えない。今度は肉を口へ運ぶ。
「…………」
さらに、大根。そして、また汁を飲む。アルバがゆっくりと顔を上げた。目が潤んでいる。
「……美味しいです」
「そうか、良かった」
アルバは椀を両手で抱えたまま、幸せそうに笑った。
「美味しすぎるぅぅううう!」
「大げさだな」
「大げさじゃありません!」
アルバは勢いよく肉を口へ運ぶ。
「噛むたびに、肉の旨味が口いっぱいに広がって。味噌の濃さと生姜の香りが重なり、そこへ柔らかく煮込まれた野菜の甘みが加わる……。んんっ……!」
アルバが幸せそうな声を漏らす。食レポうまいなこいつ。
アルバは夢中になって食べている。その顔を見ながら、俺は改めて思う。
昔は魔法を使うたびに暴発させていた少女。
剣士になりたいと言って、俺に向かって剣を振っていた少女。
その少女が今じゃ、大魔導師だもんな。
俺が教えたことなんて、本当に大したことじゃない。魔法そのものを教えたわけでもない。周囲を見ろとか、魔力を無駄に使うなとか。そんな基本的なことを、たまに言っただけだ。
それでも、アルバはその言葉を覚えていた。そして、自分の力で大魔導師になった。
「……頑張ったんだな」
思わず口から漏れた。
俺は何者にもなれなかった。B級探索者で終わった。どれだけ努力してもA級には届かなかったし、S級なんて夢のまた夢だった。
だからこそ、目の前で自分が勧めた道を進み、世界最高峰まで上り詰めたアルバのことを、素直に凄いと思う。
俺ができなかったことを、こいつはやった。
それは間違いなく、アルバ自身の努力の結果だ。
「アルバ」
「はい?」
「……立派になったな」
俺はアルバの頭へ手を伸ばし、また優しくポンポンとなでる。
アルバの動きが止まった。
「…………」
その目が少しだけ潤む。けれど、今度は泣かなかった。アルバはゆっくりと顔を上げる。
そして、嬉しそうに笑った。
「ありがとうございます。師匠のおかげ!」
「だから、師匠って呼ぶなって」
「嫌です」
即答だった。
「私は、これからも師匠って呼びますから」
「頑固だなぁ」
「だって師匠は師匠ですから」
アルバは頬を膨らませる。
「ふん、だっ!」
「……昔から変わらんな、お前は」
そう言うと、アルバは少し照れたように笑った。そして、またお椀を持ち上げる。
「もう一杯、おかわり!」
「はい、はい」




