第4話 大魔導師、師匠に忘れられる
「師匠ぉおおおおっ……!」
店の戸を閉めようとしていた俺は、その声を聞いて動きを止めた。夕暮れの道を、1人の女がこちらへ向かって走ってくる。長い髪を揺らし、息を切らしながら、ものすごい勢いで近づいてくる。
「師匠! 師匠ぉぉ!」
「……」
俺は女の顔をじっと見る。見覚えがあるような、ないような。少なくとも、最近会った人間ではない。
女は俺の目の前まで来ると、肩で息をしながら笑った。俺の顔を見て疲れなど忘れたように、嬉しそうな笑顔を浮かべている。しかし申し訳ないが、俺はこいつを思い出せない。
「お久しぶりです! 師匠!」
「……誰だ?」
「…………え?」
女の笑顔が固まった。
「いや、悪い。どこかで会った気はするんだが……」
嘘ではない。初対面という感じはしない。声にも、どこか懐かしさを感じる。だが、肝心の名前も、顔も、どこで会ったのかも思い出せない。
「え、待ってください」
女が慌てたように自分を指差す。
「私ですよ?」
「うん」
「アルバです」
「……アルバ?」
「アルバ・ミルフォードです!」
それでも、すぐには思い出せなかった。アルバ・ミルフォード。頭の中で何度か名前を繰り返す。……駄目だ。
「悪い。やっぱり思い出せん」
「師匠ぉぉぉぉぉっ!」
アルバと名乗る女がその場にしゃがみ込んだ。そして、目からぽろぽろと涙を流し始める。
「お、おい……」
まさか泣かれるとは思わなかった。でも確かに、良くないよな。しかも店の前だ。このままだと、近所の人に俺が女性を泣かせたと思われかねない。実際そうなのだが。
「ちょっと待て。泣かれるとあれだから、中で聞こうか」
「だって! 私、師匠に忘れられてるんですよ!」
「悪い。最近、物忘れが激しくてな」
アルバの泣き声が響く。俺はアルバを立ち上がらせた。そのまま店の中へ戻り、カウンター席に案内する。アルバはしょんぼりと肩を落として席についた。
俺はひとまず水を出す。
「ほら」
「ありがとうございます……」
アルバはコップを両手で持ち、一口飲んだ。少し落ち着いたのか、小さく息を吐く。しかしまだ目元には涙が残っている。
「単刀直入にきくが、人違いの可能性はないか?」
「ないです! 私、師匠に人生を変えてもらったんです!」
即答だった。俺は少し面食らう。俺が他人の人生を変えるなんて、そんな大げさなことをした覚えはない。そもそも、俺は46歳までB級探索者だった男だぞ。
まさか……。
「新手の詐欺じゃないよな?」
「違いますよっ!」
アルバが勢いよく立ち上がった。さっきまで泣いていたのが嘘のように、顔を真っ赤にして頬を膨らませる。
「私は、師匠の弟子。アルバ・ミルフォードです!」
なんだろう。確かに妙な懐かしさはある。
「師匠のおかげで、今や私は大魔導師なんですから!」
大魔導師。
それは、王国における魔法使いの最高位に近い称号だ。優れた魔法の技術だけではなく、膨大な魔力、魔法の知識、そして実戦での功績まで認められた者だけが名乗ることを許される。簡単になれるものではない。国に数えるほどしか存在せず、1人で大規模な魔法を扱えるほどの実力を持っている。
「王国でも五本の指に入る魔法使いと言われています!」
「……すげえな(本当だったら)」
「凄いんです!」
自信満々に答えるアルバ。俺は改めて目の前の女を見る。確かに、ただ者ではない。身に着けている装備も高そうだし、何より身体から感じる魔力が……。
全くと言っていいほど魔力を感じない。
「……?」
俺は少し眉をひそめた。魔法使いにもかかわらず、一切の魔力を感じない。これは異常だ。どんな魔法使いでも、普通なら体からわずかな魔力が漏れ出している。魔力の強い人間なら、それが肌に触れるように感じることだってある。
なのに、目の前のアルバという女性からは何も感じない。魔力なんて持っていないようだった。
「あっ、その顔! 信じてないですね!」
「信じてる、信じてる」
「絶対嘘! ふん、だっ!」
そう言ってアルバが頬を膨らませる。
「……」
その膨らんだ頬。むっとした表情。頭の奥に引っかかるものがあった。なんだこの感じ。どこかで見たことがある。
「あ」
そして、ようやく記憶の奥にあった少女と目の前の女が重なった。確か、そいつもアルバと言う名前だった気がする。
「アルバ……!」
「思い出しました!?」
アルバがぱっと顔を輝かせた。
アルバと出会ったのは、俺が20代の頃。場所はダンジョンの中だった。その日、俺がたまたま通りかかった場所で、1人の少女が魔獣と戦っていた。豚の魔獣だ。魔獣は基本的に魔物よりも弱い。駆け出しの探索者でも、1対1なら十分に倒せる相手だ。
だが目の前の少女は、その1匹に苦戦していた。
「くっそー。この豚、強すぎるよぉ」
「……」
俺は少女を見る。剣を握る手。足の位置。呼吸。視線。どれも悪い。悪いというより噛み合っていない。それと、剣を振るときに肩へ力が入りすぎている。そのせいで振り終わったあとに体勢が崩れる。足も剣に引っ張られていて、踏み込むタイミングが遅い。
最初は修行中なのかもしれないと思い、少し離れた場所から様子を見ていた。だが、そのうち少女の呼吸が乱れ始めた。
「はぁ……、はぁ……」
額には汗。剣を握る手も震えている。このまま続ければ、次の攻撃を避けられない。俺はそこで見守るのをやめた。
俺は少女の横を通り過ぎ、前に出る。そのまま豚の魔獣を一撃で倒した。
「……」
少女がぽかんと口を開ける。
「あ、ありがとうございました!」
「ああ」
「くっそー。豚の魔獣つえぇよおお!」
どうすべきか。このまま少女が探索者を続けるのであれば、死にかねない。いや、確実に死ぬ。ここは心を鬼にして言うか。
「お前が弱いだけだぞ」
「ぐさっ!」
少女が胸を押さえた。
当時のアルバは、剣聖を目指していた。しかも本人はいたって大真面目だった。だが、剣の腕はお世辞にも良いとは言えなかった。剣を振れば体がふらつく。足運びはとてつもなく遅い。踏み込むべきところで踏み込めず、避けるべきところでも反応が遅れる。
何より、戦いの流れを読むのが苦手だった。相手の肩が動けば、その次に何が来るのか。相手の足が止まれば何を狙っているのか。そういう小さな変化を拾えていない。
正直言って、修行でどうにかなるとは思えないレベルだった。
それでも本人は、いつも胸を張っていた。
「私は剣聖になります!」
「……そうか」
「はい!」
別に構わない。どんな目標を持つのも本人の自由だ。夢を持つこと自体は悪くない。ただ、まるで剣の才能がないのである。
アルバは努力していた。でも、努力で埋められる部分とは別に、剣士としての感覚そのものが備わっていない。
問題は、探索していればいずれ強い魔物と出会うということだ。そのとき、今のままでは百パー死ぬ。俺は少し考えてから、嫌われてでも無駄死にしないよう、本人に伝えることにした。
「お前に剣士は向いてない」
「えええええええ!? 冗談ですよね!?」
「本当だ」
「えええええええええええええええええええええ!?」
アルバは本気でショックを受けていた。
「私、剣聖になりたいんですけど!」
「それは知ってる。でも、このまま剣士を続けていたら死ぬぞ」
「そんなぁ……」
アルバの肩が、がっくりと落ちる。
「うわぁぁぁん!」
アルバが泣き出す。俺はそんな彼女を見ながら、違和感に気づいた。
さっきから、大量の魔力が漏れ出している。しかも、本人はそれにまったく気づいていない様子だ。
「魔力がずっと駄々漏れ状態だぞ。大丈夫なのか?」
「え? 魔力? 大丈夫ですけど」
「……」
どうやら本人は何も気にしていないらしい。というか、気づいていないらしい。
剣は駄目。身体能力も特別高いわけじゃない。戦闘の勘も鈍い。だが、魔力だけは異常なほど多い。
だったら、残された道はひとつしかないだろう。
「お前、魔法使いのほうが向いてるんじゃないか?」
「魔法使い? 私が?」
アルバが目を丸くする。
「ないないない。それだけはないですよぉ」
「なんで?」
「だって、剣の方がカッコいいじゃないですか!」
「……」
俺は何と返すべきか考える。
「魔力の総量だけなら、今まで俺が見てきた魔法使いとは比べものにならない」
「はぁ」
「要するに、剣と違って魔法の才能がある」
「えええええええ!?」
アルバが目を見開いた。
「そうなんですか!?」
「ああ」
事実だった。俺には魔法の才能がどれほどあるのかまでは分からない。だが、魔力の量だけは断言できる。これは普通じゃない。
「ぐぬぬぬ……」
アルバは複雑そうな顔をして、しばらく黙っていた。やがて、手にしていた剣を見つめる。
「魔法、やってみます」
思えば確かにその日からだった。アルバ・ミルフォードが、魔法使いを目指し始めたのは。




