第11話 国王、元B級探索者を諦めきれない
●盗賊・リリアン視点
王都へ戻ってきたのは、師匠の店を訪ねてから数日後のことだった。街道を歩きながら、ぼくは何度も師匠のことを考えていた。久しぶりに会った師匠は、昔と変わっていなかった。白髪が増えたとか、顔に皺が増えたとか、そういう変化はもちろんある。
それでも、笑ったときの表情や、話す声は昔のままだった。何より、穏やかだった。昔の師匠はいつも忙しそうだった。ぼくが知っている師匠は、いつも誰かのために動いている人だった。それが今では、畑で野菜を育て、縁側でお茶を飲み、料理屋を営んでいる。
店の中から聞こえてくる料理の音。庭で土を触る姿。自分で育てた茶葉を使って、ゆっくりお茶を淹れている姿。どれも昔の師匠からは想像できないものだった。ぼくは、その姿を遠くから見ていた。
声をかけることはできなかった。店の中へ入ることもできなかった。ただ、元気に暮らしていることだけを確認して、帰ってきた。会いたかったはずなのに、顔を合わせるのが怖かった。ぼくがあの日のことを謝れば、師匠はきっと「気にするな」と言うだろう。昔からそういう人だった。だからこそ、怖かった。自分だけがいつまでもあの日から動けていないような気がした。
王都へ着くと、その足で勇者のところへ向かった。師匠について話すなら、まず彼に伝えるのが一番いいと思ったからだ。ぼくは勇者パーティーの一員だ。依頼のときも一緒に行動するし、普段から顔を合わせることも多い。ぼくが師匠について話したとき、勇者は最初は半信半疑だった。
「お前がずっと言ってる師匠って、本当にそんなにすごい人なのか?」
そう聞かれたとき、ぼくはうまく答えられなかった。ぼくにとっては、すごいかどうかなんて考えるまでもない人だったからだ。強い魔物を倒したからすごい。高いランクになったからすごい。そういう話ではない。ぼくが何度失敗しても見捨てなかった。危ないときには逃げろと言ってくれた。自分が傷ついても、ぼくの無事を先に確認した。ぼくにとって師匠が特別なのは、そういうところだった。
うまく説明できないまま話していたぼくを、勇者は最後まで馬鹿にしなかった。半信半疑ではあったが、ぼくの話を信じてくれた。そして、国王に話をしてくれた。その結果として、国王から一通の封筒が届いた。王国の探索者育成機関からの正式な招待状。師匠に、王都で指導者として働いてもらえないかという内容だった。ぼくはそれを持って、師匠のところへ向かった。渡すつもりだった。ちゃんと渡して、師匠本人に決めてもらうつもりだった。それなのに、結局、渡せなかった。封筒を握ったまま、店の前まで行って、遠くから師匠を眺めて、そのまま帰ってきた。
「お、リリアン。帰ってきたのか」
勇者の姿を見つけると、向こうから声をかけてきた。
「うん。さっき戻った」
「ずいぶんかかったな。例の師匠の件はどうだった?」
「……会えたけど、会えなかった」
その一言で、勇者の顔が変わった。
「どういう意味だ?」
「話しかけられなかった」
勇者は急かさなかった。ぼくは少し迷ってから、師匠の店で見たことを全部話した。楽しそうに料理屋をやっていたこと。畑を耕していたこと。お茶を育てていたこと。縁側でのんびりしていたこと。そして、以前よりずっと穏やかな顔をしていたこと。
「リリアンが話していた師匠とは、ずいぶん違うな」
「うん。でも、師匠だった」
勇者が少し笑う。
「それで、招待状は?」
「……渡せなかった」
「そうか」
責めるような声ではなかった。
「リリアンがそれでいいなら、俺はいいんだ。でも、会って話してもよかったと思うぞ」
「でも……」
「俺の予想だけど、その師匠は言うほど気にしてないと思うけどな」
ぼくが二重の罠に気づけなかったせいで、師匠は大怪我を負った。あのとき、ぼくがちゃんと確認していれば。もう一つ罠があるかもしれないと考えていれば。師匠は傷つかずに済んだ。
「国王には、俺から話しておく」
「分かった」
「お疲れ。今日はもう休め」
「うん」
●国王視点
「ということで、リリアンは封筒を渡せなかったようです」
勇者はそう言った。
「そうか……」
私は椅子に座ったまま、机の上へ置かれた資料へ目を落とした。
グレイ・ラッセル。46歳。元B級探索者。現在は探索者を引退し、地方で料理屋を営んでいる。ここまでなら、特別珍しい話ではない。B級まで昇格した探索者が引退し、その後に別の仕事を始めることは珍しくない。探索者という仕事は危険だ。年齢を重ねれば身体も衰える。40代で引退するのは普通だ。
だが、私はその資料を何度も読み返していた。
派手な功績はない。ドラゴンを討伐したわけでもない。歴史に残るようなダンジョンを攻略したわけでもない。国中に名前が知れ渡るほどの偉業を成し遂げたわけでもない。
それでも、妙に気になる。
資料には、グレイ・ラッセルと同行した探索者たちの記録が並んでいる。新人。若手。まだ経験の浅かった探索者。彼らと一緒にダンジョンへ入り、無事に戻ってきた記録。あとは救援活動。撤退。負傷者の搬送。危険区域の調査。魔物の生態についての報告。どれも地味だ。しかし、数が多い。
そして、その後の記録を見ると、グレイと同行した者たちの多くが、その後も探索者として生き残っている。
「同行した者の生存率が高い……」
私は資料をめくる。その中に、一人の名前があった。
「ロイド・アシュフォード」
現在、王国でも有数の探索者だ。若くしてA級へ到達。危険なダンジョンをいくつも攻略し、現在ではS級候補として名前が挙がっている。
少し前のことを思い出した。ロイド・アシュフォード本人と話したことがある。あれは、彼が王都へ戻ってきた直後だった。
「何でしょう、陛下」
「グレイ・ラッセルという男についてだ」
その名前を出した瞬間、ロイドの表情が変わった。
「……師匠についてですか?」
「君ほどの探索者が、なぜ一人のB級探索者を師匠と呼んでいるのかと思ってな」
ロイドはしばらく黙っていた。
「俺がまだ未熟だった頃、師匠に助けてもらったんです」
「それだけか?」
「それだけじゃありません」
ロイドは静かに語り始めた。自分が魔物を前にして動けなくなったこと。グレイが自分を庇って傷を負ったこと。それでも怒らず、剣を取れと言ったこと。自分を信じろと言ったこと。
「師匠は、俺に剣だけを教えてくれたわけじゃないんです」
「では、何を教えた?」
「生き方です」
私は眉を上げた。
「強い魔物に勝つ方法だけじゃない。勝てないときにどうするか。仲間をどう守るか。いつ撤退するか。自分の命をどう扱うか。そういうことを教えてくれました」
ロイドはまっすぐ私を見る。
「俺が今ここにいるのは、師匠のおかげです」
ロイドだけではない。
「アルバ・ミルフォード……」
優秀な魔術師だ。若くして高位魔法を扱い、現在では王国でも屈指の魔術師として知られている。彼女とも以前、話をしたことがある。
「アルバ。グレイ・ラッセルについて聞きたい」
「師匠のことですか?」
彼女も、ロイドと同じ反応をした。
「ああ。お前は彼から魔法を教わったと聞いている」
「正確には、教えてもらったというより、きっかけをもらったんです」
「きっかけ?」
「私は昔、剣士になろうとしていました。でも、剣が全然駄目だったんです」
アルバは苦笑していた。
「師匠は、そんな私を見て、魔力を使ってみたらどうかと言いました」
「それで魔術師になったのか」
「はい」
アルバは嬉しそうに笑った。
「師匠は、私が自分で気づけなかったものを見つけてくれました」
「それだけか?」
「それだけじゃありません」
アルバは少しだけ目を伏せる。
「魔法の練習中に事故がありました。私の魔法が暴発したんです。師匠は私を庇って大怪我をしました。それでも、師匠は私を責めませんでした。会いに行ったときも『アルバが元気でいてくれることが、一番の恩返しなんだが、それじゃダメか?』って言ったんです」
私は黙っていた。
「だから私は、今でも師匠と呼んでいます」
ロイドも。アルバも。リリアンも。それぞれ違う道を歩み、それぞれ違う才能を持っている。それなのに、彼らが同じ一人の男を師匠と呼んでいる。
私は資料をめくった。他にも、グレイ・ラッセルから指導を受けた者、助けられた者は多い。A級。B級上位。王国軍所属。魔術師。斥候。治癒術師。この資料に載っていない者もいるだろう。それぞれが、その道で活躍している。
グレイ本人が大きな功績を残したというより、彼と関わった者たちが後から大きく成長している。
「……不思議な男だ」
「戦闘能力だけでは説明できない何かがあるのでしょう」
勇者が言った。
「危険察知、状況判断、撤退判断、部隊運用。探索者として必要な知識を幅広く持っている。そのうえ、指導した者たちからの信頼が厚い」
「ええ」
私は資料を机へ置いた。
「……料理人にしておくのは、惜しいな」
自然と声が漏れた。もちろん、料理人という仕事を軽んじているわけではない。料理人は料理人で立派な仕事だ。ただ、この男が持っている経験を考えると、それだけで終わらせるのは惜しい。
B級。
その一言だけでは、この男の価値は測れない。むしろ、資料を読めば読むほど、なぜこの男がB級で止まっているのか、その理由のほうが気になってくる。
「昇格試験の記録は?」
「あります」
側近が別の資料を差し出した。
「A級への推薦を辞退している? なぜだ?」
「理由までは残っていません」
私は資料を閉じた。本人に聞くしかない。私は椅子の背へ身体を預け、窓の外を見る。王都の街並みが広がっている。人が行き交い、馬車が走り、商人たちが店を開けている。冒険者たちがギルドへ向かい、これから探索者になろうとしている若者たちも街のどこかを歩いている。
彼らに必要なのは、強い魔物を倒す方法だけではない。危険な場所へ入ったとき、どう生き残るか。どう戦い、いつ逃げるのか。仲間が倒れたとき、何を優先するのか。自分の力を過信しないこと。危険を感じたら引き返すこと。そうした経験を教えられる人間は、決して多くない。
「……一度、本人を見てみたい」
私が呟くと、勇者が顔を上げた。
「陛下ご自身で、ですか?」
「そうだ」
「正式に呼び出せばよいのでは?」
私は窓の外へ視線を戻した。
「だが、料理屋を営んでいるのだろう?」
「はい」
「静かに暮らしている人間を、こちらの都合だけで王城へ呼ぶのもな」
私は少し考えた。正式な招待状を送れば、グレイ・ラッセルは王からの命令だと思うかもしれない。そうなれば、本当の気持ちを聞けない可能性がある。
「客として会ってみよう」
「客として?」
「ああ」
「ですが、陛下が地方の料理屋へ行くとなると……」
「お忍びだ」
勇者が少し笑った。
「それは面白そうですね」
「お前も来るか?」
「もちろんです」
「なら、最低限の護衛だけ連れていく。身分も隠す」
「料理を食べながら、本人と話すわけですね」
「そうだ」
私は机の上にあるグレイ・ラッセルの資料へ、もう一度目を落とした。
46歳。元B級探索者。現在、地方で料理屋を経営している。
いったい、どんな男なのだろう。楽しみになってきた。




