潜入
ロダン・ホールの門で、ノアは英国政府に潜り込んでいるWBの工作員が用意したパスを警備員に差し出した。
警備員はパスを確認すると、門の奥へ進むよう促した。
その先でも英国政府の警護担当やロダン家の者に何度か足を止められたが、同行する工作員とともに必要な手続きを済ませ、館内へ入った。
廊下で案内役と別れたノアは、上着の内側から小さな魔道具を取り出した。
「さて、こっからは見られたくないしな」
魔道具に魔力を流す。
WB製の監視カメラ対策用魔道具だ。
起動している間は、通常の監視カメラの映像にノアの姿が映らなくなる。
ノアはスマホに保存した改修図面を開いた。
その図面も、工作員が過去にこの館を改修した業者を調べて入手したものだ。
現在の警備配置までは分からないが、古い城塞をどこまで残して屋敷にしたのか、その図面からはたどれる。
地下金庫へ続く通路には、ロダン家の警備員や結界が待ち構えているはずだ。
正面から突破しようとすれば、すぐに侵入がバレる。
そんな危険を冒すわけもなく、ノアが目を付けていたのは、途中にあるスタッフ待機室だった。
扉を開けたノアは、無人の室内へ入った。
図面上では、この部屋の壁の向こうに旧建築物の廊下が残っている。
スマホにある部屋の輪郭から、廊下に接する壁を割り出す。
ノアはそこをコンコンと叩いていった。
ある場所で、指先に返る感触が変わった。
石壁とは違う、軽い音がする。
「……ここだな」
ノアは懐から魔力ナイフを取り出し、音の違った場所へ刃を入れる。
後から塞いだパネルに、人が1人通れる長方形を切っていく。
上から横へ刃を動かし、切り抜く部分を支えながら残りをつなぐと、パネルが外れた。
開いた穴の先には、照明のない廊下が続いている。
廊下の奥には、図面どおり下へ向かう階段もあった。
ノアは旧廊下へ入ろうとして、いったん室内を振り返った。
「おっと、このままじゃ丸見えだな」
ノアは近くの本棚をつかみ、壁の穴を隠す位置まで引き寄せる。
本を詰めた棚でも、腕に力を入れると難なく動いた。
「……さぁ、行くか」
ノアは旧建築物の廊下へ入り、暗がりの中で魔導ゴーグルを装着した。
階段を下りようとしたノアは、足を止めた。
魔導ゴーグル越しに見ると、階段には赤外線の探知線が縦横に張り巡らされていた。
低い所をまたいだとしても、その先には胸の高さを横切る線がある。
壁に沿って降りるだけでも、どこかに触れてしまう。
「昔の階段だからって、放っといてはくれないか」
ノアは階段の上で止まり、懐から小さなケースを取り出す。
蓋を開くと、小型のドローンが次々と飛び出した。
探知線に合わせてドローンの配置を決めると、そのそばで線が曲がり始める。
階段を横断していた赤外線が歪み、通り抜けられる場所ができていく。
ノアは最初の隙間へ足を下ろし、階段を降りた。
線は肩のすぐ外を通っているが、歩く先には人が1人分の空間がある。
その空間をたどり、下の廊下まで降り切る。
旧地下道の分岐で図面の経路を確かめ、ノアは金庫のある方へ進んだ。
石壁の通路が曲がった先に、古い鉄門がある。
把手には鎖が掛けられ、扉の錠も閉じていた。
ノアは鎖と、その周囲をゴーグル越しに調べる。
触れた途端に働く罠がないことを確かめると、鎖をつかんで引きちぎった。
続いて、懐からWB製の魔導解錠セットを出し、扉の錠に取り付ける。
数秒待つと、錠の中で音がした。
解錠セットを外したノアは把手を引き、ゆっくり扉を開けて先へ進む。
図面では、この先の通路を使えばさらに下へ降りられる。
ノアは予定していた曲がり角を過ぎ、そこで足を止めた。
目の前に壁がある。
周囲の古い石壁と違い、表面には汚れもほとんどなく、通路の幅いっぱいを真新しい壁が塞いでいた。
「……は? ここ、通れるんじゃなかったの?」
ノアは分岐からの距離を確かめ直した。
位置は合っている。
図面には、ここから先も通路が続いていた。
バレて、先回りされたのか?
ノアは壁から離れ、来た通路へも注意を向けた。
追ってくる足音はなく、壁の向こうからも人の動く気配はない。
壁を叩いてみても、パネルを叩いた時の軽い響きは返らない。
通路を塞ぐ壁を、待機室と同じやり方で切り抜くのは難しそうだ。
力で破れば進めるとしても、それだけの壁を壊せば館の警備に気づかれる。
金庫へ着く前に、地下で護衛を相手にするのは面倒だった。
ノアは図面を拡大し、行き止まりになった経路から別の線をたどる。
上方に換気口があった。
通風経路は壁の向こうにも延び、途中でほかの区画へ分岐している。
壁を壊すより、こちらを使う方がいい。
ノアはスマホをしまい、上にある換気口へ取り付いた。
中へ入ると、体を起こす余地がない。
肘を曲げて身を進めながら、ゴーグルで先を確かめる。
図面にあった分岐を越えると、出口の先に幾重もの結界が見えた。
ノアは手前で止まり、術式のつながりを調べ始める。
「……おや?」
旧地下道の石壁には、古い防衛の術式が残っていた。
その組み方を頭に置いて調べると、ここにある結界は明らかに違う。
重ね方も、魔力を受け渡す箇所も、古い設備に合わせて作ったものとは思えなかった。
「どうして、ここだけこんなに新しい?」
ノアは出口の先に目を凝らした。
薄暗い通路に人影はなく、足音も聞こえない。
結界の術式を調べたところ、解除できないほど難しいものではなさそうだ。
だが、ノアはそれ以上調べるのをやめた。
わざわざ不審な結界に触れて、こちらの動きを教える必要はない。
ノアは出口から戻り、分岐していた別の通風経路へ進んだ。
次の換気口を抜けたところで、鼻の奥に刺激が来た。
床へ降りたノアは、息を吸いかけて止める。
古い作業台や容器が残された部屋の奥まで、空気が濁って見えていた。
放置された器具にも、床にも、人が使わなくなって久しい汚れがこびりついている。
図面には、かつて実験に使った区画と、その下へ続く経路が載っていた。
廃棄されたのは、単に設備が古くなったからではなさそうだ。
すでに吸い込んだ分だけでも、喉に痛みが出始めている。
「……今度は毒かよ」
ノアは換気口へ戻る道と、部屋の奥へ続く経路を確かめた。
戻れば、あの新しい結界か、塞がった壁の前へ出ることになる。
こちらからも地下へは行ける。
ノアは喉の痛みに顔をしかめたが、引き返さずに奥へ進んだ。
作業台の間を抜ける頃には胸が苦しくなった。
しかし、数歩進むうちに呼吸は落ち着いてくる。
周囲の空気は相変わらず濁ったままだ。
ノアは図面にあった下りの経路を探し、歩き続ける。
奥の通路では一度足がもつれたが、すぐに踏み直した。
足取りは戻ったものの、身体には鈍い疲れが残っていた。
「……ちょっと魔力使いすぎちゃったな」
下の経路へ出ると、ようやく喉を刺す刺激が薄くなる。
ノアはそこで止まり、呼吸と足の動きを確かめてからスマホを取り出した。
旧地下道から外れたものの、金庫の手前へつながる通路まで来ている。
図面には、この先に大きな空洞があり、その奥の回廊を抜けると地下魔導金庫へ続く構造が示されていた。
「あと少しか。頼むから、もう変な仕掛けはなしにしてくれよ」
ノアが前へ進むと、空洞へ通じる扉の手前で、大結界が行く手を塞いだ。
ゴーグル越しに見える術式は、通路の床から天井まで重なっている。
換気口の先で避けた結界とは、組み合わせの複雑さが違った。
1つの術式を追うだけでも、途中で別の層と結びつき、その先はさらに内側へ入り込んでいた。
「……だよなぁ。そりゃ大金庫守る最後の砦だし、このレベルの結界はあるよなそりゃ」
ノアは結界を見回し、まず手前の層から構造を調べる。
「……ちっ。厄介な複層結界か」
「いやらしいことこの上ない」
これを無理に壊して金庫の警護を呼び寄せるわけにはいかない。
まずは詳しい状況を確かめるためにも自分の魔力を結界へゆっくり通した。
「……おもったほど複雑ではないな」
外側の術式から、ほかの層を動かさずにほどける箇所を調べ、そして選ぶ。
魔力の流れを変えると、扉の前に重なっていた結界が1つ消え、その奥の組み方が見えてきた。
ノアは消した部分から先を読み、次の術式へ手を付ける。
進めるほどに、複数の層が同じ箇所へつながる所が増えた。
「む。ここは触れないか」
手元の術式を先に解けば、残りへ魔力が流れ込む。
ここを無理に解けば、警報が鳴る。
ノアはそこで作業を止め、消そうとしていた術式を残したまま、別の結びつきをたどり直した。
「……こっちが先か」
隣の層へ魔力を通し、受け渡しが止まるところまで慎重にほどいていく。
変化を確かめてからさっきの術式へ戻ると、干渉部分がなくなっており、そのまま結界を動かさずに解けた。
途中でスマホの時刻を確かめる。
「結構時間食ってるな……」
アレクサンダーがいつまでも外にいるとは限らない。
だが、ここで失敗したらそれまでの潜入まで無駄になる。
ノアはスマホをしまい、残った術式へ意識を戻した。
残った術式にも似た結びつきがあるが、内側の接続先が違う。
「細かいとこまでいやらしい作りだな、おい」
ノアは先ほどの手順を捨て、魔力の流れを追い直した。
最後の層が消えるまで、慎重に順序を選んでほどいていく。
扉の前から結界が消えたのは、作業を始めてから約25分後だった。
ノアは残った術式がないことを調べ、一息ついた。
「ふぅ。俺にしては上出来、だな」
そしてようやく扉へ手を掛ける。
その向こうには、巨大な天然の地下空洞が広がっていた。
屋敷の部屋とは違い、岩肌が天井まで続き、奥にはさらに回廊が口を開けている。
図面が合っているなら、金庫はあの先だ。
ノアは足元と岩壁に罠がないか確かめながら、大空洞へ入った。
ゆっくり歩き、10メートルほど進んだところで声が聞こえる。
「ずいぶんと早いですね!」
ノアが振り向くと、一人の女が立っていた。
あの明るすぎる声と、気負いのない立ち姿。
古い教会で『狩りに来た』と言い、顔を隠したまま刀を振るった女だ。
左肩には、あの女につけられた傷が今も残っている。
「もう少し待つのかと思ってましたよー」
「おまえは……」
「じゃあ始めましょうか!」
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