事後
ノアは地面に倒れ、浅い息を繰り返していた。
ロダン・ホール地下の天然大空洞で、刀を持った女性がその姿を見下ろしている。
ノアは肘をついて身体を起こそうとしたが、腕は体重を支えきれず、再び地面へ崩れた。
「……いやぁ、参ったな。もうちょっと……手加減してくれても、よかったんじゃねえの……」
口元を笑う形にしようとしても、息が漏れるばかりだ。
女性の返事を待つ間も、ノアは肩を上下させていた。
「むむ? まだお話しできるんですねー」
「……元気そうに、見えるかよ……」
ノアは顔を上げた。
女は刀を手に、すぐそばに立っている。
古い教会で会った時も、こんな声で話していた。
あの夜は逃げることができたが、今は身体を起こすことさえできない。
「あんた……いったい、何者なんだよ……」
女は答えず、しばらくノアを見下ろしていた。
やがて、静かに首を横に振った。
そして、手にしていた刀でノアの首を刎ねた。
切り離された首が地面へ落ちる。
ノアはそれきり動かなくなった。
女は刀を下ろした。
首も胴も地面に残ったまま、しばらくは何の変化も起こらなかった。
やがて、倒れた身体が少しずつ消え始める。
切り離された首も同じように消えていき、とうとう女の前からノアの姿がなくなった。
「……やはり」
女は、遺体のあった場所を見つめている。
◇
「……ここは?」
ノアは周囲を見回した。
見慣れた机には、仕事用のタブレットが置かれていた。
ロンドンのWB臨時拠点で使っている仕事部屋だった。
「……は? なんで俺、ここにいるんだ?」
確か、ロダン・ホールへ向かう準備をしていたはずだ。
政府に潜らせた工作員へ手引きを命じて、この部屋に戻ってきた。
だが、戻ってきてから何をしたかを考えても、出発した覚えがない。
ノアは机のタブレットを起動し、日付と時刻を確かめた。
「おいおい。もうこんな時間?」
覚えている時刻から、ずいぶん先へ進んでいる。
日付まで変わっていた。
「保険をかけて、それから……」
この部屋で保険を仕込んだのは覚えている。
だが、その先がまるで思い出せなかった。
「……ああ、まさか。俺、殺されたのか?」
ノアは左腕を動かし、肩の痛みに顔をしかめる。
古い教会であの女につけられた刀傷は、まだ残っていた。
ここで準備していた時と、身体の具合も変わらない。
「どこでやられた? ロダン家の地下……か?」
地下金庫へ向かうつもりだったのは確かだ。
しかし、館へ入った記憶さえない。
保険が働いたのなら何かあったはずなのに、その何かを思い出そうとしても、頭に浮かぶのは出発前の準備ばかりだった。
「……くそっ。そこまで入れたかも分かんねえじゃん」
ノアは仕事部屋の扉を開け、廊下へ出る。
ちょうど向こうから、政府内部の工作員への連絡を取り次がせていた部下が歩いてきた。
「おい、ちょっと来て」
声を掛けられた部下はノアを見ると、その場で足を止める。
「……ノア様!?」
「ん? どうした?」
「お戻りになってたんですか。昨日から連絡が取れなかったんですよ! てっきり、作戦に失敗されたのかと……」
「あー、そうなんだ。で、あれからどうなった?」
「……え?」
ノアが続きを待っても、部下は何も言わなかった。
「いや、だから俺が聞いてるんだけど。おまえらの方で分かってること、教えてくれない?」
「ノア様は、ご自身で何があったかご存じないんですか?」
「ちょっと事情があるんだよ。今は報告できるところだけでいいから」
自分が死んで戻ったらしいと、廊下で部下に説明する気にはなれなかった。
ノアは仕事部屋へ戻り、ついてきた部下に報告を促す。
「政府に潜らせた工作員からは、何か来てる?」
「はい。手引きは成功したと。警護の手続きを済ませて、ノア様と一緒に館内へ入ったそうです」
「……入るところまでは行けたんだな」
ノアは椅子に座った。
少なくとも、入館する前に捕まったわけではないようだった。
だが、館へ入れたと聞いても、門を通った時のことなど何も思い出せなかった。
「そいつ、俺とどこまで一緒にいた?」
「館内の廊下で別れています。そこから先の行動は、工作員も見ていません」
「じゃあ、俺がそのあと何をしたかは、そっちも分かんないわけか」
「はい。その後はノア様からの連絡を待っていましたので」
行くつもりだった場所なら分かる。
だが、予定どおり進めたかどうかは、部下に聞いても埋まらない。
ノアは地下まで行けたという考えをいったん脇へ置き、別のことを尋ねた。
「そのあと、屋敷の方は? 大きな騒ぎになったとか、急に警備が増えたとか、そういう話は来てない?」
部下はスマホで工作員からの報告を開く。
「そういった報告はありません。工作員が出入りできる通常の区域では、目立った警戒の強化は見ていないそうです。政府側の警護担当とのやり取りでも、大きな騒ぎの話は聞いていないと」
「地下は?」
「そこまでは分かりません。工作員は地下区画を見張っていたわけではありませんので」
ノアはすぐには答えなかった。
工作員が知っているのは、自分と別れたあとの、限られた区域の話でしかない。
屋敷の中で何か起きても、政府側の担当へすべて伝わるとは限らないだろう。
「……でも、おかしくね?」
館へは入れたが、その後どこかで保険が働くような目に遭ったらしい。
自分を倒せる相手とぶつかったのなら、警備に何か伝わっていてもよさそうなのに、工作員からはそんな話すら来ていない。
針の移送先を聞いた時には、誘い込まれているのではと疑った。
派手にやり合ったのを工作員が知らないだけか、それとも何も伝わらないうちに始末されたのか。
どちらだったのか、今のノアには判断できなかった。
「連絡がなかったのは、昨日からずっと?」
「はい。最後の連絡から丸1日近く経っています。こちらでも、捜索の人員を出すか検討していたところでした」
「待って。もう誰か中に入れた?」
「いいえ。捜索の人員は、まだ誰も入れていません」
「それは助かった。今は絶対に突っ込ませんな」
「工作員の方にも、動かないよう伝えますか?」
「自分の持ち場はそのままでいい。こっちの様子を確かめるために地下へ行かせるなって話。監視の連中も、勝手に屋敷へ近づけるなよ」
自分が何をされたかさえ分からないところへ、部下を送り込んでも仕方がない。
入るところまでは成功しているのだ。
同じ手引きを頼めば、もう1人入れるかもしれない。
だからこそ、入れたというだけで次を送り込むのは危なかった。
「まず、工作員から来た話と、最後に俺から来た連絡をまとめて持ってきて。あいつが自分で見たことなのか、人から聞いた話なのかも分かるように頼む」
「承知しました。監視班の報告も確認します」
「そっちも今ある分でいいからな。確かめるために新しく誰か行かせる必要はない」
針がどこへ運ばれたかを追っていた時は、次に動くための情報が欲しかった。
今は、自分がどこまで動けていたのかさえ、他人の報告を頼らなければならない。
何があったか分からないまま、もう1回行ってみる気にはなれなかった。
部下は頷き、報告をまとめるため部屋を出ようとする。
「ああ、ちょっと待って」
ノアに呼び止められ、部下は扉の前で振り返った。
「さっきの話、屋敷で何も起きなかったってことじゃないんだよな。工作員には、大きな騒ぎが伝わってないだけで」
「はい。屋敷全体の様子までは、確認できていません」
ノアは軽く舌打ちした。
「……おいおい。まさか、最初から俺が来るのを待ってたんじゃねえだろうな」
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