鑑定書の効力
ロダン・ホールで針の返還について話してから数日後、支援チームの女性がシエルの実家へ追加の鑑定書を持ってきた。
「特命チームと準備したものです。提出前に、鑑定の内容に間違いがないか、最後の確認をお願いします」
「最初に出した鑑定書とは、別になるんですか?」
「はい。米国の返還要請に添付された鑑定書を補うものです。今回は、時計塔で確かめた内容も加えています」
俺は渡された日本語の文面を読み始めた。
英語にする方は任せるしかないが、俺の【鑑定】で何が分かったかなら確認できる。
《フロンティア・コンパス》の所有者欄に表示されたのは、アビゲイル・ローワンだった。
欠けていた針が、ビッグベンの大時計の長針内部にあることも、ニューヨークで調べた結果と同じだ。
その後に、時計塔での鑑定内容が続く。
針が示す経路に沿って、塔がロンドンの次元の流れを補正している。
針そのものを取り出したのではなく、時計塔の機構を通して確かめた結果だ。
その点も鑑定書には明記されている。
代わりの仕組みが動くか、安全に交換できるかも、まだ確認できていない。
「分かったことは、これで合ってます。まだ安全に外せるとは言えないので、そこはこのままでお願いします」
「承知しました。取り外しの許可や所有権については、英国側で別に判断する内容として扱っています」
所有者の名前が出たからといって、国同士でどう扱うかまで俺が決められるわけじゃない。
「では、こちらで提出を進めますね」
確認を終えた追加鑑定書は、支援チームと特命チームから、正式な連絡経路で英国ダンジョン省へ提出された。
数日後、支援チームの女性が居間に来て、英国側からの回答を俺とシエルに伝えてくれた。
「追加の鑑定資料が正式に受理されました。ロダン家の協力表明も確認したうえで、米国からの返還要請について、実務協議を進めるという回答です」
「じゃあ、針を返してもらえるんですか?」
「返還の決定ではありません。取り外しの安全性や、所有権の扱いはこれからです。ただ、英国側が正式に話を進めると回答しました」
ああ、そこまではまだか。
でも、前は調査が済むまで返還の話が止まっていた。
今度は英国側が協議を進めると言っている。
「伯父さんが協力するって言ったのも、効いたのね」
「うん。あのまま知らないって言われてたら、俺の鑑定書だけでどうにかするのは難しかったかもな」
「でも、あなたが塔を調べたから、伯父さんも協力する気になったんでしょう?」
「それは、まあ。外しても大丈夫かは、まだ分からないけど」
「追加で確かめることがあったら、また教えてください。俺に分かる範囲でなら答えます」
「ありがとうございます。協議で確認が必要になった際は、こちらからお伝えします」
◇
ロンドン市内のWBの臨時拠点に、以前ノアが依頼した災害対応の調査報告が届いていた。
ノアはタブレットで、その内容を読み始める。
左肩の刀傷はまだ消えず、腕を伸ばして支えようとすると引きつった。
【天術】でも消せなかった傷を避け、タブレットの操作は右手で済ませる。
ダンジョンが突然発生した地域では、討伐に加えて周囲の封鎖や避難誘導が必要になっていた。
ロダン家の探索者と英国側の担当者が、そうした対応を分担していた。
「討伐に行った連中だけ数えても、仕方ないな」
どの施設から誰を抜いたかまで分かる報告は少ない。
ロダン家の名があっても、当主が出たのか、家の探索者が出たのか判別できないものもある。
ノアは、時計塔周辺の監視報告も確かめた。
現在の警備は厳しいままで、内部の配置までは分かっていない。
過去の災害時に探索者が出動したからといって、今の時計塔からも同じように人が出るとは限らなかった。
真壁たちが針を取り外した後を狙うにしても、別の場所へ運ぶならそこにも護衛を付けるだろうし、誰が守るかで近づけるかどうかは変わってくる。
塔から出た瞬間に奪える、と決めてかかるわけにはいかない。
「外すのを待つだけじゃ、足りないか」
移送先や護衛を調べるのと一緒に、相手が別の場所へ戦力を割かざるを得ない状況も考える必要がある。
ノアは届いた報告を添えて、スマホでHagalazへ連絡した。
「頼んでた災害対応の記録が来た。ロダン家も英国側も、発生した地域には人を送ってる。封鎖や避難までやるから、討伐だけで済むわけじゃないみたいだ」
『時計塔の警備が、どう変わるかは分かりましたか?』
「そこまでは無理だな。昔の記録に今の配置が書いてあるわけじゃないし、監視してても中の人数までは分からない。騒ぎを起こしても、別の部隊が対応するなら、時計塔を守ってる連中は動かないだろ」
『単発の事件では、警備を崩せるとは限りませんね』
「それで、ロダン家の当主アレクサンダーはどうする? あいつは間違いなく世界最強の一角だ。今の戦力じゃ、まともに戦いたくないぞ」
肩の傷が治れば済む問題でもない。
『そこは陽動ですね』
「陽動? 別のところで騒ぎを起こして、あいつを呼び出すのか?」
『ロダン家は、この土地を守護する一族なのでしょう。複数の地域で同時に大きなダンジョン災害が起きたら、どう動くと思いますか?』
「そりゃ、対応はするだろう。でも、ほかの連中を送れば済むなら、当主本人は出てこないぞ」
『ええ。だから、本人がどのような危機で動くかを調べるのです。過去に直接出動した例があるか、まずはそこを確かめましょう』
「……あいつが別の場所へ行ってる間に、俺が針を奪うってわけか」
『正面から戦う必要がなければ、戦わなければいいのですよ』
「言うのは簡単だけどな。当主が動いても、針を守る連中までいなくなるとは限らない。残りの警備を抜けられるかも見ないと」
『もちろんです。アレクサンダーが災害対応へ向かった場合、時計塔の警備は誰が受け持つのか。《フロンティア・コンパス》の針が取り外された場合は、誰が護衛するのか。そこを調べてから動きましょう』
単に騒ぎを大きくすればいい、という話でもない。
別の地域へ出動しても、すぐに戻ってこられるなら、ノアが針を持ち出す時間は取れないだろう。
逆に、当主が出なくても警備の分担が変わる場合はあるかもしれない。
今の資料では、どのような危機なら当主が動き、その間に針を狙えるかまでは判断できなかった。
「分かった。針が動くなら、その前後の護衛もだな。塔から外した後の方が、当主に近いところへ持っていかれるかもしれないし」
『ええ。針の行方を見失っては、戦力を分散させても意味がありません』
「それと、複数の場所で同時にダンジョンを起こすって、どうやるんだ? まだ、そっちも何も決まってないだろ」
『今は方針を検討している段階です。必要な条件を調べてから、手段を考えましょう』
「じゃあ、先に当主が実際に討伐へ出た災害を調べさせる。あいつが陽動に乗って現場へ出るかも分からないのに、俺に針を奪いに行けなんて言うなよ」
『そのための調査です。結果が届いたら、また連絡してください』
通信を終えたノアは、災害対応を調べている担当への追加照会を書いた。
優先するのは、アレクサンダー本人が直接出動した事例だ。
ロダン家の出動という記述と区別し、見つかった場合は、どのような危機だったかも確認させる。
併せて、当時の英国側とロダン家の人員がどこへ割かれ、警備を誰が引き受けたか、記録に残る範囲を調べるよう加えた。
時計塔と針の移送先候補を見ている監視担当へは、監視を続け、取り外しに向けた動きがあれば、その前後に誰が護衛へ付くか、外から確かめられたことを報告するよう伝える。
推測した予定と、実際に見た動きを分けるようにも書き添えた。
ノアは調査担当への文面に、優先する人物の名前を明記して送信した。
『当主アレクサンダー本人の出動記録を、優先して探してくれ』
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