両親からの電話
政府施設から《マンハッタン・クラウンパレス》へ戻ったのは、昼前だった。
スイートの広い居間へ入ると、ホテルに残っていたミルが窓際のソファから体を起こす。
朝よりは、だいぶ力が戻っているように見えた。
「戻ったか」
シオはミルのそばまで駆けていき、専用スマホを掲げた。
『ただいま!』
「おぬしは朝から元気じゃのう」
桐野はその向かいのソファへ深く座り、足を伸ばした。
「私も、しばらく動きたくない」
「ロンドンへ行くまでは休めるんじゃない?」
「真壁さんが、また何か見つけなければね」
外殻と核は、つなげたままUS-DDAの保管庫へ戻してある。
ニューヨークで予定していた仕事は、これでひとまず終わった。
次はロンドンだが、英国側とロダン本家から返事が来るまでは動けない。
俺もソファに座り、部屋に用意されていたコーヒーを飲んだ。
「今度こそ、何も見つけませんよ」
「その言い方、全然信用できないんだけど」
コーヒーを半分ほど飲んだ頃、日本側への報告を終えた名取が居間へ戻ってきた。
「真壁さん、日本側から連絡が一件入っています」
「コンパスの件ですか?」
「いえ。今回は仕事の話ではありません」
名取は手元のスマホを確認してから、俺を見た。
「ご両親からです。長い海外勤務から戻られて、真壁さんと話したいそうです」
古い電話番号も住所も使えなかったため、勤務先の取引先から日本政府まで連絡が回ってきたらしい。
両親と連絡を取るのは、ずいぶん久しぶりだった。
「今、かけても大丈夫ですか?」
「はい。先方にも、今日中に連絡が入ると伝えてあります」
日本側から案内された番号へ、俺のスマホで電話をかけた。
名取と桐野はそれぞれの部屋へ戻り、シオだけが隣のソファに残った。
二度目の呼び出し音で相手が出る。
『遼か。元気か?』
最後に会ったのは数年前だ。
それでも、父親の声くらいはすぐに分かった。
「元気だけど。父さんたち、帰ってきたの?」
『久しぶりだな。仕事から戻ってみれば電話はつながらんし、前の家にもいないし、お前を探す方が大変だったぞ』
「万博のあとに、連絡先も住所も変わったから」
『記事で見た。無事ならいい』
父はそれ以上、連絡が途切れていたことを責めなかった。
両親が今どの国にいるのか分からないのも、昔からだった。
「長い仕事は、もう終わったの?」
『終わった。まだ会社の施設だが、しばらくは休める』
「イタリアじゃなかった?」
『それは前の仕事だ。そこから随分あちこち回ったから、話すと長い』
最後に聞いたのがイタリアだっただけで、その後も同じ場所にいたわけではないらしい。
両親の仕事は昔からそんな調子だった。
『それで、遼。お前、いつから鑑定士になったんだ?』
「会社を辞めてから」
『そこから聞いてないぞ』
「父さんたちに電話がつながらなかったし」
『それは、こっちも同じだな』
受話口の向こうから、父の笑い声が聞こえた。
『世界大会の映像にお前が出てると、母さんが見つけたんだ。最初は同姓同名だと思ったぞ』
「顔まで映ってたのに?」
『普通の会社員だった息子が、世界大会でまるで主役のように映っているとは思わんだろう』
それを言われると、俺にも反論しづらかった。
『聞きたいことは山ほどあるが、電話で済ませる話じゃないな。東京にいるなら、今度――』
「ニューヨーク」
父からの返事が途切れた。
『……アメリカの?』
「他にあるの?」
『そうか。飯でも食おうと思ってたんだがな』
「鑑定の仕事で来てる。日本へ戻る日はまだ決まってないけど、次はロンドン」
また返事がなくなった。
『待て、次はロンドンだって?』
「最近は海外の仕事が多いから」
『鑑定士は、そんなに国をまたぐ仕事だったか……』
少し離れたところから「代わって」と母の声が聞こえ、父の代わりに母が出た。
俺はスマホをスピーカーに切り替えた。
『遼、怪我はしていない?』
「してないよ」
『大阪の事件の記事も見たの。あとから元気な映像が出てきたけれど、パパはずっと気にしていたのよ』
受話口の向こうで、父が「紗江」と抗議した。
『何度も記事を読み直していたでしょう』と母が返し、俺に話を戻した。
『声は変わっていないけれど、映像だけでは元気かどうかまで分からないもの』
「本当に怪我はしてないよ。今朝も仕事してた」
『それを聞けただけでも、電話してよかったわ。それでシオちゃんも一緒なの?』
自分の名前を聞き取ったのか、そばにいたシオが俺の方へ体を向ける。
『りょうの おかあさん?』
「そう。母さんだよ」
『あら。シオちゃん、そこにいるのね』
「うん。今も一緒にいる」
『会う時は、シオちゃんも連れてきてね』
父に代わる前に、母は「ロンドンでね」と言った。
ロンドンへ行くことは父に話した。
母も横で聞いていたのだろう。
それでも、「ロンドンでね」という言い方が、なぜか少しだけ引っかかった。
『こっちも都合をつける。せっかくロンドンに来るなら、そこで飯でも食うか』
「いいよ」
『着く日が分かったら連絡してくれ。店はこっちで探す』
「分かった」
『元気なら、それでいい。またな』
両親との電話は、それで終わった。
結局、詳しい話はほとんどしないまま、両親とロンドンで飯を食う約束だけが決まった。
通話が終わったのを見計らい、名取と桐野も居間へ戻ってきた。
『りょうの おとうさんと おかあさんに あう?』
「ロンドンで会うことになった」
シオはすぐに専用スマホを操作した。
『いっしょに ごはん!』
「シオも来てほしいって」
シオは表示を切り替え、ニューヨークで撮った写真を次々に出していく。
タイムズスクエアにブルックリン橋、メリーゴーランドまで、画面には昨日までの観光が詰まっていた。
『しゃしん みせる!』
「会ってすぐ全部見せるつもりか?」
『いえす!』
その表示を見た桐野が、向かいのソファから身を乗り出す。
「真壁さんのご両親も、ロンドンに来るの?」
「そうみたい」
「私が家に帰るついでの旅行だったはずなのに、真壁さんの予定の方が多くなってない?」
コンパスの針を調べて、両親と飯を食う。
……確かに、俺の予定の方が多い。
◇
同じ日の午後、ロンドン南西部にある《ロダン・ホール》では、エドワード・ロダンが兄の書斎を訪れていた。
壁には古い海図が掛かり、その下には帆船の模型が並んでいる。
ロダン家が探索者の一族となるより前、海を渡る仕事をしていた頃から残る品だった。
「シエルは旅行で帰ってくるはずだったんだが、とんでもない話を持ってきた」
エドワードから見せられた資料を、現当主アレクサンダーは黙って読み進めた。
まだUS-DDAの正式文書ではなく、娘から聞いた話をまとめたものだ。
外殻と核がすでに一つへ戻り、ブルックリン地下の扉を帰還地点として示したことも書かれている。
完全な復旧まで、欠けているのは針だけだった。
「《フロンティア・コンパス》の針が、ビッグベンの長針の中にあるらしい。正式な資料も、これから届く」
「誰が見つけた」
「真壁遼だ。日本の鑑定士で――」
「知っている。世界鑑定学会の全層読破者だろう」
エドワードが説明を止めた。
兄は真壁の名前には反応したが、針の場所を聞いても驚かなかった。
「兄さんは、長針の中に何があるか知っていたんだな」
アレクサンダーは否定せず、手元の資料を閉じた。
「百年だ。《フロンティア・コンパス》を外から追って、あの長針までたどり着いた者は一人もいなかった」
「だったら、話は早いだろ」
「まだだ。正式な資料が届くまで、ロダン家からは何も返すな」
「断るつもりなら、シエルには俺から説明するぞ」
「断るとは言っていない。長針のことは、私一人では決められん」
アレクサンダーは、閉じた資料をエドワードへ返した。
「ただ、真壁遼には会う。シエルに、彼をここへ連れてくるよう伝えろ」
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