白い二匹、ニューヨークを歩く
US-DDAの管理地を出ると、車列はマンハッタンへ向かった。
遠くに見えていた建物が、進むほど高くなっていく。
ミルは後部座席の窓際からほとんど動かず、立ち並ぶビルを見上げていた。
「人間は、いつからあれほど高い家を建てるようになったのじゃ?」
「ここ百年くらいで、だと思います」
「百年か。わしが寝ておる間に、ずいぶん上へ伸びたものじゃな」
俺の肩では、シオが専用スマホを窓へ向けている。
ミルが街を眺めている間も、シオは撮った映像を何度も再生している。
やがて車列が、大きな石造りの建物の前で止まった。
正面には古い宮殿のような低層部があり、その奥からガラス張りの高層棟が伸びている。
《マンハッタン・クラウンパレス》
今回、US-DDAが用意したホテルだった。
「ここに泊まるんですか?」
「はい。真壁さんのお部屋と、同行者、警護担当の区画まで確保されています」
支援チームの女性は、普段使っているホテルの名前でも告げるように答えた。
俺はもう一度、車の窓から入口を見上げる。
仕事で来ただけの俺には、明らかに立派すぎた。
玄関前で車を降りると、ホテルの職員たちが迎えてくれた。
並んだ車と警護担当を見て、ロビーにいた宿泊客の何人かが振り向く。
シオが俺の肩から触手を上げると、その足が止まった。
「あ、シオちゃんに気づいたみたい」
桐野の言葉どおり、聞き取れない英語の中にもシオの名前だけは混じっている。
スマホを構える人が現れ、その隣にいる人もこちらを向いた。
そのカメラが少し下がり、今度は足元のミルへ向く。
「ここでも見られておるぞ」
「シオと一緒にいるから、余計に目立つんだと思います」
「わしは、おぬしの方が目立っておると思うがのう」
ミルの言葉に、桐野と名取がそろって笑った。
案内されたスイートには、窓に面した広い居間と複数の寝室があった。
隣接する部屋には名取と支援チーム、同じ階には警護担当が入るらしい。
荷物が運ばれている間に、ミルは窓の前へ行った。
眼下では車の明かりが道路を埋め、その向こうにも高層ビルが続いている。
「もう外へ行くのか?」
「荷物を置いたら、出かけるつもりよ」
桐野はソファに座り、さっきからスマホを操作していた。
画面には、星座が描かれた広い駅と、巨大な広告に囲まれた街が表示されている。
「まずはグランド・セントラル。そのあとタイムズスクエアへ行って、最後に夜景を見る。どう?」
「今から全部ですか?」
「近いところばかりだから大丈夫。せっかく早く着いたんだし、部屋で寝て終わる方がもったいないでしょ」
ミルは窓の前で、何度もうなずいている。
俺の肩では、シオまで触手を上げた。
反対するのは無理そうだった。
◇
グランド・セントラル・ターミナルへ入ると、最初に目へ入ったのは天井だった。
青緑色の高い天井に、金色の星座が広がっている。
その下を大勢の人が行き交い、中央にある時計の周りでは、待ち合わせらしい人たちが立っていた。
「駅なんですよね、ここ」
「そうみたい。映画で見たことない?」
「ある気はするんですけど、もっと普通の駅だと思ってました」
肩が軽くなる。
シオは触手を床へ伸ばして下りると、天井へ専用スマホを向けた。
画面の角度を変えながら、金色の星と広場を撮っている。
天井の青緑色が半透明の殻へ映り、その中へ細かな光が浮かんで見えた。
桐野もすぐにスマホを取り出す。
「シオちゃん、そのまま! すごくきれい!」
シオはスマホを下ろすと、二文字を打って桐野へ見せた。
『ミルも』
「私も入れということか?」
シオはミルへカメラを向けた。
「ちゃんと並んでほしいみたい」
「仕方ないのう」
桐野がミルも一緒に画面へ収めようとした時だった。
近くにいた子供が、こちらを見て声を上げた。
英語は分からなくても、シオという名前だけは聞き取れる。
子供が小さく手を振ると、シオも触手を持ち上げた。
その母親らしい女性が驚き、慌ててスマホを構える。
少し離れた場所からも名前を呼ばれ、シオはそのたびに触手の向きを変えた。
『しお せかいてき』
得意そうな声が、俺の頭へ届く。
「調子に乗るなよ」
「何て言ってるの?」
「自分は世界的だって」
名取は笑いながら、子供とその母親に英語で何かを伝えた。
二人は嬉しそうに何度もうなずき、シオを背景に写真を撮ってから離れていく。
「おぬし、思っていたより有名なのじゃな」
ミルに言われ、シオは殻を大きく揺らした。
◇
外へ出た頃には、空が暗くなっていた。
タイムズスクエアへ近づくにつれ、夜になったはずの街が明るくなっていく。
建物の壁を埋める巨大な画面では、映像が絶えず切り替わっていた。
赤い光が消えると青くなり、次は紫色が歩道まで染める。
「夜じゃというのに、昼より明るいではないか」
ミルが立ち止まった。
隣ではシオも動きを止め、自分の殻へ流れる色を見ている。
白に近かった殻が赤く染まり、次の瞬間には青く透けた。
背後の画面が切り替わるたび、シオまで別の姿になったように見える。
シオは専用スマホを操作し、画面を頭上へ掲げた。
『NY!』
それを見た近くの観光客が笑い、何台ものスマホがシオへ向いた。
WEGの名前を口にする人もいる。
シオはミルの隣へ移り、二匹で巨大な広告を背に並んだ。
ミルは撮られていることに気づくと、少しだけ胸を張る。
「ミルも、まんざらじゃなさそうね」
「別に、喜んでなどおらぬ」
尾はさっきより高く上がっていた。
人の流れが急に増え、前を歩いていた桐野が戻ってきた。
俺の袖をつかみ、そのまま隣へ引き寄せる。
「真壁さん、離れないで。こっち」
「分かりましたから、引っ張らないでください」
「迷子になったら困るでしょ」
「子供じゃないですよ」
「初めて来た人は同じ」
人の少ない場所へ出ても、桐野は俺の袖をつかんだままだった。
すぐ近くでは、名取が何も言わずにスマホをこちらへ向けている。
「名取さん、今撮りました?」
「夜景です」
「俺たちしか映ってなかったですよね」
名取は答えず、シオとミルを呼んだ。
桐野が選んだ場所からは、いくつもの巨大画面が見える。
俺がスマホを受け取り、桐野の足元に並んだ白い二匹へ向けた。
シオは『NY!』を表示したまま、触手を二本上げている。
ミルはその横で、堂々と前を向いていた。
「撮りますよ」
「待って。真壁さんも入るの」
「俺が撮らないと、誰が撮るんです?」
「名取さん」
桐野は俺からスマホを取り上げ、名取へ渡した。
俺が立つ場所まで決めると、すぐ隣へ戻ってくる。
俺の上着に、桐野の肩が触れそうだった。
さっきまで袖をつかまれていたせいか、離れる方が変な気がして、そのまま立つ。
シオが俺たちの間から殻を出した。
ミルも桐野の足元へ座る。
名取がシャッターを切る直前、背後の画面が青から金色へ変わった。
撮れた写真には、金色の光に包まれた俺たちと、色の違う白い二匹が並んでいた。
「これ、送ってね」
桐野は写真を確認すると、名取へ念を押した。
◇
最後に向かった展望台では、マンハッタンの街が足元まで広がっていた。
屋外へ出ると風が強く、昼間とは違う冷たさがある。
北側には暗いセントラルパークが残り、反対側にはエンパイア・ステート・ビルを含む高層ビルの明かりが密集していた。
シオはガラスの近くで、また専用スマホを構えている。
殻の中へ細かな街明かりが映り込み、今度は体の中に星が散っているように見えた。
「これは、下から見た時よりすごいのう」
ミルは風に尾を揺らしながら、動こうとしない。
「人間は、地上へ明かりを積み上げたのじゃな」
桐野と名取も撮影を始め、支援チームの女性までスマホを出している。
警護担当は少し離れていたが、何人かは同じ夜景を見ていた。
俺は人の少ない場所へ移り、ガラス越しに街を眺めた。
ほどなく桐野が隣へ来る。
「ニューヨークまで来て、こういう時間ができるとは思わなかった」
「俺もです。コンパスを見たら、そのままロンドンへ行くものだと思ってました」
「じゃあ、明日も付き合ってよ」
「いいですよ」
桐野がこちらを向いた。
「行き先、まだ言ってないけど?」
「桐野さんが行きたいところなんでしょう」
「まあ、そうだけど」
桐野は少し笑い、街へ顔を戻した。
「セントラルパークと、ブルックリン橋に行きたい」
「あそこへも行くんですか」
「真壁さんなら知ってるでしょ」
知っている。
探索者登録の研修で、何度も見た名前だった。
返事をする前に、シオが俺と桐野の間へ専用スマホを差し出した。
『あしたも かんこう』
「決まりじゃな」
ミルまでこちらへ来て、夜景を背に座った。
「はい。明日も行きましょう」
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