日本が世界に誇る鑑定士
《天空樹》の管理に、国も関わるべきだ。
ダンジョン政策担当大臣の提案を受け、瀬尾は首相を見た。
首相が続きを促す。
「以前、政府から配信へ条件をつけた時、真壁さんはその場で『しばらく配信はやめます』と言いました。その後、配信を再開してもらうまでに、どれだけの部署と人間が動いたかは、大臣もご存じのはずです」
瀬尾は一度言葉を切った。
「《天空樹》を政府へ預けてくださいと伝える役まで、私に回すのは勘弁していただきたい」
ダンジョン庁長官が、小さくうなずいた。
「前回より大きな騒ぎになるでしょうな」
「所有権は真壁氏にあります」
答えたのは首相だった。
「政府から《天空樹》の引き渡しは求めません。鑑定も、協力して当然の仕事として扱わない。これまで日本のために動いてくれたのは、真壁氏が自分で引き受けると決めてくれたからです」
異論を挟む者はいなかった。
首相は、画面に映る《天空樹》を見た。
「真壁遼氏は、日本が世界に誇る鑑定士です。《全層読破者》となり、《導きのレンズ》を継承し、《天空樹》をこの世界へ帰還させた。今回の功績を、日本政府として正式に高く評価します」
官房長官が、真壁への対応方針を文書へ反映するよう事務方へ指示した。
海外からの問い合わせは外務省が受け、増員する内閣府特命チームと真壁専属支援チームへ集約する。
依頼の内容、公開範囲、条件、報酬、安全面を先に整理し、受けるかどうかは真壁本人に決めてもらう。
政府側の都合だけで予定へ組み込むことも認めない。
警護は国家元首級に準じた現在の体制を続けるが、目的は真壁と同行者の保護、各国との調整に限られた。
「帰国後、私から直接お礼を伝えたい。瀬尾さん、本人の都合を聞いてください」
「承知しました。同行した皆さんにも、お声がけしてよろしいでしょうか」
ダンジョン庁長官が、今度ははっきりとうなずいた。
「それがいいでしょう。《導きのレンズ》も《天空樹》も、現地で支えた者がいます」
「もちろんです。私から皆さんへ、お礼を伝えます」
首相がそう言うと、張りつめていた席上がわずかに緩んだ。
出発前に届いた最終報告では、《天空樹》はまもなくニューヨーク郊外へ到着する予定になっていた。
亜空間航行中は連絡がつかない。現実空間へ戻ったあとは、休息日を挟み、US-DDAが保管する《フロンティア・コンパス》を鑑定する予定だった。
外務大臣が、瀬尾を見た。
「まだあるんですか」
「こちらは、学会が始まる前から決まっていた依頼です」
「予定どおりの仕事なら、今度は報告書の枚数も予定どおりで済みそうですね」
瀬尾は少し考えたが、うなずくことはできなかった。
「先方へ、用紙を多めに用意しておくよう伝えます」
首相もその返答に思わず吹き出した。
「では、次の報告が届く前に、今日の方針を各省へ回しましょう」
会議を終える前に、内閣府の事務方が瀬尾へ新しい連絡票を渡した。
「最後に、もう一点だけよろしいでしょうか。真壁さんのご両親から、本人へ連絡を取りたいという申し出が届いています。以前の電話番号も住所も変わっていたため、勤務先の取引先を通じて、ようやくこちらまで連絡が回ってきたそうです」
「ご両親が?」
「長期の海外勤務から戻られたばかりとのことです」
首相はすぐに対応を決めた。
「《天空樹》が現実空間へ戻ったら、まず本人へ伝えてください。会う日程は、ご家族で決めてもらいましょう」
「承知しました」
◇
しばらくすると、窓に映る雲が切れ、その下に緑の多い土地が見えた。
亜空間にいる間も、天空樹は現在地に重なる外の景色を見せ続けている。
そこから先も景色は何度も変わったが、俺たちは操縦のために何かをする必要がなかった。
飛行機なら、座席に座って小さな窓を覗いているところだ。
ここでは部屋の中を歩けるし、ミルをナバホへ残していく必要もない。
「これ、飛行機より楽かも」
撮影を続けながら、桐野が言った。
「空港まで行かなくていいですからね」
「次からも、海外へ行く時は使うつもりなんだ……」
「移動できるなら、その方が便利じゃないですか?」
今度は桐野まで黙ってしまった。
窓辺では、ミルが楽しそうに尾を揺らしている。
◇
同じ頃、ニューヨーク郊外の管理地では、US-DDAの現地責任者の前に3系統の監視画面が並んでいた。
《天空樹》が現実空間へ戻る予定時刻まで、あとわずかしかない。
画面の一つには周辺空域のレーダー情報が映り、別の画面には魔力観測装置の数値が並んでいる。
どちらにも、ナバホから飛んでくる巨大な物体の痕跡はなかった。
「航空管制にも、該当する機影は出ていません」
「魔力反応もゼロのままです」
報告を受けた現地責任者は、何もない空を見上げた。
「ナバホを出たことは確認できているんだな?」
「はい。亜空間へ入る直前、日本側から最終連絡を受けています。それ以降は、説明どおり通信も途絶えています」
現場へ渡された手順は単純だった。
指定区画を空け、周辺上空に航空機がいないことを確認し、予定時刻まで待つ。
だが、何も観測できないため、《天空樹》がすでに到着しているのか、まだ移動中なのかさえ現場では判断できない。
「これでは、遅れても捜しようがないな」
現地責任者の呟きに、答える者はいなかった。
職員たちは車両のそばへ出て、示し合わせたように空を見上げる。
やがて、観測担当の職員が時計を確認した。
「予定時刻です」
それでも、空には何も見えなかった。
◇
頭の中の地図で、現在地が目的地へ近づいた。
遠くに建物が密集した街が見え始めると、窓に映る景色の動きも緩やかになっていく。
「そろそろ着きそうです」
俺が伝えてから間もなく、現在地を示す点が目的地で止まった。
《天空樹》は、現実空間へ戻らないまま、管理地の上空で待っている。
名取がスマホを確認したが、まだ圏外のままだった。
窓には、何台もの車と、そのそばで空を見上げる人たちが映っている。
地上の区画にも周囲の空にも、帰還を妨げるものは見当たらない。
「着いているのに、向こうからは分からないんですね」
「こちらから連絡することもできません。予定時刻ですし、戻って大丈夫です」
支援チームの女性に言われ、俺は戸口の木肌へ手を当てた。
「偽装を解いて、現実の空へ戻ってくれ」
部屋の中には変化がなかった。
しかし窓の下では、空を見上げていた人たちが一斉にこちらを向いた。
先頭にいた男は手にしていたタブレットを下ろし、そのまま動かない。
圏外だった名取のスマホが、立て続けに着信を知らせた。
電話へ出た途端、何人もの英語が重なって聞こえてくる。
「見えたそうです。レーダーにも魔力観測にも何も出ないまま、いきなり現れたって」
地上で待っていた人たちは、枝の先から幹の根元まで追うように顔を動かしていた。
全体を見ようと、車から離れていく人までいる。
俺は昇降台を中層へ呼んだ。
警護担当の一部は《天空樹》へ残るが、ミルは当然のように昇降台へ乗ってくる。
「わしも降りるぞ。せっかく外へ出たのに、家で待っておる理由もないじゃろ」
「そうですね」
シオは俺の肩へ戻り、ミルは桐野の足元で地上を覗き込んだ。
地上へ降りる間も、US-DDAの職員たちは《天空樹》を見上げている。
枝葉の間から昇降台が現れると、地上で待つ職員もこちらへ顔を向ける。
昇降台が地面へ着くと、現地責任者だという男が前へ出た。
名取が挨拶を交わしている途中で、少し離れた場所から別の声が聞こえた。
若い職員がミルを見て何か言い、隣にいた男が俺の肩を指している。
名取が笑いをこらえながら訳した。
「白いタヌキまで連れてきたぞ。いや、シオは肩にいる。じゃあ、あれは何だって」
ミルの尾がぴたりと止まった。
「誰がタヌキじゃ。わしはミルという。覚えておけ」
名取は訳していない。
それでも現地責任者も職員たちも、同じように目を見開いた。
言葉ではなく、ミルが伝えた意味そのものが周囲の頭へ届いたのだ。
俺の肩では、シオも専用スマホへ文字を打ち込んでいた。
『ミル たぬきじゃない』
「おぬしは分かっておるな」
シオが触手を伸ばし、ミルの頭へ軽く触れた。
さっきまで《天空樹》を見上げていた職員たちのスマホが、今度は白い二匹へ向き始める。
現地責任者から続きの説明を受け、名取が俺たちへ伝えた。
クロフォード局長たちは、まだ通常の交通手段でニューヨークへ移動している。
コンパスの鑑定は、移動後の休息も含めて初めから明後日の朝に組まれており、俺たちが早く着いても予定は変えないそうだ。
その間の滞在先として、US-DDAはマンハッタンの《マンハッタン・クラウンパレス》を用意していた。
「では、その高い建物が集まっておる場所へ行くぞ」
「今日は、先にホテルです」
「ならば明日じゃ」
「じゃあ、私が案内する。行きたいところ、今から調べるから」
「桐野さんも初めてですよね?」
「調べれば大丈夫」
俺の肩から、シオが専用スマホを高く掲げた。
『かんこう!』
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