天空樹でニューヨークへ
名取が地上へ電話をかけてから、天空樹が出発するまでには、思ったより時間がかかった。
まず、日本側へ行き先の変更を伝える必要があった。
次に、特務隊と支援チーム、桐野についてきた英国側の警護担当をどう移動させるか。
俺たちの荷物は星門館の宿泊区画に残ったままで、地上にはここまで乗ってきた車もある。
「考えてみたら、何も片づいてなかったですね」
「考える前に飛ばなくて、本当によかったですよー」
名取は日本側へ連絡を入れ、別のスマホに届いたクロフォードからの返事も確認していた。
アメリカ側は、天空樹がニューヨーク郊外まで飛ぶことを関係機関へ伝え、待機場所と受け入れ車両を用意するという。
俺は昇降台を地上へ下ろす前に、戸口の木肌へ手を当てた。
「これから一緒に行く人たちも、ここへ入れるようにしてくれ」
しばらくして昇降台が戻ってくると、先頭に名取から連絡を受けた支援チームの女性が立っていた。
後ろには特務隊の警護担当と英国側の警護担当が続き、まとめられた荷物も載せられている。
全員が、先ほど鑑定士たちを止めた場所を何事もなく通ってきた。
俺が一緒に行くと認めた相手なら、天空樹も入れてくれるらしい。
「真壁さん。日本側からも移動の了承が出ました」
支援チームの女性は中層へ上がるなり、今後の予定を説明した。
特命チームと外務省は、US-DDAから移動先と受け入れ態勢の確認を取った。
地上の車両は現地の担当へ任せ、学会へ参加していた人たちは、それぞれ予定していた帰路へ戻る。
エリオットたちは天空樹の研究について改めて相談したいと伝え、地上から俺たちを見送ることになった。
「警護と支援チームは、このまま同行します。桐野さんの警護担当も一緒です。荷物も全員分あります」
「ありがとうございます。これで出発して大丈夫ですか?」
「はい。今度こそ大丈夫です」
念を押すように言われた。
普通なら移動するだけで、ここまで大勢が動くことはない。
だが、よく考えれば飛行機でもない巨大な木でアメリカを横断するのだから、確認が増えるのは当然だった。
俺は名取からもう一度待機地点を見せてもらい、脳内の地図へ意識を向けた。
ニューヨーク郊外にある指定地点を、今度こそ目的地に選ぶ。
すぐに動き始めると思っていたが、地図の中に二つの航行方法が現れた。
短い試運転で使った通常航行と、長距離用の亜空間航行。
通常航行は、さっき試したものだろう。
だが、亜空間航行は聞いたこともない。
俺は戸口の木肌へ手を当てたまま、その違いを鑑定した。
――――――――――――――――――――
対象:《天空樹》
状態:長距離航行準備
目的地:登録済み
通常航行:現実空間を移動/最大時速約500キロ
亜空間航行:現実空間の距離に換算して最大マッハ5相当
長距離航行設定:亜空間航行を自動選択
偽装:亜空間航行時に自動作動
外部観測:現代地球側からの観測不可
外部通信:使用不可
現実空間への干渉:不可
到着時:亜空間内で停止
現実空間への帰還:正統継承者の指示/帰還先重複時は実行不可
――――――――――――――――――――
「……普通に飛ぶより、ずいぶん速いですね」
俺が読み取った内容を伝えると、名取より先に支援チームの女性が反応した。
「待ってください。亜空間ということは、航空機とは同じ空を飛ばないんですか?」
「そうみたいです。その代わり、移動中は外と連絡できません」
「それなら、航空路を空けてもらわなくて済みます。必要なのは、出発前の連絡と、現実空間へ戻る場所の安全確認ですね」
動かしてから気づくよりはよかった。
支援チームの女性が日本側へ、名取がクロフォードを通じてUS-DDAへ、航行方法と到着後の手順を追加で伝える。
俺たちは、向こうが管理地の周囲を確認する時間も含めた到着見込みを決めた。
両方から受け入れ準備ができたという返事をもらい、名取と支援チームの女性が必要な報告をすべて送り終える。
今度こそ、出発前に残った用事はなかった。
「じゃあ、ニューヨークまでお願いします」
木肌へ伝えると、黒い球体と赤い大地がゆっくり遠ざかり、天空樹が現実の空へ浮かび上がっていく。
次の瞬間、窓の外を白い光が横切った。
景色はすぐに戻ったが、名取のスマホも、支援チームの業務用スマホも揃って圏外になっている。
頭の中の地図では、現在地を示す点が、さっきまでとは比べものにならない速さで東へ進み始めていた。
「もう、亜空間に入ったみたいです」
「全然分からなかったんだけど」
「昔も中はこのようなものじゃった。何も見えぬ旅では退屈じゃから、外の景色は天空樹が映してくれる」
ミルだけは椅子から動かず、白い尾を揺らしている。
景色の変わり方は試運転よりずっと速い。それでも、部屋に置かれた椅子も、運び込まれた荷物も動いていない。
「このまま、俺が何もしなくても着くんですか?」
「行き先を定めたなら、あとは天空樹が運んでくれる。エリアスも、飛び始めたあとは好き勝手に過ごしておったぞ」
「じゃあ、使い方は合ってますね」
俺が窓から離れると、名取が苦笑した。
「世界鑑定士連盟でも調べられなかった遺産で、大陸を横断しているんですよー。もう少し緊張してもいいと思いますけどねぇ」
「でも、俺がずっと操縦する必要はないみたいですし」
「エリアスも似たようなことを言うておったのう」
名取は答えず、圏外になったスマホをしまった。
特務隊の警護担当たちは、出発前に決めたとおり、天空樹の内部と窓の外を確認している。
桐野は窓際へ戻り、流れていく景色をスマホで撮り始めた。
肩に乗っていたシオも、専用スマホを触手で持ち上げ、同じ方へ向ける。
赤い大地が見えなくなると、乾いた山が続き、その先には平らな土地が広がっていた。
現実の空からは消えているのに、こちらからは旅の続きが見えるらしい。
やがて窓の下を雲が流れ、地上の景色が途切れる。
いつの間にか、ミルも椅子を降りて窓の近くまで来ていた。
「この家から外が動くのを見るのは、ずいぶん久しぶりじゃ」
「これからは、好きなだけ見られるよ」
「そうじゃの」
桐野の隣で、ミルが窓の外を眺めている。
百年余り待ち続けた家が、今は俺たちと、その旅を支える人たちまで乗せて、誰にも見つからない空間を次の街へ向かっていた。
◇
その頃、日本の首相官邸では、予定になかった関係閣僚会議が始まっていた。
上座には首相と官房長官がいる。
外務大臣、ダンジョン政策を担当する国務大臣、国家公安委員長も集まり、ダンジョン庁と警察庁は長官が出席していた。
瀬尾副長官と内閣府特命チームの責任者は、報告役としてその席に加わっている。
真壁遼が何かを見つけるたび、その影響はあとから関係機関へ押し寄せる。
似たような会議は、これまでにも何度かあった。
ただし今回は、実務者の間で整理し終えるのを待てる規模ではない。
首相に促され、瀬尾が学会で起きたことを報告した。
真壁は《千殻真球儀》の全層を読破している。
世界鑑定士連盟は、既存の鑑定位では評価できないと判断し、七鏡座の決議によって順位外の《全層読破者》として特別認定している。
「少し待ってください」
官房長官が瀬尾を止めた。
「順位外というのは、評価不能という意味ですか。それとも、一位より上に置いたと?」
「比較できる鑑定士がいないため、これまでの順位表から外したそうです。連盟が新しい認定を作ったのは、真壁さんが初めてです」
官房長官は手元の資料へ目を戻した。
「つまり、世界一という言葉でも足りなくなった」
瀬尾は否定しなかった。
そのまま《導きのレンズ》の完成と、創始者エリアス・ヴェインの正統継承者として認証された経緯まで報告を進める。
外務大臣が、そこで初めて口を挟んだ。
「こちらには、全層読破の件だけで、すでに各国から照会が来ています。まだ続くんですね」
「はい。ここから先は、私のところだけでは処理できませんでした」
正面の画面へ、《センター》上空に浮かぶ巨大な木が映された。
レンズが示した異界で発見された《天空樹》は、真壁の呼びかけに応じて元の世界へ帰還した。
世界鑑定士連盟も、真壁が正式な所有者だと認めている。
しばらく、誰も資料をめくらなかった。
官房長官が、改めて瀬尾へ向き直った。
「瀬尾さん。我々は、学会へ鑑定士を一人送り出したはずでしたね」
「私も、その認識でした」
外務大臣が額を押さえた。
「全層読破者への対応を各国へ説明している最中に、今度は空を飛ぶ巨木ですか。せめて、国内へ戻ってから増やしてほしかったですね」
「その《天空樹》ですが、現在は真壁さんと随行員、荷物を乗せてニューヨークへ向かっています。長距離移動では亜空間へ入り、現代の観測手段では捉えられないそうです」
外務大臣が聞き返した。
「もう飛んでいるんですか」
「はい。行き先を指定すれば、自動で運んでくれるそうです」
外務大臣は深く息を吐いてから、米側との調整状況を説明した。
《天空樹》は航空路を通らないため、飛行中の空域を空ける必要はなかった。
ただしUS-DDAは、予定時刻に合わせてニューヨーク郊外の管理地を封鎖し、現実空間へ戻る場所に何も入らないよう監視している。
今回は、亜空間へ移る前に到着見込みと帰還地点を共有できた。
次からは真壁本人の渡航だけでなく、《天空樹》をどこで現実空間へ戻すのか、もっと早い段階で把握しなければならない。
「次も、消える直前の連絡では困ります。戻す場所を決めた段階で知らせてください。これは現地の支援チームへ、よく伝えてください。本当にお願いします」
特命チームの責任者が、すぐに「承知しました」と答えた。
外務大臣の話を受け、ダンジョン政策担当大臣が口を開いた。
「事前に連絡をもらうだけでは足りません。個人が所有する遺産としては、あまりにも規模が大きい。安全を考えれば、国が管理に関わるべきでしょう」
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