天空樹の持ち主
忘れた用事は、向こうから思い出させに来てくれた。
共用サロンに現れたクロフォードは、俺たちが見ていたロンドンの写真に気づくと、困ったように笑った。
名取がスマホをしまい、彼の言葉を訳してくれる。
『英国へ出発される前に、《フロンティア・コンパス》の件を進めさせていただきたいのですが』
「あ、それだ」
口に出してから、しまったと思った。
桐野も、俺の隣で同じことを言いかけている。
『思い出していただけて何よりです』
「すいません。忘れるつもりはなかったんですけど」
順位式が終わったら、本格的に鑑定する約束だった。
だがそのあとにレンズが1つになり、隠された場所へ行って、空に浮かぶ木まで連れて帰ってきた。
忘れた理由にはなるが、頼んだ側からすればさぞ困る話だろう。
『本日の出来事を見ておりましたから。少し落ち着いてから、お声がけしようと思っていたのです』
クロフォードは、俺たちの向かいに腰を下ろした。
『外殻はニューヨークの施設で保管しています。お手数ですが、そちらまでお越しいただけますか』
「ここへ持ってくるわけじゃないんですね」
『はい。保管設備と警備を整えた場所に置いてありますので、鑑定も現地でお願いしたいのです』
写真で見た時は、持ち運べそうな大きさだったが、伝説の探索者が使っていた遺物を、俺に見せるためだけに移動させるわけにもいかないようだった。
「分かりました。じゃあ、ニューヨークへ寄ってからロンドンですね」
「ニューヨークもいいじゃん。最近行ってないし」
桐野は、さっそくスマホで地図を開いている。
俺は最近どころか行ったことはない。
せっかくなので少し見て回りたいが、その前に、もう1つ片づけなければならないことがあった。
「あの木、どうしましょう」
全員が、俺を見る。
「俺たちだけ出発して、あそこに置いていくわけにもいかないですよね。ミルもいるし」
クロフォードは名取の通訳を聞き、星門館の出口へ続く通路を示した。
『その件でしたら、連盟の方々もお話ししたいようです。今、地上で調査を試みておられます』
◇
米軍の案内で《センター》へ戻ると、天空樹の下には学会の参加者が集まっていた。
太い根は赤い地面から離れたままで、黒い球体から伸びる青白い光を受けている。
朝と変わらず補給を続けているようだった。
木へ近づこうとした鑑定士が、不意に足を止めた。
行く手には何も見えないのに、胸の高さへ差し出した手は何かに阻まれ、押したところから水面のような波紋が広がった。
波紋は頭上へ弧を描き、木の根を囲む位置まで続いて消える。
「何ですか、あれ」
「見えない壁があるみたいですねー」
名取が答えている間に、その鑑定士は手を引いて距離を取った。
今度は木を見上げて鑑定を試していたが、やがて首を横に振る。
そばにいた別の鑑定士も、同じ位置から先へ進めなかった。
俺たちに気づいたエリオットが、連盟の議長であるコンラート・ベルンハルトを連れてやって来た。
閉会式で俺の特別認定を発表したばかりなのに、今は砂のついた靴で巨木の下に立っている。
『近づくことも、鑑定を通すこともできません。表面の情報すら返ってこないのです』
ベルンハルトは、鑑定士たちが立っている場所を示した。
『先ほどから何人も試していますが、結果は変わりません。あの障壁についても、構造は読めていません』
俺たちが朝に降りてきた時には、何も感じなかった。
今も、木の柵がついた昇降台は地上に見えている。
そこへ行くだけなのに、誰も辿り着けないらしい。
『真壁氏。今後、この天空樹をどうされるおつもりですか』
「それを相談しようと思って来たんです。ここに置いたまま出発していいのかも、決めてなくて」
『でしたら、連盟での管理をお考えいただけませんか。創始者が遺した、これだけのものです。継続して調べ、後世へ残す必要があります』
学会には、魔道具を研究している人が大勢いる。
木が空に浮いているのを見れば、近くで調べたくもなるだろう。
今日まで誰も知らなかった天空樹が、連盟を作った人の住まいだったのだ。
「研究したいのは分かるんですけど、中にはミルも住んでますから。俺だけで預けると決めるのは、ちょっと」
『もちろん、居住者への配慮は必要でしょう。ただ、この遺産を個人の判断だけで移してしまう前に、所有を含めて整理しておくべきだと考えています』
俺は、頭上の枝葉を見た。
いきなり天空樹の所有者として登録され、まだ実感もないうちに、ずいぶん大きな話になっている。
『その点は、既に答えが出ています』
エリオットが、ベルンハルトへ言った。
『鑑定では、《天空樹》は真壁氏を正統継承者として認証しています。何より、この場所の主であるミルが、彼を所有者として認めている。天空樹の正式な所有者は、真壁遼氏です』
ベルンハルトは、エリオットへ向き直った。
『ヴェイン家としても異存はない、ということでよろしいのですか』
エリオットは迷わず答えた。
『もちろん、ありません。私が家の中へ入れたのも、真壁氏と一緒だったからです』
エリオットは、俺へも話を向けた。
『曽祖父は、誰かにここへ辿り着いてほしかった。そのために道具と記録を残したのです。実際に辿り着いた方を、今度は我々が引き止めるわけにはいきません』
朝、ミルの話を聞いていた時のエリオットを思い出す。
祖先の暮らしを知れただけで嬉しそうだった彼は、あの家まで自分のものにしようとはしていなかった。
「ありがとうございます」
『礼を言われることではありません。あなたのおかげで、私も曽祖父の暮らしていた場所を訪ねられたのですから』
ベルンハルトは、もう1度、木を見上げた。
あの枝の先から根まで、調べたいものばかりなのだろう。
後ろで待っていた鑑定士たちへ短く話しかけると、何人かが反論したが、議長は首を横に振った。
『承知しました。連盟として、天空樹が真壁遼氏の所有であることを認めます。今後、研究への協力をお願いすることはあるでしょう。その際には、改めてあなたにご相談します』
「はい。中に住んでる者に迷惑がかからないなら、俺も断るつもりはないです」
研究への協力は改めて相談することになり、連盟で預かるという話は取り下げられた。
これで、正式に天空樹は俺の所有物ということになったようだ。
しかしよく考えたら自分の家は現在進行系でないことに気づき、「これはむしろいいことなのでは?」などと密かに考えていたことは秘密である。
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