天空樹の帰還①
「《センター》のところに、この木が戻るんですか?」
「そうじゃ。あれは、この者のために置いたものじゃからな」
ミルは床に置いていた前脚を引いた。
「戻してやってくれ。ここで待つのは、もう十分じゃ」
運び出す必要がないのなら、あとは戻し方が分かればいい。
「退避を解除する方法を調べてみます」
《導きのレンズ》を持つ左手を下げ、壁へ近づく。
さっき表示された《異界退避》の項目を意識して、もう一度鑑定する。
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対象:《天空樹》
退避機能:《異界退避》継続中
解除操作:認証済み継承者による樹体接触/解除指示
操作権者:真壁 遼
復帰先:ナバホ補給基点上空/原停泊位置
復帰時維持:浮遊停泊/内部居住空間
復帰後接続先:ナバホ補給基点
長距離飛行:停止
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俺は右の手のひらを壁へ当てた。
木肌は少し温かかった。
『もう、戻せるのですか?』
ヘルガの問いに頷いた。
「はい。《センター》の上空に戻るみたいです。戻ったあとも浮いていられるので、下の設備にはぶつかりません」
「お主、もう動かし方まで読めたのか?」
玄斎が口を挟んだ。
「ええ。戻し方も出てましたよ」
『これから帰還の方法を調べるのだと思っていましたが……』
エリオットの言葉に、俺は壁へ当てた手を離しかけた。
「もう少し待ちます?」
『いえ。お願いします』
俺は壁へ向き直り、解除を告げようとした。
「あ、真壁さん、ちょっと待ってください!」
名取の声に、口を閉じた。
彼女は戸口へ向かい、扉の近くにいた随行員たちへ声をかける。
「戻る時に揺れるかもしれません。もう少し部屋の中へお願いします」
戸口に集まっていた人たちが、場所を譲り合いながら部屋の内側へ移っていく。
この人数が扉の前でよろけたら、それだけでも危ない。
「分かりました。待ってます」
俺は壁に手を当てたまま、名取が皆を中へ移動させるのを待つことにした。
左肩に乗ったシオは、俺の顔を見上げている。
「ここから外へ戻るってさ。ちゃんとつかまってろよ」
『りょうかい』
俺にだけ返事を届け、シオは触手で襟をきゅっとつかんだ。
桐野がその様子を見て、俺の隣へ来る。
「この部屋にいたまま、ナバホへ戻れるのね」
「そうらしい。……何も変わってないから、まだ実感ないけど」
「分かるわ。ここが動くところ、想像できないもの」
名取が戸口から戻ってきた。
「真壁さん、こちらは大丈夫です」
俺は頷き、皆へ声をかけた。
「それじゃ、戻します。長距離を飛ぶ機能は止まったままなので、戻った場所で補給を始める形です」
俺は右手に少し力を込める。
「《異界退避》を解除。《センター》の上へ戻ってくれ」
手のひらの下で木が震え、壁の奥から低い音が伝わってきた。
俺は揺れに備えたが、足元の床は動かない。
部屋の中も、さっきまでと変わらなかった。
ところが、戸口から差す光が濃くなり、外で葉のこすれる音がした。
風が前髪を揺らす。
顔を上げると、扉の向こうの枝の隙間に青空が見えていた。
移動した感じは、まるでなかった。
それでも、さっきまで白っぽい光しか見えなかった場所に、空がある。
「……今、外へ出たの?」
桐野も、扉の向こうを見ていた。
「外じゃ」
ミルは俺の横を抜け、戸口で立ち止まって顔を上げた。
俺も壁から手を離し、その後ろへ向かった。
名取が先に踊り場へ出る。
俺たちも続いたところで、足が止まった。
赤い大地が広がっていた。
足元は、さっきまでと同じ木の踊り場だ。
その先を見下ろした途端、俺は幹の方へ体を寄せた。
巨大な根のずっと下に赤い大地が広がり、地上では見上げていた岩山の頂まで見えている。
「うわ……」
上空に戻るとは読んだ。
だが、実際にここへ立ってみると、思っていたよりずっと高い。
頭上では葉が風に鳴っているのに、足元の木は揺れもしなかった。
「真壁さん、端へは寄らないでください」
「はい。ここで十分です」
名取の注意へ即答する。
俺の肩では、シオがぐっと体を伸ばした。
『そら』
「ああ。本物の空だな」
『たかい』
「うん。だから、そのまま乗ってろ」
襟をつかんだ触手は離れなかった。
シオの体だけが、岩山を追って左右へ傾く。
「本当に、ナバホ……」
隣の桐野も、赤い岩山を見ていた。
少し身を引いて、俺の腕に触れる。
「あの辺、車で通ったわよね」
「たぶん。上からだと、道が分かりにくいけど」
星門館の壁を通って、木の中へ入った。
今は、その木ごとナバホの空に浮いている。
道順を説明しても、誰も信じてくれなさそうだ。
後ろから出てきたエリオットが、戸口の脇で止まった。
部屋へ振り返り、もう一度、外を見る。
『曽祖父は……これに乗って、旅をしていたのか』
エリオットは返事を求めず、頭上の枝を見上げている。
さっきまで聞いていた、ずぼらな家主の話を俺も思い出した。
あの部屋で暮らして、扉を開ければこの景色だ。
片づけより、外へ出たくなる気持ちは少し分かる。
戸口の足元にいたミルの白い毛が、風になびいていた。
「……長かったのう」
それだけ言って、ミルは目を細めた。
誰も声をかけなかった。
枝を渡っていく風の音が、しばらく続いた。
やがて、下の方から光が差した。
根の間に、青白いものが見える。
「あれ、《センター》じゃない?」
桐野が指さした先を幹のそばから見下ろすと、地上の四角い区画の中央に黒い球体が浮かんでいた。
以前、配信しながら鑑定したものだ。
その球体を包むように、青白い光が広がっていた。
光は細い筋になって上へ伸び、垂れ下がる根の先へ触れる。
1本、また1本と増え、俺たちの足元にある太い根まで照らし始めた。
『供給経路が……』
ヘルガが言葉を切った。
踊り場へ出ずに戸口から見ていた玄斎も、身を乗り出しかける。
宗一郎がその腕を支えた。
「父さん、そこからでも見えます」
「分かっておる」
玄斎は部屋の側へ半歩下がったが、目は根から離さなかった。
俺はもう一度、《天空樹》を鑑定した。
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対象:《天空樹》
現在地:ナバホ補給基点上空
退避機能:《異界退避》解除済み
状態:浮遊停泊/補給中
補給接続:接続済み
補給受入:開始
エネルギー残量:低下/回復中
長距離飛行:停止
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ちゃんとつながっている。
残量はまだ低いが、回復中になった。
読んでいただきありがとうございます。
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