エリアスの家(前編)
ミルの言葉を聞き、室内へ散りかけていた人たちの足が止まった。
長いテーブルと、形の揃っていない椅子。
壁際の棚には食器や道具が残り、その奥には調理場まである。
どれも古いが、展示物のように整えて置かれてはいない。
誰かがここで普通に暮らし、そのまま席を立ったように見えた。
エリオットが一脚の椅子へ近づく。
背もたれの上だけ、長く手を掛けていたのか、ほかより色が薄くなっていた。
『曾祖父は、本当にここで暮らしていたのですか?』
「そうじゃ。遠くへ出ておっても、旅が終われば必ずここへ帰ってきた」
ミルの答えは、全員の頭へ直接届く。
エリオットはそれを聞いてから、椅子の背へ指先を置いた。
俺は、エリアスがどんな人物だったのか、ほとんど知らない。
ただ、目の前の椅子には、誰かが実際にここで暮らしていた跡が残っていた。
『エリアスは、ここで何をしていたのですか?』
「鑑定と道具いじりじゃな。もっとも、使った道具は出しっぱなしで、片づけるのはいつもわしじゃったが」
エリオットの指が、椅子の背から離れる。
『片づけを、あなたが?』
「そうじゃ。エリアスに任せれば、次の旅へ出るまで何一つ元の場所へ戻らんかったからの」
室内を調べていた鑑定士たちが、次々とミルへ顔を向けた。
どうやら、彼らが知っているエリアス像とは、少し違うらしい。
『曾祖父は、どのような人物だったのでしょうか』
通訳された問いに、ミルはすぐには答えなかった。
テーブルと椅子、その奥にある調理場を眺めてから、懐かしそうに尾を揺らす。
「思いついたら最後、誰が止めても聞かん男じゃった。先に飛び出して、何もかもやってしまってから考える。おかげで、わしらが何度窮地へ追い込まれたことか」
一度や二度ではなさそうな言い方に、俺はつい口を挟んだ。
「何度もですか?」
「数えるのも馬鹿らしいほどじゃ。それに、ずぼらで面倒くさがりでの。明日でもよいことは、絶対に今日やらん」
「分かります。急がなくてもいいなら、明日でもいいですからね」
俺が頷くと、隣にいる桐野がこちらを見た。
何か言いたそうだが、ミルの話はまだ続いている。
「じゃが、面倒見はよかった。底抜けに明るくてな。どれほど追い詰められておっても、あの男が笑って『大丈夫だ』と言えば、本当にどうにかなる気がしたものじゃ。追い詰められた原因も、だいたいエリアスじゃったがな」
名取が口元を押さえた。
桐野も笑いをこらえながら、俺とミルを見ている。
「それでも最後には、それまでの無茶を帳消しにするほどの成果を持って帰ってくる。ああいう人間を、奇運の持ち主というのじゃろうな」
話が終わると、桐野は俺を見た。
「……なんか、ものすごく似た人を知ってる気がするんだけど」
「へえ。大変そうな人ですね」
「真壁さん、あなたよ」
「俺ですか?」
「思いつきで動く。周りを巻き込む。何か起こしてから考える。それで最後には、最初より大きなものを持って帰ってくる。どこが違うのよ」
「俺は、そこまで人を困らせてないと思いますけど」
「真壁さん。少なくとも、私には否定できません」
名取まで、困ったように笑っている。
宗一郎と澪まで、俺と目を合わせようとしない。
エリオットだけは笑わず、椅子の背へ手を置いたままだった。
『しかし、世界鑑定士連盟の《創始者伝》とは、あまりにも人物像が違います。創始者エリアス・ヴェインは、規律を重んじる厳格な人物だったと記されています。清廉を尊び、不正や悪を決して許さず、自らにも他者にも厳しかったと』
ヘルガも英語で付け加えた。
『私も同じ記述を読みました。鑑定士の規範として、連盟の教育資料にも引用されています』
「世界の鑑定士ならば、誰もが一度は聞かされる人物評じゃ」
玄斎も、エリオットたちの話を肯定した。
ミルはエリオットへ顔を向けたまま、一言だけ返す。
「誰じゃ?」
エリオットが返事をするより先に、ミルが続けた。
「誰じゃ、そんなガセにも劣るものを伝記に残した者は」
かつてエリアスと行動を共にしていた生き証人に、連盟の公式記録を真っ向から否定されてしまった。
「よいか。エリアスは規律を説く前に、まず自分の身の回りを優先して片づけるべき男じゃった。使った道具も、棚から出した本も元の場所へ戻さん。必要になるたび、どこへやったとわしに探させておった。そんな男が、自らにも他者にも厳しかったじゃと?」
公式記録の曾祖父と、ここで暮らしていた曾祖父は、同じ人物とは思えないほど違う。
「たぶん、周りの人が頑張ったんじゃないですか?」
俺が言うと、ミルは即座に頷く。
「それは間違いない」
「ほら、やっぱり似てる」
桐野の指摘に、名取まで頷いている。
今の話で、なぜそうなるのだろう。
エリアスの生活について聞いたことで、部屋の見え方が少し変わった。
長いテーブルも、揃っていない椅子も、棚に残る道具も、かつての生活の続きに見える。
ただ、部屋を囲む壁だけは普通の家と違っていた。
壁紙も石材も使われていない。
曲線を描く壁も床も、外で見た巨大な木と同じ白い木肌でできている。
「エリアスさんが、この木の中に家を造ったんですか?」
「逆じゃ」
「木の中に造ったんじゃないんですか?」
「エリアスが木の中へ家を造ったのではない。この者そのものが、エリアスの家じゃったのじゃ」
桐野が足元を見る。
「じゃあ、この部屋も含めて、全部が一つの木ってこと?」
今度は、ミルはすぐに答えなかった。
俺へ向き直り、目を細める。
「せっかく鑑定士がこれだけおるのじゃ。答えまで、わしに聞くでない」
促されたエリオットとヘルガが壁へ手を当て、ドイツ側の鑑定士たちも互いに間隔を空けて鑑定を始める。
御厨家の三人も、床や壁へ鑑定を通していく。
けれど、誰からも答えは出ない。
部屋の構造や、幹の内部に作られた空間までは見えているらしい。
それでも、ミルが使った「この者」という言い方には届いていなかった。
俺は、ここへ来るまでに見たものを思い出す。
遠くからでも全体が見えなかった枝葉と、何人で並んでも回り込めそうにない幹。
地面を盛り上げるほど太い根から、今いる生活空間まで白い木肌が続いている。
木の中にある家だけを分ける必要はない。
俺はしゃがんで床へ手を置き、根、幹、枝、内部にある部屋までを、一つの木として鑑定した。
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対象:《天空樹》
分類:移動型高位生命体/浮遊樹
希少度:SSS
契約主:エリアス・ヴェイン
契約状態:終了/死別
状態:長期休眠/エネルギー残量低下
現在地:次元間退避領域《天空樹の間》
原座標:ナバホダンジョン中心領域
主機能:長距離飛行/内部居住空間維持
退避機能:《異界退避》継続中
登録補給先:ナバホ補給基点
補給接続:切断/待機
継承状態:正統継承者認証済み
正統継承者:真壁 遼
起動状態:停止
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