合流(後編)
桐野の声はガラス越しでもよく通った。
アウトドア用らしい薄い上着に、細身のパンツとトレッキングシューズ。
長い髪は後ろで一つにまとめられている。
電話で元気だとは聞いていた。
それでも、こうして自分の足で立っている姿を見るまで、どこか信じ切れていなかったらしい。
俺はドアを開け、車から降りた。
乾いた冷気が頬に当たる。
「…桐野さん、本当にもう大丈夫なんですか?」
「会って最初がそれ?」
桐野は両腕を軽く広げ、その場で1回転してみせた。
「見ての通り。完全復活」
「い、いや、回らなくていいです」
「元気なのが分かりやすいでしょ」
「転んだらどうするんですか」
「ちょっと会わないうちに随分と過保護になってない?」
桐野は口を尖らせつつ、ジト目で腕を組んだ。
確かに目の前の桐野は、入院中の姿とはまるで違う。
歩き方にも変なところはないし、声に力があった。
顔色も、少なくとも俺よりは随分といい。
それでも、中央フレームで俺の前に割り込んだ背中が頭から離れなかった。
「ほら、またその顔」
桐野がちょいちょいと、俺の顔を指で示す。
「どの顔ですか」
「私が今にも倒れるんじゃないかって顔してる」
「……してませんよ」
「してる。電話の時から絶対そうだと思ってた」
桐野は一歩近づき、俺の肩へ視線を移した。
「シオちゃんも久しぶり」
シオは返事の代わりに、殻の内側から何かを引っ張り出した。
名取によって派手に飾られた専用スマホだ。
触手を素早く滑らせたあと、画面を桐野へ向ける。
『しお すまほ』
「えっ、シオちゃん、スマホ持ってるの?」
桐野は俺の肩に乗るシオと、デコレーションだらけのスマホを何度も見比べた。
「いつの間に? しかも、すごいキラキラしてる」
「東京にいる間に色々ありまして」
「色々でシオがスマホを持つようになる?」
桐野が驚いたまま顔を寄せると、シオはスマホを少し引いた。
その動きで、桐野の視線がシオの殻へ移る。
「あれ? シオちゃんも少し大きくなった?」
桐野は角度を変えながら、青緑色の結晶殻を眺めた。
「殻も前より白っぽい。色が明るくなったよね」
シオは画面を自分へ戻し、また触手を動かす。
『しお せいちょう』
打ち込んだ文字を、得意げに桐野へ見せた。
「そっか。ちゃんと成長してたんだ」
桐野が嬉しそうに笑う。
シオはすぐに次の文字を打ち込んだ。
『しえる すまほ だせ』
「はいはい。私のも出せばいいのね」
久しぶりに会った相手への要求としては、なかなかの交渉っぷりだ。
桐野が上着のポケットからスマホを取り出すと、シオは連絡先交換用のコードを表示して突きつけた。
「もしかして、私と交換してくれるの?」
シオが殻を上下に揺らす。
桐野が笑顔でコードを読み取った。
登録を終えた直後、そのスマホが短く鳴る。
『しえる げんき』
「目の前にいるのに、メッセージで聞くんだ」
桐野は笑いながら、画面に返事を打ち込んだ。
『元気よ。シオちゃんも元気?』
送信から数秒後、桐野のスマホがもう一度鳴る。
『しお おねだんいじょう』
「お値段以上? 元気より上なんだね」
桐野は手を伸ばさず、シオと同じ高さになるよう少しかがんだ。
するとシオは、専用スマホのカメラを桐野へ向けた。
桐野がレンズへ小さく手を振る。
シオは画面に映る桐野へピントを合わせ、触手で撮影ボタンを押した。
写真を撮り終えると、シオはその一枚をメッセージに添付して桐野へ送った。
桐野のスマホに、今撮ったばかりの写真が表示される。
「わっ、きれいに撮れてる。シオちゃん、ありがとう!」
シオは満足そうに殻を上下へ揺らした。
桐野の後ろには、現地スタッフのほかに英国側らしい警護担当が2人いた。
こちらの特務隊と名取を見ても、特に警戒する様子はない。
もう顔合わせが済んでいるのだろう。
「桐野さん、いつ着いたんですか?」
「昨日。先にロサンゼルスへ入って、そこからこっちに来たの」
「昨日から?」
「真壁さんたちはロサンゼルスで1泊して、ラスベガスまで飛んで、そこから車で来たんでしょ?」
「そうです」
「それなら今日の到着になるよね。ラスベガスからでも、ここまで車で4時間くらいかかるし」
桐野は納得したように頷き、受付棟の奥を親指で示す。
「部屋すごいよ。天井までガラス」
「外からも見えるんじゃないですか?」
「最初にそこ気にする?」
「そりゃ気にするでしょう」
名取も同じことを考えたらしく、現地の警備担当へ視線を向けた。
「各ドームには遮光カーテンがあります。真壁さんの宿泊区画は外周を閉鎖し、監視位置も室内が見えない角度に調整済みです」
支援チームの女性がすぐに答える。
たぶん俺が着く前に、同じ話を何度もしている。
「それなら、まあ」
「ちなみに真壁さんのドームの隣、私だから」
「警備の配置は?」
「真壁さん、私のこと心配してくれてるの?」
桐野は嬉しそうに目を細めた。
「人の警備まで気にするようになったなんて、真壁さんも成長したなあ」
「子供扱いしないでください」
「褒めてるのよ。心配しなくても大丈夫。もう英国と日本、両方の警備に囲まれてるから」
桐野が後ろを振り返る。
英国側の警護担当と特務隊員が、同じタイミングで目を逸らした。
どうやら調整済みらしい。
受付棟へ入ると、丸いカウンターの上に宿泊者用のカードが並べられていた。
現地スタッフが俺の名前を確認し、カードを1枚差し出す。
その横には、ひと回り小さなカードもあった。
『SHIO』
ローマ字で、そう書かれている。
「シオの分もあるんですか?」
「施設内で保護対象を識別するためのカードです。部屋の鍵としては使えません」
支援チームの女性が説明すると、シオが俺の肩から身を乗り出した。
『しおの かーど』
「落とすから俺が持っておく」
『しおの』
シオは譲らなかった。
仕方なくカードを渡すと、殻の脇へ大事そうに挟み、すぐ専用スマホで撮影を始める。
『しお あめりかでびゅー』
「カードをもらっただけだぞ」
「でも、ちゃんと名前があると嬉しいよね」
桐野はシオの画面にカードが収まるよう、後ろの荷物を少しずらした。
その間に、俺のカードは名取が受け取っている。
「俺の鍵なんですけど」
「先に室内を確認します」
「渡されたばかりですよ」
「渡される前に複製されていないとは限りません」
受付の現地スタッフが困った顔でこちらを見ていた。
俺は英語で説明できないので、軽く頭を下げるしかない。
「相変わらず大変ね」
「桐野さんの警備も似たようなものでしょう」
「私はここまでじゃないよ。部屋を何個か余計に押さえたくらい」
内閣府特命チームの担当者が顔を上げた。
「その予約について、英国側からロダン家名義の連絡が来ています」
「そうなの? 私、空いてる部屋を近くにしてって頼んだだけなんだけど」
「ロダン家名義の連絡が入った時点で、施設側は周辺の空室をすべて押さえ、英国側の警護要員まで収容できる区画に変更しています。一般客の依頼では、ここまでの対応はまず受けられません」
「まぁ、取れたんだからいいじゃない」
桐野は軽い調子で言うと、カウンターへ肘をついた。
桐野本人は、近くの空室をいくつか頼んだだけのつもりらしい。
それがロダン家の名前を通した途端、宿泊棟の一角を丸ごと警備区画に変える話になる。
政府側がロダン家の介入を警戒していた理由が、今更ながら少しだけ分かった。
「このホテルも桐野さんが見つけたんですか?」
「そう。入院中に旅行動画で見たの。ガラスの部屋で、そのまま星が見えるんだって」
「入院中も、そんなに次の行き先を探してたんですか」
「外に出られなかったからね。退院したら行きたい場所、いっぱい保存してた」
桐野は自分のスマホを開いた。
画面には、地図上に印を付けた場所が何十件も並んでいる。
ブライスキャニオン周辺だけではない。
アメリカ西部からヨーロッパまで、表示を縮めても印が消えなかった。
「これ、全部行くつもりですか?」
「行けるだけ」
「何年かかるんでしょうね」
「さあ。でも、入院中はこの地図を増やすのが楽しみだったの」
桐野はスマホを閉じると、名取から戻ってきた俺のカードを取った。
「旅行の話はここまで。部屋は私の隣だから私が案内するわ。真壁さん、ついてきて」
カードに書かれた部屋番号を確かめると、桐野はそれを俺へ返した。
受付スタッフへ軽く手を振り、今度は桐野自身が先頭に立って、ガラスドームの並ぶ宿泊区画へ歩き出す。
俺は頷きつつ、そのあとを追った。
【新作のお知らせ】
新作『人間嫌いのハイエルフ、父になる』の連載を開始しました!
※ハイファンタジーです。要注意!
人間を嫌っていた長命種のハイエルフが、ひょんなことから人間の赤ちゃんを拾い、慣れない子育てに奮闘するお話です。
本人はあくまで一時的に保護しているだけのつもりですが、周囲から見ると、どう見ても父親になりつつあります。
本作とはまた少し違った、ほのぼのとした子育てファンタジーになっています。
楽しんでいただけましたら嬉しいです!




