出国準備
真壁遼、世界鑑定学会への参加を了承。
その一報は、支援チームからダンジョン庁へ、内閣府特命チームから官邸側へ、ほぼ同時に流れた。
支援チームの詰め所では、職員たちの画面に同じメール通知が並んでいた。
「本当に了承したのか?」
ダンジョン庁側の職員が聞くと、支援チームの女性は少し疲れた調子で答えた。
「はい。最終的には了承していただけました」
「よく説得できたな。あの真壁さんだぞ」
「それが……実は、桐野シエルさんから電話がありまして」
その名前が出た瞬間、ダンジョン庁側の職員の反応が止まった。
「ちょっと待て。桐野っていうと、探索者の桐野シエルか?」
「はい。その桐野シエルさんです」
職員はすぐには返事ができなかった。
真壁が了承した。
その事実自体が、我々国側の朗報だ。
だが、その横に桐野シエルの名前が並ぶと、話がだいぶ変わってくる。
「……思った以上に厄介かもしれん」
「やはり、そう見ますか」
「…桐野との接触は切れるか?」
支援チームの女性は、即答に近い形で首を横に振った。
「それをやると、真壁さんは本当に学会に行かないと思います」
「……だろうな」
真壁は、押せば動くタイプではない。
むしろ押し方を間違えると、静かに全てを拒む。
今回も、桐野の電話とシオへの根回しがあって、ようやく了承に至った。
そこを切るのは、説得の土台を自分たちで壊すのと同じだった。
「ここは痛み分けにしましょう」
支援チームの女性が言う。
「桐野さんとの接触は止めない。その代わり、渡航行程、学会日程、ロンドン行きの範囲はすべてこちらで把握する。勝手に動かせない形にします」
「…そうか。それしかないか」
職員は何か言いかけて、すぐに言葉を止めた。
今は愚痴を挟んでいる場合ではない。
「分かった。上に上げる」
速報は、そのまま瀬尾副長官のもとへも届いた。
「真壁さんが了承しました」
報告を受けた瀬尾は、まずは頷いた。
「よし。そこは大きい」
世界鑑定学会への参加。
それだけなら、ようやく一つ前へ進んだと言える。
だが、続く報告で瀬尾の反応が変わった。
「ただし、桐野シエルとの渡航後合流、および学会後のロンドン行きが事実上の条件になっています」
瀬尾は、黙って報告者を見た。
「桐野はロダン家の縁者だったな?」
「その通りです。英国の名門ロダン家の血筋を引いています。もはや関与を避けるのは難しいかと」
「……忠告通りに、もう少し早めに動くべきだったな」
瀬尾は卓上の予定表を見た。
そこには、世界鑑定学会の日程と、各省庁の調整予定が並んでいる。
「しかし、これは普通には終わらんぞ」
報告者は否定しなかった。
真壁とシオだけならまだしも、そこに桐野と世界鑑定学会、英国ロダン家まで絡んでいる。
しかも開催地はアメリカだ。
日本国内で囲っていられた英雄が、初めて国外へ出る。
「……遅かれ、早かれ、か」
その日のうちに、内閣府特命チームと支援チームは、渡航準備を正式な案件として走らせた。
◇
世界鑑定学会は10月27日から始まる。
残された準備期間は短い。
「真壁さん、パスポートを持っていません」
支援チームの女性が言うと、特命チームの担当者は予想していたように頷いた。
「通常旅券では間に合わない。今回は政府派遣扱いで外交旅券を出します。外務省と調整してください」
「了解しました。アメリカ大使館への連絡も同時に進めます」
「シオの扱いは?」
「真壁さんと同じ保護対生命体として整理し直す予定です」
「かなり無理があるな」
「ですが、他に通る形がありません」
担当者は、少しだけ間を置いてから頷いた。
「通しましょう」
そこから先は、各所への連絡が続いた。
連絡先は、外務省から世界鑑定士連盟まで一気に広がった。
真壁本人が何も知らないところで、予定表の枠だけが先に埋まっていく。
その途中で、外務省から一本の連絡が入った。
「アメリカ側から、真壁さんの訪米に合わせて話をしたいという連絡が来ています」
内閣府特命チームの担当者が、念のため確認する。
「どの部署ですか」
「アメリカダンジョン省です」
会議卓の周囲で、全員が同じ反応をした。
「これは面倒なことに……」
アメリカダンジョン省。
正式名称は、【United States Department of Dungeon Affairs】。
略称はUS-DDA。
アメリカ国内のダンジョン政策、探索者制度、ダンジョン資源、災害対応、国際協力を扱う巨大官庁だ。
日本のダンジョン庁に近いが、予算規模も権限もかなり違う。
そのUS-DDAが、学会期間中に真壁と面会したいと言ってきた。
ダンジョン庁側は、すぐに難色を示した。
「学会参加だけでも厳重警備が必要です。そこにアメリカ政府機関との面会まで入れるのは、負荷が大きい」
「こちらも分かっています」
外務省側の担当者は、電話口で淡々と答えた。
「ただ、向こうは正式な外交ルートで話を通してきています。こちらから完全に拒否するのは難しい」
「何を話すつもりですか」
「表向きは、WEG東京での協力への謝意と、今後のダンジョン安全保障に関する意見交換です」
「本音は別にあると」
「はい」
そこは外務省も否定しなかった。
「交渉はさせません。引き抜き、共同研究、技能提供、長期滞在、すべてNGです。話だけです。その条件でこちらが釘を刺します」
「……こちらの同席なしでは、到底受けられません」
「それは理解できます。なのでその条件をのませますので、ダンジョン庁側の予定へ組み込んでいただきたい」
会議室の誰も、すぐには返事をしなかった。
正直言うと、断りたい。
だが、断り切れない。
ここにいる職員は思い知る。
真壁をアメリカへ送るということは、こういうことだということを。
「……分かりました。短時間の表敬面会として組み込みます」
内閣府特命チームの担当者が答える。
「ただし、同席者はこちらで指定します。こちらの通訳を利用する、そして記録も残します。真壁さん単独での接触は認めません」
「わかりました。それでお願いします」
電話が切れると、会議室に妙に重い空気だけが漂っていた。
「……護衛を増やしましょう」
支援チームの女性が言う。
「特務隊の精鋭チームを組みます。加えて、八咫烏にも支援を求めた方がいい」
「国内護衛だけでは足りませんか」
「はい。国外での不測事態対応を考えると、通常護衛だけでは足りません」
候補者の名前は、すぐに上がった。
名取芽衣。
八咫烏のS級探索者。
WEG東京で真壁の表の近接護衛を務め、シオにも一定の理解がある。
「真壁さんとの相性も悪くありません」
支援チームの女性が言う。
「本人のスキルも、今回の遠征に噛み合います。人混み、移動、会場内外の警戒、急な退避。どれを考えても傍に居させておきたいです」
「…しかし、八咫烏側は出しますかね?」
「真壁さん案件です。むしろ断らないと思います」
結果として、特務隊の精鋭チームに、八咫烏から名取芽衣を加える案が通った。
その後も、準備は続いた。
航空便、現地車両、ホテル、学会会場への移動経路、アメリカ側との連絡窓口。
桐野との合流条件と、ロンドン行きの扱いも詰めていく。
真壁本人の知らないところで、旅程はどんどん普通の旅行から離れていく。
◇
そして10月22日。
羽田空港へ向かう車列の中に、俺はいた。
周囲には厳重な護衛と政府関係者、支援チームがいる。
シオはいつも通り、俺のすぐ近くにいた。
俺は窓の外を見て、ぽつりと言った。
「……これ、本当に休暇なんですかね」
誰も、すぐには答えなかった。
その微妙な間が、だいたいの答えだった。
読んでいただきありがとうございます。
面白いと思っていただけたら、ブックマークや評価で応援いただけると励みになります。




