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第4話 青衣の魔貴族 5

 七都は、地の都の門の前に姿を現した。

 夜明けが近いラピスラズリの空の下に、その暗黒の門は聳えていた。

 あたりには誰もいない。


「やっとあの腕の中から抜け出られた。まったく……。わたしの将来を勝手に決めないでほしいよね」


 七都は、小声でぶつぶつと文句を言う。


「だいたい愛人だなんて。どうせなら、正妃がいいに決まってるよ。もちろん、まだ結婚なんて先の先、ずっと先だと思ってきたから考えたこともないし、まだ早すぎるけどね。この世界では、そうでもないのかもしれないけれど」


 七都は、深呼吸をした。

 まだ彼の感触が、腕の内側に残っている。

 キディアスにどれだけやさしく抱きしめられても、ずっと緊張しっぱなしだった。あの胸には、決してなじめない。

 好きでもない人間に無理やり抱きかかえられて、足を突っ張っている猫になったような気分だ。

 口の中の血を取ってくれたのは有り難かったから我慢したとはいえ、彼とのキスもあまり気分のいいものではない。


 だって、あの人、わたしを殺そうとしたんだもの。

 気を許せないのは、当たり前だよね。

 キスの相手としても、おもいっきり圏外だ。

 会ったばかりのナイジェルの側近とキスするなんて、あり得ない。

 それに、油断させるためとはいえ、彼を抱きしめてしまった。ちょっと自己嫌悪だ。

 ナイジェルの身近な人だから、険悪にはなりたくない。

 この先、ナイジェルと関わろうと思ったら、絶対にくっついてくる人だもの。

 いつかキディアスとごく普通に穏やかに、雑談とかを出来るときが来るのかな。

 とにかく今は、彼に追いつかれないうちに、とっとと地の都に入ってしまおう。


 七都は門に歩み寄って、その前に立つ。


(開いて、早く。自動ドアなんでしょ?)


 七都は、門を睨んだ。

 門は七都に促されたかのように、しぶしぶと動き始める。

 門の真ん中に、真っ白い線が現れた。それは次第に太く、大きくなっていく。

 この向こうは、どうなっているのか。

 七都は息を呑み、開いていく白の空間を眺める。


 門の向こう側には、こちら側と同じように、霧が溢れていた。

 ただ、こちら側の霧よりもはるかに深く層をなす、果てのない壁のような霧だ。

 それはゆっくりとたゆたい、向こう側に広がっているはずの地の都の景色を覆い隠していた。

 たぶん、一メートル先も見えない状態だろう。

 ナビがあるから、行くべき方向はわかる。

 猫の目ナビが示す方向へ、ただ真っ直ぐ歩いていけばいい。

 それにこれだけ霧があれば、キディアスがついてきても余裕で撒けるかもしれない。


 七都が思った途端――。

 青い影が、四角く開いたミルク色の空間の真ん前に、いきなり現れた。

 七都はその影の主を見て、うんざりする。

 キディアスだった。

 空と同じ瑠璃色のマントをひらりとなびかせて、彼は七都と門の間に立った。

 冬の海の冷たい青黒い目が、七都を見据える。手を伸ばせば届きそうなくらいの至近距離だ。

 うわ。早すぎる。

 しかも、現れた位置が悪すぎる……。

 七都は、顔をしかめた。


「離さないと言ったでしょう」


 キディアスが、腕組みをする。


「ひとりよがりでしつこいのが欠点ですか。結構ですね。私はずっとそれでやって参りましたから」


 う。なんか開き直ってる……。

 七都は、一歩後ろに退いた。


「ナナトさま。私と一緒においでください」


 キディアスが言った。


「やだってば。そこどいてよ」

「お断りします」

「どいて。わたし、自分の進路に誰かに立たれて邪魔されるのって、ものすごく嫌いなんだけど」

「まあ、好きな人はいないでしょうね」

 と、キディアス。


「わかってるなら、どきなさいよ」

「どきません。あなたをわが都へお連れします」


 七都は、ふうっと短い吐息をつく。


 あまり気は進まないけど、リュシフィンの名前を持ち出して、脅そうか……。

 魔貴族には、それがいちばん効きそうだもの。ナイジェルのことも絡めて。

 『ナイジェル命』のキディアスには、効きすぎるかな。

 でも、自分が使える武器は全部使わないとね。

 魔力も剣もレベルはかなり下なのだから、それくらいのハンデは許してもらおう。


「あのね、キディアス。あなたがわたしを拉致したら、ナイジェルの立場が悪くなると思う」


 七都は、キディアスに言った。


「何をおっしゃっておられるのか」


 キディアスが腕を組んだまま、七都を見下ろす。


「あなたは、エルフルドさまがわたしを拉致したら、エルフルドさまとナイジェルの関係が悪くなるって言った。同じだよ。あなたがわたしの意思を無視してわたしを連れて行ったら、ナイジェルとリュシフィンの関係が悪くなる。リュシフィンがわたしを取り戻そうとして、怒り狂って水の都に現れるかもしれないんだから。そうなったら、あなたたちも困るでしょ」

「リュシフィンさまが?」


 キディアスが、眉を寄せた。

 ちょっとオーバーかな、と七都は思う。

 けれども、カーラジルトに嫉妬して目の敵にしたり、自分を見失って風の都を壊滅させたというリュシフィンが、身内を拉致されて他の魔王の愛人なんかにされたりしたら、絶対に黙ってなどいないだろう。それはたぶん確実だ。


 七都は、額にはめていたアヌヴィムの輪をはずした。

 優雅に、軽やかに、そしてさりげなく。

 七都の額に、二人の魔王の口づけのあとが輝く。

 一つはキディアスの主人シルヴェリスが別れ際につけた印。そして、もう一つは……。

 キディアスは、暗い藍色の目を大きく見開いた。

 彼の目に七都の顔が映っているのが、はっきりとわかるくらいに。

 アヌヴィムの輪は、宿の部屋の中で寝るときにしかはずしていなかった。

 常に少し離れた所からひそかに七都を見つめていたキディアスが、七都の額の印を目の当たりにするのは、おそらく初めてに違いない。


 七都は、頭を真っ直ぐ上げた。威厳を持って。気品のある立ち方で。

 そして、静かになったキディアスをじっと見据える。


「キディアス。わたしが風の城に……リュシフィンのもとに帰るのを邪魔してはなりません」


 それから七都は、キディアスに強い口調で命令した。


「そこをおどきなさい」


 キディアスは、黙って後ろに下がった。

 複雑な表情をして、七都を食い入るように眺めている。


「……あなたは、リュシフィンさまの……?」


 彼は、消え入りそうなかすれ声で呟く。

 その不完全な質問が、今の彼が出来る精一杯のことなのかもしれなかった。


「わたしの母は風の王族。だからわたしも王族の姫君ってことになるみたい。もちろん風の魔王リュシフィンとも、血がつながってる。ちなみにナイジェルとも親戚らしいよ」


 七都はそう説明してから、キディアスに微笑みかけた。


「キディアス。あなたとはいずれ、笑い合って、楽しくお話したいね」

「……」


 キディアスは、押し黙ったまま、七都を見つめ返す。

 気の毒になるくらいの動揺が伝わってくる。パニックかもしれない。

 だって、しつこくわたしを水の都へ連れて行こうとするんだもの。

 あなたが知らないのだったら、わたしの素性は明かすつもりは全然なかったのに。

 リュシフィンの名前を使ってこういうシチュエーションを切り抜けるのって、ほんとは嫌なんだ。


「それと、一つ言わせてもらうけど」


 七都は、キディアスの真ん前に立つ。威圧的になるように。


「ナイジェルを閉じ込めておくのは、おやめなさい。彼が腕のことにこだわらず、以前と同じ生活を望んでいるのなら、周りにいるあなたたちもそれを受け入れて彼を支えなければならないよ。腕をなくしてもナイジェルはナイジェルだ。わたしは、ナイジェルは片腕になってもやっぱり美しいし、素敵な人だと思う」


 七都は、固まって動かないキディアスの前を通り過ぎ、魔の領域の中に入る。


 七都が通り抜けると、闇色の門は、音もなく閉まった。

 キディアスは、追いかけてはこなかった。

 彼の青い影は門の向こう側に残され、外の景色にはめこまれたまま、門の暗黒に飲み込まれてしまう。


 七都は、周囲に渦巻く霧を見渡した。

 白以外、何も見えない。

 手を伸ばすと、自分の指さえ、薄い衣がかぶさったようにかすんでしまう。

 足元で、さくっという微かな音がする。

 地面は、やわらかい土……いや、砂のようだ。


 この霧の向こうに何があるのか。

 とても不安だ。けれども、どきどきする。

 とうとう入ったのだ、魔の領域へ。地の都へ。

 風の都は、ここの隣にある。とても近い。

 行こう。 

 もうすぐだ。

 もうすぐ、わたしの知りたいことが明らかになる。

 全部の謎が解けて、わたしの長い夏休みが終わる――。


 七都は猫の目形のナビを握りしめ、霧の中をゆっくりと歩き始めた。 <第4話 青衣の魔貴族 完>


 <ダーク七都Ⅲ・赤い眼のアヌヴィム 【完】>

最後まで読んでくださってありがとうございました。

「ダーク七都Ⅳ・砂漠のお茶会」に続きます。

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