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第4話 青衣の魔貴族 4

 キディアスは、たった今グリアモスを分解した剣を素早く鞘に収め、手を差し出した。

 黒い手袋で覆われた手が、七都に向かって影のように伸ばされている。

 七都はしばし躊躇したが、その手をつかんだ。

 キディアスは七都を引き起こす。

 その動作は、安心できるような力強さと鮮やかさだった。


「魔力を使う相手と戦うときは、相手を魔力で封じながら戦わなければなりません」


 キディアスが言った。


「無防備でまともにかかっていって、勝てるわけがありませんよ」


 そして彼は、七都の顔を覗き込む。

 彼の眼差しから、先ほどまでの刺すような冷たい視線は消えていた。


「あなたは少女なのですよね、まだ……。忘れそうになっていました」

「何言ってるの? 助けてくれたことには、一応感謝するけど……」


 七都は言ったが、咳き込みそうになる。

 彼女の血が、まだ口の中に大量に残っていた。


「外見が少女でも、中身はそうでないことが多いですからね、我が魔神族は。だが、あなたは生を受けてから、まだそんなに長い時間を過ごされているわけでもなく……この世界に来たのも初めてなのですよね。言わば、まだよちよち歩きの幼い赤ん坊のようなもの」

「……子供扱いしないで」

「グリアモスの血は、人間のように美味ではない。まずかったでしょう。だいじょうぶですか?」


 キディアスが訊ねた。


「う……」


 確かにそうだった。

 あの美女の血は、そのねばつくような舌触りも、生ぬるい温度も、形容のしがたい妙な味も、とても受け入れられるものではない。その不快感は、気分が悪くなるくらいだった。

 口の中に洗剤を入れて、ブラシでごしごし洗いたい。本気でそう思えた。


「飲み込んでしまいましたか? グリアモスの血を飲んで、寝込む者もいるくらいですよ」


 キディアス。態度が軟化している?

 目の前でグリアモスに襲われている姿を目にして、同情したのか?

 どこか穏やかになった暗い冬の海色の目が、七都を見つめている。


「ううん……。飲み込んではいないけど……。まだ口の中が……」


 キディアスは、青いマントの中に七都を包み込んだ。

 そして七都を引き寄せ、まだグリアモスの血で赤く染まっている七都の唇に自分の唇を重ねる。


「な、何をす……!!!」


 反射的にキディアスに抗おうとした七都は、それを中止した。

 口の中の不快感が、次第になくなって行く。血の匂いも、味も、ぬめりのある感触も。

 キディアスはただ純粋に、その口づけによってグリアモスの血をきれいに取り除こうとしてくれている。

 下心とか恋愛感情などは、皆無だ。七都は、感じ取る。

 ユードには、少なからずそういうものがあったような気がしたから、思わず殴ってしまったが、この人はそうじゃない。

 キディアスは、ナイジェルを通してわたしを見ようとしている。

 嫉妬の対象としてではなく、彼の主人が好意を寄せているかもしれない女性として。

 感情を押し込めて、プライドの高い魔貴族としての自分を立て直そうとしている……。


 七都は、おとなしくキディアスのキスを受けた。

 そのキスは、ほとんど事務的なものだった。好意とか親切のようなものは、かけらも感じられない。

 もっとも、そのほうが七都にはありがたかった。

 相手がそういうふうに割り切っているなら、こちらも同じように何のこだわりもなく、割り切って受けることが出来るというものだ。


 口づけが終わると、キディアスは七都の背中に手を回す。表面的には、この上もないくらいに、やさしく。

 だが彼の腕全体に、七都を決して逃しはしないという強い意思が、明らかに込められていた。

 七都は彼に抱きしめられるまま、その胸にもたれかかって目を閉じる。

 取りあえずしばらくは、そのままキディアスに体を預けることにした。

 どちらにしろ今は、彼の腕の中から抜け出せそうもない。

 口の中はキディアスのおかげで、ハーブティーを飲んだかのようにすっきりとしていた。

 それは確かに感謝すべきことだった。


「ありがとう。血を取ってくれて……」


 七都は彼の胸に顔をうずめたまま、礼を言った。


「なんで私を助けたの?」

「考えてみれば、あなたに特に消えていただく理由もありませんしね。やはりあなたには、生きてこのまま水の都に来ていただくことにしました」


 キディアスが答える。


「嫌だって、何回も言ってるでしょ?」

「あなたがお嫌でも、お連れしますよ。あなたのような少女が、一人でこんなところを歩いていてはいけません。化け猫どのも、なぜあなたを放っておかれるのか理解しがたい。あなたと同じ一族でしょうに」

「カーラジルトは知ってるから。わたしが一人で旅をしなければならないことを。わたしがそれを望んでいることも」

「だが、私はあなたを放ってはおけません。あなたは保護されなければならない。一人旅など、とんでもないことだ」

「殺人者が、今度は保護者に豹変したってわけ? わたしに同情でもした?」


 キディアスは、笑ったようだった。

 そして七都の頭をそっと抱え、頬を押し付けた。


「そうかもしれませんね。あの女にあなたが食べられていくのを黙って見続けることは出来ませんし、あなたがあの女の血をすするのを見続けることも、もちろん出来ません。ナナトさま。あなたは子猫のようだ。傷ついて迷っている子猫のよう。もう離しませんよ」

「子猫? わざとそういうふうに見ようとしてるんじゃないの? そんなふうにわたしを見ないと嫉妬しちゃうから」

「おもしろいことをおっしゃる」


 キディアスが、七都の耳元で言う。


「私はあなたに嫉妬などしておりません」

「そう? ならいいんだけどね」

「しかし、まさかあの女の首に噛み付くなどと。驚くようなことをされますね」

「ああいうのは、はしたないことなんでしょ。知ってるよ」

「あなたには、魔神族の習慣と礼儀をしっかりと覚えてもらわねばなりませんね。シルヴェリスさまのおそばにいていただくためにも。だが、あなたは見目麗しいのですから、今から磨けばすばらしい貴婦人におなりでしょう。私が徹底的に仕込んで差し上げますよ。どこに出しても恥ずかしくない完璧な貴婦人に、あなたを仕上げてみせましょう。さりげない仕草から立ち居振る舞い、趣味、考え方まで、すべて」

「だから、わたしを助けたとか?」

「はい?」

「魔力も使えて自分の意見もしっかり持っている大人の女性を愛人に置くよりも、わたしみたいな無知な小娘を自分の思い通りに教育して、魔王さまになったばかりのナイジェルのそばに最初から置いといたほうが、あなたには都合がいいし、何かとやりやすいから」


 キディアスは、再び笑ったようだった。

 彼の胸に顔を押し付けている七都には、彼がどんな顔をして笑ったのか想像するしかなかったが。


「キディアス。わたしは、あなたとは一緒に行かないよ」


 七都は呟いたが、キディアスはそれを無視した。


「水の都に到着したら、シルヴェリスさまとしばらくご一緒に過ごされるといい。寝食を共にされて、楽しいお時間をお過ごしなさい。お話もたくさん、好きなだけ出来ますよ。それから、あなたを風の都までお送りしましょう。あなたのご家族にも挨拶に行かなければなりませんから。もちろん風の都を訪問されたあとは、また水の都に戻っていただきますけれどね」

「家族……?」


 風の都には、家族はいないけどな。お母さんは行方不明だし……。

 保護者ってことなら、リュシフィンがそうなるのかも。

 ナチグロ=ロビンもそうかな。彼は、保護者にあるまじき行為をしてるとはいえ。

 でもこの人、わたしの保護者がリュシフィンだって知ったら、度肝を抜くだろうな……。


「なんで家族に挨拶がいるの?」

「シルヴェリスさまの後宮にあなたがお入りになったという報告が必要ですからね」


 キディアスが答える。


「入らないってば」

「では、そういうことは後回しにして、まず、シルヴェリスさまに印をいただきましょう。そうすればあなたは、どこにいらっしゃろうとあの方に守られることになります。そして何よりあの方の愛人として、すべての魔神族から一目置かれることになるのですよ」


 別にナイジェルの愛人にならなくても、風の姫君ってことで一目置かれると思うんだけど……。

 七都は、ちらっと思う。


「印なら、もう額にもらったよ」

「その印ではありませんよ。あなたがおっしゃっている印とは、口づけのあとのことでしょう?」


 もちろん、わかってるよ。カーラジルトが説明してくれたほうだってこと。


「つまりあなたは、さっさとナイジェルに抱かれろって、そう言いたいわけでしょ。そうしなきゃ外に出してやらないぞってことだ」


 キディアスの胸が大きく動く。おそらく溜め息をついたのだろう。


「まあ、確かにそういうことですね。しかしあなたは、先ほどからずいぶん思いきった、あけすけで露骨な物言いをされる。私が戸惑うくらいに。何度も唖然とさせられますよ」


 うん。あなたをおちょくってるってこともあるよ。

 あなたを動揺させて、隙が出来ないかなって窺ってるの。


「あなたのような方が、そういうことを口にしてはなりませんよ。それもまた直していただかねばいけませんね」

「残念ながら、わたしは従順でおとなしい貴婦人にはなれそうもない。どれだけあなたが教育しても」


 七都は言った。


「それにナイジェルとわたしは、まだそういう関係じゃないから」

「お互いに惹かれあっておられるのでしょう。ご対面されれば、そうなるのは時間の問題ですよ」

「そうかな。ナイジェルだって、いきなりわたしを目の前に連れて来られて、『はい、あなたの愛人ですよ』なんて言われても、困るだけだと思うけど」

「そんなことはありません。シルヴェリスさまは、あなたのことを気に入っておられるのですから。あなたを目の当たりにされると、思いがより深くなられるに違いありません。それに、あなたが初めての発情期に入っても、問題のないようにしておかねばなりませんし、きっとシルヴェリスさまもその点では協力して下さるでしょう。とはいえご対面の前に、あなたには、お体をきれいに直していただかないといけませんね。ひどいお怪我をされているようですから。その手配もしましょう。その傷をシルヴェリスさまにお見せしてはなりません。あの方には、もっと美しいあなたをご覧にいれなければ」

「ねえ、キディアス」

「はい」

「あなたはナイジェルにとって、きっと、とても優秀な側近なんだと思う。愛人候補の教育にまで心を砕いているものね。わたしにつきまとったのも、ナイジェルの愛人としてふさわしいかどうか見極めたかったんでしょう。頭も回るし、剣も相当使えるみたいだし、きれいだし、すばらしい人だと思うよ」


 七都は、キディアスの背中に両手を回し、ぎゅっと抱きしめる。

 キディアスの七都に絡めている腕が、そのはずみで少し緩んだ。


「ただね。ちょっと、というより、かなりなんだけど」


 七都は、キディアスの胸から顔を上げて彼を真っ直ぐ見つめ、かわいらしく、にっと笑って見せた。


「ひとりよがりで、しつこいのが欠点だ」


 キディアスの腕の中で、七都の姿が消え失せる。

 彼は、たった今まで七都を抱きしめていた自分の手を静かに眺めた。

 黒い手袋をはめた両手が、まだ輪を作ったまま重ねられている。


「油断したか……。なかなかしたたかな娘だ」


 彼は、呟いた。

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