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第4話 青衣の魔貴族 3

 長い黒髪と、すみれ色が真ん中に溶けた銀の目。そして、血のように紅い唇。

 背の高い白い顔の美女が、そこに立っていた。灰色のマントで体を覆っている。

 誰、この人……。

 七都は、目の前に突然現れたその女性を見上げる。

 キディアスもいぶかしげな顔つきをして、彼女をじっと観察した。

 彼の知り合いというわけでもないらしい。


 美女は妖しげな笑みを浮かべ、キディアスに一礼した。

 そして口を開く。きれいなトーンの、弦楽器のような声だった。


「魔貴族さま。私にゆだねてくださいませんか? ぜひ」


「ゆだねる? 何を?」


 キディアスが訊ねる。


「この少女の始末を……」


 彼女は、にやっと笑って七都を手で示した。

 七都は、総毛立つ。

 それと同じ微笑みは、前にも見た。

 遺跡で七都を襲ったあの若者と同じ微笑だった。彼がグリアモスに変身する前の――。

 この人、グリアモスだ……! 七都は、悟る。


「下級魔神族か。しかも魔の領域から逃走し、さまよっているやから」


 キディアスが、彼女を蔑むような目付きで見つめた。


「ええ、そうですとも。はぐれグリアモスですわ。魔貴族さま、あなたはこの少女を消してしまおうと思っておられる。ならば、私があなたの代わりにそれをさせていただきましょう。あなたは、ご自分の手をわずらわせることもありません」

「……」


 キディアスは返事をしなかったが、それを承諾したと受け取ったのか、下級魔神族の美女は、七都のほうに向き直った。


「では……」


 彼女が七都を舐めるように見下ろす。

 いやらしい目つきだ。エディシルに飢えている。

 七都は、後ずさった。


「うふ。かわいい方ね。おいしそうだこと。アヌヴィムかと思ったけど、よく見ると魔神族なのね」


 彼女が、嬉しそうに言う。


「今のわたしは、エディシルがうんと少ないから、あんまりおいしくないと思うんだけど」


 七都は、彼女を睨んだ。


「量ではなく質ですわ。かわいいお嬢ちゃま。きっとあなたのエディシルは、とろけるように甘いに違いないですもの」


 彼女の、妙にユーモアがあってかわいげのある口調とセリフに、七都はさらに身の毛がよだった。

 七都は、メーベルルの剣を握りしめる。

 この人、ナチグロ=ロビンにどこか似ているし、カーラジルトにも、やっぱり似たところがある……。

 勝手にそう思い始めてしまう自分の感覚に、七都はストップをかける。

 そんな雑念で心が動揺してしまうと、戦えなくなってしまう。

 冷静になろう。戦うときは、集中して。覚悟を決めて。

 カーラジルトにそう言われた。

 しっかりしなくちゃ。


 七都は、剣を鞘から抜いた。

 下級魔神族の美女は、笑みを浮かべたまま、七都と対峙する。

 キディアスは既に剣を収め、腕を組んで七都と彼女を黙って眺めていた。

 瑠璃色のマントを緩やかに風になびかせたまま、立った場所から動かない。

 高みの見物か……。七都は、唇を噛む。

 もちろん、助けてくれるわけないけれど。

 キディアスは、わたしに消えてほしいって思ってるんだものね。

 だけどこのまま、このグリアモスの女の人にわたしを殺させようとするんだ。自分は手を下さずに……。

 この人の前で戦うのは嫌だ。

 でも、そんなことを言ってる場合じゃない。


 下級魔神族の美女は、まるで七都をからかっているかのように両手を広げた。


「お嬢ちゃま。私を倒せるかしら?」


 七都は、剣を両手で構える。

 いきなり斬りつけたりなんかしては、だめだ。

 相手の様子を見る。感じ取る。

 七都は、カーラジルトに教えてもらった記憶をたどる。


「かかってこないなら、私のほうから行くわよ」


 彼女はそう言うなり、七都に飛びかかってきた。

 七都は、剣を彼女めがけて突き入れたが、簡単にかわされてしまう。

 それどころか彼女に、剣を握った手首をつかまれてしまった。

 彼女の長く紅い爪が、七都の手首にくいこむ。

 動けない。剣を持つ腕だけでなく、体全体が石になったように固まっていく。

 魔力を使われている……。

 撥ね返すことも出来ない。

 七都は、情けなくなる。だが、どうしようもなく無力だった。

 相手は、魔力を使う生身の魔神族。幻想の中の魚やカボチャじゃない。

 そのことを改めて思い知らされる。


「あらあ、もうおしまい?」


 彼女が、微笑んだ。


「たわいのないこと。もっと遊べるかと思ったのに。でも、夜明けも近いことだしね。魔貴族さまもお忙しいでしょうし、食事は早めに済ませてしまわないといけないわ」


 美女は、七都の手から剣をはずした。

 彼女が投げると、メーベルルの剣は、闇の中に銀色に輝きながら消えていく。

 彼女は七都を抱きよせた。

 そして、動けなくなった七都をゆっくりと地面に寝かせる。


「まあ、ケガをしているのね。同族に食べられちゃったようね。でも私は、そんなはしたないひどい真似はしなくてよ。きちんと唇からエディシルをいただくからね」


 彼女は、七都の胸あてをそっと撫でた。

 その途端、胸当てが光を放ち、彼女の手を弾き飛ばす。

 彼女は、細いうめき声をあげた。

 七都は、魔力での束縛が消えたのを感じて足を曲げた。このまま蹴り上げれば、このグリアモスの美女を遠くに飛ばすことが出来る。

 けれども、七都の行動を素早く読んだ彼女が、七都の膝を自分の足で押さえつけた。

 覆いかぶさる彼女の体を払いのけようと動かした両腕も、彼女の手で地面に止めつけられてしまう。

 彼女は七都を見下ろし、うっとりするような満足げな表情をした。


「きれいね。この歳で死ななきゃならないのはかわいそうだけど。悪く思わないでね。私も生きなきゃならないの」


 彼女は、その美しい顔には不釣合いな長い舌を出して、七都の顔を丁寧に舐めた。

 七都は嫌悪感に顔をしかめる。


「では、ご馳走になろうかしら。夢のようだわ。あなたのような魔神族のお嬢ちゃまのエディシルをいただけるなんて、とても光栄よ。ただのお嬢ちゃまじゃなく、あなたは魔貴族のお姫さまなのかしらね」


 彼女の顔が近づいてくる。

 七都は抵抗したが、彼女の体の下から抜け出すことは出来そうにない。

 細身で華奢な体つきには似合わぬ、恐ろしい力で七都を押さえつけている。

 やっぱり、グリアモスには勝てないんだ。

 ほとんど戦ってもいないのに、この状況……。

 せっかくカーラジルトに剣を教えてもらったのに、全然生かされてもいない。

 何て情けないんだろう。でも、あきらめたら、終わりだ。

 七都は、笑いながら接近する美しい顔をぼんやりと見つめる。

 両手も両足も使えない。魔力も封じられている。

 じゃあ、あと出来ることは……?


 七都の視界に、彼女の細い首筋が、ズームアップされたように大写しになった。

 七都は上半身をわずかに持ち上げ、吸い寄せられるように、その白い首筋に噛み付く。


「あ……!!!」


 彼女の動きが、静止した。

 七都の歯が彼女の首の皮膚を裂く。

 尖った歯が勝手に伸びて、さらに彼女の首に深く突き刺さった。

 どろりとした血が、七都の口の中に流れ込んだ。

 血と同時に、エディシルもこぼれてくる。

 七都は一瞬、エディシルにかぶりつきたい衝動にかられる。

 だが、それはすぐに消え去った。イデュアルの指輪がその衝動を押さえてくれている。

 七都は、口の中に溜まっていく血を飲み込まないように、喉を締め付けた。

 飲んだらだめだ。わたしは……わたしは吸血鬼じゃない。

 血は口から溢れ、エディシルは七都の顔のあたりに、銀色の煙のようにゆらゆらと漂う。

 彼女は、動かない。そのまま固まっている。彼女の時間が止まったように。

 グリアモスは首に弱点があるのだろうか?

 七都は彼女の首に噛み付いたまま、自由になった左手で彼女の肩を抱きしめた。そして、右手を真っ直ぐ伸ばす。

 手のひらに冷たく固いものが、確かな存在感で現れた。まるで誰かから、勢いよく、ぱしんと渡されたように。

 メーベルルの剣だった。

 闇の中から、七都の手に戻ってきたのだ。七都の無意識の呼びかけに答えて。

 七都は、剣の先を彼女の胸に押し当てた。

 彼女から伝わってくる、悲しいくらいのほのかなあたたかさ。

 生きている。

 だけど、その生を断ち切らなくてはならない。わたしが生きるために。

 七都は、剣を握る手に力をこめる。

 そして、彼女の心臓にその切っ先を刺しこもうとした瞬間――。

 彼女は、分解した。

 彼女の体は、黒い砂となって七都の上で砕け散り、七都を覆って消え去った。

 七都は思わず目を閉じ、溶けていく砂の音を耳元で聞く。


 やがて何も聞こえなくなると、七都は目を開けた。

 抜き身の剣を持ったキディアスが、七都の傍らに立っていた。


(わたしを……助けた? あのグリアモスの女の人に自分の剣を使って?)


 七都は横たわったまま、キディアスを見上げる。

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