6話 悪魔の統治
王国軍による強制捜索から三日後。
神聖ヴェルディア王国、王都セレスティアの旧市街《灰色区》には、今も戦いの傷跡が残っていた。
砕けた石畳。
焼け焦げた家屋。
魔導砲によって崩れた建物。
広場では住民たちが瓦礫を運び、悪の晩餐会の構成員が修復作業を進めていた。
「おい、そっちの木材を運べ!」
「診療所の屋根を先に直すんだ!」
その様子を、一人の男が静かに眺めていた。
ヴァレイン・クロイツ。
二十六歳。
銀白色の長い髪を後ろへ流し、血のような深紅の瞳を持つ男。
漆黒の軍服風ロングコートには銀糸の刺繍が施され、胸元では細い銀鎖が揺れている。
黒革の手袋をはめ、腰には黒剣。
王国最悪の犯罪組織を率いる首領。
黒冠の悪魔。
「……随分と派手に壊してくれたものだ」
彼は崩れた家屋を見上げ、皮肉げに笑った。
「修復には相応の費用が必要でございます」
隣から優雅な声が響く。
イザベル・ヴェスパー。
二十四歳。
腰まで伸びた黒紫色の髪に、紫水晶のような瞳。
深紫色の薔薇が刺繍された漆黒のドレスをまとい、両腕には黒いレースの手袋。
悪の晩餐会の副首領だった。
「構わん。金庫を開けろ」
「……よろしいのですか?」
「ああ。壊れた街では、情報も金も集まらん」
ヴァレインは冷たく笑う。
「俺たちの領地だ。使い物にならなくては困る」
「承知いたしました」
その会話を、近くにいた住民たちが不安そうに聞いていた。
「……また働かされるのか?」
「助けてもらったんだから仕方ないだろう」
「でも、断ったらどうなるんだ……?」
ヴァレインが視線を向けると、住民たちは慌てて口を閉じた。
*
灰色区の臨時管理所。
古い商館を改修した建物には、悪の晩餐会の幹部たちが集まっていた。
「さて、始めるか」
ヴァレインは長机に地図を広げる。
その周囲には、イザベル、戦闘隊長ザイラス・グレイヴ、幻術師フィン・アルカナ、闇医者エドガー・ヴァイス、諜報部隊長ミレーヌ・カーヴェルが並んでいた。
「灰色区の統治体制を変更する」
ヴァレインは地図の三か所を指差す。
「食料、医療、住居。まずはこの三つだ」
「ずいぶん大がかりだな、大将」
ザイラスが笑った。
黒い戦闘服の上に銀色の軽装鎧をまとい、左肩には先日の戦闘で負った傷を覆う包帯が巻かれている。
「王国軍がまた来る。その前に街を立て直す」
「食料配給所を増設する。子ども、老人、病人を優先しろ」
「はいはーい!」
白髪の青年フィンが手を挙げた。
黒と紫の魔導師風の上着をまとい、青緑色の瞳を輝かせている。
「じゃあ、僕が警備用に幻術を仕掛けておくよ!」
「頼んだ」
ヴァレインは次にエドガーを見る。
「診療所は?」
「薬品が足りない。患者も増えている」
白いシャツに暗緑色のベストを着たエドガーが、医療記録を机へ置いた。
「治療費を払えない人間も多い」
「必要な物資は調達しろ」
「金は?」
「俺が出す」
ザイラスが笑った。
「大将、太っ腹じゃねえか!」
「慈善事業と勘違いするなよ」
ヴァレインは鼻で笑う。
「次に孤児院だ。使われていない商館を改修しろ」
「孤児院?」
フィンが首を傾げる。
「ああ。子どもを路上で寝かせるな」
その声に、わずかな冷たさが混じる。
「読み書きと計算も教えろ。知らないままでは、また誰かに騙される」
イザベルが微笑んだ。
「名称はいかがなさいます?」
「任せる」
「では、《暁の家》ではいかがでしょう」
「悪くない」
そして最後に、幹部たちを見渡す。
「ただし、住民には協力を求める」
赤褐色の短髪を持つミレーヌが、金色の瞳を細めた。
「情報提供ね?」
「ああ。王国軍の動向、不審者、犯罪行為。見聞きしたことは報告させろ」
「ふふ。情報網が一気に広がるわね」
「働ける者には修復作業や配給を手伝わせる。商人の管理費は明確に定めろ。勝手な徴収は許さん」
エドガーが呆れたように呟く。
「……本当に抜け目がないな」
「何がだ?」
「人を助けながら、支配も強めている」
ヴァレインは薄く笑った。
「当然だろう。善意だけで組織は維持できん」
深紅の瞳が、地図へ落ちる。
「王国が捨てた街を、俺たちの要塞に変えてやる」
*
数日後。
灰色区の広場には、多くの住民が集まっていた。
その前に立つヴァレインが、新たな制度について説明する。
「食料配給所と診療所を増やす。孤児院も開設する」
住民たちがざわめいた。
「本当に、そこまでしてくれるのか?」
「ありがたい……!」
しかし、ヴァレインは片手を上げる。
「勘違いするな。無償で何もかも与えるつもりはない」
広場が静まり返る。
「働ける者は働け。情報を持つ者は報告しろ」
一人の男性がおずおずと手を挙げた。
「あ、あの……働けない者は、どうなるんですか?」
「病人、老人、子どもに無理な労働はさせん」
ヴァレインは即答する。
「だが、働けるのに他人へすべて押しつける者まで養うつもりはない」
「俺たちの規則を守れば、食料も医療も提供する」
そして、静かに続けた。
「ただし、他人を食い物にする者には容赦しない」
安心する者。
感謝する者。
恐怖を覚える者。
そのすべてを見渡し、ヴァレインは笑った。
「俺は、お前たちの英雄ではない」
*
その翌日。
一人の若い女性が、灰色区を歩いていた。
アストレア・リュミエール。
二十二歳。
蜂蜜色の金髪を低い位置で束ね、澄んだ青い瞳を持つ女性だった。
しかし、今日は聖騎士の鎧を身につけていない。
地味な茶色のワンピースに灰色のショール。
足元には使い古した革靴。
彼女は身分を隠し、悪の晩餐会の統治を調べるために訪れていた。
「……随分と変わったのね」
以前より整備された広場。
新しい配給所。
修復されつつある家屋。
人々の表情にも、わずかな明るさが戻っている。
「あの……旅の方ですか?」
声をかけてきたのは、三十代半ばほどの女性だった。
薄茶色の髪をまとめ、古びた青いワンピースを着ている。
「ええ。少し、この街を見て回っているんです」
「私はマリアと申します」
マリアは微笑んだ。
「以前は、夫が怪我をして働けなくなってしまって……」
「そうだったのですね」
「治療費も払えず、食べるものにも困っていました。でも、あの人たちが治療してくれたんです」
「……悪の晩餐会が?」
「ええ。夫はまだ歩くのが難しいけれど、命は助かりました」
マリアの瞳に涙が浮かぶ。
「だから私は、ヴァレイン様に感謝しています」
「……そうですか」
「もちろん、怖い人だとは思います。でも、手を差し伸べてくれたのも事実ですから」
その言葉が、アストレアの胸に残った。
*
一方、以前出会った商人ダリオとも再会した。
「管理費は以前より安くなりました」
ダリオは帳簿を閉じる。
「それなら、生活は楽になったのですね」
「ええ。ですが……」
彼は声を潜めた。
「この街では、あの人たちの許可がなければ大きな商売はできません」
「それは、今も変わらないのですね」
「はい。逆らえば商売を止められる可能性もあります」
ダリオは困ったように笑った。
「助けられているのは事実です。でも、自由になったわけじゃない」
アストレアは唇を噛む。
救われた者。
支配を恐れる者。
どちらの言葉も、嘘ではなかった。
*
数日後。
灰色区の一角に、新しい孤児院が完成した。
《暁の家》。
古い商館を改修した建物には、寝室、食堂、教室が設けられている。
ヴァレインは施設の中を歩き、担当者から報告を受けていた。
「食料は足りているか?」
「はい、首領」
「冬用の毛布は?」
「人数分、用意できております」
「教育係は?」
「現在、三名おります」
ヴァレインは頷いた。
「読み書きと計算は、必ず教えろ」
「……なぜでしょうか?」
「知らないままでは、また誰かに騙される。最低限、自分で物事を判断できるようにしてやれ」
担当者は頭を下げた。
その様子を、少し離れた場所からアストレアが見つめていた。
彼女は孤児院の手伝いを申し出て、住民に紛れ込んでいた。
(……この人は、人々を救っている)
しかし、同時に気づく。
住民たちはヴァレインへ話しかける際、必ず緊張している。
彼が命じれば、誰も逆らわない。
(救うために支配しているの?)
アストレアは拳を握る。
(それとも、支配するために救っているの……?)
*
視察を終えたヴァレインが孤児院を出ようとしたとき。
「おじさん!」
小さな声が響いた。
ヴァレインが足を止める。
「……誰がおじさんだ?」
目の前には、十歳ほどの少年が立っていた。
短い栗色の髪に、大きな茶色の瞳。
色褪せた白いシャツと茶色の短いズボンを身につけ、靴には補修跡が残っている。
少年の名はレオ。
「え? お兄さん?」
「それでいい」
少し離れた場所で、フィンが笑いをこらえていた。
「ぷっ……ボス、おじさんだって!」
「フィン」
「はい! 黙ります!」
レオは気にせず続けた。
「ねえ、黒いお兄さん!」
「何だ?」
「僕のお父さんを助けてくれたって、本当?」
「……父親?」
「うん! 怪我して働けなくなっちゃったんだ。でも、ここのお医者さんが治してくれてるの!」
ヴァレインは頷いた。
「そうか」
「お母さんもね、食べ物を貰えるようになって、すごく喜んでる!」
レオは満面の笑みを浮かべた。
「ありがとう!」
その笑顔が、遠い記憶と重なる。
『お兄ちゃん!』
幼い少女の声。
銀白色の髪を揺らし、自分へ駆け寄ってきた妹。
あの頃、自分にも守りたい日常があった。
「……礼なら、医者に言え」
「うん! もう言ったよ!」
少年は元気に頷く。
そして、ヴァレインのロングコートを見上げた。
「ねえ、お兄さん」
「何だ?」
「あなたは英雄なの?」
その質問に、周囲が静かになった。
フィンが顔を上げる。
イザベルも足を止めた。
住民に紛れていたアストレアも、二人の会話へ耳を傾ける。
ヴァレインは少年を見つめた。
十年前。
英雄と呼ばれた者たちは、世界を救った。
だが、その代償として多くの人々が命を落とした。
自分の家族も、故郷も、その中にあった。
ヴァレインはゆっくりと笑う。
「違う」
そして、静かに告げた。
「俺は悪魔だ」
レオは目を丸くする。
「……悪魔?」
「ああ。人を騙すし、必要なら殺す。決して立派な人間じゃない」
「でも、僕たちを助けてくれたよ?」
「それとこれとは別だ」
ヴァレインはしゃがみ、少年と目線を合わせる。
「いいか、レオ」
その声が、少しだけ柔らかくなった。
「だからお前は、俺のようにはなるな」
レオは真剣な顔で話を聞いていた。
「お前はまだ子どもだ。だが、これから大人になる」
ヴァレインは小さな肩へ、そっと手を置いた。
「大人になったとき、父さんや母さんを守ってやれるのは、お前自身なんだ」
「……僕にも、守れるかな?」
ヴァレインは微笑む。
「守れるさ」
「本当?」
「ああ。そのためにも、しっかり食って、学んで、強くなれ」
そして、付け加えた。
「ただし、強さを誰かを傷つけるためだけに使うなよ」
レオは大きく頷いた。
「うん! 僕、お父さんとお母さんを守る!」
「なら、まずは母親の言うことを聞くんだな」
少年は笑った。
*
少し離れた場所。
アストレアは、その光景を見つめていた。
銀白色の髪。
深紅の瞳。
漆黒の軍服。
黒冠の悪魔。
彼は自分を英雄とは呼ばなかった。
むしろ、悪魔だと言い切った。
そして、子どもには自分のようになるなと告げた。
(……この人は、なぜこんなにも矛盾しているの?)
人を救う。
人を支配する。
罪を犯す。
それでも、子どもには違う道を歩んでほしいと願う。
(あなたは、一体何を守ろうとしているの?)
第3章で剣を交えたときとは、違う感情が生まれていた。
同情でも、信頼でもない。
もっと、この男のことを知りたい。
そんな疑問だった。
*
夕暮れ。
ヴァレインはイザベルとともに、修復されつつある灰色区を歩いていた。
「ヴァレイン様」
「何だ?」
「先ほどの少年へのお言葉……少々、意外でございました」
「そうか?」
「ええ。将来は悪の晩餐会へ勧誘なさるのかと」
ヴァレインは鼻で笑った。
「子どもを使うほど、人手には困っていない」
「それは結構なことですわ」
少し沈黙した後。
イザベルは問いかけた。
「……ヴァレイン様は、子どもたちに何を望まれるのですか?」
ヴァレインは足を止めた。
夕陽に照らされた建物。
遠くから聞こえる子どもたちの笑い声。
「……そうだな」
そして、静かに答える。
「俺たちのようにならずに済むことだ」
イザベルの瞳が揺れる。
「復讐のために生きることも、誰かを殺すことも知らずに済むなら、それでいい」
ヴァレインは小さく笑う。
「もっとも、そんな世界を作るには、少々汚い仕事が必要だがな」
イザベルは何も言わず、その横顔を見つめていた。
新しく設けられた配給所。
患者たちが集う診療所。
子どもたちの笑い声が響く孤児院。
そのすべてが、悪の晩餐会の力によって維持されている。
しかし、ヴァレイン自身が善人になったわけではない。
今も復讐のために動いている。
それでも、子どもたちには自分と同じ道を歩ませたくなかった。
「……英雄には、なれんさ」
ヴァレインは静かに笑った。
そして、黒剣の柄へ手を添える。
「俺は、悪魔だからな」
夕陽が銀白色の髪を赤く染めた。
悪の晩餐会。
その首領が築こうとしているのは、正義の国ではない。
しかし、その支配の下には確かに、明日を生きようとする人々がいた。
――第6話「悪魔の統治」完。




